私の視点
設計主任の中村さんは、当時の中島飛行機の経営陣の決断に謝意をあらわしている一方、その手記の中で『メンバーは若かっただけに、良く勉強し、良く研究し、新知識や自分の新考案をどしどし実行する意欲に燃えていた。
新しい計算方式で大丈夫とわかれば、先輩たちがハラハラするような構造図面の強引に引いた。また図面が出来ても、それが出来上がるまで工作現場をかけまわり、工員と一緒に工夫しながら改良もした。失敗も多かったが、改めるのも速かったのである』と記している。
経営者の決断、リーダーの資質、メンバーの意欲それぞれが上手き機能しあったことが伺える手記だとおもいます。感じる点は多々有るのですが今回はコメントなしというころで終わります。
97式艦上攻撃機は日本軍の真珠湾攻撃に使用された飛行機として有名です。
この機は中島飛行機が設計製作したもので、この設計にあたったチームは20名そこそこでした。
この設計チームの主任は中村さんとおっしゃり、開発当時25歳、この下に胴体構造とか翼構造とか脚構造とか操縦装置とか艤装とかの専門チームが有るわけですが、このチームのリーダーが21歳から24歳という若さだったそうです。そしてメンバーの中には製図手とよばれる設計者がいるのですが、17歳から23歳という若さだったそうです。
別項にも書きましたが、零戦も同様ですが、設計主任の堀越さんが開発開始当時34歳、設計者の平均年齢が28歳だったそうですので、当時はどこの会社も、かなり若い人たちが世界最先端をいく飛行機を設計したもののようです。
左切手:97式艦上攻撃機
下切手:零戦
☆97式艦上攻撃機の設計チーム