正規塾の教室と自作ペンシル画の紹介

      加えて、父と母のこと・・・

 
 さて、僕の正規の塾ではどんな環境で授業をしているのか、少しだけ紹介しておきましょう。

 下の教室の写真で、1段目は実家の2階を増築して作った、第1教室です。こちらは5年前、3度目の全面改装を行いましたので、壁紙から絨毯から業務用の大型クーラーからコンビニ並みに十何本も取り付けた蛍光灯から、すべてが新しくなり、広々とした中で楽しく有意義な授業が行われます。

 2段目の写真は、自宅でやっている第2教室です。壁に掛かる絵は、すべて僕の描いたペンシル画です。図書館で借りてきた倉本裕基さんのCDを聴きながら、誰に気兼ねするでもなく画用紙に向かう時間を、僕は大切にしています。紙と鉛筆だけで良いタダ同然の費用で、集中力は必要だし、あっという間に時間が経っているので、何をして良いのかポーッと無駄に過ごすということもない、僕にぴったりの趣味と言えるかも知れません。

 3段目は、周東町にある第3教室です。テクノポート周東工業団地内の与田リース様から、1,500坪に及ぶ敷地にある事務所を夜の間だけ借り受けて、教室に使わせて貰っています。12名を定員にしておりますが、クリスマス会では机を二脚ずつ合体させ、6人での対抗トランプ大会などを催しています。夏には教室の外で花火を楽しんでどれだけ騒いでも、ご近所に迷惑をかけることはありません。

 どの教室にもプロジェクターを完備してありますので、日頃は水性マーカーで説明書きをされるホワイトボードが、テスト明けには急遽スクリーンになり、生徒の努力をねぎらう意味で、色々なDVDを観せて、情操教育にもなることを期待しています。

 ちなみに映画マニアの僕の所には、すでに役割を終えて取り出すこともなくなったレーザーディスクが1,000枚以上、ベーターの頃からのコレクションになっているビデオは1本に6時間録画したものがおそらく3,000本を超え、CDも2,000枚以下ということはないでしょう。

 音楽については、SDカードの利用範囲が広がってからというもの、車の中でFMトランスミッターを通して、MP3に変換した延べ500曲以上の "マイ・フェイバァリット" を、いちいち差し替える手間もかけずに聞けるようになっています。

 ここ十年で集めたDVDは、自分で編集したDVD-Rも含めれば、優に3,500枚に届こうとしており、その膨大なソフトの中から、生徒に是非みせたい感動作は無限にあるので、本当に困ってしまいます。

 「ごくせん」 「女王の教室」 「金八先生」 「ドラゴン桜」 といった教師ものドラマの最終回スペシャルなどは、一度テレビで見ていても、感動をもう一度とばかりに熱心に観てくれます。もっとも原作漫画がある作品は、テレビよりも数段面白いし、情報量も多いですから、原作に当たるべきでしょう。

 連続ドラマでワン・クール全12話を見せることは不可能なものの、それでもこの感動を是非、と願わずにはいられない、山田太一脚本の 「早春スケッチブック」 などは、1983年当時涙の止まらなかった場面を3時間40分に編集し ( これ以上縮めることは出来ませんでした )、中3の入試終了後に、卒業していく生徒への"はなむけ"として鑑賞させています。

 ちばあきおの 「キャプテン」 や、美内すずえの 「ガラスの仮面」 をアニメ化した劇場公開版には、お父さんお母さん方にお見せしても、若い頃の情熱を思い出して、身体が震えてくるに違いありません。僕が理想と考える天才の姿が、この原作には見事に描かれています。

 「ローマの休日」 や 「禁じられた遊び」 「十二人の怒れる男たち」 「奇跡の人」 等はモノクロームでありながら、どれだけ色鮮やかに心に焼き付いたことでしょう。

 「ターミネーター2」 や 「タイタニック」 「インビジブル」 の圧倒的な迫力や、アクション映画の最高峰と信じる 「スピード」 、 新シリーズの 「スター・ウォーズ」 さらには 「キングコング」 の後半2時間における驚異的なCG技術など、唖然と目を見開かされたものです。

 大友克明さんの 「アキラ」 を初めとするジャパニメーションや、ゲームから派生した 「ファイナル・ファンタジー」 のフル・CG・アニメーションの美しさは、中味のストーリーをさておいても、うっとりせざるを得ません。

 こうした作品群を総べてみせるには、定期テスト終了時の、延べ15回ではとても足りませんが、夏休みの中日やクリスマス会などでも、ゆとりを見つけては鑑賞して貰うことで、生徒一人一人の心に豊かな感情が育ってくれれば、と願っているのです。


また、一番下の写真にある、玄関の表札や鎧甲の背面の掛け軸や自宅の教室の前衛書は、いずれも父の手になるもので、その書の美しさは小さい頃からの憧れでした。鎧の後ろの書は、石川啄木の「一握の砂」 の中から、僕の好きな短歌を選んだものです。

向かって右の掛け軸には

    かなしきは
    飽くなき利己の一念を
    持てあましたる男にありけり

    非凡なる人のごとくにふるまへる
    後のさびしさは
    何にかたぐへむ

の2首を、向かって左の掛け軸には

    時として
    君を思へば
    安かりし心にはかに騒ぐかなしさ

の1首を草書体で書いて貰っています。

 けれどもその父も86歳の時に脳梗塞に倒れ、右半身不随で寝たきりとなってしまったのです。僕の知っている父は、商売が儲からないと愚痴をこぼしていた自転車屋のオヤジとしての姿だけなのですが、戦前は高森小学校で教師をしていたと聞きます。自分は学校で2番が最高の席次だったから、お前は1番になれ、とハッパをかけていました。

 自転車の分解掃除などで手を油まみれにし、腰をかがめてチェーンを磨いている背中を見て育ったのですが、仕事がなければいつも本を読んでいるような人でした。

 そんな父は、風呂上がりに左脳の血管が破れ、意識を失って倒れた拍子に頭を打ち、血まみれになって病院に運ばれたのでした。幸い緊急手術で命だけは取り留めたのですが、それきり身体の自由も言葉も失ってしまったのです。もはや何の楽しみもなくなり、絶望に涙した果てに、すべてを諦め、ただニコニコしているばかりの父を見ていると、胸が詰まります。

 ・・・寝たきりの入院生活を5年半続け、何度かの危機を乗り越えながらも最期の気力を振り絞ってくれたのですが、2月末の凍えるような日の夕刻、病院から危篤の知らせを伝えられ、急遽授業を切り上げさせて貰って、母を連れ枕元に向かった僕たちを待っていたかのように、家族の者に手を握られながら、息を引き取りました。平成20年 2 月25日19時10分逝去、享年91歳でした。
 そして、父を追うように、父の一回忌を終えた1週間後に、母も風呂の中で溺れ、なかなか出てこないのを心配して声をかけ、返事がないので引き戸を開けた僕の目に、浴槽に沈んだ母の姿が飛び込んだのでした。

 父の死はある程度覚悟していましたから、長く入院を続けた父の気持ちを慮って、これで楽になったね、という労いに似た感情がありましたが、母の突然の死は、しばらく僕の心に澱となって淀み、何でもう少し早く声をかけなかったのかという後悔に苛まれたものでした。

 人前で裸をさらしたくないと、温泉へも行こうとしなかった母なので、他人から介護を受ける入院をせずに済んだのだから、せめてもの幸せな最期だったと慰められましたが、数年経っても、ふっと元気にしていた頃の母が夢に現れることがあるのです。父と八つ違いの、若い頃は美人と評判だった母の享年は、84 歳でした。救急車を呼んだのは平成 21 年 3 月 7 日の21時半のこと でしたが、国病に運ばれ死亡時刻に記載されたのは、翌 8 日の深夜 1 時でした。

 

( 実家24畳間での第1教室 )  

 

( 自宅12畳間での第2教室 )



( 周東町に借りた第 3 教室 )




 

( 現在の自宅にある第2教室に掛けてられた、僕のペンシル画。
   上の絵は高校時代に描いたもので、県展で特選を受賞しました )

  

( 第1教室に掛けてある 2 枚のペンシル画。
 僕の本名がヒデタカなので、昔から秀でた鷹をイメージして
 鷹の絵ばかり描いていました )

 

( 玄関口の表札と、鎧の背後にある 2 枚の掛け軸は、父の手による書です )



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