進学教室の英語科教務主任経験
サハラから帰ってくると再び家庭教師を始めただけでなく、大学進学予備校の講師募集を受け、入社試験に応じました。その英語のテストたるや、60分間で一流大学の過去問を解け、というものなのでした。最後までやれた人は誰もいませんから、量よりも質で、なるべく正確に答えて下さい、と注意されましたが、そんな言葉など聞く耳は持ちません。いつものことながら猛烈な勢いでペンを走らせ、20枚近くあった大学受験問題をすべて片付けてしまったのです。ただ、さすがの僕でも、見返しの時間はとれませんでしたが。
当然と言うべきか、過去の応募者と比べても圧倒的な成績で、文句のつけようもなく採用されたのでした。晴れて東大受験コースを受け持ち、英語科の教務主任として何十人もの生徒を東大に合格させたものです。今でも当時の肩書きである "教務主任" の名刺が残っていますが、わざわざデジカメに撮ってお見せするほどのことでもありませんので、省略いたしました。
この予備校では講師自らが問題を作成し、ひと月ごとに教材として製本したものを生徒に配布していたのですが、これは高いアルバイト料を貰いながら、自分自身の良い勉強でもありました。岩国に帰って塾を開くにも、東京の進学教室が執っているシステムは非常に参考になりましたし、今に至っても1ヶ月の内容を25問に凝縮させる問題作りに役立っているのです。
ここの給料は非常によくて、卒業してもそのまま正式に就職してほしいと懇願されたのですが、いつまでも人に使われるのは嫌でしたし、もっと他の分野の体験もして、視野を広げたいという気持ちから、当時 「ユダヤの商法」 というベストセラーを書いて憧れだった、故藤田田(フジタ・デン)社長率いる日本マクドナルドに入社したのです。そして岩国に帰省するまでの10ヶ月間を、原宿店のマネージャーとして過ごしたのでした。
東京はエキサイティングな街で、学ぶことも多かったのですが、その頃父が胃ガンで入院し、実家に戻ってほしいということで、後ろ髪を引かれる思いはありましたが、長男として親元に帰ってきたのでした。
帰省して、父としては銀行にでも就職してくれればという願いがあったのでしょうが、同じ努力するなら自分で何かを始めたい、とばかり実家の2階を増築させて貰い、塾を開くことにしたのでした。
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