聖書の権威と史実探求との調和
当初、「封印の古代イスラエル史を解く」は旧約研究者の方々に読んでいただければと考えていました。しかし、実際には牧師や信徒の方々に読んでいただく機会の方が多くなったので、つまづきを与えないために初めに聖書の権威についての一文を書いておくことにしました。
普通の信徒の方々が聖書の権威を素朴に信じていて、聖書を文字通りそのまま受け取っていることは私も良く知っています。しかし、この論文では聖書をひとつの史料として捉え、記述の背後に史実があるという前提で分析しています。このやり方は、ある人から見ると「聖書に対して不謹慎だ」と思われるかもしれません。そこで私は自己弁明のために、ここで私もまた聖書の権威を重んじる牧師のひとりであり、旧約も含めた聖書全体の信仰的権威を尊重していることをここに確認させていただきます。聖書は神の言葉としてそれに相応しい尊敬をもって扱われるべきですし、そこに書かれている内容は神のメッセージとして受取られるべきものです。
しかし、そのような信仰的読み方とともに、それと並行して、聖書を歴史資料として読むことも可能であり、そのような読み方は信仰と矛盾しないどころか、神がそのように読めるように聖書を作ってくださったと理解すべきであると考えています。神は出来事を起こして歴史を創造されましたが、その伝承を何種類か保存して、それらを編集させて聖書という書物を作られました。それを読めば必要な程度の史実を理解することが出来るようになっています。しかし、それと同時に、人間が自らの学問研究の責任を果たせるように、あえて聖書の中に史実と異なる物語を入れ、また、相矛盾する情報を入れることにより、人間に探求心をおこさせ、背後にある史実に迫る努力を促しておられるのです。その探求の結果、人間が学問の名のもとに過ちを犯し、信仰を危機に陥らせることも起きてくるのですが、しかし、さらなる探求を続けるならば、史実と信仰は何ら矛盾するどころか、完全に調和することが、最終的には悟ることが出来るようになっているのです。
現在は、その探求の過程なので、完全調和はまだ実現できていませんが、この旧約研究はその過程のひとつとして、ある程度の調和は実現できていると思います。聖書の記述の一部を史実でないと認定していますが、それは神様がそうされたのであって、私の責任ではありません。また、その程度のことは拘る(こだわる)ことではないという神のメッセージでもあるのではないでしょうか。事実、私などは、それらの史実と異なる聖書の箇所があっても、聖書への尊敬心は何ら変わることはありません。
おそらく、次の時代に生きるクリスチャンは、学問的歴史分析を無視することが出来なくなるでしょう。その結果、私とまったく同じということはないにしても、多かれ少なかれ聖書の記述と異なる事実認定をせざるを得なくなるはずです。その結果、もし彼らの聖書への尊敬が低下するなら、それは悲しいことであるし、神の意図ではありません。私の事例を参考にしていただければ、むしろ聖書への尊敬をますます深めることになり、聖書が絶妙なバランスの上に置かれていることを悟ることが出来ます。これこそまさに神の奇跡なのです。
そういう立場で聖書を読むなら、無意味な疑問や、奇妙な弁解の説明などがいらなくなり、信仰もすっきりとしてきます。私としては、聖書をそういう肯定的な気持ちで読むことが出来るように手本を示しておきたいのです。
そういうわけで、この作業により解明された史実の中身は従来の聖書解釈からはずれるところが多くなっていますが、それは聖書の権威を壊すどころか、むしろ、神の御心に沿った方向で聖書を正しく理解する第一歩になっていると、私自身は信じています。
聖書は神の言葉で、信仰に必要な史実はすべて書かれています。しかし、信仰にとってそれほど重要でない事柄については、脚色もあり、再構成された史実も含まれています。聖書のすべてが史実であるなどとは聖書のどこにも書かれていません。また、神が聖書を文字通り信じてほしいと願っているわけではありません。神の意図は聖書を通してイエス・キリストへの信仰を呼び覚まし、真理に目覚めさせることです。その点、聖書にはすべての真理が書かれているだけでなく、適切な分量の矛盾や疑問点が含まれていて、人間の真理探究本能を刺激し、人間を真理に目覚めさせる・・・、まことに神の意図にかなった神の言葉なのです。
聖書の記述と史実との間にある程度のズレがあるとしても、それがどの程度あるかは歴史家の立場によって異なる判断を下すことになります。ヨーロッパの歴史学者の大半はクリスチャンなので、教会の立場に配慮して、聖書と史実と異なる点については判断停止をして、「判らない」という結論をだして、それがあたかも科学的であるかのように主張してきました。たしかに、聖書以外に史料の無い時代について、聖書の記述が疑わしいなら、それに反する史実を論証するための証拠もありません。ですから、客観性を重んじるなら歴史学はここで立ち止まることになります。しかし、はたしてそれは科学なのでしょうか。おそらく、歴史学者個人として、無意識のうちに「教会と対立したくない」という思いがあり、その配慮を隠すための言い方のように感じられます。
科学というのは、推測に基づく結論を出すことから始まります。その結論が正しいかどうかを他の史料と照らし合わせて検証し、どの推測がもっとも矛盾が少なく、説得力があるかという観点から分析する作業です。推測もせずに科学が成り立つと言うことはあり得ません。自然科学においては、当たり前のこととして推測としての学説が提出され、その推測が議論され、そして、矛盾の生じる推測が排除されて、残ったものが科学的結論として受け入れられています。それゆえ、残っているからと言って、それが正しいという保証はまったくありません。むしろ、自然科学者自身が認めることですが、科学的結論も時代と共に変化してゆくのです。ある時代の科学的結論が次の時代に捨てられることはよくあることであって、科学とはそういう学問であることを認識しなければなりません。
歴史学も学問として発展しようと思うなら、もっと推測の重要性を認識すべきです。「史料がないから主張できない」と考えるのでなく、まずは考えてみて、それに対する反証がどのくらいあるかを調べ、反証の少ないことについては、未来に委ねればよいのです。何も初めから排除する必要はないのです。
私の主張している史実は、もちろん、「史料がない」という次元のことではありません。充分に史料があり、推測の根拠もある結論なのですが、人によってはトンデモ説のひとつに分類されてしまうかもしれません。しかし、私はトンデモ説と言われても腹は立ちません。いろいろ見解があって良いわけで、とにかく、史実を探求する方向で歴史を研究しなければならないことは大前提であり、その過程でほとんどの仮説や推測は退けられてゆくものなのです。「私の説だけが退けられることはない」などと思ったら傲慢の罪に陥るでしょう。反論も反証も歓迎します。とにかく、史実を探求することは神から人間に与えられた使命であり、責任ですから、今後はその作業を担う人を増やし、史実を明らかにすることを通して、信仰を確立してゆきたいと考えています。
■ 史実を探求するひとつの事例
聖書の記述と史実との間には結構大きなズレがいくつかあるので、どうして神はこんなにズレた歴史書を人間に与えたのかと不満になることがあります。しかし、神に不平を言うべきではありません。神は全能のお方ですから、神様にはそれなりの考え方がおありなのです。そこに神の知恵があるはずです。
詳細については、他の文書で説明しますが、たとえばということで、出エジプト記の背景にある史実を簡単に説明しておきます。出エジプト記は大変興味深い書物で、モーセの活躍は感動ものです。私は長い間、この書物を文字通り受け入れてきましたし、それで何ら矛盾はないので、背後の史実を研究するなどという気持ちは全く起きませんでした。しかし、古代イスラエル史を纏めてみようと思い立って、そういう観点から出エジプト記を読んだとき、いくつかの疑問にぶつかりました。
最初の切っ掛けは、歴代志を学んだときです。歴代志はモーセ五書・九書と並行する内容の書物で、矛盾した内容のところはありませんが、別の記事が載せられていることもあり、「史料としては無価値とは言えない」という程度の評価がなされている書物です。つまりは、あまり価値の無い書物であると言うことなのですが、しかし、ここにも驚くべき史実探求の鍵が隠されているのです。歴代志を読めば誰でも判ることですが、ほとんどの人は気にならないかもしれません。しかし、私は史実を探求するという目的を持っていたので、あることがひどく気になりました。それは、歴代志においてモーセがほとんど登場しないことです。ユダヤ人がモーセを尊敬していることは常識です。しかし、そのユダヤ人が書き残した歴代志にモーセが登場しない・・・、いや、登場するのですが、非常に軽く書かれています。上6章の系図に「アムラムの子らはアロン、モーセ、ミリアム」となっていて、モーセの名前が登場しますが、これだけです。アロンの子孫については載せていますが、モーセの系図はありません。モーセ五書であれだけ強調されているモーセがこの程度だとは、どう考えても不思議な気がしました。
さらに不思議に思ったのは、歴代志に出エジプトの記事がないことです。もし、この書物を書いた人物がユダヤ人なら、出エジプトに言及しないということがあり得るでしょうか。この原因を説明するなら、ひとつの可能な解説は「歴代志の著者はモーセや出エジプトを知っていたとしても、重要な事実とは考えていなかった」ということです。しかし、それにしても、重要でないはずはないわけで、もしかすると、出エジプト記のような物語は当時あまり知られていなかったのではないかという思いが湧いてきました。
出エジプトが史実でないことはあり得ません。なぜなら、火のないところに煙は立たないからです。また、古代イスラエルの歴史・社会状況から出エジプトはあり得ることであり、出エジプトがなかったことのほうが考えにくいことだからです。しかし、歴代志の著者にとっては、それは書き落とすことの出来る程度の出来事だったのです。
これについては、説明が必要かもしれません。出エジプトがあったかどうかを疑問視する事は出来ます。しかし、イスラエルとエジプトの距離はわずか200キロです。文化交流も盛んでしたから、お互いに行き来していたわけで、アブラハムもエジプトに出かけています。そして、カナンに帰っています。ですから、アブラハムも出エジプトをしたことになります。古代の多くの人はエジプトに出かけ、エジプトから帰ってきたわけで、皆出エジプトをしているのです。ですから、出エジプトという物語の設定は多くのイスラエル人にとって自然であり、ある部族がエジプトからカナンに移り住んだことも一度や二度ではなかったはずです。しかし、それが聖書に書いてあるような大規模なものとして起きたことがあるのかどうかです。もし、それが本当に大規模なものであるなら、歴代志がその事実を書き落とすことはないはずです。ちょうど、アメリカの歴史を語るときにピルグリムファーザーズを省いて語ることがないように、ユダヤ人であるなら、必ずモーセの出エジプトから話を始めなければなりません。しかし、歴代志はそのような立場ではなかったのです。その理由は、つまりは、モーセの出エジプト物語そのものは、ユダヤ人全体の財産だったわけではないことを意味しています。
それゆえ、モーセ物語はユダヤ人全体の物語でないということを史実として認定して、その上で、歴史を再解釈しなければならなくなりました。
しかし、一度疑い始めた物語の中から史実を抽出するのはきわめて面倒なことになります。そこで、私としては、まずは確実な史実といえる出来事を認定して、そこから他の史実を推定するということを基本方針として、まずは確実な史実、しかも、時期を特定できる史実を認定することから作業を始めました。
イスラエル古代史における通説は、ダビデ以前の歴史は歴史ではないと言うことでした。ダビデ以前については信頼に足る史料が少なく、歴史学として事実を認定することが難しいと言うことで、ある歴史の本ではイスラエル史はダビデから始まり、それ以前のアブラハムやモーセについての言及を避けていました。しかし、それは無意味な客観主義歴史学です。私としては、推測を交えたとしても、ある程度根拠のある史実を認定したいと願い、ダビデ以前で確実な史実といえる出来事がいくつあるかを検討してみました。その結果、次のふたつのことがかなり確実な史実として浮かび上がりました。
ひとつは、ヨセフがエジプトの大臣になったという物語です。イスラエル人がエジプトの大臣になるということは、日本人がアメリカの大統領になるような話で、あり得ないことですが、あり得ないことは物語にもなりません。ですから、日本人がアメリカの大統領になったという小説はなく、そういう構想をする人もいません。聖書にヨセフがエジプトの大臣になった物語が載っているということは、ヨセフという名前であったかどうかは別途検討が必要ですが、とにかく、あるイスラエルの先祖がエジプトの大臣にまで出世したことが史実であることを示しています。そして、このようなあり得ないことが起きることを可能にするのは、エジプトの歴史上一度しかその可能な時代がありません。それはエジプトがヒクソスという外国王朝に支配されていた時代です。ですから、ヨセフが大臣として活躍したのは史実であって、その時代はヒクソス時代(前1600年)であると認定することが出来ます。
聖書にはもうひとつ史実として認定できる出来事があります。モーセによる出エジプトです。なぜなら、出エジプト記1章11節に「彼らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを立てた。」と書かれています。このような記述は物語の内容としてはそれほど重要でないので、創作の過程で付け加えられることはない事実関係です。そして、ラメセスの町が作られるのは、ラメセスという名前が示すように、それはラメセス王の時代のことを示しています。つまり、モーセによる出エジプトは前1250年頃に起きた本当の出来事であったことは史実として認定出来ます。
このふたつの出来事を史実と考えることはそれほど難しいことではありません。問題は、このふたつがやや矛盾し、対立する要素をもっていることです。ヒクソスは第18王朝により滅ぼされ、その後、ヒクソスはエジプトから追放されました。ヨセフがヒクソスの大臣なら、その家系の民族はヒクソスとともに追放されたと考えるのが自然です。このとき、出エジプトが起きたはずです。ところが、モーセの出エジプトは300年もあとの前1250年頃だったのです。ヨセフの子孫たちは約300年間、エジプトで奴隷として働かされていたのでしょうか。出エジプト記は時代の長さを書いていないので、ヨセフから一世代か、二世代くらいたったあとに出エジプトがあったというニュアンスを与えますが、300年間の奴隷生活は史実としては認定できません。しかし、ヨセフ後の出エジプトは史実として認定できるし、モーセによる出エジプトも史実として間違いありません。ですから、両者を認めるなら、出エジプトは2回あったという結論になります。
このような認識でモーセ物語を読むと、ヨセフ後の出エジプトの記事と、モーセによる出エジプトの記事が混在していることが見えてきます。今までは物語の矛盾として思えた記事が、矛盾ではなく、史料の混在の結果として理解できるようになります。たとえば、モーセの一行は武器を持たない奴隷たちのグループでした。エジプト軍の攻撃にも戦わずに逃げようとしています。ところが、旅の途中でアマレク人と出会うと、武器を取って戦い、勝利をおさめています。いったい、どこから武器を調達したのかという疑問が湧くところですが、ふたつの出エジプトを前提にすると、武器を取る戦いの場面はヨセフ後の出エジプトの記事と考えればよいことになります。これで、どの程度物語全体が整理されるかは、私の「封印の古代イスラエル史を解く」の6章と8章を見ていただければと思います。
このような結論は、キリスト教信仰にとって全然問題ないのですが、聖書の記述を大幅に修正するという点では聖書の権威を傷つけると考える人がいるかもしれません。しかし、私としてはそういう意図はまったくありません。むしろ、聖書自体がそういう推測を許していると考えます。なぜなら、聖書にはそういう推測を促すような矛盾記事や、推測の手がかりを与える記事を随所に散りばめているのであって、聖書を詳細に読めば読むほどそういう推測が促されるからです。聖書をあまり真剣には読んでいない人にとっては必要ない解釈と思うかもしれませんが、神の言葉である聖書は真剣に読むべきであって、真剣に読めば読むほど、その背景にある史実を読みとるように促されるのです。
それ以外にもたくさんの推論と、従来のイスラエル史理解にはない結論を出していますので、関心のある方は「封印の古代イスラエル史を解く」や、このHPの他の記述を読んでいただいて、参考にしていただければと思います。そして、願わくは、このような史実認定を通して、ますます聖書のおもしろさを認識し、聖書の権威もまた認めるようになっていただければと希望しています。
■ プロテスタントにとっての「聖書の権威」
「聖書の権威」というテーマはおそらく、近代以降、最も神学者の頭を悩ませてきた問題ではないでしょうか。「何が史実か?」という個別の問題については、どう結論が変わったところで、全体の論理体系を変更する必要は生じません。しかし、権威のよりどころが変更になるとすべてが変わってしまいます。中世のカトリック教会の権威のよりどころはローマ教皇でした。今でも建前としてはその論理が維持されていますが、それに異論を唱えたのがプロテスタントでした。これは単なる解釈の違いでなく、権威の問題だったので激しい対立を招き、結果的にキリスト教会の分裂へと至りました。
プロテスタントは聖書をローマ教皇に代わる権威の拠り所として捉えました。ですから、聖書の権威をめぐる論争はプロテスタントの根幹に関わる大問題となるわけです。ところが、近世の聖書学の発達により、聖書に書かれている物語が史実と異なると思える事例がいくつも見つかってくることにより、聖書の権威が揺らいできました。
プロテスタントには、聖書の権威を重んじる伝統と共に、理性や良心を重んじ、迷信を排除する伝統もありました。ですから、学問的結論を否定するのは容易なことでなく、結果的に欧米のプロテスタント神学は短期間に崩壊してゆくことになりました。この時、プロテスタントを否定して登場したのが無神論であり、またそれをさらに論理化したのがマルクス主義でした。18世紀の聖書学者の主要な著作が聖書の権威を否定し、結果的に学問的に考える多くの有能な青年たちをキリスト教から離れさせ、マルクス主義へと向かわせました。それが19世紀だったのです。しかし、伝統的教会は存続し続けました。有能な人物が去った後も、プロテスタントとしての神学は維持してゆかなければなりません。ですから、教会は論理的妥協をすることで聖書の権威を維持しようとしたのです。その方法とは、聖書の権威が部分的に崩されることについては黙認し、大まかな次元で権威が認められればよいと考えたのです。旧約については「モーセ五書はモーセの著作でなく、捕囚後の前4世紀頃に完成させられたもの」との見解が広く受け入れられ、新約については、福音書の資料分析(様式史、編集史)という方法論を認め、エペソ書などのいくつかのパウロ書簡が史的パウロの著作でないことを認めた上で、それにも関わらず、なお残っている聖書の権威という概念を否定することなく、すでに崩された権威がまだ崩されていないかのような幻想の上にプロテスタント神学を維持したのです。
たしかにそれは、すでに存在してるプロテスタントの国教会を維持してゆくには充分な論理だったと言えます。なぜなら、学問的に熱心な人はすでに教会を離れていましたし、残った人々は現状を肯定し、維持してゆくことを願っていたからです。しかし、それでは前進し、拡大してゆくエネルギーは生まれません。
そういうヨーロッパ型のプロテスタント神学に異を唱えたのがアメリカのプロテスタントでした。彼らは直感的に神学の妥協の偽善性を感じ取り、そこに真理はないと悟ったのです。問題は聖書の権威なのですから、「これについて妥協してはプロテスタントは成り立たない」と考え、19世紀近代聖書学の結論をトータルに否定する論理を展開しました。その論理を代表するものがファンダメンタリズムです。
聖書の権威と聖書学の結論が矛盾するとき、論理的には3つの対処方法が考えられます。ひとつは、聖書の権威を否定し、聖書学の成果を受け入れ、無神論に走るというものです。もうひとつは、聖書と聖書学を妥協させて、矛盾がないかのように理解することです。これがヨーロッパのプロテスタント国教会が採用した方向です。もうひとつが、聖書の権威を守って、聖書学の成果をすべて否定するというアメリカの自由教会が採用した方向です。
さて、第一の方向を選んだ人々はキリスト教会内では発言権を失うので結果的に少数派になり、今日のキリスト教会(プロテスタント)に残った人々は、第二と第三の方向の人だけであることになります。そして第二の方向は妥協が含まれているので、そこから新しいエネルギーが生まれてくることはなく、結果的に第三の方向の人々のみが活発に活動することになります。事実、すでに21世紀になった今日、第二の方法は相変わらず勢力としては大きなものありますが、ますます目立たなくなり、第三の方向の人々はファンダメンタリストとしてますます活発になっています。しかし、活発であるからと言って増え拡がっているというわけではありません。プロテスタント全体としては、退潮傾向にあることを止めることは出来ず、カトリックの世界的復興を許しているという現状となっています。今後、ファンダメンタリストはますます活発となるでしょうが、世界全体の顰蹙を買うだけで、数としては増えることなく、ますます無宗教(無神論)とカトリックが拡大することになるでしょう。プロテスタントの退潮を止めることは容易ではありません。
しかし、何事も単純に直線的に進むと言うことはありません。歴史を動かす神様はドラマが好きなのです。プロテスタントが聖書の権威を論理的に再確立するとき、また新しい歴史が始まるはずです。そのためには、聖書学の成果と聖書の権威を妥協無しに調和させなければなりません。
■ 聖書の権威の再確立のために
聖書の権威は神に由来するという意味では、人間の守るべきものではありません。聖書そのものが自らの権威を守っているのです。ですから、それを人間的に守ろうとすること自体が不信仰となります。ちょうど、ダビデ王時代に、契約の箱をエルサレムに迎え入れようとした時、箱が揺れ落ちないように手で支えた人がいました。この人はウザと言いましたが、彼は神の裁きを受けて亡くなってしまいました。これは象徴的出来事です。人間が人間的やり方で聖書の権威を守ろうとするとき、神は怒られるのです。ファンダメンタリストはまさに「ウザの手」ではないでしょうか。屁理屈は、たとえ善意であっても神の前には喜ばれません。
聖書の権威とは、神が聖書に与えた権威であって、神に由来します。つまり、聖書そのものが神なのではなく、また聖書そのものが第一次的権威であるわけでもなく、神そのものが第一のお方であり、そのお方の権威により聖書は権威ある書物となるのです。神が聖書を人間に与え、聖書を通して語られ、教えられるのです。聖書そのものがそのことを教えています。
第二テモテ3:16「御文はすべて神の霊感を受けて書かれたもので、人を教え、戒め、正し、義に導くのに有益である。」
ここで「有益である」と教えられていることは非常に重要です。聖書の記述が史的事実であるかどうかについては聖書そのものは関心がありません。大切なことは、「霊感」そして「有益」ということです。それを人間が勝手に「史実であると解釈しなければならない」と解釈してしまったことが不幸の始まりだったのです。もちろん事実を踏まえて書かれたことは当然のことです。何らかの事実があり、史実があって聖書が生まれたのです。しかし、そこの書かれてあるすべてが文字通り史実なのかどうか、それは聖書の権威と関係ありません。大切なことは「有益」であるかどうかです。そして、聖書は「有益である」と教えているのですから、私たちはそれを有益になるように解釈してゆく義務が生じるのです。
完全な史実性は聖書の権威のために必要ではありません。しかし、史実という背景が無ければこのような文書が生まれなかったことは事実であり、その認識は最低限必要なことです。そのことを理解するために、他の歴史文書と聖書を比べてみることにしましょう。古事記、日本書紀は古代日本の歴史を知る上で非常に貴重な書物となっています。しかし、その記述のすべてが史実であるかどうかの保証はありません。学問的研究により、いくつかの疑問が投げかけられ、多くの異なる説と解釈が提出されています。しかし、歴史資料としての価値がトータルに否定されたわけではありません。書かれていることの大筋が史実であり、史実をもとにして書かれた歴史書であることはすべての学者の認めるところです。
聖書も基本的には歴史書として同じであることを覚えておく必要があります。「古事記、日本書紀が人間の書で、聖書は神の書」という区別は正しくありません。神は聖書を神の書として人間に与えられましたが、それを書いたのが人間であることを否定していません。20人以上の著者と編集者、それに数百年にわたる歳月の中で著わされた文書が集められて出来たのが聖書なのです。その文書を書いた人間は、将来自分の書いた書物が聖書として崇められるとは夢にも思っていなかったのです。そういう文書がなぜ神の書なのか?それは著者に尋ねるべき問いではなく、神に問いかけるべき問いとなっています。
古事記は人間の書として書かれ、今も人間の書として読まれています。ところが聖書は人間の書として書かれ、今では神の書として読まれています。これはどういうことでしょうか。そのことを理解するために、さらに的確な比較をしてみたいと考えています。
聖書には、創世記、出エジプト記のような歴史書から、レビ記のような律法についての書、詩篇や雅歌などの詩や歌が含まれています。日本の歴史の中で、この聖書と対応するものを探すとすると、たとえばということですが、もし、古事記、日本書紀などに加えて、万葉集、源氏物語、伊勢物語などが合本された書物があるとしましょう。すると、それが日本の旧約聖書になります。また、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作などの手紙を集めた文書があったとしましょう。すると、それが日本の新約聖書となるのです。この日本の聖書とも言える文書を読んで判ることは、日本の過去の事実ですが、しかし、それ以上に、日本の文化や伝統、ものの考え方というのが判るのではないでしょうか。実はイスラエルの聖書も同じなのです。この聖書を読んで判ることは、イスラエルの伝統、文化、考え方、発想法などです。これらの背後に史実があるし、また神の意志が隠されているのです。
聖書の権威とは、聖書の記述が史実であることの中にあるのではありません。イスラエルの歴史を通して神が働かれたのは事実であって、それについて記述しているのが聖書であり、そこにこそ権威があるのです。
■ 聖書学の発達と聖書の権威は矛盾しない
聖書の権威を正しく理解するなら聖書学の成果と矛盾することはなくなります。しかし、完全に問題が無くなるわけではありません。なぜなら、学問が学問であるということは、学説が変化発展し、常に進歩してゆくことが前提になるからです。つまり、聖書学の成果は単なる時代的仮説でしかなく、次の時代には別の説が有力になるのです。このことは学問的にも認められていて、すべての学説は安定性と無縁のものなのです。ですから、聖書学に則って聖書を読んだとしても、それは時代的限界のなかでの解釈に留まり、その背後のある神の言葉としての聖書に到達しない危険性があります。
さらに問題なのは、聖書学があまりに高度に発達し、それを学ぶのにかなりの時間が必要になることです。これでは庶民には手の届かない学問になってしまいます。聖書を神の言葉として読みとることに邪魔になるような聖書学とは何でしょうか。そういう限界を学問は初めから持っているのです。ですから、聖書学は学問であり、学問でしかないことを初めから認めておかなければなりません。キリスト教を弁護し、信仰を呼び覚ますのは信仰であって、聖書学ではありません。聖書学などはなくても、また、知らなくても聖書を神の言葉として読むことは充分に可能であって、聖書学を学ばなければならないと考える必要はありません。ただ、キリスト教会はこの2000年の間、こつこつと聖書学を発達させてきたのは無駄であったわけではありません。素朴に聖書を読めないひねくれた人はいつの時代にもいるのです。そう言う人は神学を学び、聖書学を学んで信仰を持って貰う道が備えられています。どの道であれ、完全な信仰などはないのですから、どちらのやり方でも神を信じることが出来れば、それでよいのです。
■ 真のキリスト教に戻るべきである
聖書を学ぶとき、そこに書かれている事実について解釈が異なることはよくあることです。これは何も聖書についてだけでなく、一般の歴史学でも起きることで、さらに目を広げると科学の領域でも日常的に起きていることです。見解の違いが論争を生み、その論争が真理をより明らかにする面があるので、論争を悪いものと見ることは出来ません。ただ、その論争が感情的対立を招くこともあり、人間関係の破綻をもたらすこともありますので、実際には慎重に論争をしなければなりません。
聖書についても、また宗教の違いについても、論争が対立を招き、無用な人間関係の争いを起こしやすいので、まずは寛容な精神を身に付けてから論争を始めるべきです。論争は喧嘩ではなく、あくまでも真理を求めるための共同作業と見ていただきたいと願います。
見解の違いや、解釈の違いは、たいした問題ではないと認識すべきです。贔屓の野球チームが違うからと言って喧嘩をするでしょうか。好物の違いで人間関係を壊すべきでしょうか。政治的信念の違いがあるからと言って、商売をしないと考える人がいるでしょうか。宗教や歴史的事実の解釈、学問上の意見の対立は、単なる好みの問題であって、深刻に考えてはなりません。私たちは、宗教の違う人とも仲良くし、政治的信念の違う人とも交際して、寛容な雰囲気のある社会を作り上げる必要があります。そうでないと、あちこちで喧嘩の起きる住み難い社会になってしまうことでしょう。
キリスト教は一神教なので、特に対立を招きやすい発想をもともと持っています。ですから、特に注意して寛容な精神を身に付けるべきです。
聖書を読むと判りますが、イエス・キリストはユダヤ教という宗教的戒律の厳しい社会の中で、実に寛容な精神を教えています。異邦人にも親切に、サマリヤ人とも対立しないように接していたことからも、そのことが判ります。「汝の敵を愛せよ」とも教えられた方を信じるのがキリスト教ですから、まずは他の宗教の人に親切に、他の考え方の人にも寛容に接することから始めなければなりません。
真理は押しつけるべきものではありません。もし、キリスト教が良い生き方であることを示せたなら、他の人もキリスト教を受け入れるようになるでしょう。良い生き方が出来ない宗教がどうして社会的に評価されるでしょうか。キリスト教は本来は良い宗教なのですが、現実にはまだまだその力を発揮していないどころか、悪い面を出しています。そういう悪い面を出していながら、「伝道だ。伝道だ」と叫んだところで、受け入れる人が増えないのも当たり前です。まずは、自己変革して、信仰を持つと言うことが、いかに良い人生を送れるかを示すこと、そして、キリスト教が社会に対しても良い宗教であり、社会を発展させ、かつ、安定させる力のあることを示すべきなのです。過去のキリスト教はそれを実証してきました。これは凄いことです。しかし、現代ではその実証力はやや薄れてきています。はたして、未来においてどうなるか・・・は、まったく未知数です。ですから、今のキリスト教会の責任は実に大きなものがあります。キリスト教会の一部に、進化論への間違った反発や、他宗教への間違った対立感情や、政治についても、短絡的な教条主義に陥っている教会がありますが、そういう聖書にない教えを捨て去り、真に未来を作るに相応しい本来のキリスト教に戻るべきなのです。それこそ福音であり、イエス・キリストの教えであることを確認させていただきたいと思います。
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