世界最年少での長編文学翻訳をめざして

 
 それはまさに原稿用紙に翻訳していけば千枚を超えそうな長編で、これを19歳になるまでに訳しきれば、かのネルヴァルに追いつき、追い越せるのではないか、という具体的な目標になってくれたのです。

 けれども言うは易く行うは難しでした。高校生の英文解釈ではなく、文学としての芳香をたたえた、格調ある翻訳を自らに課したもので、なかなか自分の訳に満足できないのです。

 一年が経ち、高校卒業の頃には大雑把に訳しあげてはいたものの、我ながら納得いく内容とは言い難く、出版されることを前提にすれば、まだまだ推敲を重ねる必要がありました。

 親の目には真面目に勉強しているようには見えたでしょうが、実際には毎日15時間翻訳だけに集中し、他の科目には見向きもしてないのです。全国模試を受けても、英語だけは日本の200万人を超す受験生の中でダントツの、4番とか6番とかをとったものですが、それ以外は目も当てられない点数ですから、親の望む医学部へはどうしても無理なのでした。

 親や先生の薦める道を踏み外すのが不良だとするならば、当時の僕は驚くべき " ワル " だったことになります。ただひたすら部屋に閉じこもり、原書と英和辞典がボロボロになるまで使い込み、翻訳に挑もうと決めて、断固として丸々2年、のべ1万時間を翻訳に捧げたのです。勉強付けの、日本屈指の不良だったわけです。

  最初こそ、親の望むままに国立の医学部を受け、英語しかやっていないのですから当然のごとく失敗し、一浪するといっても受験勉強ではなく、翻訳の完成を目指すのです。親を裏切っている、という意識に涙がにじみましたが、今さら三年越しの夢である、世界最年少で1,000枚を超える翻訳をやり遂げ、天才の仲間入りをするという願いは、どうしても捨てることができませんでした。 

 僕は自宅にこもり、最低15時間、頭が興奮して寝られないと、20時間以上つきっきりの日もありました。そんなときは頭の周りが発熱し、釈迦かキリストかの背後に輝く後光を、自分の頭上にも感じました。天才のオーラは、実はこうした気違いじみた集中力によって生まれるのだ、と考えたものです。

 そうやってさらに10ヶ月を費やし、19の誕生日を迎えるまさにその前日に、1,153枚、厚さ9センチに及ぶ翻訳原稿を完成させたのでした。題名も 「ブラック・ボーイ」 だの 「黒人の少年」 だのと直訳するのでは芸がないので、 「 黒い回想 」 と思わせぶりにつけてみました。


  

 ( 世界最年少の18歳で長編翻訳をやり遂げた1,153枚の証拠の原稿束 )



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