第一話 羽田空港、札幌行き事件

 

□悲劇が始まる

 

 1991年8月。その日は、翌日札幌で開催される「南部記念陸上」という国内では大きな陸上競技のレースに参加するための移動日だった。午後1時のフライトだったが、午前9時から11時までの2時間、千葉県船橋市運動公園で高校生である教え子たちの練習を指導していた。私のクセで、ついつい指導に熱がはいり、予定より15分ばかり遅れて競技場を出発した。ところが、電車の乗り継ぎが思いのほか悪く、羽田空港に着いたら飛行機は離陸した直後だった。 これは困ったと思い、カウンターで、次の飛行機に乗せてもらえないか、と交渉したが「規則では、空席があれば乗っていただくのですが、あいにく現在満席なので、空席待ち番号をおとりになり、番号を呼ばれるまでお待ちください」と機械的な説明を受けた。「まー空席があれば、すぐに乗れるんだな」と思い、簡単に引き下がった。

 ところが、その日はお盆の入りで、空港は大変な混雑。とれた空席番号は「1100番」くらいだった。そこで単純な疑問をもっ た私はカウンターの地上係員に再度尋ねた。

私「今の空席番号呼び出しは何番くらいだろう?」 

係「先ほどの札幌便は100番前後のお呼び出しです」

私「毎回何人くらいが呼ばれるんですか?」

係「便によって違いますが、本日は一便につき5人くらいが目安となっています」

私「!!!!!!!」

現在の時刻13時15分。

 

 残りの便、10便程度。呼び出しは100番 、私の番号1100番!無理に決まってんじゃない!あきらめの悪い私はカウンターで、翌日大切なレースがある事を説明し、再び交渉したが、やはり「規則」のオンパレードで決裂した。大きな荷物をもって、カウンターの前で状況確認をする。次の便の空席待ち呼び出しがあった。番号は10番くらいしか進まなかった。

 

□窮地からの脱出作戦を考える

 

 これはイカン!札幌に行けない!レースに出れない!それまで大した実績もなく、コツコツと競技成績を積み重ねてきた私にとって、出場した前のレースで好成績を出した勢いをもったまま、この南部陸上にどうしてもつなげたかったのだ。秋の招待試合などの参考にもなる。いろいろな思いが頭をよぎる。空港内は冷房がきいているが、急に汗が吹き出てくる。イカン!なんとかしろ!こうなるとアイデアが出てくる。当時の羽田空港は今のビッグバードでなく、ひとつのフロアに日本航空、全日空、日本エアシステム(JAS)と3社のカウンターが並んでいた。まず、日航の札幌行き空席待ちをとる。JASの空席待ちをとる。さらに、北海道に着けばなんとかなる!と思い、航空3社の帯広、旭川、函館、釧路すべての便の空席待ちをとった。私の両手には、トランプのババ抜きのように番号札が広げられている。この時14時だった。 次に考えたのは、飛行機に乗れない場合だ。そう、陸路でも北海道に着けば何とかなるはず。空港内にある時刻表を開く。夜行列車は何時に出発だ?何時に着く?上野発寝台は北斗星があった。あ〜到着時間がダメだ!間に合わない。と、日航の北海道空港行きのアナウンスが流れ、番号札をババ抜きトランプ状態にして日航のカウンターに向かう。また戻ってきて時刻表を開く。新幹線から乗り継ぐとどうだ?あ〜ダメだ!これもうまくいかない!と、アナウンスが流れる。JASのカウンターに向かう。また戻って違うルートを探す。何回もこれを繰り返す。が、レースに間に合う陸路は存在しない。時刻は15時をまわっていた。

 

□窮地に名案

 

 ふと気がついた。困っているのは俺だけではないはずだ。多くの人が俺と同じように飛行機に乗りたくて他の航空会社の空席 待ち番号札を持っているはずだ。そうだ、それを譲ってもらお う。これはいい作戦だ! 札幌行き空席待ちで呼び出され、すぐに搭乗手続きをする人たちに、片っ端から聞いて回った。

「すみません、他の航空会社の空席待ちを持ってませんか?」

「申し訳ありませんが、旭川行きの空席待ちを持ってませんか?」

「空席待ちの番号札をお持ちだったら、いただけませんか?」

 

 全日空、日航、JAS、北海道に飛ぶ飛行機でアナウンスがあるたびに、そのカウンターへ行き、なりふり構わず誰にでも声をかけた。とにかく必死になって声をかけた。 しかし、申し訳なさそうにする人は数人いたが、空席番号を複数持っている人は、ひとりもいなかった。もしかしたら持っていた人もいたかもしれないが、ほとんどの人は、私の問いかけに無反応だった。恐らく逆の立場だったら、私も渡さなかったかもしれない。もう私の足はパンパンだ。重くて大きいスポーツバッグは、ずっと肩からかけっぱなしで肩に食い込んでいる。時刻は17時。羽田空港で歩き回って4時間が経つ。

 

□全日空

 

 荷物をかつぎながら、何十回全日空カウンター前を過ぎただろうか。「あの〜」聞き慣れない女性から声をかけられた。見ると 、全日空の女性係員だ。「先ほどから、とてもお困りの様ですね。どうぞ次の便にお乗りください」私は、我が耳を疑った。

 「エッ?本当ですか?」どのくらい嬉しかったか想像がつきますか?乗れるんだ!札幌に行けるんだ!そう思うだけで、精一杯。喜んでいる間もなく 、18時の便の空席待ち呼び出しがすぐに始まった。私の番号は はるかに遠く、もちろん呼ばれない。乗っていいのか確認をして、やっぱりダメ、と言われるのが恐くて、そのまま列を作って手続きをした。私はとても情けない事に「ありがとうござい ます」という最低限の御礼しかしなかった。その女性の名札にある名前さえ覚えていない。もし覚えていれば、後日改めて御 礼もできたのに、その時は乗る事ができる、という衝撃的な事 実で頭の中はいっぱいだった。札幌の指定のホテルに着いたのは21時近く。まさしくたいへんな午後だった。

 

 翌日のレースは、それまでの自己記録を0.13秒も更新するベスト記録で走った。このレースでの結果が認められ、私は1か月後の静岡国際に招待選手として選出された。さらに静岡国際で手動計時の日本最高記録を出してアジア選手権の日本代表になったのだから、もし札幌のレースがなかったら、現在の私はな かっただろう。帰りに、羽田空港のカウンターで大恩ある女性係員の姿を探した。残念ながらいなかった。名前を覚えていないので、言づてもできない。

 

 年月が流れた。生涯を通じて私ができる御礼は、私個人と私の家族が旅行するものは、すべて全日空に乗る、ということくらいだ。 誰もほめもとがめもしないだろうが、私は私の行いを知っている。

 

 

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