希望する進路とは
学校の先生というのは、実力テストの成績によって、生徒が志望する高校よりも、確実に合格できるところを薦めようとするものです。不合格の悲しみを味わせたくないという親切心なのかもしれませんが、安全な道ばかりを選んでも、高校に入ってからの授業内容がレベルの低い学校では余りにも簡単すぎて、大して勉強もしないのに比較的良い番数をとってしまうと、こんな程度で良いのだろうかと不安になることすら在るのです。T 君はそんな一人でした。
塾で教えていても、英語や数学はまずまず80点以上の成績をあげ、岩国高校は充分狙える状態でしたが、国語や社会で大きく点数を下げ、社会など単に覚えさえすればいいのに、と学校の担任から言われても、歴史にも地理にも興味が湧かず、教科書を開くのも億劫だったそうです。国語にしろ、本を読むという習慣がなく、小学のうちから漢字を覚えるのが嫌いで、中学になるとますます常用漢字が増え、面倒くささに拍車がかかったようで、中3になってやらなければいけないことが膨大で、何から手を付けて良いか分からず、そのまま放っておいた為に、実力テストでは半分以下が普通で、4割くらいしか得点できないのだそうでした。
最新高校入試問題集の小説文や論説文を中心に、毎日1問ずつでも解いていき、模範解答を通じて答えの書き方を覚えるようにとアドバイスした御陰で、11月のテストでは6割の得点が出来て、本人も喜んでいたのですが、学校の担任にしてみればたった一回の上昇ではマグレかもしれず、その直後にあった母親を交えての三者懇談では、ギリギリの岩国高校を志望するよりも岩国工業を選んでも確実に合格し、その中でも上位の成績をとっていけば、工業系の大学に推薦が貰え、楽をして進学した方が良いのではないか、という意見をされ、家庭に帰って父親とも相談した結果、入学後に勉強量が大変なことになる岩国高校よりは、工業に進む方が自由な高校生活が送れるのではないか、という話にまとまったと聞きます。
僕の意見では、進学校が教えようとする大学受験合格を支える、レベルの高い英語なり数学なりを勉強しておかないと、大学に入って専門課程に進級する3,4年になって、教授が英語の原書を使ってゼミを行うときに、専門書を読みこなすことが出来ずに、苦労するのは目に見えているから、合格ギリギリの点数はこれから3ヶ月かけて真剣に勉強すれば10点20点は伸びてくるはずで、運悪くすべったにしても、高水高校の進学クラスに入って好きな大学を志望する方が良いのではないか、と忠告したのでした。しかし、親としては、高校受験に失敗し、月謝の高い私立にやるのは負担が大きいので、安全策で行こうと言うことになったようでした。
そうして無事岩国工業に入学したのはよかったのですが、その T 君がひょっこり夏休みになって塾に遊びに来たのでした。そして8月からもう一度塾に入って勉強させてくれないか、と言うのです。工業では周りの誰もが遊び半分で、授業を真面目に受けるような雰囲気がなく、自分もたいした勉強をしていないのに、中間も期末も2番だったというのでした。一方仲のよかった岩国高校に進学した友達に様子を聞くと、中学の頃とは比べものにならないくらい宿題が多く、授業も気を抜くとあっという間に取り残されてしまうほどのスピードで、野球部などに入っていると家に帰るのも夜の9時は当たり前、下手をすれば10時になってしまい、それから風呂に入って遅い食事を取ると、勉強する時間もとれず、どうしても疲労の余り眠気が勝って、赤点をとってしまうのだと言われたそうです。中学時代、自分よりも遙かに成績のよかった奴が、そこまで苦労していると聞き、彼の使っている教科書を見せて貰うにつけ、工業の教科書とは比べものにならないほどの分厚く、活字の小さな英語や数学を眺め、あまりの格差に愕然としたというのです。
T 君の偉いところは、その状況を知って、自分もそういう厳しい所で鍛えて貰わなければ、将来がないのではないか、と感じた点にあります。岩国高校はいかにも大変そうだから、今のままで勉強に手を抜いてもそこそこの成績を取り、志望は限られるけれども決められた推薦枠に入って、大学に行く方が楽だと、誰もが自分を甘やかしたいでしょうに、T 君は僕の言葉を覚えていたのでした。勉強しないまま推薦で大学に入った者は学力がないので後から苦労するぞ、と。
しかし、1年遅れでの再受験となると、250 点満点中 200 点では合格できない可能性もあり、僕は 220 点を目標とするよう指示しました。その上で夏休みから 2 月末までの 7 ヶ月間、T 君は一学年下の後輩に混じって、誰よりも熱心に授業を受け、広大附属を受けても大丈夫なように、とハッパをかけたのを実践するかのように、英語の長文や数学の応用に挑んだ結果、自己採点では 240 点以上の得点が出来たはずと言う言葉通り、ほとんどトップの成績で合格を勝ち取り、進学後も常に上位にいたとのことでした。大学も工業で推薦してくれる私立の工学部ではなく、九州大学の工学部に入学したと話しに来てくれたものです。
S 君は、中学入学後、常に一番を堅持した生徒でしたが、中3の7月に入って、岩国高校理数科ではなく、広大附属を受験してみたいのですが、と相談に来ました。しかし当塾は岩国高校合格を約束するレベルの授業しか行っておらず、どうしても国立を受験するのであれば、その内容まで教えている進学塾のトップクラスに入った方が良いとアドバイスしたのですが、僕の授業の中での雑談が聞きたいので、辞めたくないと言います。
それなら、書店で旺文社が毎年出している 「 最新全国高校入試問題集 」を買ってきて、夏休みに入って 10 日をかけ、まず公立の英語の長文問題を一日5県分のペースで読み解き、数学は4番から6番にかけての応用問題に絞って、こちらも一日5県のペースで解いていくことを指示しました。そして8月になったら、私立や国立の有名高校英語・数学入試問題を解いていき、解答を見てもピンとこない問題について、質問を受け付けるということにしました。理科・社会・国語は国立の入試では答えられない問題があるだろうから、それらについては学校のそれぞれの担当の先生に質問に行くよう指示したのでした。
英語の長文については、解答に全文訳が掲載されてなかったので、その日本語解釈についてはちょくちょく質問を受けましたが、数学は元々自信があったらしく、岩国高校に行っている兄貴に訊くなりして、ほとんど僕の所に質問することもなく、4 , 5 回しか教えた記憶はありませんが、それでも毎日深夜の 2 時近くまで勉強して、残業で遅く帰ってきたお父さんが、まだ電気のついている子供部屋を覗くと、黙々と問題集に取り組んでいたとかで、そんなに根を詰めないで早く寝るよう心配したと、お母さんから聞いたものです。
おかげで、当然のように合格し、広大附属に入ってからも数学や理科はほとんど満点で、5番を出ることもなく、東大受験をしても物理は 100 点を取れたはずということで、見事現役合格でした。そして東大卒業後は、宇宙ロケット開発の仕事に就き、今に至っているという話です。
もう一人、親の希望を蹴って、自分の行きたい学校を選んだ女の子 N さんの話をしましょう。彼女は塾の生徒ではなく、家庭教師で受け持った子なのですが、お父さんはイギリスの名門大学を卒業し、お母さんは外国の方でしたので、家での日常会話に英語が使われ、中2で帰国した際に、数学が苦手なので教えて欲しい、と言う依頼なのでした。
お父さんは広島県の青年会議所の会頭で、名前を聞けば西日本で知らない人はいないだろう、有名企業の CEO をなさっていて、親の希望としては広大附属に入って、将来的にはオックスフォードなりケンブリッヂなりに進ませたいというものでした。しかし本人は、その有名企業の、今は会長に納まっているお祖父ちゃんが、趣味で開いていた画廊に出入りしていて絵画に興味を持ち、将来は芸大に進みたいというのです。広島で芸術に力を入れている進学校は、広島で一番の難関とされる基町高校で、そこに入りたいということでした。
本人の希望が最優先と考えていますから、お父さんは国立の受験問題集を用意し、この中の数学を教えて欲しいといわれたのですが、公立のトップを受けるのであれば、もっと基本的な問題を、つまらないミスをすることなく、確実に 220 点以上得点する方法を教えた方が良いわけで、それを重視して教えた結果、中2で一番嫌いだった数学が 60 点台から 90 点台に上がり、本人は充分満足できたようですが、お父さんは更に上を願って、中3の7月末に、家庭教師は夏休み一杯でと断ってこられました。
本人は卒業するまでは僕に習いたいと頼んだそうですが、お金を払っているのはお父さんなのですから、自分の我が儘は聞き届けて貰えなかったようで、こちらとしてもどうしようもありませんでしたが、せめてどこを受験するにしろ、中3は早めに教科書の内容は終わっておくべきだからと、8月までに教科書の内容は総て教え終えました。その後、彼女とのメールの遣り取りがあったので、高校受験をどうしたのか、結果だけを言うなら、やはり自分の意志を通して基町高校を受け、合格を果たし、今も楽しく高校生活を楽しんでいるそうです。
いずれにしろ、親や教師の意見で、本人の希望を後回しにすれば、進学後に力を十分に発揮できず、消化不良に陥るだろう、ということは注意しなければなりません。分不相応な、親の目からはついていけるだろうかと心配な学校でも、本人がやる気なら何ら問題はないし、逆に自分の経歴と子供の能力ならもっとレベルの高い学校をと願っても、当人が学業よりも絵を描きたいというのなら、そうしてあげるべきなのです。
ただ、その希望が将来の自分の夢につながり、心底願うものでなければなりません。プロのスポーツ選手になりたいからと、そうなるためには人並みはずれた努力と才能が必要な分野において、単なる子供の憧れだけで高校・大学時代の研鑽を積まなければ、せっかくの夢も叶うはずはありません。僕が小説 「 君に夢はあるか 」 の中で訴えた夢とは、確実な現実とするために、あらゆる苦難もいとわない、強い意志が必要なことは言うまでもありません。
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