教育小説 「君に夢はあるか」

    全国発売と講演会・テレビ出演

 
 さらに四年後の1983年には、中学教師を主人公にした小説を書き、国書刊行会という出版社に持ち込んだところ、トントン拍子に発売が決まり、出版社側も大いに力を入れてくれ、朝日・読売・毎日をはじめとして全国の新聞各紙に五段組の広告まで打ってもらえたのです。おかげで、無名の新人の処女作としては比較的よく売れたそうですが、1冊の本を書き上げるのに要した苦労の割には、印税というものは大したことはないな、というのが素直な印象ではありました。しかし金のことはさておいても、自分の本がどの書店に行っても平積みされ、見知らない人が手にとって立ち読みしてくれているのを背後から見つめるだけでも、全身をこちょこちょくすぐられているような、こそばゆい嬉しさに浸ったものです。

 ファンレターも日本中から何百通と届き、講演の依頼も相次ぎ、地元の放送局では30分のドキュメンタリーを放送していただきました。さらにその縁で、ワイドショーのコメンテーターとしても何度か出演し、と知名度が上がるにつれ、入塾希望者も膨れあがりました。

 けれども図に乗って教室を増やそうとは思いもしませんでした。教師を募集して単純に利益を追求するのは簡単でしたが、自分で教えなければ英隆塾ではないと考えていたからです。

 ただ教科の内容を説明するだけならば問題ないのですが、授業中の雑談では、僕でなければ話せない、生徒の意欲をかき立てるという最大の売りが、全員に平等に与えてあげられません。

 自分の収入よりも、将来僕の話を聞いて社会に出た生徒達が、どれだけ役に立つ人間になれるか、生まれてきてよかったと他人にも自分にも言ってやれる、豊かで満ち足りた人生を歩めるか、もっと大仰な言い方をすれば、現代の松下村塾として、僕の話によって子供達を啓蒙し、鼓舞することで、世の中を動かしていくような人間を生み出せないものか、その点にこだわりたかったのです。

 未だに何年も前の卒業生が遊びに来ますが、授業の内容よりも雑談の話ばかり頭に残っている、と口を揃えたように言ってくれます。自分たちを教えていた当時の僕の年齢になって、久しぶりに話しに来た子など、「同じ歳になって考えると、まだ30にもなってなかった先生が、僕らに色んな話をしてくれ、目をキラキラさせて情熱的に語っていたことを思い出すと、つくづく凄い先生に習ってたんだと思います」と言ってくれるのです。

 「会社に入っても凹むことが多くて、辞めてしまいたい気分になることもあるんですが、そんなことでへこたれてちゃ駄目だ、もっともっと頑張ろうっていう気持ちを注入して欲しくて、久しぶりに会いに来たんですけど、本当に来てよかったです」 と中学生の頃の初心に戻って帰っていったりするのです。

 
  

( 小説にしてありますが、中の授業風景は塾での講義そのものです。

 2枚目は全国主要紙に五段組で紹介された広告記事 )


  

( 主要新聞に載った記事の一部と繰り返された広告 )



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