正信偈意訳
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はじめに
昔から何気なく聞いてきたお経に正信偈があります。このお経にはどういう意味のことが書かれているのだろうかと長い間気にかかっていました。今年の夏たまたま、このお経を自分なりに自分自身のためにわかりやすく訳してみたいと急に思い立ちました。ただもとの文をそのまま訳したのでは、意味が取れないところが出てくるので、適宜意味を補いながら訳しました。そこで出来上がったのがこの「正信偈」意訳です。さまざまな書籍を参考にしました。終わりにその書名を記しておきます。
『附』として『仏教とは何だろう』という表題でさまざまな書籍や今まで書き留めてきたノートの中からおもしろそうな項目を抜き出し、書き出してみました。
『「正信偈」意訳』にしても、『仏教って何』にしても、私はこのように理解しています、このような意味で受け取りましたということに過ぎません。
平成22年11月 天邪鬼
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親鸞聖人(1173-1262)は浄土教を通してのみ真実の悟りの世界が明らかになると考えられた。親鸞聖人は「教行信証」を著し、その中で、阿弥陀仏の本願力によって、私たちが真実の世界に目覚め、真実の世界に生きる真実の私になることができることを明らかにされた。凡夫である私が仏になれる道は『南無阿弥陀仏』の念仏以外には道がないという絶対他力の道を明らかにされた。
「教行信証」は正式には「顕浄土真実教行証文類」といい、〈凡夫が仏になることが出来るのは、阿弥陀仏から私達に差し向けられている本願力により阿弥陀仏の極楽浄土に往生するしか道はないという真実の教え(教)、そして「南無阿弥陀仏」を称える称名念仏(行)、悟りを得ること(証)を顕かにするための文章を集めたもの(文類)〉と言う意味です。それは六巻からなり、第一巻は『教』、第二巻は『行』、第三巻は『信』、第四巻は『証』、第五巻は『真仏土』、第六巻は『化身土』について述べられている。「教」とは『大無量寿経』で述べられている阿弥陀仏の教え、「行」とは称名念仏のこと、「信」とは、阿弥陀仏より回向された他力の信心のこと、「証」とは悟りをえること、「真仏土」とは「大無量寿経」によって念仏するものが往生する浄土、「化身土」とは「観無量寿経」または「阿弥陀経」によって念仏するものが往生する浄土、または自力によりあるいは他力に自力を交えるものが往生する浄土、などのことがらについて説かれている。
「正信偈」はこの「教行信証」の「行」の巻きの最後につけられている百二十句の偈(詩、歌)で、親鸞聖人は最初に、「大無量寿経」に基づいて阿弥陀仏と釈尊の徳をたたえ、後半では、念仏を私たちに説いた七人の高僧について述べられ、また念仏のいわれも説かれている。
正信偈とは「正信念仏偈」の略で「念仏を正しく信じる人を讃える歌」の意味。
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正信偈意訳 総讃(そうさん) 依経段(えきょうだん) 弥陀章 釈迦章 結誡(けっかい) 依釈段(えしゃくだん) 総讃 竜樹章 天親章 曇鸞章 道綽章 善導章 源信章 源空章 附 仏教って何
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量りしれない命と慈悲を持っておられ、無量寿如来と呼ばれる阿弥陀仏をたのみとし心から敬い信じ、阿弥陀仏に帰依し、その教えに従います。
思い量ることのできない知恵の働きを持っておられ、不可思議光如来と呼ばれる阿弥陀仏をたのみとし心から敬い信じ、阿弥陀仏に帰依し、その教えに従います。
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今よりはかり知ることのできないほど遠い昔、阿弥陀仏は、ある国の国王でしたが、世自在王仏の説法を聞き深く喜ばれ、この上ない悟りを求める心を起こされた。王は国も王位も捨て、出家して、修行され、法蔵と名乗られた。阿弥陀仏が法蔵という名の菩薩であられたころのことです。
法蔵菩薩は世自在王仏の助けを得て、二百十億ものもろもろの仏の浄土の成り立ちや、それぞれの浄土の様子、それらの浄土に生きる人々の善し悪しをはっきりと見極められて、人々の迷いと苦しみの基を取り除くために、他の仏の浄土とは違う、極楽浄土を建立しようというこの上なくすばらしい願いを打ち立てられた。そして、この願いが実現されないようなら永遠に悟りは開かないし、仏にはなるまいという、大きくて広い誓いを立てられた。
法蔵菩薩は五劫というとてつもない長い時間かけて修行され、四十八の誓願を選び取られた。その願いを一つ一つ、世自在王仏に述べられ、この願いが実現されないようなら決して悟りは開かないと誓われた。
法蔵菩薩は、自分が仏になるために、四十八の誓願の要旨を十一の偈にまとめ、世自在王仏の前で重ねて誓われた。そのうちの第三番目の誓いは「私の名声『南無阿弥陀仏』が、聞かれないようなことがあれば、私は仏になりません」という誓いです。
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法蔵菩薩の本願は成就し、阿弥陀仏になられました。その智慧の光は十二種の光となって、あまねくこの世の闇を照らしています。
その光とは、はかり知ることのできない光、あらゆるところを隅々まで照らし出す光、何者にもさえぎられることのない光、比べることのできない光、私たちの迷いを焼き尽くす光、私たちの心を清浄にする光、私たちの心を喜びにあふれる心にする光、私たちが自分の無知に気づくようにする光、私たちをいつでも照らし続ける光、私たちには到底量り知りことのできない光、私たちには到底説明できない光、この世のすみずみまで届かないところのない日月の光を超える光の全部で十二種の光です。これらの光は塵のように散らばってる私達の世界を照らし、あらゆる命がその光の恵みにあずかっています。
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「南無阿弥陀仏」の名号を称えることは、浄土に往生するための正しい行いであり、阿弥陀仏から「信心」をいただいて、「南無阿弥陀仏」の名号を称えるものは、すべて浄土に往生することが決まっています。それは、法蔵菩薩の立てられた四十八の誓願のうちの第十七番目の誓願と第十八番目の誓願が成就しているからです。
私達が真の信心を得たときには、この世において正定衆の仲間入りをし、来世では必ず等覚の位につきやがて仏になれるのは阿弥陀仏の第十一番目の誓願が成就しているので、間違いのないことです。
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釈尊がこの世にお出ましになってその教えを説かれたそのわけは、真実信心を得て仏を称えるものは必ず救っていこうという阿弥陀仏の本願を私たちに教えようとされたからです。
濁りきったに五濁のこの世の中に生きている私たちはありのままの真実を説かれた阿弥陀仏の本願を信じるよりほかはありません。
私たちの心に阿弥陀仏の本願が届き、信心が生じると、喜びの心が身体にあふれ念仏に生きる身となります。そうなるとあの世では必ず浄土に往生できる身になります。その後は、この世でいくら煩悩に悩まされようとも、あの世で悟りの世界を得させていただく妨げにはなりません。
だれも自力で極楽浄土に往生することはできませんが、凡夫であろうと、聖人であろうと、五逆を行うような悪人であろうと、仏法をそしるような人であろうと、自力を頼みとする心を改め阿弥陀仏の本願を信じるときには、だれもみな平等に極楽浄土という涅槃の大海に入ることができます。それはさまざまな川から流れ下った水がひとたび海に流れ込むと一つの海水になるのと同じです。
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阿弥陀仏の智慧と慈悲の働きはわたしたちを常に照らし出し、護り、救いとってくださいます。ですから、私たちの無知の暗闇は暗闇ではなくなっているはずなのですが、私たちは愛欲や怒り、憎む心などの煩悩にまみれているために、せっかく阿弥陀仏から振り向けられている他力の信心を自ら遠ざけています。
日光が雲や霧に覆われていても、雲や霧の下には間違いなく日光が届いているように、阿弥陀仏が私たちに振り向けられている本当の信心は、私たちが煩悩にまみれていても、間違いなく私たちに届いています。
阿弥陀仏の本願を信じる心が得られたときには、私たちはこの上ない喜びに満たされ、そして、仏の智慧の働きにより、すなわち、念仏の働きにより、地獄、餓鬼、畜生、人、天の五つの悪い世界を、一気に飛び越えて、凡夫でありながら、あの世では浄土に往生し仏になることができる身に定まります。
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一切の凡夫が、善人であろうと、悪人であろう、阿弥陀仏の「すべての人を救いたい」といういつでも、どこでも働き続けているこの弘大な誓願を聞いて信じるなら、釈尊はその人を讃えて、「勝れた智慧を持つもの」だとおっしゃっています。私たち凡夫は煩悩に満ち溢れた泥沼のような世の中に暮らしていますが、それにもかかわらずこの仏の誓願を信じるものには、釈尊はその人を讃えて、「泥沼のような世の中に咲いた蓮の花のようだ」ともおっしゃっています。
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阿弥陀仏は、悩み苦しんでいる一切の衆生をもれなく救いたいという弥陀の本願を発せられ、衆生を救うために、「南無阿弥陀仏」という名号、念仏を私たちに等しく与えられた。ところが、私たちは、道理にそむいたよこしまな思い(邪見)から離れられず、思い上がって、阿弥陀仏の本願よりも、自分の考えのほうを信用し大切にしています。そのため、自分がこれまで輪廻してきた六道のほうが恋しく、いまだ生まれたことのない西方浄土は恋しいなどと思いません。
阿弥陀仏の本願によって、念仏がこの私に差し向けられていることを疑わず素直に信じて喜び、その念仏をしっかりといただき、さらにそれをいただき続けることは非常に難しいことであり、これより難しいことはありません。
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インドの竜樹菩薩と天親菩薩、中国の高僧、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、日本の高僧、源信僧都、源空上人の七人の高僧は大聖釈尊がこの世にお出ましになったその本当の理由は、「阿弥陀仏の本願を説かれることにあった」ということを明らかにされた。
七人の高僧は阿弥陀仏の本願が私たち一人一人に、それぞれの能力に応じて、差し向けられていることを明らかにされた。
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竜樹菩薩は「仏道修行には、自分の歩く力を頼りにして、険しい陸路を進もうとする自力による聖道門の難行道と阿弥陀仏の本願という船に乗せてもらって、水路を行くように安楽に浄土往生ができる他力による浄土門の易行道がある。
阿弥陀仏の本願を信じるものは、信心をえたそのときに、自ずから直ちに本願力の働きにより、この世で、仏の悟りを開くことに決定した不退転の位に入ります。
その後は、私たちは、ただただ「南無阿弥陀仏」という名号を称えて、私たち凡夫を助けたいと願っておられる阿弥陀仏の大悲に感謝し、その大きなご恩に報いる生活を送るだけです」と述べられた。
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天親菩薩は、「仏説無量寿経」に出会われて、「浄土論」を著され、その中で、「私は心を一つにしてひたすら、尽十方無碍光(じんじぽうむげこう)如来すなわち阿弥陀如来に帰依し、阿弥陀仏の極楽浄土すなわち安楽国に生まれたいと願っております」と述べられています。
天親菩薩は、阿弥陀仏の四十八の大誓願に光を当てられ、「南無阿弥陀仏」の名号こそ真実であることを顕かにされた。
天親菩薩は、すべての人に差し向けられている阿弥陀仏の本願力の回向を受けられ、わたしたちを救うために、一心に信じて疑わないことこそまことの信心であることを明らかにされた。自力では極楽往生できない私達が救われる唯一つの道は、阿弥陀仏の本願によって私達に振り向けられている「南無阿弥陀仏」という名号を頂くことだけなのです』
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あらゆる衆生を救いたいという阿弥陀仏の本願により回向された「南無阿弥陀仏」の名号の功徳を心から信じ受け取るなら、必ずや、この世で、正定聚不退転の位につき、来世では極楽浄土に往生して仏となり、阿弥陀仏の説法を聴聞している人々の仲間に入ることができます。
阿弥陀仏の極楽浄土は、この穢土でさまざまな煩悩に悩み苦しむ凡夫のために用意された浄土であり、そこに入ることができれば、真実そのものに目覚め、直ちに仏になることができます。
浄土に往生した人は、浄土にとどまるだけではなく、煩悩や生死のはびこる世界に自由に出入りし、そこで苦悩する人々に、それぞれに応じた働きかけをするようになります。
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曇鸞大師は北魏に住んでおられ、その名声は、南の梁の国にも知られ、梁の皇帝である武帝は常に大師のおられる北魏のほうへ向かって、大師を菩薩として敬い、拝んでおられた。
菩提流支は大師に「観無量寿経」を示し、阿弥陀仏の教えを授けられた。大師は、この教えに触れ、仙術を学んで、少しばかりの不老長寿を得たところで、益のないことを知り、阿弥陀仏を念じ、念仏によって浄土に往生する信心を得られた。そして、今まで熱心に学んでいた長生不老の仙人になるためのお経を焼き捨ててしまわれた。
曇鸞大師は、天親菩薩の書かれた「浄土論」を注釈して、「浄土論注」をお書きになり、その中で極楽浄土が建立される原因も、その結果浄土が建立されたのも阿弥陀仏の本願力によるものだということを明らかにされた。
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大師は「往相回向」も「還相回向」も阿弥陀仏の本願力により私たちに差し向けられたものであり、わたしたちに阿弥陀仏の本願力を信じる心が生じれば、間違いなく、現世において正定聚不退転の位につき、来世では浄土に往生して仏になることができると説かれた。
大師は、たとえ迷い惑っている凡夫であろうとも、その心の中に、阿弥陀仏の本願力により信心が起これば、迷いのままの状態で悟りを得、迷いから開放されることを明らかにされた。
大師は、私たちが阿弥陀仏の浄土である「無量光明土」(極楽浄土)に往生し仏になると、必ず、私たちは迷いの世界に立ち戻り、あらゆる人々を教え導くことになると説かれた。
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末法の世界に生まれられた道綽禅師は、「安楽集」を著され、自力によって修行して悟りを得ようとする聖道門の教えでは悟りを得ることは難しいことを明らかにし、凡夫が極楽浄土に往生し、仏になることができるのは、阿弥陀仏から差し向けられている「南無阿弥陀仏」という他力の念仏により往生するという、浄土門の教えによるしかないことを明らかにされた。
禅師は、自分の力を信じさまざまな善根功徳(ぜんごんくどく)の修行に勤め励む「聖道門」は誤りであると、退けられた。「南無阿弥陀仏」という名号こそ、阿弥陀仏の本願力により、私たちに回向されている名号であり、悟りを開くための功徳がすべて完全に備わった円満の徳号であるので、その名号をただただ称えることを、禅師は人々に勧められた。
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禅師は、曇鸞大師の述べられた正しくない三つの信心のすがた、率直でなく、自力が混じっていてもっぱらでなく、長く続かない信心と正しい三つの信心のすがた、率直で、もっぱらで、長く続く信心とを分かりやすく丁寧に教えてくださった。
「末法」の時代には凡夫の自力による修行は何の役にも立たないので、阿弥陀仏はそれを哀れんで、「南無阿弥陀仏」の名号を授けられた。道綽禅師はこの他力の念仏を深く信じ、人々を、他力の信心の教えに導きいれられようとされた。
禅師はたとえ、一生の間、さまざまな悪を行うようなものでも、阿弥陀仏の広大な誓願に出遭いそれを信じることがあれば、阿弥陀仏の浄土(安養界)に往生し、仏の悟り(妙果)をえることができることを教えられた。
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善導大師は「観無量寿経」に関する古今の解釈の誤りを正し、釈尊が本当におっしゃりたいことを明らかにされた。すなわち、阿弥陀仏は、瞑想し修行して自力で浄土を求める人、世間的な善行を積む人、あるいは十悪や五逆の罪を犯す悪人、すべての人を哀れんで、「南無阿弥陀仏」の名号を直接の原因(因)とし、自ら放たれる智慧の光を間接の原因(縁)として、浄土往生という結果(仏果、仏の悟りをひらくこと)を、すべての人に施されていることを明らかにされた。善導大師は「ただ名号を称えること」を勧めて他の修行は必要ないことをとかれた。これは善導大師が始めて述べられたことです。
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名号のいわれを信じて、私達の目の前に広がっている阿弥陀仏の智慧の大海に入ると、如来の心が私のものになります。その時如来から金剛石のような固い真実の信心をいただくことになり、おのずから喜びの心が生じます。
真実信心をいただくと、韋提希(いだいけ)夫人のように、仏の智慧を悟る心(悟忍・ごにん)・信心の定まった心(信忍・しんにん)・必ず往生することを喜ぶ心(喜忍・きにん)の三つの心を得て、この世で正定聚不退転の位につき、あの世では極楽浄土にうまれて、常住・安楽の悟り(涅槃の悟り)を得て仏になることができます。
このようなことを善導大師は顕かにされた。
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源信僧都は釈尊の教説をすべて調べて、釈尊が生涯をかけて説かれたすべての教えは、ひとえに一切の人々を阿弥陀仏の西方浄土に往生させるためであり、仏の教えは念仏にあると知り、「往生要集」を著し、あらゆる人々に念仏を勧められた。
源信僧都は、他力回向の信心をいただいて、もっぱら念仏行を修める人と、念仏以外の行を雑(まじ)えて修める人とを区別し、また阿弥陀仏の浄土を真実報土と方便化土に分け、専修念仏の人は真実報土に生まれ、雑修念仏の人は浄土のほとりにある方便化土に生まれることを明確に区別された。
源信僧都は、「私たち極重の悪人はただ念仏を称えて、浄土に生まれようとねがうしかない。私も阿弥陀仏の照らされる光の中におさめとられておりながら、沸き起こる煩悩のために、まなこが覆われて、仏を見たてまつることができないでいる。それにもかかわらず、仏は大悲の心をもって、あくことなくいつでもどこでも常に私を照らし続けてくださっている」と述べられている。
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私の師、源空上人は、仏教を究めつくし、「選択本願念仏集」を著され、善・悪の一切の凡夫を救うために、阿弥陀仏の本願である念仏の教えとその救いを世界の片隅にある日本で興され、阿弥陀仏が選びとられた本願である称名念仏を、五つの濁りに満ちた悪世に広められた。
源空上人は信心による悟りを明らかにして、次のように述べられた。
「われわれが迷いと流転を繰り返して、そこを住み家とし常にそこに立ち戻らされるのは、仏の智慧を疑うためである。仏の智慧に対する疑いがすっかり晴れて信心を得ると、必ずその信心が因(たね)となって働き、次の世には輪廻を絶ち、寂静・無為の極楽浄土に生まれて、仏の悟りをひらくことができる」
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これまで述べてきた竜樹、天親の二人の菩薩、および曇鸞、道綽、善導、源信、源空の五人の祖師たちは、無量寿経の本旨を明らかにして、無数の苦しみ迷う人々を救われました。私たちは、出家・在家を問わずいつの世でも、ともに心を一つにして、この七人の高僧たちの教えを信じ、その教えに従おうではありませんか。
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(*第十七番目の誓願:「諸仏称名の願」「わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏たちが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりは開きません」
(*第十八番目の誓願:「至心信楽の願」「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりは開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」)
(*第十一番目の誓願:「必至滅度の願」「わたしが仏になるとき、私の国の天人や人々が正定衆(しょうじょうじゅ)に入り、必ずさとりを得ることがないようなら、わたしは決してさとりは開きません」
(*正定衆:この世で正しいさとりが開けて来世には浄土に生まれて仏になることが決まっている人々)
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正信偈意訳
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*総讃(そうさん)
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(*この部分は帰敬偈(ききょうげ)とも呼ばれ、阿弥陀仏を敬い、阿弥陀仏をたのみとし、阿弥陀仏に順うという親鸞聖人のお心が述べられている)
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帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)
南無不可思議光(なむふかしぎこう)
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無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無いたします。
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『量りしれない命と慈悲を持っておられ、無量寿如来と呼ばれる阿弥陀仏をたのみとし心から敬い信じ、阿弥陀仏に帰依し、その教えにしたがいます。
思い量ることのできない知恵の働きを持っておられ、不可思議光如来と呼ばれる阿弥陀仏をたのみとし心から敬い信じ、阿弥陀仏に帰依し、その教えにしたがいます』
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(帰命・南無:「南無」はインドの言葉「ナマス」をそのまま漢字に置き換えたもの。「帰命」は「ナマス」を中国語に訳したもの。どちらも「心から仏陀、または三宝(仏法僧)を敬い、信じ、従い、帰依します(拠り所として生きる)」という意味。「帰命頂礼(きみょうちょうらい)」とは自分の頭を仏の足に付けて礼拝すること)
(*如来:真如(真理)の世界へかくのごとく往き、凡夫を救うために、真如の世界からかくのごとく現れ来たった人の意。)
(*阿弥陀:「アミターバ」(無限の光をもつものの意)あるいは「アミターユ」(無限の寿命をもつものの意)を漢字に置き換えたもの)
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*依経段(えきょうだん)
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(*この段は依経分(えきょうぶん)とも呼ばれ、「仏説無量寿経」(「大無量寿経」あるいは略して「大教」とも呼ばれる)の中心となる教えを要約し、阿弥陀仏と釈尊の徳をたたえる部分)
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*弥陀章
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(ここでは阿弥陀仏の本願が述べられる)
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法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ)
在世自在王仏所(ざいせじざいおうぶっしょ)
覩見諸仏浄土因(とけんしょぶつじょうどいん)
国土人天之善悪(こくどにんでんしぜんまく)
建立無上殊勝願(こんりゅうむじょうしゅしょうがん)
超発希有大弘誓(ちょうはつけうだいぐぜい)
五劫思惟之摂受(ごこうしゆいししょうじゅ)
重誓名声聞十方(じゅうせいみょうしょうもんじっぽう)
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法蔵菩薩がまだ菩薩の位におられた時のこと、世自在王仏のもとににおいでになって、もろもろの仏の浄土の成り立ちや国土や人々の善し悪しを見極められ、この上なくすばらしい願いを立てられ、この上なく大きく弘い誓いを発せられた。 五劫という永い時間をかけて思いめぐらされ四十八の誓願を選び取られ、南無阿弥陀仏の名号があらゆるところで聞かれるようになるようにしますと重ねて誓われた。
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『今よりはかり知ることのできないほど遠い昔、阿弥陀仏は、ある国の国王でしたが、世自在王仏の説法を聞き深く喜ばれ、この上ない悟りを求める心を起こされた。王は国も王位も捨て、出家して、修行され、法蔵と名乗られた。阿弥陀仏が法蔵という名の菩薩であられたころのことです。
法蔵菩薩は世自在王仏の助けを得て、二百十億ものもろもろの仏の浄土の成り立ちや、それぞれの浄土の様子、それらの浄土に生きる人々の善し悪しをはっきりと見極められて、人々の迷いと苦しみの基を取り除くために、他の仏の浄土とは違う、極楽浄土を建立しようというこの上なくすばらしい願いを打ち立てられた。そして、この願いが実現されないようなら永遠に悟りは開かないし、仏にはなるまいという、比べようもない大きくて広い誓いを立てられた。
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法蔵菩薩は五劫というとてつもない長い時間かけて修行され、四十八の誓願を選び取られた。その願いを一つ一つ、世自在王仏に述べられ、この願いが実現されないようなら決して悟りは開かないと誓われた。
法蔵菩薩は、自分が仏になるために、四十八の誓願の要旨を十一の偈にまとめ、世自在王仏の前で重ねて誓われた。そのうちの第三番目の誓いは「私の名声『南無阿弥陀仏』が、聞かれないようなことがあれば、私は仏になりません」という誓いです』
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(*法蔵(ほうぞう):全ての真理を含むものと言う意味)
(*世自在王仏(せじざいおうぶつ):世の中で一番自由自在に生きる仏)
(*因位(いんに):仏になるために修行している菩薩の段階。因位に対して、果位(かい)とは菩薩の行が完成し、その結果仏になった段階)
(*劫(こう):劫は時間の長さを表す。縦横高さが、それぞれ四十里の岩に、羽衣を来た天女が百年に一度通りかかり、その羽衣の袖が岩にさっと触れる。そのとき、その岩がわずかに磨り減る。このようなことが繰り返されてその岩の塊が完全になくなってしまうまでの時間を一劫という。それが五回くりかえされて五劫となる)
(*重誓偈(じゅうせいげ):法蔵菩薩は世自在王仏の前で四十八の本願の要旨を十一の偈にまとめ、重ねて誓われたので重誓偈という。そのうちの最初の三つの誓いを特に三誓偈という。三誓偈とは次のような誓い。
第一の誓い「私が発した願いがすべて成就しないのであれば、私は仏にならない」
第二の誓い「悩み苦しむあらゆる人々を救えないのであれば、私は仏にならない」
第三の誓い「私が仏の悟りを得ても、私の名が世界のすみずみまで届かないのであれば、私は仏にならない」)
(*名声(みょうしょう):「南無阿弥陀仏」という名号のこと)
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普放無量無辺光(ふほうむりょうむへんこう )
無碍無対光炎王(むげむたいこうえんのう)
清浄歓喜智慧光(しょうじょうかんぎちえこう)
不断難思無称光(ふだんなんじむしょうこう)
超日月光照塵刹(ちょうにちげつこうしょうじんせつ)
一切群生蒙光照(いっさいぐんじょうむこうしょう)
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阿弥陀仏の光はあまねく放たれています。それは限りない光、あらゆるところを照らす光、遮ることの出来ない光、比べることの出来ない光、さまざまな迷いを焼き尽くす光、心を清らかにする光、心を喜びで満たす光、無知であることに気づかせる光、途切れることなく照らし続ける光、私達が量り知ることの出来ない光、説明しきれない光、日月の光を超えた光の十二の光です。これらの光は塵のように散らばってる私達の世界を照らし、一切の生きているものは全てその光に照らされその恩恵を蒙っています。
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『法蔵菩薩の本願は成就し、阿弥陀仏になられました。その智慧の光は十二種の光となって、あまねくこの世の闇を照らしています。
その光とは、はかり知ることのできない光、あらゆるところを隅々まで照らし出す光、何者にもさえぎられることのない光、比べることのできない光、私たちの迷いを焼き尽くす光、私たちの心を清浄にする光、私たちの心を喜びにあふれる心にする光、私たちが自分の無知に気づくようにする光、私たちをいつでも照らし続ける光、私たちには到底量り知りことのできない光、私たちには到底説明できない光、この世のすみずみまで届かないところのない日月の光を超える光の全部で十二種の光です。あらゆる命がその光の恵みにあずかっています』
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本願名号正定業(ほんがんみょうごうしょうじょうごう)
至心信楽願為因(ししんしんぎょうがんにいん)
成等覚証大涅槃(じょうとうがくしょうだいねはん)
必死滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)
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本願の名号は正定の業であり、至心信楽の願によるものです。等覚を得て涅槃に往生するのは、必死滅度の願が成就しているからです。
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『「南無阿弥陀仏」の名号を称えることは、浄土に往生するための正しい行いであり、阿弥陀仏から「信心」をいただいて、「南無阿弥陀仏」の名号を称えるものは、すべて浄土に往生することが決まっています。それは、法蔵菩薩の立てられた四十八の誓願のうちの第十七番目の誓願と第十八番目の誓願が成就しているからです。
私達が真の信心を得たときには、この世において正定衆の仲間入りをし、来世では必ず等覚の位につきやがて仏になれるのは阿弥陀仏の第十一番目の誓願が成就しているので、間違いのないことです』
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(*行:親鸞聖人にとって行とは口称念仏のみであった。口称念仏の行はすべての善をそのうちに含み、全ての徳をその中に備えている。口称念仏は最高の真実であり、最高の利益で、その保障は第十七番目の請願の中に含まれていると考えられた)
(*第十七番目の誓願:「諸仏称名の願」と呼ばれる。「わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏たちが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりは開きません」(浄土真宗聖典・浄土三部経現代語版)
(*第十八番目の誓願:「至心信楽(ししんしんぎょう)の願」または「念仏往生の願」とも呼ばれる
「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりは開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」)(浄土真宗聖典・浄土三部経現代語版)
(*五逆:父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢(聖者)を殺すこと、仏の身体を傷つけること、サンガ(教団)の調和を破って分裂させること。「五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」というのは往生させないというのではなく、特にこのような重い罪は犯してはならないという戒めであると解釈されている)
(*第十一番目の誓願:「必至滅度の願」と呼ばれる。滅度とは涅槃のこと。「わたしが仏になるとき、私の国の天人や人々が正定衆(しょうじょうじゅ)に入り、必ずさとりを得ることがないようなら、わたしは決してさとりは開きません」(浄土真宗聖典・浄土三部経現代語版)
(*正定衆:現生正定衆ともいう。正しいさとりが開けて来世には浄土に生まれて仏になることが決まっている人々。親鸞聖人は私たちが真実信心を得たそのときに、この世において、来世には仏になることが決まった位からは退かないという現生正定衆(げんしょうしょうじょうじゅ)の位につく(このことを現生不退という)と考えられた)
(*等覚:(等正覚のこと)あらゆる煩悩を取り払い、あらゆる苦しみから開放され、一切をありのまま平等に正しく観ることのできる境地)
(*「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」:
正信偈のこの四句は法蔵菩薩の四十八の本願の中心となる部分であり、真宗の教義の基本を示し、親鸞聖人の主著「教行信証」の要約といわれている。)
*
*釈迦章
*
如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)
唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)
五濁悪時群生海(ごじょくあくじぐんじょうかい)
応信如来如実言(おうしんにょらいにょじつごん)
能発一念喜愛心(のうはついちねんきあいしん)
不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)
凡聖逆謗斉回入(ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう)
如衆水入海一味(にょしゅしいにゅうかいいちみ)
*
如来がこの世に出られたわけは、ただ弥陀の本願を説くためです。五濁の悪がはびこる今に生きるものは全て、まさに如来の真実の言葉を信じるほかにはありません。本願を信じ喜びの心が起これば、この世で煩悩を絶たないでも、そのままあの世で涅槃を得ることが出来ます。凡夫も聖人も、五逆の悪人も仏法をそしる人も等しく心を入れ替えれば、どのような水であろうと海に入れば同じ海水になるようなものです。
*
『釈尊がこの世にお出ましになってその教えを説かれたそのわけ(出世本懐)は、真実信心を得て仏を称えるものは必ず救っていこうという阿弥陀仏の本願を私たちに教えようとされたからです。
濁りきったに五濁のこの世の中に生きている私たちはありのままの真実を説かれた阿弥陀仏の本願を信じるよりほかはありません。
私たちの心に阿弥陀仏の本願が届き、信心が生じ、喜びの心が生じると、多くの煩悩を断ち切ることなく、そのままの姿でこの世を終えてもあの世では悟りの世界を得させていただく身分になることができます。
だれも自力で極楽浄土に往生することはできませんが、凡夫であろうと、聖人であろうと、五逆を行うような悪人であろうと、仏法をそしるような人であろうと、自力を頼みとする心を改め阿弥陀仏の本願を信じるときには、だれもみな平等に極楽浄土という涅槃の大海に入ることができます。それはさまざまな川から流れ下った水がひとたび海に流れ込むと一つの海水になるのと同じです』
*
(*五濁(ごじょく):五つの汚れた状態。劫濁-汚れきった時代。見濁-思想の乱れ。煩悩濁-煩悩が激しくさかんであること。衆生濁-人々が悪事を犯すばかりであること。命濁-寿命がしだいに短くなること)
(*大乗仏教の究極の悟りは「煩悩即菩提 生死(しょうじ)即涅槃」で表すことができるという)
*
摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)
己能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん)
貧愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)
常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん)
譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ)
雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)
獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)
即横超載五悪趣(そくおうちょうぜつごあくしゅ)
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摂取の光は常に照らし守ってくれており、すでに無明の闇を破っているのだが、愛欲、怒り、憎しみの霧は常にまことの信心を覆っています。例えば雲霧が日光を覆い隠しても、雲霧の下は明るく闇がないのに似ている。信心を得れば阿弥陀仏を見て敬い大いに喜び、一気に五悪趣を飛び越えることになります。
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『阿弥陀仏の智慧と慈悲の働きはわたしたちを常に照らし出し、護り、救いとってくださいます。ですから、私たちの無知の暗闇は暗闇ではなくなっているはずなのですが、私たちは愛欲や怒り、憎む心などの煩悩にまみれているために、せっかく阿弥陀仏から振り向けられている他力の信心を自ら遠ざけています。
日光が雲や霧に覆われていても、雲や霧の下には間違いなく日光が届いているように、阿弥陀仏が私たちに振り向けられている本当の信心は、私たちが煩悩にまみれていても、間違いなく私たちに届いています。
阿弥陀仏の本願を信じる心が得られたときには、私たちはこの上ない喜びに満たされ、そして、仏の智慧の働きにより、すなわち、念仏の働きにより、地獄、餓鬼、畜生、人、天の五つの悪い世界を、一気に飛び越えて、凡夫のままの姿で浄土に往生し仏になることができる身に定まります。後にどんなに煩悩が起こっても、それは浄土に往生することの妨げにはなりません』
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(*五道:五悪趣ともいう。地獄、餓鬼、畜生、人、天の総称。これに阿修羅を加えて、六道、六悪趣ともいう。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天のこと。趣とは輪廻転生する世界のこと。六道の間を生まれ変わり、死に変わりして、迷いの生を続けることを六道輪廻という)
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一切善悪凡夫人(いっさいぜんまくぼんぶにん)
聞信如来弘誓願(もんしんにょらいぐぜいがん)
仏言広大勝解者(ぶつごんこうだいしょうげしゃ)
是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)
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一切の善悪の凡夫が、如来の広大な誓願を聞き信じるなら、その人は優れた智慧の人だとお釈迦様は仰っています。このような人を蓮の花と名づけられた。
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『一切の凡夫が、善人であろうと、悪人であろう、阿弥陀仏の「すべての人を救いたい」といういつでも、どこでも働き続けているこの弘大な誓願を聞いて信じるなら、釈尊はその人を讃えて、「勝れた智慧を持つもの」だとおっしゃっています。私たち凡夫は煩悩に満ち溢れた泥沼のような世の中に暮らしていますが、それにもかかわらずこの仏の誓願を信じるものには、釈尊はその人を讃えて、「泥沼のような世の中に咲いた蓮の花のようだ」ともおっしゃっています』
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*結誡(けっかい)
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(*依経段(えきょうだん)の結びの部分)
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弥陀仏本願念仏(みだぶつほんがんねんぶつ)
邪見憍慢悪衆生(じゃけんきょうまんなくしゅじょう)
信楽受持甚以難(しんぎょうじゅじじんになん)
難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)
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阿弥陀仏の本願である念仏は邪見や思い上がりの悪人にとってこれを信じ受け取り持ち続けることは難しいことであり、その難しさはこれに過ぎるものはありません。
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『阿弥陀仏は、悩み苦しんでいる一切の衆生をもれなく救いたいという弥陀の本願を発せられ、衆生を救うために、「南無阿弥陀仏」という名号、念仏を私たちに等しく与えられた。ところが、私たちは、道理にそむいたよこしまな思い(邪見)から離れられず、思い上がって、阿弥陀仏の本願よりも、自分の考えのほうを信用し大切にしています。そのため、自分がこれまで輪廻してきた六道のほうが恋しく、いまだ生まれたことのない西方浄土は恋しいなどと思いません。
阿弥陀仏の本願によって、念仏がこの私に差し向けられていることを疑わず素直に信じて喜び、その念仏をしっかりといただき、さらにそれをいただき続けることは非常に難しいことであり、これより難しいことはありません』
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*依釈段(えしゃやくだん)
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(*この段は依釈分(えしゃやくぶん)とも呼ばれ、念仏の教えを正しく伝えてくれた七人の高僧の教えをそれぞれの高僧が書かれた注釈書を通じ紹介し讃える部分。この七高僧は、阿弥陀仏の本願による他力の信心が私たちに差し向けられていることを説いた。)
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*総讃(そうさん)
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印度西天之論家(いんどせいてんしろんげ)
中夏日域之高僧(ちゅうかじちいきしこうそう)
顕大聖興世正意(けんだいしょうこうせしょうい)
明如来本誓応機(みょうにょらいほんぜいおうき)
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インドや西方の論者、中国や日本の高僧たちは、釈尊の出世の本当の意味を明らかにし、阿弥陀如来の本願が機に応じて差し向けられていることを明らかにされた。
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『インドの竜樹菩薩と天親(てんじん)菩薩、中国の高僧、曇鸞(どんらん)大師、道綽(どうしゃく)禅師、善導大師、日本の高僧、源信僧都、源空上人の七人の高僧は大聖釈尊がこの世にお出ましになったその本当の理由は、「阿弥陀仏の本願を説かれることにあった」ということを明らかにされた。
七人の高僧は阿弥陀仏の本願が私たち一人一人に、それぞれの能力に応じて、差し向けられていることを明らかにされた』
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*竜樹章
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(*竜樹:南インドに生まれ、西暦150年ころから250年ころの間に活躍した。大樹の根元で生まれ、竜王に養われ導かれて大乗の教えを体得したので、「竜樹」と呼ばれるようになったといわれている。「中論(ちゅうろん)」や「大智度論(だいちどろん)」「十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)」などを著し、大乗仏教の祖といわれ、八宗(全ての宗派)の祖師として崇められている。
竜樹は釈尊が説いた縁起の教えを空という思想で解明した。ものごとを実体のあるものと考えてはならない。ものごとに執着するとそれを実体のあるものになってしまう。しかし実体のあるものは存在しないと説いた。
釈尊は、最初の説法をまとめた「初転法輪経」の中で、あらゆる偏見を捨てて正しい見解にたつように説いた。すなわち中道こそ大切であることを明らかにした。竜樹はそれを無所得空という言葉で表現した。その無所得空の境地を得るために称名念仏の実践を説いた)
(*無所得空:所得とはとらわれる心、こだわる心。これが無いことを無所得という。すべてのものごとは因縁によって生じる。これこそ変わることの無い実体だといえるものはないから空である。空であると悟るがゆえにものごとにとらわれることも無くなる)
(*縁起:この世のすべてのものごとは、さまざまなものがたまたま縁があって寄り集まり、仮に現れたに過ぎない。わたしたちはそれを実体視し、単独で成り立っていると考えているが、実はそのような独立して存在する実体はない(無自性))
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釈迦如来楞袈山(しゃかにょらいりょうがせん)
為衆告命南天竺(いしゅごうみょうなんてんじく)
竜樹大士出於世(りゅうじゅだいじしゅつとせい)
悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)
宜説大乗無上法(せんぜつだいじょうむじょうほう)
証歓喜地生安楽(しょうかんぎじしょうあんらく)
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釈迦如来は楞袈山で人々に告げられた。南インドで、竜樹大士が世に出られ、有や無の考え方をことごとく打ち破ってしまうだろう。大乗という無上の法を述べ、この世で悟りを得て歓喜地の位につき、あの世では安楽国にうまれるであろうと。
*
『釈尊が楞袈山(りょうがせん・セイロンにあるという山)で多くの人々に教えを説いておられたときに、「はるか後の世に南インドに、竜樹という名の菩薩が生まれるだろう。その菩薩は、輪廻転生を繰り返す「自我」があるという「有」の考え方とか、そのようなものはないという「無」の考え方などの誤った考え方を打ち砕くだろう」と仰った。
釈尊はまた、「竜樹菩薩は後の世に阿弥陀仏の本願というこのうえなく勝れた教えを広めるであろう。そして、この世で悟りを得て、歓喜地(かんぎじ)の位につきあの世では、安楽国、すなわち阿弥陀仏の極楽浄土に生まれ、仏になるであろう」という予告をされた』
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(*歓喜地:菩薩が仏になるためには、六波羅蜜の修行(布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定、般若(完全な知恵))をしなくてはならない。初めて仏になろうとする志を立てた菩薩は初発心の菩薩といい、六波羅蜜の修行をし、仏の境地に至るまでには、五十二の菩薩の階位を経なくてはならない。すなわち、十信位、十住位、十行位、十回向位、十地位、等覚位(とうかくい)、妙覚位(みょうかくい)の五十二の階位を経なくてはならない。その階位のうちの下から数えて四十一番目の階位が歓喜地あるいは初地と呼ばれる階位であり、この階位にいたると間違いなく仏になれるという確信が湧き、たとえようのない喜びに満たされるので、歓喜地という名がついた。歓喜地はこの世における最高の位。正定聚の位。すなわち不退転の位であり、あの世では必ず仏の位につくことが保障されている位。仏の位は五十二番目)
(*悟り:自分自身が何であるか悟ること。本来の自分を悟ること。我執にとらわれている自分に気づくこと)
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顕示難行陸路苦(けんじなんぎょうろくろく)
信楽易行水道楽(しんぎょういぎょうしいどうらく)
憶念弥陀仏本願(おくねんみだぶつほんがん)
自然即時入必定(じねんそくじにゅうひつじょう)
唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう)
応報大悲弘誓恩(おうほうだいひぐぜいおん)
*
竜樹大士は陸路を行くのは難行で苦しいことを明らかにされ、水路を行くのは易行で楽しいことを説かれた。また大士は、阿弥陀仏の本願をいつも心にかけていると、自ずから直ちに不退転の位に入り、その後はただ如来の名号を常に称え、如来の大悲と広大な誓いのご恩に報いるだけだと述べられた。
*
『竜樹菩薩は「仏道修行には、自分の歩く力を頼りにして、険しい陸路を進もうとする自力による聖道門(しょうどうもん)の難行道と阿弥陀仏の本願という船に乗せてもらって、水路を行くように安楽に浄土往生ができる他力による浄土門の易行道がある。
阿弥陀仏の本願を信じるものは、信心をえたそのときに、自ずから直ちに本願力の働きにより、この世で、仏の悟りを開くことに決定した不退転の位に入ります。
その後は、私たちは、ただただ「南無阿弥陀仏」という名号を称えて、私たち凡夫を助けたいと願っておられる阿弥陀仏の大悲に感謝し、その大きなご恩に報いる生活を送るだけです」と述べられた』
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(*竜樹は「易行品」の中で次のように述べている:
「およそ大乗仏教の救道者の歩む菩薩道は難業そのものであり、あたかも陸路を歩む人のように労苦に満ちている。そこで難業の菩薩道を達成するためには、”信心をてだてとする易行”(信方便の易行)によるべきで、これはあたかも船に乗って水路で行く人のように安楽そのものである。易行道の教えとは、阿弥陀仏の本願を信ずるものは信心を得たそのとき、本願力の働きによって、仏の悟りをひらくに決定した不退(転)の位に入るから、ただ常に"南無阿弥陀仏”と名号を称えて、如来大悲のご恩に報いる生活を送るべきである」(「入門教行信証 正信偈をよむ」(早島鏡正、NHK出版))
竜樹は阿弥陀仏の本願力によってこそ、この世において正定聚不退転の位につくことができると考えた。竜樹は仏教を釈尊の解脱中心から、救済中心へ変えた。)
(*親鸞聖人は竜樹の「易行品」を読み「この世で信心を得たそのときに、仏となるに間違いないという決定した位につく、すなわち正定聚不退転の位を得る」という確信を得られ、信心をえたその後の生活は「報恩の生活」であるといわれた(信心正因、称名報恩)。親鸞聖人は阿弥陀仏の本願力のことを自然法爾(じねんほうに)という言葉で表された。)
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*天親章
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(*天親菩薩:釈尊の時代からおよそ800年後、竜樹菩薩が亡くなってから、およそ200年後、西暦400年ころに北インドの地に生まれ、480年ころ亡くなったと推定される。「天親」という呼び名のほかに「世親」という呼び方もされている。初め小乗仏教の流れである部派の学問を究め「倶舎論(くしゃろん)」を著した。後に兄の無着の説得により大乗仏教の教えを学び、阿弥陀仏の本願に身をゆだねることこそ釈尊の願いであることに気づいた。
天親は瑜伽行唯識派を大成した。唯識とは「唯(ただ)、識(しき)のみがある」、つまり「われわれの現象世界は心の働きの現れであり、認識の表れであって何一つ実在するものはない」ということで、そのことを理論的に解明した。
天親は真実の世界は色も形もないのだが、しかしそれでは凡夫にはわからないので、阿弥陀如来や極楽浄土の形をとって現れたと考えた。これにより、はじめてわたしたちの心の中に浄土へ往生したい、正定聚の仲間入りをしたいという心が生まれることになった。天親は浄土論の中で初めに阿弥陀仏や菩薩たちや極楽浄土のすばらしいありさまを述べ、次にその浄土に往生するための具体的な五つの行とその行によってもたらされる五つの功徳を述べている。
親鸞聖人はこの五つの行はすでにわれわれに代わって法蔵菩薩が修せられており、法蔵菩薩はその結果をわたしたちに信心として回向されており、わたしたちがそのことに気づくとき称名が自ずから出てくるのだと考えられた)
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天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)
帰命無碍光如来(きみょうむげこうにょらい)
依修多羅顕真実(えしゅたらけんしんじつ)
光闡横超大誓願(こうせんおうちょうだいせいがん)
広由本願力回向(こうゆほんがんりきえこう)
為度群生彰一心(いどぐんじょうしょういっしん)
*
天親菩薩は「浄土論」を著わされ、無碍光如来に帰命しますと述べられた。「仏説無量寿経」という修多羅によって真実を顕かにし、阿弥陀仏の他力の大誓願を光り輝くものにされた。阿弥陀仏の本願力の回向を受けて、群生を救うために真の信心の意味を顕かにされた。
*
『天親菩薩は、「仏説無量寿経」というスートラ(お経)に出会われて、「浄土論」を著され、その中で、「私は心を一つにしてひたすら、尽十方無碍光(じんじぽうむげこう)如来すなわち阿弥陀如来に帰依し、阿弥陀仏の極楽浄土すなわち安楽国に生まれたいと願っております」と述べられています。
天親菩薩は、「仏説無量寿経」に出会われて、阿弥陀仏の四十八の大誓願に光を当てられ、「南無阿弥陀仏」の名号こそ真実であることを顕かにされた。
天親菩薩は、すべての人に差し向けられている阿弥陀仏の本願力の回向を受けられ、わたしたちを救うために、一心に信じて疑わないことこそまことの信心であることを明らかにされた。自力では極楽往生できない私達が救われる唯一つの道は、阿弥陀仏の本願によって私達に振り向けられている「南無阿弥陀仏」という名号を頂くことだけなのです』
*
(*修多羅:「スートラ」を漢字に当てはめたもので、織物の縦糸のことを表す。織物の縦糸のことを中国語では「経」という。織物では横糸が模様を編み出し、縦糸は表面には出ない。お経によってはいろいろ表現が変わっても、釈尊の教えた真実は織物の縦糸のようにいつでもどこでも変わらないので「経」と呼んだ。インドの竜樹と天親の著わしたものは「論」、中国と日本の高僧の著わしたものは「釈」と呼ぶ)
(*私たちは自分の力では、浄土に往生できる原因を作れないので、そのことを哀れんだ阿弥陀仏は、私たちが凡夫人のままの姿で往生できるようにされた。すなわち、阿弥陀仏は私たち衆生が浄土に渡る(往生する)ことのできる原因を回向された。私たちにできることは「南無阿弥陀仏」の名号を疑うことなく、ありがたくいただき、称えることだけで、これこそまことの信心ということができる。)
*
帰入功徳大宝海(きにゅうくどくだいほうかい)
必獲入大会衆数(ひつぎゃくにゅうだいえしゅしゅ)
得至蓮華蔵世界(とくしれんげぞうせかい)
即証真如法性身(そくしょうしんにょほっしょうじん)
遊煩悩林現神通(ゆうぼんのうりんげんじんずう)
入生死園示応化(にゅうしょうじおんじおうげ)
*
功徳の大海に入ると、必ず大会衆の仲間入りをします。蓮華蔵世界に入ることが出来れば、そのままの身で真実の悟りを得た身になります。煩悩の林に出入りして神通力を現し、
生死の園に出入りしてその人に応じた働きかけをします。
*
『あらゆる衆生を救いたいという阿弥陀仏の本願により回向された「南無阿弥陀仏」の名号の功徳を心から信じ受け取るなら、必ずや、この世で、正定聚不退転の位につき、来世では極楽浄土に往生して仏となり、阿弥陀仏の説法を聴聞している人々の仲間に入ることができます。
阿弥陀仏の極楽浄土は、この穢土でさまざまな煩悩に悩み苦しむ凡夫のために用意された浄土であり、そこに入ることができれば、真実そのものに目覚め、直ちに仏になることができます。
浄土に往生した人は、浄土にとどまるだけではなく、煩悩や生死のはびこる世界に自由に出入りし、そこで苦悩する人々に、それぞれに応じた働きかけをするようになります』
*
*曇鸞章
*
(*曇鸞大師(476-542):大師は厳しく研究に打ち込んだために、病にかかり、仙人のところへ赴いて、不老長寿の術を学んだ。ちょうどそのころ経蔵と律蔵と論蔵の三蔵を深く学び、三蔵法師と呼ばれていた菩提流支(ぼだりるし)がインドから中国に来ていたが、菩提流支は曇鸞に仙術を学んで、少々の長生きをしてもやがては死ぬのであり、それよりは阿弥陀仏を念じることにより極楽浄土に往生して、限りない命をえることの大切さを教えた。曇鸞は「空」の思想から、浄土は真実そのものの働きの現れであり、真実の世界・悟りの世界が、阿弥陀仏の本願力により、私たちを真実の世界・悟りの世界へ帰入させるために、私たちにわかるような形をとって現れたものが、浄土のしつらい(姿・形)であると考えた。曇鸞は「他力」の思想を仏教の中に正しく位置づけた)
*
本師曇鸞梁天子(ほんしどんらんりょうtんじ)
常向鸞処菩薩礼(じょうこうらんしょぼさつらい)
三蔵流支受浄教(さんぞうるしじゅじょうきょう)
焚焼仙経帰楽邦(ぼんじょうせんぎょうきらくほう)
天親菩薩論註解(てんじんぼさつろんちゅうげ)
報土因果顕誓願(ほうどいんがけんせいがん)
*
梁の天子は曇鸞大師に、常に大師のおられる所に向かい菩薩として拝んでおられた。三蔵法師である菩提流支が「観無量寿経」を授けたところ、大師は道教の経典を焼き阿弥陀仏の教えに帰依された。天親菩薩の浄土論に注釈をつけ、報土の因果は阿弥陀仏の誓願によるものだと顕かにされた。
*
『曇鸞大師は北魏に住んでおられ、その名声は、南の梁の国にも知られ、梁の皇帝である武帝は常に大師のおられる北魏のほうへ向かって、大師を菩薩として敬い、拝んでおられた。
菩提流支は大師に「観無量寿経」を示し、阿弥陀仏の教えを授けられた。大師は、この教えに触れられ、仙術を学んで、少しばかりの不老長寿を得たところで、益のないことを知り、阿弥陀仏を念じ、念仏によって浄土に往生する信心を得られた。そして、今まで熱心に学んでいた長生不老の仙人になるためのお経を焼き捨ててしまわれた。
曇鸞大師は、天親菩薩の書かれた「浄土論」を注釈して、「浄土論注」をお書きになり、その中で極楽浄土が建立される原因も、その結果浄土が建立されたのも阿弥陀仏の本願力によるものだということを明らかにされた』
*
往還回向由他力(おうげんねこうゆたりき)
正定之因唯信心(しょうじょうしいんゆいしんじん)
惑染凡夫信心発(わくせんぼんぶしんじんぽつ)
証知生死即涅槃(しょうちしょうじそくねはん)
必至無量光明土(ひっしむりょうこうみょうど)
諸有衆生皆普化(しょうしゅじょうかいふけ)
*
曇鸞大師は、往相回向」も「還相回向」も他力によるものであり、正定聚不退転の位につける因となるのは唯信心だけであり、煩悩に惑わされる凡夫であっても信心が生まれれば、迷いの身のままで悟りを得ることが出来ることを顕かにされた。無量光明土(極楽浄土)に入れば必ず、穢土の衆生をあまねく教え導くことが出来ると教えられた。
*
『大師は「往相回向」も「還相回向」も阿弥陀仏の本願力により私たちに差し向けられたものであり、わたしたちに阿弥陀仏の本願力を信じる心が生じれば、間違いなく、現世において正定聚不退転の位につき、来世では浄土に往生して仏になることができると説かれた。
大師は、たとえ迷い惑っている凡夫であろうとも、その心の中に、阿弥陀仏の本願力により信心が起これば、迷いのままの状態で悟りを得、迷いから開放されることを明らかにされた。
大師は、私たちが阿弥陀仏の浄土である「無量光明土」(極楽浄土)に往生し仏になると、必ず、私たちは迷いの世界に立ち戻り、あらゆる人々を教え導くことになると説かれた』
*
(*「往相回向」「還相回向(げんそうえこう)」:阿弥陀仏の浄土に往生することを「往相」といい、浄土に往生した人が、迷いに満ちたこの世界に働きかけることを「還相」という。釈尊は悟りをえて、仏になり(往相)、それに満足することなく、迷っている私たちを救うために教えを示された(還相)。ここに自利と利他が一つになった大乗仏教の根本理念がある。しかし、凡夫にとっては、往相も還相もどちらもとてもできない。そこで阿弥陀仏は浄土への往相と浄土からの還相の両方を私たちに振り向けられた。すなわちわたくしたちに回向されたので、この二つの回向をそれぞれ「往相回向」「還相回向」という)
*
*道綽章
*
(*道綽禅師(562-645):当時の僧は仏教の教理を探求し、戒律を厳しく守り、実践的な修行に励んでいた。教理の探求に勝れた人を「法師(ほっし)」、戒律に精通した人を「律師」、実践修行に勝れた人を「禅師」と呼んでいたが、道綽禅師は実践修行に勝れていたために、特に禅師の称号をつけて呼ばれる。道綽禅師は曇鸞大師の徳をたたえる石碑を読んで、深く感銘を受け、浄土の教えに帰依し、阿弥陀仏の名号を称える念仏に専念した。人々にも称名念仏を勧め、「安楽集」を著した。
道綽禅師は、末法の時代に入って十一年目に生まれ、その後厳しい仏教弾圧も経験し、末法の世の中、しかも五濁(ごじょく)の世の中では、自力による厳しい修行を重ね悟りに近づこうとする、聖道門の教えは不可能な教えであり、浄土門の教えしか残されていないことを説いた。禅師は自力でこの世で悟りを開く聖道門の教えと他力によりあの世で悟りを開く浄土の教えの二通りの教えがあることを初めてはっきりと述べた。
禅師は「安楽集」の中で、『阿弥陀仏は自らの願いと修行によって報われた仏、すなわち「報身(ほうじん)」であり、その仏国土は「報土」である。また、浄土に生まれたいと願う「願生心(がんしょうしん)」は大乗仏教で言う菩提心のことで、浄土に往生することは、自利と利他の二つを完成する大乗の菩薩道そのものである』と述べている)
*
道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう)
唯明浄土可通入(ゆいみょうじょうどかつうにゅう)
万善自力貶勤修(まんぜんじrきへんごんしゅ)
円満徳号勤専称(えんまんとくごうかんせんしょう)
*
道綽は聖道門の教えでは悟りを得るのが難しく、浄土門の教えによってのみ往生できることを顕かにされた。さまざまな自力修行に勤め励むのを退けられ、優れた功徳を備えた名号をひたすら称えることを勧められた。
*
『末法の世界に生まれられた道綽禅師は、「安楽集」を著され、自力によって修行して悟りを得ようとする聖道門の教えでは悟りを得ることは難しいことを明らかにし、凡夫が極楽浄土に往生し、仏になることができるのは、阿弥陀仏から差し向けられている「南無阿弥陀仏」という他力の念仏により往生するという、浄土門の教えによるしかないことを明らかにされた。
禅師は、自分の力を信じさまざまな善根功徳(ぜんごんくどく)の修行に勤め励む「聖道門」は誤りであると、退けられた。「南無阿弥陀仏」という名号こそ、阿弥陀仏の本願力により、私たちに回向されている名号であり、悟りを開くための功徳がすべて完全に備わった円満の徳号であるので、その名号をただただ称えることを、禅師は人々に勧められた』
*
(*末法:「大集月蔵経(だいしゅうがつぞうきょう)」によれば、仏教は、正法(しょうほう)、像法(ぞうほう)、末法という三つの時代を経て、やがて滅ぶという。
釈尊が亡くなって後、はじめの五百年は「正法」の時代で、教え(教)が正しく伝わり、正しい修行(行)ができるので、正しい悟り(証)がえられる。
次に「像法」の時代に入り、これが千年続く。この時代には像(かたち)ばかりの教えが伝わり、像ばかりの修行が行われ、正しい悟りは得られない。
そしてその後「末法」の時代が一万年続く。かろうじて、教えは伝わっているのだが、その教えは不十分であり、厳しい修行をしても正しい修行はできず、正しい悟りもえられない。その一万年が終わると「法滅」となり、仏法は完全に衰滅する。「法滅」の後は、やがて、遠い未来に次の仏が生まれ、また「正法」の時代に入る。このような考え方が生まれた背景にはマウリヤ王朝(317-180BC)滅亡後に西北インドに異民族が侵入し、人々が圧政に苦しめられたことがあるといわれている)
(*円満の徳号:「南無阿弥陀仏」の名号のこと。阿弥陀仏はわれわれに代わって、われわれが浄土に往生するのに必要な功徳を全部名号の中に成就し、われわれに与えてくださっている。だから、その与えられた「南無阿弥陀仏」の名号を信じ、称えるだけで、われわれは浄土に往生し仏になることができると道綽は説いている。道綽は、浄土に生まれたいという心を起こしながら、他力の念仏を疑い、自分のはからいを加え、念仏以外の助けを借りて浄土に生まれようとするのは自力であるという。道綽は、自分は凡夫であり、悪人であり、末法の世に生きているという自覚を強く持っていた。)
*
三不三信誨慇懃(さんぷさんしんんけおんごん)
像末法滅同悲引(ぞうまつほうめつどうひけん)
一生造悪値弘誓(いっしょうぞうあくちぐせい)
至安養界証妙果(しあんにょうがいしょうみょうか)
*
三不三信の教えをわかりやすくねんごろに丁寧に教えられ、像法末法法滅の世に生きる人々を導かれた。一生悪を重ねたものでも阿弥陀仏の誓いにかなえば、極楽浄土に往生し仏になることが出来るのです。
*
『禅師は、曇鸞大師の述べられた正しくない三つの信心のすがた(三不信:率直でなく、自力が混じっていてもっぱらでなく、長く続かない信心)と正しい三つの信心のすがた(三信:率直で、もっぱらで、長く続く信心)とを分かりやすく丁寧に教えてくださった。
「末法」の時代には凡夫の自力による修行は何の役にも立たないので、阿弥陀仏はそれを哀れんで、「南無阿弥陀仏」の名号を授けられた。道綽禅師はこの他力の念仏を深く信じ、人々を、他力の信心の教えに導きいれられようとされた。
禅師はたとえ、一生の間、さまざまな悪を行うようなものでも、阿弥陀仏の広大な誓願に出遭いそれを信じることがあれば、阿弥陀仏の浄土(安養界)に往生し、仏の悟り(妙果)をえることができることを教えられた』
*
*善導章
*
(*善導大師(613-681): 大師は唐の時代、山東省に生まれ、二十歳をすぎて道綽の門に入り、一般民衆に念仏の教えを広めた。善導大師は「観無量寿経」を注釈した「観無量寿経疎(かんむりょうじゅきょうしょ)」(略して観経疎)を著され、その中で、「観無量寿経」に関する古今の解釈の誤りを正し、釈尊が本当におっしゃりたいことを明らかにされた。当時の中国では禅定(瞑想)と念仏(仏の姿を心に思い浮かべること)は一体であり、特に区別しなかった。大師は念仏の本義を明らかにするために、あえて、はっきりと分けた。大師は、「南無阿弥陀仏」の称名は阿弥陀仏の本願力にもとづくものであることを明らかにし、自分勝手な称名ではなく、仏の本願による称名だからこそ、「南無阿弥陀仏」の称名だけで浄土に生まれることができることを明らかにした。日本の浄土教における専修念仏、特に法然の専修念仏は善導の教えを受け継いでいる。
大師は自分が一生悪をし続ける凡夫であることを深く自覚され、このような「禅定観法」により阿弥陀仏を見たり、浄土のありさまを観察することで浄土に往生しようとするような修行はできない。大師は、釈尊の本心が、そのような下品下生の凡夫を救うことにこそあることを明らかにされた。そのような凡夫を救うために観無量寿経には、称名しただけで、浄土に往生できることが書かれており、称名こそが正定業(正しく往生の決定する業因)であると述べている)
*
善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶつしょうい)
矜哀定散与逆悪(こうあいじょうさんよぎゃくあく)
光明名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん)
*
善導大師は釈尊の本当の心を顕かにされた、阿弥陀仏は定善、散善、十悪や五逆の罪を犯す悪人、すべての人を哀れんで、名号を因とし光明を縁とし浄土に往生させてくださることを顕かにされた。
*
『善導大師は「観無量寿経」に関する古今の解釈の誤りを正し、釈尊が本当におっしゃりたいことを明らかにされた。すなわち、阿弥陀仏は、瞑想し修行して自力で浄土を求める人、世間的な善行を積む人、あるいは十悪や五逆の罪を犯す悪人、すべての人を哀れんで、「南無阿弥陀仏」の名号を直接の原因(因)とし、自ら放たれる智慧の光を間接の原因(縁)として、浄土往生の結果(仏果、仏の悟りをひらくこと)を、すべての人に施されていることを明らかにされた。善導大師は「ただ名号を称えること」を勧めて他の修行は必要ないことをとかれた。これは善導大師が始めて述べられたことです』
*
(*十悪(じゅうあく):身(しん)、口(くう)、意(い)の三業(さんごう)がつくる十種の悪。1・生き物を殺すこと。2・盗むこと。3・淫らな愛欲。4・嘘をつくこと。5・二枚舌をつかうこと。6・悪口を言うこと。7・へつらうこと。8・むさぼること。9・怒ること。10・間違った考え方。
(*定善・散善:定善と散善については観無量寿経の中に詳しく述べられている。定善は息を整え心を鎮め、浄土と仏のありさまを観てゆくこと。散善は普段通りの心で悪いことをしないで善いことをして浄土往生の種にすること)
(*正定業(しょうじょうぎょう):善導は浄土に往生する因となるために修すべき修行を「正行(しょうぎょう)」(正しい行い)といい、浄土経典に説く行ではない専修念仏以外の雑多な行業を雑業(ぞうごう)と名づけた。
正行には五つある。1・読誦(どくじゅ):経典を読むこと、2・観察:阿弥陀仏や菩薩たちを観察すること、3・礼拝(らいはい):拝むこと、4・称名:「南無阿弥陀仏」を称えること、5・讃嘆供養(さんだんくよう):阿弥陀仏の徳を讃嘆し供養すること
善導はこのうちの四番目の称名こそが浄土に生まれるための正しい行業(ぎょうごう)、すなわち、正定業であり、それ以外の四つの行はこの「称名正定業」を助けるための行ということで、「助業(じょごう)」であるとした。助業も含めその他、専修念仏以外の雑多な行業を雑業という。
また、善導は、称名は阿弥陀仏の本願力によるものであり、自分勝手に称えても往生できるというのではなく、仏の本願による称名だからこそ往生できることを明らかにした)
*
開入本願大智海(かいにゅうほんがんだいちかい)
行者正受金剛心(ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん)
慶喜一念相応後(きょうきいちねんそうおうご)
与韋提等獲三忍(よいだいとうぎゃくさんにん)
即証法性之常楽(そくしょうほつしょうしじょうらく)
*
阿弥陀仏の智慧の大海に入ると、念仏を唱えるものは金剛石のように固い信心を頂くことになる。あふれる喜びが沸き起こるその瞬間、韋提希(いだいけ)夫人のように、悟忍・信忍・喜忍の三つの心を得てこの世で正定聚不退転の位につき、あの世では常住・安楽の悟りを得ることができることを善導大師は顕かにされた。
*
『名号のいわれを信じて、私達の目の前に広がっている阿弥陀仏の智慧の大海に入り、如来の心が私のものになります。その時如来から金剛石のような固い真実の信心をいただくことになり、おのずから喜びの心が生じます。
真実信心をいただくと、韋提希(いだいけ)夫人のように、仏の智慧を悟る心(悟忍・ごにん)・信心の定まった心(信忍・しんにん)・必ず往生することを喜ぶ心(喜忍・きにん)の三つの心を得て、この世で正定聚不退転の位につき、あの世では極楽浄土にうまれて、常住・安楽の悟り(涅槃の悟り)を得て仏になることができます。
このようなことを善導大師は顕かにされた』
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(*韋提希(いだいけ)夫人の物語は「観無量寿経」の前半部で詳しく述べられている)
(*一念(いちねん):親鸞聖人は無量寿経で述べられている一念を「南無阿弥陀仏」を称える「行の一念」と真の信心である「信の一念」に分けられた)
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*源信章
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(*源信(942-1017):恵心(えしん)僧都源信といい、平安時代の中ごろ、大和の国当麻郷に生まれ、比叡山で勉強した。日本の天台宗では思考力のない草木や国土までも仏となることができると考えたが、源信はさらにこの考え方を進めて、極楽浄土では草木や鳥獣など自然の万物が説法をしていると考えた。救われるだけではなく救う側にもなっていると考えた。また源信は法蔵菩薩は往生して悟りを得て阿弥陀仏になり、浄土で衆生を救いさらにこの世に仏陀として現れて、この穢土で人々を救ったと考えた。源信は44歳のときに「往生要集」を著し、この書の第一章で地獄について実に詳しく語り、第二章では浄土について語っており、「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」の心がこの書にあふれている。この書の中での「穢土」とは輪廻の世界、すなわち、地獄から始まり天上界を含めた六つの迷いの世界(六道)のことをいう。厭離穢土とは、迷いの世界を解脱することを意味する。この「往生要集」は当時の中国の宋の国に伝わり、中国の学者や僧侶はその内容のすばらしさに大変驚いたという。
源信僧都の母は、源信に、世間の名利を求めてはならない、ひたすら仏道修行に励むように勧めたと、今昔物語の中に書かれている)
*
源信広開一代教(げんしんこうかいいちだいきょう)
偏帰安養勧一切(へんきあんにょうかんいっさい)
専雑執心判浅深(せんぞうしゅうしんはんせんじん)
報化二土正弁立(ほうけにどしょうべんりゅう)
極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)
我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅちゅう)
煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)
大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)
*
源信僧都は釈尊の一代の教えをよく調べて、みずからひとえに安養浄土に帰依し一切の人々にも勧められた。専ら称名する人と自分の心を交えて称名する人の信心の浅い深いを判じられ、真実報土と方便化土の二つの浄土を正しく区別された。源信僧都は「極重の悪人はただ念仏を称えるしかない。私もまた阿弥陀仏に摂取されているのに、煩悩はまなこをさえぎり仏を見ることが出来ないでいるにもかかわらず、仏の大悲は常に飽くことなく私を照らし続けている」と仰っている。
*
『源信僧都は釈尊の教説をすべて調べて、釈尊が生涯をかけて説かれたすべての教えは、ひとえに一切の人々を阿弥陀仏の西方浄土に往生させるためであり、仏の教えは念仏にあると知り、「往生要集」を著し、あらゆる人々に念仏を勧められた。
源信僧都は、他力回向の信心をいただいて、もっぱら念仏行を修める人と、念仏以外の行を雑(まじ)えて修める人とを区別し、また阿弥陀仏の浄土を真実報土と方便化土に分け、専修念仏の人は真実報土に生まれ、雑修念仏の人は浄土のほとりにある方便化土に生まれることを明確に区別された。
源信僧都は、「私たち極重の悪人はただ念仏を称えて、浄土に生まれようとねがうしかない。私も阿弥陀仏の照らされる光の中におさめとられておりながら、沸き起こる煩悩のために、まなこが覆われて、仏を見たてまつることができないでいる。それにもかかわらず、仏は大悲の心をもって、あくことなくいつでもどこでも常に私を照らし続けてくださっている」と述べられている。(摂取不捨 大悲無倦)』
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(*報土(ほうど):阿弥陀仏は、法蔵菩薩という因位にあった時の真実の誓願と修行に報われて仏となられた報身仏であるので、その浄土を報土と呼ぶ。報土には真実報土と方便化土の二つがある。親鸞聖人は報土を「真化二土」つまり、「真仏土」と「化身土」の二つに分けられた)
(真実報土・真仏土:光明無量の願(第十二願)、寿命無量の願(第十三願)によって成就された真の報土。他力念仏の行者が生れる浄土)
(化土・方便化土・化身土:阿弥陀仏が方便として自力の行者のために仮に現した浄土。自力の行者が往生する浄土。報土の片ほとりにあって、真実信心でない、仏智疑惑の人が浄土に生まれると、まず浄土の片ほとりにある化土に生まれ、この地に五百年とどまっていなくてはならない)
(*専修(せんじゅ):もっぱら念仏を修すること。専修の人とは阿弥陀仏の真実信心そのままいただいて念仏を喜ぶ人)
(*雑修(ざつしゅ):念仏だけでなく自分のはからいを加えて修すること。化土往生の業因となる)
(*極重の悪人:源信は「下品(げぼん)の人」の意味で使っている。親鸞聖人は聖者から凡夫にいたるすべての人の意味で、この言葉を使われている)
(*摂取不捨:仏がその慈悲心でこの世の衆生(しゅじょう)を見捨てず、仏の世界に救い上げること。)
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*源空章
*
(*法然(1133-1212):諱は源空。岡山県美作に生まれ、幼いとき父が殺された。父の遺言で15歳のとき比叡山に登り出家した。43歳のとき善導の著作である「観無量寿経疎」(観経の注釈書)の「散善義」を読み念仏の教えに帰した。51歳のとき比叡山を降りて、東山の大谷のほとり、吉水に庵を結んだ。建久九年(1198)、66歳のとき「選択(せんちゃく)本願念仏集」を選述した。75歳のとき四国へ流罪となり翌年帰京し、京都でなくなった。法然の下にはさまざまな階級の人々が集まった。
法然は「義なきを義とす」というわかりやすい言葉で念仏の世界を表した。すなわち「『義』とは『はからうこと』『自我への執着』であり、われわれ凡夫のはからいのないことが如来のおぼしめし、如来のはからいである。この『義』をすてて、『はからいのない人間』になるためには如来の大いなるはからい、すなわち、仏の智慧をいただくほかはない」と述べている。法然上人は「仏説観無量寿経」と善導大師の「観経疏」に出会い「念仏しかない」と考えた。
道元は自分ではからいをするな、言葉で言うな、身も心も仏にまかせろ(心身脱落)という。心身脱落とは解脱のこと。一切のしがらみから脱し心身ともに自由無碍な状態。
親鸞聖人は法然の「義なきを義とす」を「自然法爾」という言葉で表された)
(*自然法爾:阿弥陀仏は、人がみずからのはからいを捨てて仏をたのむとき、これを迎えいれようと誓われた。みずからの善い悪いのはからいを捨てて、おのずから阿弥陀仏の本願力をたのみとすることを自然法爾という。鈴木大拙は「仏のこの誓いは仏の意思であり、私の祈りである」という意味のことを述べている。人は常にはからいを捨て続けなくてはならない。そこに無心の世界、無分別の世界が開け浄土に往生できる)
*
本師源空明仏教(ほんしげんくうみょうぶっきょう)
憐愍善悪凡夫人(れんみんぜんまくぼんぶにん)
真宗教証興片州(しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう)
選択本願弘悪世(せんじゃくほんがんぐあくせ)
還来生死輪転家(げんらいしょうじりんでんげ)
決以疑情為所止(けっちぎじょういしょし)
速入寂静無為楽(そくにゅうじゃくじょうむいらく)
必以信心為能入(ひっちしんじんいのうにゅう)
*
私の師源空上人は仏の教えを明らかにし、善悪一切の凡夫を哀れに思い、真実の教えと悟りを世界の片隅にある日本で興された。阿弥陀仏の選択された本願を五濁に満ちた悪世に広められた。迷いと流転の家に立ち戻らされるのは、疑う心を拠り所にしているからであり、信心に依れば、直ちに間違いなく静かな悟りの世界に入ると源空上人は仰っています。
*
『私の師、源空上人は、仏教を究めつくし、「選択本願念仏集」(略して選択集)を著され、善・悪の一切の凡夫を救うために、阿弥陀仏の本願である念仏の教えとその救いを世界の片隅にある日本で興された。阿弥陀仏が選びとられた本願である称名念仏を、五つの濁りに満ちた悪世に広められた。
源空上人は信心による悟りを明らかにして、次のように述べられた。
「われわれが迷いと流転を繰り返して、そこを住み家とし常にそこに立ち戻らされるのは、仏の智慧を疑うためである。仏の智慧に対する疑いがすっかり晴れて信心を得ると、必ずその信心が因(たね)となって働き、次の世には輪廻を絶ち、寂静・無為の極楽浄土に生まれて、仏の悟りをひらくことができる」』
*
(*専修念仏(せんじゅねんぶつ):法然の説いた念仏を専修念仏という。観想念仏のできる人は少なく、大多数の人々は極楽に往生できないことになる。すべての人に平等に慈悲を与える阿弥陀仏がそのようなことをするはずがない。それに対し専修念仏(口称念仏)をすればいかなる凡夫・悪人・女人でも阿弥陀仏の慈悲により極楽往生できると説いた。
法然は仏教全体を聖道門(聖者への道)と浄土門(救済への道)に分けて、浄土門を取り、浄土門を雑行(ぞうぎょう、自力の混じる行)と正行(他力のみによる行)に分けて、正行を取り、その正行を助業(礼拝・読経など)と正業(一心に「南無阿弥陀仏」を称えること)に分けて、正業を勧めた)
(*領解文:領解とは悟ること、会得の意味。
「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて、一心に阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生御たすけさふらへと、たのみもうしてさふろう。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定とぞんじ、このうえの称名は、御恩報謝とぞんじよろこびまうしさふろふ。この御ことわり聴聞まうしわけさふらふ事、御開山聖人御出世の御恩、次第相承の善智識の、あさからざる御勧化の御恩と、ありがたくぞんじ候。此うえは、さだめおかせらる々御おきて、一期をかぎりまもりまうすべく候」)
(*源空章の後半の四句は法然が信疑を決判されたところであるという。法然は「信」と「疑」という概念をはっきり区別して、われわれに示した。仏の智慧に対する疑いがすっかり晴れた状態をさして、信心を獲得したということができる。
釈尊以来悟りを得る道は自力修行による道と仏の慈悲による救済を信じる道の二通りに分けられる。大乗仏教は信心による悟りの道を明らかにした。浄土の教えはそれを受け継ぎ、法然まで伝えられた。法然は「仏教は念仏である」と説いている。阿弥陀仏の本願力による信心を得ると、これまで長い長い間六道を輪廻して来たわたしは、輪廻の道からはずれ、解脱し、極楽浄土に往生できる。このことは釈尊以来一貫して述べられてきたことである)
(*親鸞聖人は従来の「一念」を「行の一念」(南無阿弥陀仏と称えること)と「信の一念」(真実信心)の二つに分けられた)
(*親鸞聖人は「行信不離」ということをいわれる。如来の真実心が私のものとして受け止められたとき、私の信心となり、その信心は必ず「南無阿弥陀仏」という称名すなわち行となってあらわれる。「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることが極楽往生の業因となる。称名は正定業であり、往生が決定する業因となる)
*
弘経大士宗師等(ぐきょうだいじしゅうしとう)
拯済無辺極濁悪(じょうさいむへんごくじょくあく)
道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん)
唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)
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無量寿経の教えを弘められた菩薩や祖師たちは、極めて汚れきったこの世を掬い取ってくださった。出家も在家もいつの世でも心を同じくして、ただただこれらの高僧の教えを信じよう。
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『これまで述べてきた竜樹、天親の二人の菩薩、および曇鸞、道綽、善導、源信、源空の五人の祖師たちは、無量寿経の本旨を明らかにして、無数の苦しみ迷う人々を救われました。私たちは、出家・在家を問わずいつの世でも、ともに心を一つにして、この七人の高僧たちの教えを信じ、その教えに従おうではありませんか』
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(*「人身受け難し、今己(すで)に受く、佛法聞き難し、今己に聞く。この身今生に向(むか)って度(ど)せずんば、さらにいずれの生に向ってかこの身を度せん」)
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(終わりに:わたくしたちは、阿弥陀仏の光明無量と寿命無量、すなわち計り知れない智慧と計り知れない慈悲によって育てられ生きることが、真実の自己になる生き方であり、真実の世界に生きることである。仏教は、真実の世界に生き、真実の自己になることを解き明かす教えであり、それが阿弥陀仏の本願である)
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参考にさせていただいた主な書籍
「正信偈の教え」(吉田和弘、東本願寺出版部)
「入門教行信証 正信偈をよむ」(早島鏡正、NHK出版)
「正信偈新講」(金子大榮、あそか書林)
「正信偈のこころ 限りなきいのちの詩」(戸次公正、法蔵館)
「浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)」(本願寺出版社)
「浄土真宗聖典 浄土三部経(現代語版)」(本願寺出版社)
「真宗の教義と安心」(本願寺出版社)
「親鸞の告白」(梅原猛、小学館)
「古典を読む 往生要集」(中村元、岩波書店)
「原始仏典」(中村元、ちくま学芸文庫)
「大乗仏典」(中村元編集、筑摩書房)
「人類の知的遺産 3 ゴータマ・ブッダ」(早島鏡正、講談社)
「仏教の思想I.II 」(梅原猛、集英社)
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はじめに
仏教に関心を持ち始めてからさまざまな資料や書籍を参考にノートを作ってきました。初めは私自身のためのメモ程度の簡単なものでしたが、次第に膨らんできました。その中から面白そうなものを選び出しました。ここに書きだしたことは「私はこのように理解しています」ということに過ぎません。 平成22年11月 天邪鬼
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仏陀の教え 仏教と葬式 祖霊信仰 山中浄土 寺の起源 位牌 仏陀の教え 釈尊の解脱後の最初の言葉 無記 初転法輪・四聖諦 渇愛 三学 八正道・中道 四法印 法 因縁・縁起 業 苦 空・無 無明 我 五蘊と識 唯識派 心・識 菩薩 仏陀観の変化 十界互具 如来蔵思想 本覚思想 神道理論と仏教 法身・報身・応身 修行 六波羅蜜 小乗・大乗・金剛乗 戒名 経典 三万年の死の教え 親鸞聖人と信不信
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仏陀は、われわれが毎日煩悩に悩まされ苦しんでいるのはわれわれが人生やこの世のあり方を知らないこと(無明・無知)から来ていることを明らかにされた。仏陀はわれわれがなぜ苦しむのかそのわけを教え、それぞれの人が悟りを得て、真実の自己を実現できるようにしようとされた。
このような悟りをえるためには、われわれはまず行いを正しくし(戒)、瞑想して(定)、心の汚れを取り除き、心を清浄にし、現実の世界を見つめ、この世のあり方を知る智慧(慧)を得なくてはならない。この世の真理を知り、悟りをえたときには何者にもとらわれない自由な心(涅槃)を得て、真実の自己を実現することができる。
この世のあり方(法)(真理)とは次のようなものである。
この世の全てのものは因果関係(縁起)によってできている。すなわちこの世の全てのものは五蘊が因縁によって集まってできたものであり、常に変化し続けていて、無常である(諸行無常)。したがってこれこそいつまでも変わらないものだといえるような特定の実体(我)はこの世にはない。空なのである(諸法無我)。にもかかわらずわれわれ凡夫はいつまでも変わらない特定の実体がこの世に存在するかのように考えてそのものに執着しそのものを自分の思い通りにしようとしている(集諦)。しかし、そのものは自分の思い通りにならないので、そのことから苦が生じる(苦諦)(一切皆苦)。
この苦を克服する(滅諦)ためには八つの正しい道(八正道・中道)を実践しなくてはならない(道諦)。これらのことを正しく行ったときわれわれは清浄な心をとりもどし、自由な真実の自己を実現することができる(涅槃寂静)。
しかし仏陀はこの世の説明できないこと、あるともないともいえないようなことについての問いかけにたいしては、そのことについて議論しても、悟りをえるための修行にはなんら役に立たないと判断したので、一切答えることをしなかった(無記)。仏陀はただ現実の世の中で悟りを求めつづけることを目指した。
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釈尊は死期が近づいたときアーナンダに言われた。
「アーナンダよ、私は疲れた。横になりたい。沙羅双樹の下に寝床を作っておくれ」
釈尊は右脇を下にし、頭を北にして(北枕の始まり)、足と足を重ねて身を横にして、泣いているアーナンダに次のように言われた。
「アーナンダよ、泣くことはない。人はすべて愛するものから離れなくてはならない。すべてのものは生まれ、変化し、姿を変え、壊れていくのを免れることはできない。わたしの説いた教えを拠り所にし、わたしが決めた戒律を守り生きていきなさい。日々怠ることなく修行を続けなさい」と言われた。
「釈尊は人に依らず、法に依れと遺言された。その法と自己が同義語だと言う意味を、われわれはしっかりと認識する必要がある」(中村元)。すなわち、私たちは自分自身の思索と行動を灯火(ともしび)として生きていかなくてはならない。
釈尊は葬儀と遺骨崇拝はするなと遺言した。遺体を焼いて、その骨を拾い、供養の対象とするなといった。しかし、釈尊の入滅七日後、釈尊の遺体は火葬にされ、釈尊の遺骨は八つの地に分配され、それぞれの地でストゥーパ(塔)を作って安置された。釈尊の遺骨に対する供養をし、信仰の対象にした。
インドでは輪廻転生の考えが広く支持され、死者は49日以内に六道のうちのどれかに生まれ変わりこの世に戻ると信じられ、遺体は火葬された後、川に流し、祀ることも墓を作ることもしない。
奈良時代に伝わった仏教の宗派では日本でも葬式は行わない。たとえば、法隆寺、東大寺、興福寺、清水寺などでは現在でも葬式は行わない。
親鸞も親の追善供養のための念仏はしなかった。また信者から布施を取ることも潔しとはしなかった。しかし、これでは浄土真宗の教団としての組織は成り立たない。後に親鸞の教えを信じるものものたちは、親鸞の遺骨を埋葬して、その埋葬の場所を信仰のよりどころとした。
僧侶が葬儀をとり行うようになったのは仏教が中国に入ってからで、僧侶たちは仏教を民衆に広めるために、儒教や道教の儀式を参考にして、葬儀を行うようになった。
日本でも平安時代の中ごろから仏教による葬儀が貴族の間で広まり、鎌倉時代ごろから庶民の間でも行われるようになった。
鎌倉仏教の担い手である、法然、親鸞、道元、栄西、日蓮らは官僧を離脱した遁世僧(寺の住職などにならず、修行に専心する僧)であり、黒衣を着ていた。彼らは貴族や官僧や神主たちからは、穢れた存在としてみられていた。なぜなら、彼らは穢れにかかわることがら、葬式(死穢にかかわる)、勧進(金銭を取り扱う)、非人救済、女人救済を行ったからである。官僧は、鎮護国家の祈祷を主な任務とし、天皇に仕える身として、穢れを忌避せざるをえなかった。したがって、死穢に触れることになるので、葬儀は執り行わなかった。14世紀には天皇の葬儀も遁世僧が執り行うようになった。
法然以後、念仏宗門下の者は極楽往生できることになった。極楽往生できることは、死穢がないことになる。法然門下の念仏者は死穢を恐れることなく、葬儀に参列できた。念仏門の僧侶は葬儀を執り行うことで、信者とお布施を得ることができ、その勢力を増やしていった。
律宗の僧は、中世ではほとんどの僧が妻帯を行うなど破戒を行う中で、戒律を厳しく守ろうとした。彼らは、清浄の戒を受けているというので、死穢に汚染されず、葬儀を執り行うことができた。現在でも日本以外の国では戒律に反するので、僧侶が妻帯することは考えられない。
遁世僧である禅僧も死穢を恐れず葬儀に従事した。禅僧は庶民だけでなく、室町幕府の将軍や天皇の葬儀も執り行った。
鎌倉仏教の担い手たちは、個人の救済に直接手を差し伸べた。彼らはほとんどが遁世僧であり、官僧が従わなくてはならない制約から自由であり、死穢のタブーから自由であったので、積極的に葬儀を執り行い、勧進活動をし、非人救済、女人救済に乗り出した。教団としても勢力を伸ばし、お布施も得ることができた。日本の仏教は奈良、平安時代の鎮護国家のための仏教から、鎌倉時代には個人を救済する仏教に変わっていった。
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日本人は、人間は身体と霊魂の二つからできていると考えた。人が死ぬと、死者の魂は山へ帰り、年を経るごとに、死霊から少しずつ穢れがとれて、その魂は浄化されて、山の頂へ上り、人々を守る守護神(祖霊)になり、その祖霊は、さらに浄化されて、祖先神(氏神)になると考えられた。その間はだいたい三十三年から、五十年かかり、山や森や岩や滝などはそのような神が宿るところと考えられた(祖霊信仰)(柳田民俗学)。三十三年から五十年の間というのは亡くなった人について記憶している人がこの世からいなくなり、亡くなった人の記憶そのものがほぼこの世からなくなってしまう期間に当たる。現在でも仏教の三十三回忌や五十回忌にその名残がある。
しかしこの祖霊信仰は仏教思想が日本に取り入れられてから生まれたもので、日本古来の伝統的な考え方ではないという考え方がある。(原田敏明)。
明治政府は王政復古の元に祭政一致をすすめ、「復古神道」を国教にしようとした。この復古神道は伝統的な神道とは異質なもので、排他的であった。この復古神道の元で、招魂社が建立され、神葬祭が推し進められ、墓地が「清き土地」になっていった。
森羅万象が神の体現したものであり、人間も神の「ワケミタマ」(分霊)であり、神の子である。人はその土地の神「ウブスナガミ」(産土神)のおかげで誕生し、産土神やその他もろもろの神と正しく付き合っていくことで、四季のめぐみを享受し、産土神に導かれて、祖霊の世界へ帰っていく。祖霊に個性はなく、集合的な神霊の集まりで、それ自体大いなる自然の一部であり、その本質は「アカキ、キヨキ、ナオキ、タダシキ」ものである。その心をかき消し、本来の力を失わせるものが、人を神から切り離し、生命の輝きの世界(中津国)から放り出すものが「ケガレ」である。自分が直接「ケガレ」に触れなくても「ケガレ」た人に触れると「ケガレ」が移る。(触穢・そくえ)。その場合、手を洗い口をすすいで、禊(みそぎ)をする。
御神体:神が降臨し、そこに宿るもので、神の魂の一部。御霊代(みたましろ)。「代」とは神霊がそこにかかる「依代」の「代」であり、神の象徴ではない。
神社:祭祀は生活の重要な節目にそのつど祭場を設けて執り行われたが、後には恒常的なカミマツリの施設が作られた。これが神社。神社は後に特定の神(アマテラス)のもとに組織された。しかし決まった信仰を強制されることはなかった。アマテラスなどの天津神の住家は高天原であり、われわれの祖霊である国津神の住家は山中にあって、場所が異なる。アマテラスは高天原で育てた稲を国津神に授けることで、国津神を支配下に入れた。
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日本人が考えている他界は生活圏を取り巻く近くの山であり、仏教の浄土もそのようなものと考えた。日本人は神と仏を同じようなものと考えた。すなわち、山岳信仰と浄土が合体し、山中浄土の考えが生まれた。山中浄土の考えから、日本独自の役行者を始祖とする修験道が生まれた。この修験道は中世には天台系と真言系に編成された。インド人が考える極楽浄土はわれわれの住む世界から遥か離れた西方にある。お盆に極楽浄土に行っているはずのご先祖様の霊を我が家へお迎えするのは伝統的な神道の考えから来ている。
神(死者の霊魂)がこの世に現れて木や石や鏡などに一時的にあらわれて、何らかの痕跡を示すのをタタリという。このこと自体それによって人が危害を受けることはない。しかし仏教の教えが入ってくると、先祖の霊に対する供養をおろそかにし、神(死者の霊)を丁重に弔わないと、特にこの世に恨みを持った人間の霊魂は生前の個性を維持したままこの世にとどまり、死後もさ迷い、怨霊やもののけ、御霊の形をとって、何らかの危害を加える、すなわち、人々に祟りをすると考えるようになった。先祖や死者の位牌を祀り、墓を作って、一定の時期に祭祀や供養を行う必要がある、と考えるようになった。タタリから祟りへ変化していった。イワフ(斎)から忌むが分かれ、ノル(宣)から呪うの意味が分かれてきた。死霊鎮送、祖霊追善のための仏教が、平安時代中ごろから、貴族や民衆の間で広まった。
政治的に非業の死を遂げた人々の怨霊を御霊という。不動明王の助けを借りて読経しその威力で「もののけ」を圧伏したり弱めたりする儀礼を加持祈祷という。加持は本来悟りをえるための瞑想手段であったが、「もののけ」を圧伏する手段に使われるようになった。とくに、平安時代の貴族の間で、病気平癒や災難回避のための加持祈祷が密教の修法を用いて行われた。釈尊は霊の存在を認めていないが、日本の仏教は、心と霊の二重構造になっている。
仏教が天皇や貴族の間で信仰されるとともに、清浄な仏国土・清浄な心の考え方に影響されて、死の穢れが強く意識されるようになった。平城京や平安京では死者を埋葬する場所は都の外に置かれ、天皇や貴族を死穢から守ろうとした。しかし庶民の間では、特に農村部のように死者を埋葬する場所に困らないような地域では、平安時代以降現代まで、墓は屋敷内の一画に造られるのが一般的で、特に死穢を恐れたとは考えられない。霊魂は清浄だが、死体は死穢で汚れているという考え方が庶民の間に強くあったとは考えにくい。
貴族の間に強くあった死穢を恐れる気持ちが庶民の間でも広まって、死体の埋葬場所を集落の外に設けるようになったところがある(埋墓・うめばか)。ただ、それでは祖先供養に不便なので集落の中に石塔を建てて、祖先供養のための詣墓(まいりばか)とした(両墓制)。
浄土真宗大谷派が普及している地域では、火葬にした骨の一部を東本願寺や末寺に納骨し、残りの骨はそのまま火葬した場所に放置するか、あるいは火葬にした骨をまとめて決められた場所に納骨したりするなどして、特に墓を作らない。
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日本の寺のほとんどは16Cか17Cに造られた。寺の始まりは二つある。
1.地域の有力者が先祖の祭祀のために屋敷内に設けた持仏堂から始まったもの
2.地域の住民が宗教的な集会を行うための造った惣堂(そうどう)から始まったもの
寺の始まりはこの二つがあり、それぞれに僧侶が定住するようになって、今日の「寺」が誕生した。
僧侶の所属宗派により寺の宗派が決まり、宗派の本山の末寺となることで「本末関係」が結ばれた。寺は葬式を司る菩提寺として機能し、寺に墓が付設され、寺と墓は一体のものとなっていった。仏教が国民化し、葬式仏教が出来上がった。
徳川時代、キリシタンを取り締まるために、本山、中本山、直末寺、末寺というピラミッド組織をつくり、神社の神主も含めて、日本人一人一人をどこかの寺に登録した。これを「寺請」制度という。寺請とは登録した人に限り、その寺がこの人はキリシタンではないと身許保障を請合うという意味。この証明書を「寺請証文」といい、旅行や結婚などに必ず必要になった。寺は「宗門人別帖」(現在の戸籍のようなもの)を作って、戸主、家族について生まれから死亡までを記入した。一度ある宗派に属したら、孫子の代まで宗旨替えはできなかった。また、寺には別に「過去帖」があり、死後の戒名を書き込んだ。このために戒名の制度が全国に広まった。寺は檀家の葬式など一切をまかされ、収入源を確保でき、僧侶は緊張感を失い世俗化した。
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位牌は魂が宿る依代(よりしろ)で大切に扱わなくてはならない。依代はもともと神道で使われたもので、神が降りてくるときの目印になるもの。正月の松飾、地鎮祭の榊(さかき)などもそれに当たる。
位牌に木の板を使うのは中国の道教から来ている。江戸時代から流行した。お墓は単なる納骨をする場所にしか過ぎない。墓に先祖代々を取り込んで、「~家」の墓の形式が増えたのは戦後。
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仏陀は現実をよくみつめ、苦しみを克服し、こころを解放して、なにものにもとらわれない自由な境地をこの現実の中で得ることを目指した。その具体的な方法とは
1。すべての苦しみの原因になっている欲望と執着(業)を捨てよ。そのためには物事を正しく観察せよ。
2。その観察とは、1・苦と苦の原因を正しく観察せよ。2・苦の消滅とそこにいたる道を正しく観察せよ。3・そして四聖諦(苦、集、滅、道)と呼ばれる四つの真理を悟れ(四聖諦)。
3。われわれは迷いの中にいる。その迷いの根本は無明である。縁起の理を知ることで、迷いから抜け出すことができる。(縁起)(四聖諦説は必然的に縁起説を生み出す)
4。自我に固執することをやめよ。無我であることを知れ。一切の現象が有として成立するのは空の構造において初めて可能になるのである。全ては空であることを知れ。そうすれば全ての苦しみを乗り越えることができる。(無我、空)
その結果自由な境地に至り絶対の安らぎを得ることができる。
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仏陀は悟りを開いた後に最初に発した言葉は「これあればかれあり。これ生ずればかれ生ず。これなければ、かれなし。これ滅すれば、かれ滅す」であった。すなわち、世界に存在する一切のものは「関係性」によって、成り立っている。関係性を離れて自立的に自足的に存在しているもの、我とか霊魂のようなものはない、といった。(諸行無常)(縁起、無我)
仏陀の生きていた時代のインドでは、我(アートマン)とは輪廻を繰り返す永遠に変化しない根源的なもの、独立に存在する本質であると考えられていた。自我や霊魂のことをいう。それに対しブラフマン(梵)は世界の根本原理で人格神を超える非人格的原理であり、ブラフマンとアートマンが一体化するとき、永遠の幸福が得られると考えられた。
しかし、仏陀はそのような自己(我)は存在しないと考えた。あの世へ行く魂の存在を否定した。因果を引き起こす業は存在するが、個性を保持したまま輪廻転生する自己はないと考えた。一切のものは時間と空間の中で、相互に関係しあって存在するにすぎない。一切のものは「仮の現われの姿」(仮象=現象)にすぎない。われわれが、これこそ自分自身であると思っている「自己=我=アートマン」も仮の現われにすぎない。すなわち無我なのである。(諸法無我)
仏陀は人間の体は「色(しき)・肉体」「受(じゅ)・感じること」「想(そう)・思うこと」「行(ぎょう)・意思」「識(しき)・判断すること」の五蘊(ごうん)がお互いに絡み合って出来上がったもので、そのうちの一つ「色」が消えれば、他のすべても消えてなくなってしまうと考えた。
だが、仏陀は真の自我(アートマン)は否定していない。自己そのものの存在についての議論を否定しただけである。内に反論を含むような真理はすでに真理ではないと考えた。そのようなものは相対的なものに過ぎず、変化し、縁起によって生じ、やがて滅する。自我もそのようなものであるとすれば、それは自我とはいえない。仏陀は無我ということを言ったが、それは真の自我が存在しないという意味で言ったのではない。人がこれこそ「真実の我である」と思っているような「我」は「見出すことができない」といったのであり、「真実の我」そのものについては、仏陀はあるともないとも言っていない。(無記)
仏陀は人間も「万物と同じ存在状態」を分け持っているといっている。人と自然との間に差はない。一切を貫く「法」があるのみである。このことを悟ることが解脱にいたる第一歩である。人も万物も五蘊が集まってできたものであり、恒常的な絶対的な我は存在しない。無常であり、無我である。しかし人はそのものが実体として存在するかのように考えて、そのものに執着するのでそこに苦が生じる。仏陀はこのことを禅定により悟った。仏陀は自己の主と出会うことができた。そのことを仏陀は縁起や五蘊、四聖諦などの言葉を使って語り始めたが、悟りの体験そのものは知的認識ではなく、言葉で語ることはなかった。仏陀の内心の葛藤と解決の道筋は経典の中では語られていない。われわれ一人一人が自分で解決するより他はない。人はこの縁起の理を知ることで、この現実において、解脱し涅槃(絶対の安らぎ)の境地を得ることができる。
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仏陀はあくまでも現実を見つめ、現実を中心にものごとを考え、現実の問題は現実の中で説明し、解決しようとした。不可思議なもの、超自然的なもの、形而上学的なもの、神秘的なものに対しては、議論しても現実の問題を解決するのには役に立たないし、際限のない議論を引き起こすだけなので、このような問題に対しては、「答えられない。説明できない」というという立場を貫いた。これを無記という。
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仏陀が悟りを開いて鹿野苑(ろくやおん)で行った初めての説法を初転法輪という。その説法は「四諦八正道」についてであった。仏陀に従った5人の比丘はすぐに仏陀の弟子になり、ここに仏・法・僧の三宝がそろった仏教教団が成立した。
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四聖諦(四つの真理):(「諦」とは「真実・真理」を意味する言葉)
苦諦:「いっさいは苦である。人生は苦である。人間の存在は五蘊によって構成されるが、その五蘊は苦である。生老病死も苦である」ということを知ること。
集諦:「苦は欲望(渇愛)から生じる」ということを知ること。
滅諦:「渇愛を滅すると苦も滅し、煩悩の束縛から自由になり、心身ともに安らぎを覚え、涅槃の境地を得る」ということを知ること。
道諦:釈尊の説く真理や法を体得するために具体的な方法を実践すること。無明と渇愛から逃れ、苦の原因を消し去り、輪廻から解脱するための具体的な実践方法。その詳しい内容は具体的には八正道で示される。
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渇愛とは理性ではどうにもならない激しい欲望。煩悩のこと。もっとも根本的な煩悩は三毒とも呼ばれる。具体的には、1。貧(とん):好ましいものへの愛着、2。瞋(じん):好ましくないものへの反発、3。癡(ち):無知、十二縁起の一つ無知・無明のこと
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われわれがものに執着するのは、それが仮に言葉を与えられた現象に過ぎないことを忘れ、そのものがあたかも永遠に存在するかのように考え、それを他のものから切り離し、所有したいと考えることからくる。これが原始仏教で言う渇愛であり、このような執着の典型が自分自身に対する執着(我執)である。死すべき存在であり、永続的な自性を持たない自分自身をあたかも永続的な存在であるかのように考えることから自分自身に対する執着が生じ苦しみが生まれる。渇愛には我執と法執(ものに対する執着)がある。無自性の立場では、そのような執着の対象となるような永続的な存在(自分やもの)がないことを正しく知り、それによって執着をなくし、苦から脱しようとする。
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仏陀の説く真理や法を体得するための基本的な戒・定・慧三つの方法
戒を守り定を行うことで、智慧を身につけることができ、この智慧の働きであらゆる束縛にとらわれない自由な真実の主体的な自己を獲得できる。悟り、すなわち涅槃の境地を得ることができる。
戒:戒律を守ること。
五戒:在家者のための戒律。不殺生・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪淫・不妄語・不飲酒(ふおんじゅ)
具足戒:小乗の戒。出家者のための戒律。「四分律(しぶんりつ)」の中に示されている。比丘の守るべき戒律は二百五十戒、比丘尼の守るべき戒律は三百五十戒。特に、殺生・偸盗・邪淫(性行為)・妄語(悟っていないのに悟ったということ)の四つの行為を行うと教団から追放された。中国では四分律の戒はそのまま守るというより、受戒という入門儀礼に用いる性格を強めた。受戒により、戒体(かいたい)という力が備わり、善を強め悪をとめることができると考えられた。
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清規(しんき):中国の禅僧懐海(えかい)が具足戒を基に中国の風土に合わせ、禅の修業にふさわしい実践的な生活規範を制定したもの。
梵網戒(ぼんもうかい):東アジアで用いられた大乗の戒。「梵網経」の中で示されている。十の大きな戒と四十八の軽い戒からなる。具足戒より数が少なく、修行生活上の戒というより菩薩としての精神的な心構えに近い。出家者だけではなく在家者にも授けられた。実際の戒律としては不十分。
最澄は四分律は小乗の戒であり、大乗の戒としては適当ではないと考え、大乗の戒である梵網戒を授けるのが適切だと主張し、比叡山に受戒のための施設(戒壇)を作る運動をした。また、従来の受戒は僧によって行われたが、それも適切ではなく仏の前で戒律を守ることを誓うのが正しいと主張した。最澄の死後822年に比叡山に大乗戒壇が設立された。しかし梵網戒は実質的な生活規範としては不十分で、出家者と在家者の区別もつかない戒を採用したことで、日本の仏教の戒律の力をいっそう弱めた。後に親鸞は公然と妻帯し、「非僧非俗」を主張した。
定:禅定(具体的には次に示す八正道で示される)
慧:狭義には禅定によって得られる悟りの境地。広義には仏道を修道する意思や行為そのものを含む。
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四諦の中の道諦は具体的には八正道で示される。仏陀は修行をし、真理を悟ろうとするものは、極端な修行を離れて、「中道」を歩むべきだと説き、その中道とは八つの正しい道だと説いた。これを八正道といい、次のような意味がある。
正見:正しいものの見方をすること、正思惟:正しい思考をすること、正語:正しい言葉を語ること、正業:正しい行いをすること、正命:正しい生活を送ること、正精進:正しい努力をすること、正念:正しい自覚をすること、正定:正しい瞑想をすること
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法印とは真理のしるし、教えのしるしの意味。
1.諸行無常:あらゆるものは時間的に変化するということ。諸行とは一切の形成されたもののことをいう。諸行は無常であり変化するので、生老病死の苦もやってくるが、同時に、未来の悟りの希望も持つことができる。
2.一切皆苦:この世は苦しみ(四苦八苦)に満ちているということ。
3.諸法無我:一切の物質的精神的な存在は五蘊によって形成されていて、そこにはアートマン(我)のような永遠不滅のものは存在しないということ。そればかりでなく、ブラフマンと呼ばれる永遠の存在とか絶対神のようなものも存在しないということ。しかし、本当に超越的で絶対的なものが存在しないといえるかどうかはわからない。仏陀自身はそのようなものの存在はについて説明できないといっている。
4.涅槃寂静:煩悩の炎が鎮まった状態を示す。苦の状態を脱した内も外も平安である理想の境地。
三法印:「諸行無常、一切皆苦、諸法無我」あるいは「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」のことを三法印という。
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法は二つに分けられる。
1.個々に存在する全てのものとことがら。過ぎ行くものであり時間的に変化し消滅し無常である。
2.個々のものやことがらを存在させる真理。時空を超え存在し消滅することはない。仏陀がこの世に出ても出なくても変わることのない真理。具体的には仏陀の悟りの内容。教義。三法印や縁起の理、四諦説など。
法には無常と常住、変化と永遠、消滅と持続、事物性と観念性の二面性がある。
法の空とは事物としての法の無常性を際立たせることによって、かえって真理としての法の常住性を象徴的に暗示している。「法の空(この世に存在する全てのものは空である)」というのはいっさいの現象を否定的に説明するための言葉であるというより、いっさいの現象を肯定的に説明するための言葉といえる。一切の現象は有(仮の事物)として存在するが、その本質において空であるというのではなく、いっさいの現象が有として存在するのは空の構造においてはじめて可能になるということをいったものである。「法の空」とは一切の存在は無我であり空であるとする現象面をさす概念である。空は無(虚無)とは異なる。
仏陀は死後、法(真理・真如)をよりどころとするよう遺言した。仏陀の肉体は滅んだが、法は仏陀の法身であり、ものではないので、滅ぶことはなく、無常ではない。法(真理・真如)とは本来無常・無我であるこの世界のあり方を述べた仏陀の教えであり、後に竜樹はこれを空の思想で説明した。しかし後にはこの仏陀の教えが、世界の本体であるかのように考えられた。空とは無実体であることをいうのだが、何か空というものがあるかのように理解された。そして、仏陀自身がこの宇宙の真理(法身)の一つの現れ(応身)と考えられるようになった。しかしこの考え方は間違っているといえる。そもそものはじまりは仏陀自身が、永遠の生に対する判断を避けた(無記)ことにある。
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存在するすべてのもの(一切諸法)はさまざまな要素(五蘊)が因縁により集まり、結合して形成される(因縁生起:「これあれば、かれあり。これなければ、かれなし」)。因縁とは物事を生ずる原因。因とは直接的原因。縁とは間接的原因、つながり・めぐりあわせ。因と縁から結果(果)が生じることを縁起という。仏教の特徴的な説であり、現象世界の問題を超越的な原理を持ち出さず、現象世界の枠組みの中で説明した。どうして人生の苦が生じるのか、その原理を説明するために考えられた。
例えば米は種籾が大地にまかれ(因)、水を得、光を受けて、熱に包まれて(縁)米となる。米という実体は因縁によって生じる。米を籾、大地、水、光、熱などに分けてしまうと、米ではなくなる。米の実体は空である。もともとこれこそ米だといえるような実体はなかったのだから、米は不滅であり不生であるといえる。「すべてのものは相依性(そういせい)にあり、縁あって起こる。すべての計らいをやめ、すべての所依(しょい)を捨てされば、渇愛尽きて、滅しつくして涅槃にいたる」(増一阿含経(ぞういちあごんきょう)。縁起の理を知ることで自分に対する執着(我執)から生じる煩悩を滅して苦しみから脱することができる。
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おこない、行為のこと。人間の身・口・意のはたらきを三業という。すなわち人間が身体で行動し(身・しん)、言葉で表現し(口・く)、心で思い巡らす(意・い)、この三つの行為そのものを業という。あるいはその行為が未来の苦楽の結果を導く働きのことも業という。仏陀は生じては滅してゆく業の相続体があり、それが一生、生き続け、未来にも続いていくと考えた。それが輪廻の主体であると考えた。今生における業のあり方の善し悪しによって、未来に六道のうちのどれに生まれるかが決まると考えた。後に唯識派では阿頼耶識が輪廻の主体であると考えられた。
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この業すなわち身口意の三つの行為から生み出されるさまざまな煩悩が日々の生活の中で私たちに「苦」を感じさせる。人間の身・口・意のはたらき(三業)の善悪は固定的なものではなく、条件や状況によって変わってくる。しかし善悪を固定的に考えて、善因善果、悪因悪果というふうに、過去のある不可避的な原因により現実の不可避的な結果がもたらされ、現世の行為が死後に再生する世界(六道)を決定するという「宿業」の考え方が出てきた。この考え方はあらゆる国の仏教徒に根強く支持されている。さらに仏になれる人となれない人は先天的資質によって決まっているという考えも出てきた。このような考え方は仏陀亡き後に、インドのカースト制度に根ざした考えを取り入れたもので、『生まれの善し悪しを問うな、行いの善し悪しを問え』という仏陀の考え方には根本的に反する。自分に向けられた不正迫害を不正迫害として理解し体験し、それを憎むことができたとき、その不正迫害をした人を許す可能性手に入れ「宿業」という名の抑圧から解放される。仏教では結果よりも動機のほうを重視する。
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密教では、手で印契を結び(身密)、口で真言(マントラ)を唱え(語密)、心において三昧にはいり(意密)、吸う息で自分の体内に仏の世界を取り込み、吐く息で自分を仏の世界に投げ込むことを繰り返すと、仏のはたらきと一体となって、秘密のはたらきが生まれ、大宇宙と一体となることができる(即身成仏)。これを三密と呼ぶ。
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自分への執着(我執)とものへの執着(法執)から苦が生じる。苦には四苦八苦がある。すなわち、生老病死(四苦)と愛別離苦(愛するものと別れる苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく・憎むものと会う苦しみ)、求不得苦(ぐふとくく・求めて得られない苦しみ)、五陰盛苦(ごおんじょうく・五蘊より絶え間なく生じる苦しみ)の合計八つの苦である。
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存在するすべてのもの(一切諸法)は縁起によって成り立っており、永遠普遍の固定的な実体はない。すなわち空であり無である。この無は存在するすべてのものを生み出すものであり、存在するすべてのものの根源となるものである。有と無の対立を超えたものである。
現象の世界ではものの生成や運動がある。その根底に何かの実在を想定すると、生成や運動が成り立たない。このような実在を自性という。自性とはそれ自体で存在し、他に依存しないような実体。物の本質。有部の理論では、現象界の根底に変化しないダルマを設定したが、竜樹はそれを否定した。
竜樹はこのような自性を否定し無自性を説いた。この無自性を空または中道という。無自性の立場は原始仏教の無我、縁起の思想を新たに哲学的に捉えなおしたもの。無自性のことを「仮に設定されたもの」とも呼んだ。「仮に設定されたもの」とは言語による設定、名前付けをあらわす。ものの区別は言語による設定において成り立ち、それがなされないと、そのものは実体として存在することはできない。われわれがものに執着するのはそれが言語に対して設定され現象であることを忘れ、その対象があたかも永遠の実在性を持つかのように考えて、それを他のものとの関係から切り離し、他のものは変わっても、それだけは変わらずに所有していたいと考えるからである。
無自性の立場は理論面だけではなく、原始仏教の実践主義に立ち返るものでもあった。竜樹の説いた学説を中観派という。
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無明とはうわべだけを見て真相を見ることができないことを言う。人生の真理にたいする正しい智慧がないことをいう。それに対し明とは真理を悟る般若の智慧をいう。
無明が原因となり次々と因縁が生じる。
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自我の根底にある実体的・霊魂的存在(アートマン)のことを我といい、輪廻の主体であると考えられていた。またブラフマンはこの世界の非人格的な根本原理であり、アートマンとブラフマンが一体化すると無限の生死を繰り返す輪廻の苦しみから抜け出して永遠の幸福を得ることができるという。仏陀はこのような我を否定し、無我を主張した。
この世に生きている私は、心で思い(意)、言葉として口から出し(口)、身体で行動する(身)という三つの業を積み重ねて生きていく。その心の中をよくみてみると、ものへ執着する心が見えてくる。この執着から煩悩が生まれ、自分の思い通りにならないことから苦が生じる。この執着の中でももっとも強いのが自我に対する執着である。しかし私があると思って執着する自我は実は存在しないことを知らなくてはならない。このことができるのは「自己」である。「私」である。『自らを灯火として生き、法を灯火として生きていく』よりほかない。自己こそが自分の主(あるじ)でありその自己を取り戻すしかない。
無我:仏陀はこの世の全てのものは五蘊が集まってできており、アートマンのような永遠に変わらない実体、ものの核となるもの、中心となるものは存在しないといった。本質や霊魂的なもの、本体的なものを否定したが、人間の心的作用(識)を否定したわけではない。
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五蘊とは色(肉体や物質全般)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(意思)、識(認識と判断)の五つの要素を表す。この世のすべてのものは五蘊でできている。私たちの存在(人間存在・我)は肉体と心・精神から成り立つ。肉体は五蘊の中の色であり、心・精神は五蘊の中の受、想、行、識に相当する。人間も含めこの世の全ての物質的精神的な存在はこの五蘊で構成されており、そこにはアートマンのような永遠に変わらない存在はない。
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色-この世に存在するすべてのもので、地水火風の四元素から成り立つ。
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受-対象を感受する作用を表し、六根(六入・六処)、六境(六界)、六識で成り立っている。
六根とは眼(げん)、耳(に)、舌(ぜつ)、鼻(び)、身(しん)、意(い)
六境とは、色・聲・香・味・触・法
六識とは、(眼識・眼で見ること、耳識・耳で聞くこと、鼻識・匂いをかぐこと、舌識・舌で味わうこと、身識・肌で触れること、意識・心で考えること、ふつう心とか精神と呼んでいるもの。
六根と六境を合わせて十二処といい、さらに六識を加えて十八界(界は要素の意)という。
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想-感受したものを言葉で置き換え、心に思い描くこと。
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行-心に思い描いたものに対して言葉を発したり、行動を起こしたりすること。
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識-感覚器官を通して心に受け入れたものを認識し判断すること。
後に受の六識のほかに、末那識と阿頼耶識を加えて八識という。
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末那識(マナ識):六識を統括する意識作用。あるいは、生きている限り常に存在する自己愛の根源としての迷いの心。自我へ執着する心。なにごとも自分を中心にばかり思うこと(我執)。個人的無意識。
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阿頼耶識(アラヤ識):五感にもとづく認識や意識、末那識を根本で支える無意識、深層の意識。あるいは人間存在の根源をなす意識の流れ。輪廻を超え、経験を蓄積して個我を形成し、またすべての心的活動のよりどころとなるもの。人類の過去が圧縮された集団的無意識。すべての存在は阿頼耶識が変化したものであるという。阿頼耶識はヨーガ行者がヨーガの実践の中から発見した。
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阿頼耶識は川の中の水の流れのようなものであり、水の流れはあるけれども水は常に入れ替わっているのと同じように、瞬間瞬間に生滅して、不連続ではあるけれども、連続してそこにあり続け種子(しゅうじ)の連続体である。実体として常にそこにあり続けるのではない(無我)。阿頼耶識の中に生滅しながら存在し続ける種子は言葉の種子であり、言葉は一切のものを作り出し、その言葉によって作り出された世界に執着することから一切の苦が生じる。その言葉の種子の中でも特に未来に六道のうちのどれに生まれ変わるかを決める種子を業種子という。わたしたちは心を清らかにし、悪いことをせず、よいことをし続けることが大切である。
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瑜伽行唯識派ともいう。竜樹の完成した中観派と並ぶ、インド大乗仏教の二大学派の一つ。ヨーガの実践の中で唯識を観じる教理で、天親によって完成された。唯識派の考えによれば、われわれが実在すると考えている外界は、すべて識のあらわれである。空の思想では、原始仏教の無我の思想を受けて、ものが実体として存在することを否定し、現象のみを認める。唯識説でもその点ではまったく同じで、ものが実体として存在することを否定するだけで、現象として現れていることを否定してはいない。識とは認識の働きであり、その働きを離れて実体があるわけではない。ものは六識が働いて、言葉を与えられると、単なるものではなくなり、心の外に独立して存在する実体として考えられるようになる。言葉が存在対象を生み出す。識は必ず認識対象を持ち、認識対象がないと識もなくなると考える。そして、そのものに対する執着が生じると苦が生じる。
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認識が中断している間も、何らかの連続性を作るのが阿頼耶識である。識の顕在的な働きを現行(げんぎょう)と呼ぶ。現行の識はその結果として生じる影響力を阿頼耶識に潜在的に保持する。このように保持された状態を種子(しゅうじ)と呼ぶ。現行が種子に影響力を残すことを熏習(くんじゅう)と呼ぶ。種子はさらに新たな種子を生んで、無意識下で連続し、それが縁を得て新たな現行を生じる。現実の眼の前にある自然界も阿頼耶識の種子から生じたものであると考える。阿頼耶識はマナ識と六識を生み出し、結果として肉体や自然界を生み出す。阿頼耶識は種子を蔵しておく働きをするので、蔵識(ぞうしき)とも呼ばれる。
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阿頼耶識の説は認識の面にとどまらず、煩悩や業と輪廻の問題にまでまたがる大きな適用範囲を持っている。阿頼耶識自体は煩悩によって汚されていない。この阿頼耶識に対して執着を起こす自我意識が存在しこれをマナ識と呼ぶ。本来実体のない阿頼耶識をあたかも実体があるかのように執着することにより、このマナ識の働きがさまざまな煩悩を生む。このマナ識の働きもまた無意識の状態にあるために、煩悩は無意識のうちに持続し積み重ねられて、われわれはますます迷いの世界に深くはまり込んでゆく。このようにわれわれの認識と同時に、煩悩の問題も説明しようとするのが唯識説である。
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このような煩悩の世界から解脱するためには、単に顕在化した煩悩を滅してゆくだけではだめで、無意識下に潜在的に蓄積された煩悩も排除しなくてはならない。輪廻を繰り返しながら修行を続けると、煩悩がすべて滅せられて、ブッダとなることができる。自分の心のあり方をヨーガの実践(精神を統一して瞑想に入ること)によって悟りを得ることができる。その際、それまで迷いの輪廻の存在を支えていた八つの識は、ブッダの智慧となる。識が輪廻転生する。しかし識は個性の根源ではない。仏教では自我を持つ霊も魂も認めない。
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こころは仏教の教義の基本にすえられている。仏陀は、我は否定したが、心・識は否定されるべき対象とは考えなかった。こころは全てのものごと(法)を作り出し、こころから言葉や行動が出てくる。こころは汚れ濁っていて、そこから煩悩が生まれ、煩悩から執着が生まれ、さらに苦が生まれる。このこころ清浄にしなくてはならないが、その役目もこころが担う。このような唯心論から後に唯識論が生まれる。我に関しては「我」と「無我」が考えられたが、心・識に関しては「浄心」と「不浄心」、「浄識」と「不浄識」が考えられた。心・識はそれぞれ汚れているが、瞑想によって清浄な心・識へ変わっていく。清浄になった心を「菩提」と呼び、その心の中に現れてくるものを真如(その如くあるもの)と呼ぶ。唯識の考えによれば、自分への執着(我執)をなくすれば縁起の理が見えてきて、ものへの執着(法執)をなくすれば、真如の理が見えてくる。
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日本では神道の「清き明き心」に影響されて、無我の観念よりも無心の境地が価値あるものと考えられてきた。念仏や座禅を通じて自己の心を清浄にし、一種の「無私」の精神状態、すなわち仏の状態に到達することを目指した。観念のレベルでは無我を説きつつも、日常の意識や感覚のレベルでは心にわだかまりのない「無心」の状態が考えられている。それが信仰心や宗教心の基盤を作るものと考えられた。明恵の「菩提心」、親鸞の「自然法爾」、道元の「心身脱落」などの成仏の思想は人間的成熟の観念と結びついた。日本の仏教は「無私、無心の仏教」(心を清浄にして仏の心に達することを目指す仏教)であり、インドの本来の仏教は「無我の仏教」(我執こそ苦の原因であることを知ることを目指す仏教)であるといえる。
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菩薩:
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菩薩とは1・他人の苦しみを自分の苦しみとする人。2・他人の楽を自分の楽とする人。3・あるがままにあるもの(真如)を悟り、苦しむ一切の衆生を救う人。4・自と他と両者の間で行われる行為を区別することなく『ありのままに見る清浄な心』を持つ人
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1.人間として生まれ人間として死んでいった仏陀。(仏陀の弟子たちの考え方)(人間としての仏陀)。仏陀は超自然的、神秘的なことについてはまったく語らず、現実を見つめ現実の問題は現実の中で解決しようとした。仏陀はこころを執着から解き放ち、自由なこころを得ることの大切さを説き続けた。
2.仏陀はすでに前世において、輪廻の鎖を断ち切り、最後の生として、私たちの目の前に現れたのであり、人間の姿を持ってこの世に生まれてきたが、実は人間ではなかった。(小乗仏教徒の考え方。超越者としての仏陀)
3.この宇宙は釈尊の説いた真理(=法)でできている。その真理(=法)が人格化されたものを法身(ほっしん)という。法身とは時空間の支配を受けない、因果の支配とは無関係な絶対者のことである。その法身がわれわれ凡夫がじかに接することができるような姿をとって現れたのを応身(または化身)という。その応身こそ仏陀である。(大乗仏教徒の考え方。法身が物質の姿をまとってこの世に仮に現われたのが仏陀である)
4.どんな人にも仏になりうる種(仏性)が存在している。どんな人も仏陀と同じ如来になりうる種を蔵している。仏陀はわれわれ凡夫の中に存在している。すなわちすべてのものの中に仏性がある。大乗仏教の根本思想であり、如来蔵思想という。(大乗仏教徒の考え方、経典「大乗起信論」の中で述べられている。われわれ一人一人の凡夫の中に存在する仏陀)
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天台宗を開いた中国の智顗は「摩訶止観」の中で一瞬の心の中に三千の世界が含まれている「一念三千」の考え方や「十界互具(じっかいごぐ)」の考えを説いた。十界とは生あるもの(衆生)が輪廻する六つの領域(六道:りくどう:地獄・餓鬼・畜生・修羅・人(にん)・天)に、修行して達することのできる四つの領域(声門・縁覚・菩薩・仏)を加えたものを言う。この十界が相互にばらばらにあるのではなく、十界のそれぞれは他の九界をその中に含んでいるということを十界互具という。われわれの一瞬の心の働きの中にもこのような地獄から仏までの十界が含まれている。
天台の止観はわれわれの心の中に含まれている、仏のような一面も、地獄のような一面もあるがままに見据え、心を掘り下げていこうとする。悟りも遠いところにあるのではなく最初から悟りに足を踏み入れているということができる。
地獄:地下にある牢獄で奈落ともいう。この世で悪行を行ったものが死後に行って苦しみを受けるところ。日本人は神のすむ世界や黄泉の国は現世の延長であると考えていたように、浄土や地獄もまた現世の延長であると考えていた。平安時代から鎌倉時代にかけて、浄土教の広まりとともに、地獄絵が盛んに描かれるようになった。
仏教では仏の裁きを受けて、地獄に落ちるということはない。あくまでも自分の悪行によって地獄に生まれる(自業自得)。しかし、仏教の教えでは、地獄へ落ちるようなものでも仏の慈悲によって救われる。
餓鬼:欲望が満たされず、飢えと渇きに苦しむものの世界。
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畜生:鳥、獣、虫の世界。
阿修羅:神々と争う鬼の世界。
天:天人の世界。天人といえども、五衰(ごすい)の相が現れると死を迎える。
声聞:仏陀の教えを聞く人。経典の教え通りに修行する人。
縁覚:山里で独り静かに瞑想し修行し、自分で独りで悟る人。
菩薩:菩薩は二つ意味がある。1.仏の分身としての菩薩(報身)。仏道の修行をする人。
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空の思想と唯識の考え方が結びついて、中央アジアで発達した考え方。あらゆる生命体の中で活動しているものの本体は純粋で清浄な如来像あるいは仏性であり、すべての衆生は将来仏陀となることができる素質を生まれながらにもっている。衆生のこの心は本来仏陀そのものと同一であるが、煩悩に覆われて隠されている。この発想は原始経典にもあり、般若経典で大きく発展した。仏性を説く代表的な経典は「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」と「大乗起信論」。「大乗起信論」は中国で作られたといわれ、理論的に仏性を解明した。如来像思想は禅の発達に大きな影響を与えた。密教の即身成仏の考え方の背後にも仏性の考えがある。
如来蔵思想は仏陀を衆生から隔絶した存在とみなすのではなく、また悟りを遠くの非現実的なこととみなすのではなく、きわめて身近に捉えることを可能にした。「即」の思想とも密接に関係している。
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日本の中世の天台宗独特の考え方で、如来蔵思想をさらに徹底したもの。現象世界のあるがままを肯定する。地獄は地獄のまま、煩悩は煩悩のままでよく、草木は草木のままでよく、修行する必要も成仏する必要もないという考え方。しかし仏教の自己否定といってもよく、仏教を崩壊させる側面も持つ。本覚思想は日本人に受け入れやすい考え方で、日本的論理と美意識が表現されている。文芸や芸術にも大きな影響を与えた。中世の日本の神道理論は本覚思想の助けを借りて形成され、仏教から離れ自立していく。鎌倉仏教の法然、親鸞、道元、日蓮の思想にも大きな影響を与えた。
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1。初め、神は迷える存在であり、仏教によりそれを救おうと考えた。
2。次に、神は仏法を守護する存在だと考えた。神は仏になろうとして修行する菩薩であると考えられ、その神のための神宮寺が神社に併設された。伊勢神宮にさえも神宮寺が作られた。
3。さらに、日本の神々は仏や菩薩が日本の衆生を救うために姿を変えて出現したものだと考えられた。(本地垂迹説) 平安時代末ころから、どの神がどの仏の垂迹であるか一々規定された。例えば、伊勢神宮のアマテラスは大日如来の顕現であると考えられた。
4。中世になって身近な現象世界がそのまま悟りの世界の現われだと考える本覚思想が広まり、日本の神々はそのまま究極の悟りの世界が姿を現したものである。世俗を超えて超然としている仏よりもすぐれた存在だと考えられるようになった。こうして中世の神道理論が形成された。
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両部神道:神仏習合の神道。鎌倉中期に成立した。内宮は胎蔵界大日如来、外宮は金剛界大日如来を顕し、両方で両部曼荼羅を顕すと考える。
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伊勢神道:渡会神道ともいう。仏教を排除し、仏教より優位に立つことを主張する神道。鎌倉時代外宮の神官渡会氏により成立。
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吉田神道:神は仏より優れていると主張する。吉田兼倶(かねとも)(1435-1511)により作られた神主仏従の神道理論。神道は儒教や仏教などの諸宗の根源であるという。宇宙のすべてのものは「大元尊神(国常立尊・くにとこたちのみこと=天御中主神・あめのみなかぬし)の顕現」であるとする。神道は天地発生の根源から説明するが、仏教ではそれがなされない。したがって神道がすぐれていると考える。
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法身(ほっしん): 仏陀の説いた無始無終の永遠の真理(法)そのもの。久遠仏。大日如来。毘廬遮那仏。
密教では大日如来は法身であるが、単に抽象的な真理ではなく、人格性を持ち、法身自体が説法をするという。この身のままで法身と一体になり、絶対知(般若)を獲得すること(即身成仏)を目指した。
報身(ほうじん): 法身はわれわれが知ることもできないし、言葉で語ることもできないので、われわれが知ることができるように、この世に顕現したものが報身。法身の真理性と応身の人格性を兼ね備えたもの。修行の報いとして姿を持った有始無終の仏。阿弥陀仏、薬師如来など
応身(化身): 法身が衆生救済のために、化身として地上に出現した有始有終の仏。釈尊のことをいう。
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禅定。ヨガ。三昧。座禅
菩薩の修行は六波羅蜜と呼ばれる。波羅蜜はパーラミターのことであり、「最高であること」の意味。中途半端な修行ではなくその行を徹底的に完全に成し遂げることを意味する。
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布施:与えること。寄付。在家のものが貧しい人、出家者、教団に財物を寄付することだけではなく、出家者が在家者に惜しむことなく、教えを説くことも含まれる。慈悲は原始仏教でも説かれたが、大乗仏教では慈悲の精神、あるいは利他の精神が大きな課題となる。慈悲の精神の根拠は六波羅蜜の中の「布施」にある。利他の精神を体現する菩薩像、特にさまざまに化身し、衆生救済に活躍する観音菩薩の像が崇拝の対象となった。
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自戒:戒律を守ること。身を正しく保つこと。
忍辱:(にんにく)。苦難に耐え忍ぶこと。
精進:ひたすら、修行すること。
禅定:精神統一の修行。瞑想。
智慧:空を認識し悟りの智慧(般若波羅蜜・般若)を獲得すること。
三学のうちの戒は「布施・自戒・忍辱」、定は「精進・禅定」、慧は「智慧」を表す。
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真言宗:空海は密教は大日如来が分身仏である仏陀を介することなく、直接に、秘奥なる仏の世界を開示した教えであると説く。凡夫はその身の中に仏性をもっていて、仏になるための一歩を踏み出したものはその瞬間に仏になっていると考えた。
手で印契を結び(身密)、口で真言(マントラ)を唱え(語密)、心において三昧にはいり(意密)(これを三密という)、吸う息で自分の体内に仏の世界を取り込み、吐く息で自分を仏の世界に投げ込むことを繰り返すと、そのとき大日如来は、その行者の耳元に宇宙の根本原理(真理)を語りかけてくれる。行者はそれを聞いて悟りをえて、仏になる。すなわち小宇宙と大宇宙が合体する。(即身成仏)
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曹洞宗:只管打座:道元は「凡夫には仏となるための修行はできない。仏だからこそ修行できる。仏になるために座禅するのではない。座禅をする姿がそのまま仏の姿である」と考えた。
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日蓮宗:「南無妙法蓮華経」の題目を唱える。特に修行はいらない。
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浄土宗:「南無阿弥陀仏」の名号を唱える。法然にとって「称名念仏」はあくまでも修行であった。
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浄土真宗:「南無阿弥陀仏」の名号を唱える。
親鸞は「念仏を唱えるという因により、往生という果をえようとするように念仏を因果関係で考えるのは間違っている。念仏を唱えようと思い立つのは阿弥陀仏が私に働きかえるからである。私は阿弥陀仏に念仏を唱えさせてもらっている。私が念仏を唱えるのは、阿弥陀仏によってすでに救われていることに対する「報恩感謝」のあらわれである」と言っている。(絶対他力)
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小乗仏教:出家者の仏教。出家したものだけが救われる。自力で煩悩を取り除き仏性を開発する。
大乗仏教:仏陀は特別な存在ではなく、われわれも仏陀になることができると考える。大乗仏教は六波羅蜜の修行により悟りを求める人(菩薩)の仏教で、在家・出家を問わない。老若男女も問わない。人は智慧(般若)でもって救われる。菩薩はその願が成就し悟りを得たときには今度は他の人を救うことに向かう。しかし凡夫はなかなか修行できないし救われない。そこで煩悩をもった存在である凡夫は仏の世界に包まれていると考え、そのことを自覚することが救いだと考えるようになった。人は自力では仏になれないが、仏や菩薩の力によって救われることを求めた。そしてそれぞれの願いに応じて、さまざまな仏や菩薩が考え出された。
例えば、浄土教では阿弥陀仏を考えた。われわれは、この娑婆世界ですでに阿弥陀仏に救われていることを信じることで、安心して、死後極楽浄土に生まれることができると考えた。浄土は娑婆とは違い、修行を妨げるものはないから一度浄土に生まれて、そこで自力の修行をして仏になることができる。インド・中国の浄土思想では「他力」といっても「自力」をまったく捨てたわけではない。この世で修行するか、浄土で修行をするか場所の違いにある。日本の浄土真宗ではその修行も必要ないと考える。
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初期の主要な大乗経典はストゥーパ信仰を批判することから生まれた。すなわち、ストゥーパ信仰はすでに亡くなった仏陀に対する信仰であり、過去を向いた信仰であると非難する。ストゥーパに祀られている仏陀は仮の姿であり、真実の仏陀は現在も生きていて、永遠に活動していて、大乗経典の中には仏陀の永遠の生命が受け継がれていると考える。仏舎利の崇拝よりも、経典の書写や崇拝を勧める。
金剛乗:三密の行を行い、宇宙仏(大日如来)と一体化すること(即身成仏)を目指す。凡夫の中に仏性があるという自力の考え方と、仏の世界(エネルギーの流れ)に凡夫は包まれているという他力の考え方が混じりあい、仏と凡夫が一体であるという「凡仏一如」であるという密教の考えが出てきた。「仏入我、我入仏」。すなわち吸う息で自分の体内に仏の世界を取り込み、はく息で自分を仏の世界に投げ込み、仏と自分の一体化を目指す。この身体のままで仏になり、時空を超えた智慧を体得することができ、それにとどまらずこの世に降りてきて、慈悲によって人々を救うことができる(即身成仏)
戒名について:
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戒名は院号、道号、戒名、位階の順でできている。
院号:朝廷貴族関係者で、生前お寺を建てて寄進した人の戒名の最初に寄進した寺の名前をつけた。あるいは高額の布施をした人に贈った。その人が武士出身者の場合は院殿号と呼ぶ
道号:次に続く戒名にもったいをつけるために、江戸時代からつけ始めた。
戒名:浄土に往生して仏になったときの呼び名。生前の名前のうちの一字を採用する。
位階:位号ともいう。死んでからもその人の生前の行いによって位が異なる。階位の高いほうから男の場合は「清居士、居士、大信士、信士(しんじ)」女の場合は「清大姉、大姉、大信女、信女」の順になる。
例えば「大川弘」なる人物が北海道に住んでいるとすると、「大天院北海弘輝清居士」などと戒名をつけると一番値段が張る。「弘輝信士」だと一番安い。
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浄土真宗では戒律がないので受戒して成仏させる必要がない、したがって戒名もない。阿弥陀仏を信じ日ごろ念仏を称えていると、死ぬときはそのままの姿で、仏となって浄土往生が決まっているので戒名は要らない。法名という。例えば「大川弘」場合は「釈弘輝」などとつける。
普通戒名に値段はないはずだが、戦後農地解放などで、寺の収入がなくなったこともあり、戒名に値段をつけて、寺の収入源にした。
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般若経:大乗仏教の初期から六波羅蜜(布施・自戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の実践が強調されていたが、このうちの智慧(般若)波羅蜜が特に強調されて、「般若経」が現れた。なにものにもとらわれない空の教えを基本とする般若の智によりいっさいのものを洞察し、さらに他人のために尽くす利他の実践をするべきだと説く。
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華厳経:仏陀が成道したときの悟りの内容を明らかにしたもの。悟りの因である菩薩の修行の内容や善財童子の話が語られる。4世紀ころ個々に独立していた経典がまとめられて成立。個と普遍は即応しており、一の中に一切が、一切の中に一が具現していて、一即一切、一切即一であるという。
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維摩経:在家信者である維摩居士と文殊菩薩の間で交わされる議論から大乗仏教の基本思想である「空」についての教理を「不二(ふに)」や「即」の考え方で明らかにした経典。小乗仏教が徹底的に批判されている。
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勝髷経:勝髷夫人の物語で如来蔵思想が語られる。衆生の煩悩を取り去れば、その本性は清浄なので、だれしもが仏になれると説く。
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法華経:1~2世紀に成立。維摩経など初期の大乗法典では小乗を徹底して批判しているが、「法華経」では小乗仏教徒も救わなくては真の大乗ではないという思想が現れる。久遠実成(くおんじっしょう)の仏を説く。仏陀は甘える凡夫の目を覚まさせるために仮に入滅したのであり、実は永遠の仏として存在しているのだという。仏陀の真意はあらゆる衆生を現世では菩薩にし、来世では仏陀にしようとすることにあるという。悪人や女性でも成仏できるという考えが主張されている。仏性思想や衆生の平等性が説かれている。
浄土経典:西方極楽浄土にいる阿弥陀仏を信奉し、あらゆる衆生を救い取るその偉大な力にわが身の救済を委ねようとする他力の思想を述べる。この考えは1世紀ころインドに起こった考え方。「無量寿経」は法蔵菩薩の四十八の願について述べる。「観無量寿経」は韋提希夫人の物語が語られる。「阿弥陀経」は極楽浄土の荘厳を説き、極楽往生のために弥陀の名号を称えること勧める。
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大日経:密教の根本聖典。7世紀ころ成立。宇宙の中心であり、太陽を象徴する大日如来を根本仏とする。大日如来の慈悲は胎蔵界の全体に差し伸べられ、母親が胎児をいつくしむように、如来が衆生を慈悲の心ですくい取ることを説いている。大日如来のさとりが不可思議な働きをあらわして衆生を守ることを説く。大日経により作られた胎蔵界曼荼羅は宇宙の真理、仏陀の慈悲の世界を表す。
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金剛頂経:この経はヨーガを重視し金剛界マンダラを説く。金剛頂経を基に作られた金剛界曼荼羅は真理を把握する智慧を表す。
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オーストラリアの原住民アボリジニーは老人になると家族や社会から離れ、一人で草木もまばらな山の中に入り、岩の上に座って、そこで孤独な「瞑想」をしてすごすことが多くなる。そこで呼吸を整え、雲ひとつない青空を、目を見開いてじっと凝視し瞑想にふける。一切の思考を停止し、感情をかきたてる社会生活の思い出から離れ、じっと青空を凝視すると、宇宙にあふれる力の流れが光となって、青空を凝視するその目を通して体内に流れ込んでくる。そして人生の真実を知ることになる。彼らは肉体が死を迎える前に、その死を超える宇宙の力の流れを知ろうとする。そのことにより死を乗り越えようとした。(ほぼ同じような観想法が日想観として「仏説観無量寿経」の中に出ています。天邪鬼)
アボリジニーは三万五千年もの長きにわたり、こうした修行を続けてきた。人類の精神文化の深さと長さを感じさせる。彼らは「空(そら)の哲学」と「大地の哲学」を結合しようとしてきた。
アボリジニーの人は宇宙を巨大な目に見えない力の流れとしてとらえ、宇宙に満ちているその力の流れをドリームタイム(夢の時間)と呼ぶ。この力の流れに、動物霊のかっこうをした特異点があらわれ、それが女性の胎内に飛び込むことで生命が生まれる。人は生きているうちに、なんどもなんどもこのドリームタイムに触れて、その実在を感じていなければならない。そして叡智を保つようにした。
男の子が大人になるときには、きびしいイニシエーションの儀式が行われ、人為的に死の領域に近づく修行をし、自分を生み出してくれた宇宙の力の流れに直接接触する体験をする。
仏陀の説いた教えの源流もこのような非アーリア系の思考体系にあると考えられる。仏陀が生まれる前に多くの過去仏たちが説いた教えがその源流にある。仏陀の教えの中には人類の数万年の歴史が隠されている。
生と死のむこうにある、心の本質を知ることができたら、その生には意味があったということになるし、それができなければ、無意味なことを積み重ねたことにすぎないだろう。
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誕生の時には、あなたが泣き、全世界は喜びにわく。
死ぬときには、全世界が泣き、あなたは喜びにあふれる。
かくのごとく生きよ。
(「三万年の死の教え」中沢新一、角川ソフィア文庫より)
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法然上人は念仏を本とするのに対し、親鸞聖人は信を本にされた。
その信心は信者が持とうとして持てるものではなく、阿弥陀仏からあたえられたものであると聖人は考えられた。阿弥陀仏の慈悲が一切の衆生に及ぶものであれば、何故不信者がいるのであろうか、また、不信者に対しても往生を許すべきではないだろうか。阿弥陀仏を信じるか信じないかを極楽往生の条件にするべきではないのではないだろうか。
晩年の親鸞聖人は阿弥陀仏は永遠の昔から実在した久遠実成の仏であるといわれた。すなわち永遠の真理であり、その真理が凡夫の理解しやすいように姿を表したものが阿弥陀仏だといわれた。阿弥陀仏が永遠の真理であるならば、そこでは信不信は問題にならない。その真理に従うかどうかが問題になる。信不信は人と人との関係において問題になる。阿弥陀仏は法蔵菩薩が悟りを得て仏になった人格を持つ姿であるならば、そこで初めて信不信が問題になる。
ところが、親鸞聖人は阿弥陀仏は永遠の真理であり、久遠の昔から存在したものであると考えられた。そうであるならば、法蔵菩薩とはなにものなのであろうか。法蔵菩薩の誓いと修行と悟りは必要なかった、ということにはならないのであろうか。