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金の子牛はヤハウェの神



旧約理解で、多くの人が誤解している、もしくは、あいまいな理解であることのひとつは、北イスラエル王国の公認宗教は何か?ということです。列王記の記述は意図的に曖昧に書かれているので、たしかに読み取りにくくはなっていますが、全体の流れを見ると、それほど苦労なく「信仰の中心はヤハウェの神であった」ことが確認できます。ところが、この基本的な点を誤解して、北王国はバアル宗教に堕落してしまったと解釈したまま解説する「イスラエル史」の本があります。このような本がごく僅かであるなら、仕方がないと諦めますが、意外とあちこちにあるし、旧約学者の書いたものでさえ曖昧のままにしてある本があります。これではいつまでたっても正しい古代イスラエル史理解は生まれませんから、ここで注意を喚起しておこうと思います。

列王紀は北王国を断罪するあまり、北王国の信仰がヤハウェ信仰から外れてしまったかのように書いているところがあります。しかし、仔細に検討すると実際は逆で、ユダ王国よりずっとヤハウェに熱心であったことが見えてきます。列王紀の著者は、その点を知っていたにもかかわらず、北王国の滅びの原因をヤハウェへの不信仰と読み取れるように書いています。もちろん、北王国にもいろいろな人がいて、異教礼拝(バアル礼拝)も行われていました。しかし、その点は南ユダ王国も同じであり、北だけの問題ではありません。重要な点は北王国公認の国家聖所であるベテル神殿はヤハウェの神殿であり、そこで祭られていたのが金の子牛というヤハウェ像だったということです。この事実を確認しないでどうして古代イスラエル史を正しく認識したといえるでしょうか。これは、少し曖昧な表現ではあるものの、聖書にもそう書いてあるわけで、この程度のことを読み取らない旧約聖書学者がいるのは恥ずかしいことです。

列王記著者は北イスラエル王国がユダより先に滅んでしまったのは神の裁きだと考えたのでしょうが、歴史的事実とそれに対する評価は分けて考えなければなりません。ひとつの国家の滅亡が神の裁きであることもありますが、北イスラエルの場合、単に地理上の位置がアッシリアに近かっただけのことかもしれないのです。その点を理解しないで、一方的に北イスラエルを断罪するのは、間違った歴史評価をもたらします。また、そのような軽薄な歴史観を受け入れてはなりません。

なぜそのレベルの書物を聖書の一部にしてしまったかはまた別問題ですから、ここでは議論しません。神は寛容なお方ですから、その程度のことは問題ないということでしょう。あとは人間の責任なのです。聖書を鵜呑みにすることを神は望んでおられません。聖書を使って、正しく歴史を解釈することこそ神の御旨なのです。


北王国の始まりについては「封印の古代イスラエル史を解く」を参照してください。北王国の初代王ヤラベアムは、エルサレムに対抗するためにベテルに神殿を作り、そこに金の子牛像を置き、「あなたがたをエジプトから導き上った神を見よ」と言いました。(列王紀上12:28)つまり、この像はヤハウェの神であるということです。当時は十戒はまだなかったので、これで問題ありませんでした。もちろん、ベテルには古くからの聖所があり、そこにはおそらくヤハウェの子牛像がもともと置かれていたのでしょう。ヤラベアムはその子牛像に金メッキを施して権威付けたのです。

この金の子牛像がヤハウェであるとは書かれていません。しかし、ヤハウェ以外に「出エジプトの神」がいるのでしょうか。また、その他多くの理由からこの像はヤハウェ神以外のものではないことは明らかです。もうひとつの根拠は、北王国の国家宗教がヤハウェ宗教であったことです。北王国の王様の名前にはヤハウェ神を要素とするものがいくつかあります。アハジヤは「ヤハウェが捕らえた」、エヒウは「彼はヤハである」、ゼカリヤは「ヤハウェ覚えたもう」という意味です。これらの名前を付けるということは、名付け親がヤハウェ信仰者であったことを示しています。また、北王国には預言者集団があり、その預言者たちは北王国の王に仕えていました。王は政治的決断をするとき、しばしば彼らに相談していますが、その相手は「ヤハウェの預言者」とはっきり書かれています。(列王記上22:7)また、なんといっても北王国でもっとも過激なヤハウェ主義者であったエヒウ王がバアル預言者を皆殺しにするなどの蛮行を行いましたが、そのエヒウがベテル神殿を大切にしていることです。(列王記下10:28)

列王記を読むと、しばしばヤハウェ預言者たちが迫害されているかのような記述を目にします。エリヤの時代もそうでした。王女イザベルが主の預言者を迫害し、エリヤも殺されそうになりました。しかし、アハブ政権の大臣であったオバデヤが「100人を匿ってパンと水とで養った。」(列王記上18:4)と書かれています。当時、100人もの主の預言者がいたということです。しかも、その預言者を助けたのが大臣であったということはアハブ政権がヤハウェ神を尊重していたことを示しています。主の預言者を迫害したのはフェニキアからきた王女イザベルであって、アハブ王はあまり関与していないことが読み取れます。バアルの預言者たちもある程度いたでしょうが、それは王女がフェニキアから連れてきたのであって、ベテルにいたのはヤハウェの祭司であり、サマリヤ王宮で王に使えていたのはヤハウェの預言者だったのです。

ヤハウェ礼拝は北王国で確立され、それが北王国滅亡後、南ユダに流れてきて、今日の旧約聖書の根幹となる史料となりました。ヨシュア、士師たちの大半、サムエル、エリヤ、エリシャなど、これらの物語は北王国で保存されていた伝承ですから、北王国の歴史を軽く見てはなりません。







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