あなたにとって神様とは ?

 
 宗教の話をしたいのではありません。仏教であろうとキリスト教であろうとイスラム教であろうと、そこにはお釈迦様やイエス・キリストやマホメットという人間がいて、その人達を神と崇めているわけですが、所詮彼らは、超能力を持った人間に過ぎないと考えます。

病気の人に手かざしをして誰かを救ったという言い伝えがあったにしても、現代の中国ですら気功の達人の掌にサーモスタットグラフィをあてると、確かに熱気が発せられ、それを患部に当てることで治療を行っているらしいのです。末期ガンの人が新興宗教の教祖を訪れ、手かざしを受けることで、千人のうち一人でも効果があってガンが縮小し、見事救われることでもあれば、その教祖は勝ち誇ったように我が能力を誇り、999 人が死んでしまっていても、それは信仰心が足りなかったせいだと言い訳をするのでしょう。

 キリストのような有名人ですら、片手のない人が普通の人と同じように手を生やしてくれと頼んだとき、私の力を持ってすれば可能だけれど、そんなことをすればあなたが死んで改めて転生するときに、本来あった自分の手と、私が生やした手の 3 本の手を持って生まれ変わることになる、あなたのあるべき手は天国に一足先に届けられていて、あなたのことを待って、次の世で五体満足に生まれ変われるのです、みたいな屁理屈を言って、失った手を再現させてみせるという本物の奇跡は見せなかったのです。

 日本は一神教の国ではなく、八百万 ( ヤオヨロズ ) の神々がいて、その大本は太陽神である天照大神であって、日章旗の赤い丸は太陽を表していると考えられ、日という文字を「ひ」と読んだり「にち」と読んだり「か」と読んだり「じつ」と読んだりと多様な使い方をし、名前に付けられた場合の読み方は二十通りを越えています。身近な太陽を体現する存在が母親であり、おかあさん、おっかさん、かかあ、等々太陽の呼び名である「か」をつけていることから類推できます。もっと直截に、刑事コロンボの吹き替えでは、その奥さんのことをうちの「かみさん」と呼んでいますね。

 一方の父親は、家庭を守り生活を維持するために外で懸命に働いてきてくれる尊敬すべき存在、その「とうとさ」を体現する存在として、おとうさん、という呼び名の中に「とう」をつけ、家族みんなから尊敬されなければならないはずなのです。

 お母さんが家の中を明るく照らし暖かみを持つという役割を忘れ、癇癪持ちでガミガミと子供や旦那を叱ってばかりいたり、お父さんも奥さんばかりか子供にまで馬鹿にされ、尊ばれないことに甘んじていると、その家には神様の代理がいないわけですから、うまくいくはずがありません。

  更に言うならば、毎朝祖先である、死んでしまった祖父ちゃん・祖母ちゃんというホトケ様に手を合わせる習慣のない家は、食事の前には手を合わせ、日々の糧をお恵み下さり感謝します、アーメン、と唱える習慣のない西洋の家と同じくらい、神様とは無縁の生活をしていることになります。

 しかし、太陽など宇宙全体の巨きさから見れば、芥子粒ほどの小さな恒星にすぎません。太陽系は銀河系の中の偏狭な星の集団でしかなく、銀河系とて、宇宙全体の中では比較的若く、小さなグループだそうです。神様のラスボスは、この宇宙全体を統治しているに違いなく、形あるものなのかどうかも想像すら出来ません。

 しかしこの絶対的な神の意志の元で、宇宙は膨張し、回転し、秩序を持って生まれまた死んでいるのでしょう。ちっぽけな人間の一生なんて、その絶対的存在の神様が見守っているとは思えません。見守ってくれているのは、神様の出張代理である太陽であり、その更に下請けの後見人である両親だと考え、自分を生み出してくれた母親を悲しませ、その明るさを奪うことなく、また父親には生まれてきてくれて有り難う、お前達の幸せのためならお父さんは必死で働いてくるからね、と思ってもらえるような人間になることが、生きる目的ではないでしょうか。

 話は変わりますが、僕はミクロの世界が好きで、電子顕微鏡の写真集が発売されると、ついつい買ってしまうのですが、そのうちの 3 枚を紹介してみましょう。

  


 これらの写真は、体長数ミリしかない昆虫たちです。左端の蚊の嘴のアップを見てください。人の血を吸う針は、ご覧のような鞘に包まれて、隠れています。蚊はこの鞘から棘の付いた、すぐには抜けないような返しまで装備した針を突きだし、血液に含まれる血小板で血が固まらないよう、特殊な分泌液を出し、人に痛みを感じさせることもなく密かに栄養たっぷりの血を吸い、満腹になって飛んで逃げ出したあと、人は痒みを感じて皮膚に残る膨れた痕を発見するわけです。

 その精巧さ !! 昆虫たちは複眼ですから、1 ミリにも満たない目は数百の複眼からなっており、その進化した形が僕たちの目であり、人間の目よりも遙かに性能が良いのが、野生の動物たちかもしれません。なにしろ数キロ先がみえるのらしいですから。嗅覚にしろ、犬は人間の何万倍とも言われます。

 動物だけが凄いのではありません。光合成を行って酸素を生み出し続けてくれる植物の働きは、誰にコントロールされているというのでしょう。絶対神から派遣された代理神が植物の世界にもいるのでしょう。生命体でなくとも、神の意志は貫かれています。

 小学生の頃理科の教科書に雪の結晶の写真が載っていて、それを見た年の冬、雪が降るのを心待ちにして、誕生日に買って貰った顕微鏡を持ち出し、プレパラートに雪を受け止めて覗いてみましたが、六角形がみえることはありませんでした。

 しかし、大学 1 年の冬、長野出身の同級生に誘われ、初めて彼の実家近くにある一級スキー場に行き、樹氷の美しさに目を奪われると共に、手袋に降り積もる乾燥した雪の一粒一粒が、まさに 1 ミリにも満たない六角形の結晶をし、すべてが違う形をしているのが、肉眼で見えるではありませんか。この微少な六角形の一粒一粒が何兆、何京、何無量大数集まれば、目の前に広がる一面の白銀が造り出されるのか、唖然とするばかりなのでした。

 目の前に広がる果てしない白く冷たい世界と真逆で、灼熱の黄土色に輝く無限の砂粒の集合が、サハラ砂漠なのでした。その広がりと対峙したときの感動と、そして恐怖は、スキー場での驚きの比べて、何万倍もの迫力で僕に迫ったものでした。

 18才でやり遂げた、一日15時間に及ぶ翻訳の日々の果てに、自分の頭の上に発光オーラがともり、僕には神様が憑いていると感じた「神懸かり」が在ったおかげで、サハラの巨大な自然に挑戦して行くにも、まさかその神様によって、むざむざ殺されることはあるまいと信じてはいましたが、死を覚悟した回数は両手の指の数だけではとても足りないほどでした。

 現在 70 億とも言われる人間のひとりひとりが違う顔を持ち、ひとりひとりの指の一本一本の指紋が違い ・・・・・・ これらすべてを神様がお作りになられ、呆気なく思えるほどの短さで消費されていくことを想うと、自分の一生など無駄に使っても大したことはないと考える人もいるでしょうが、僕はサハラの絶対的な孤独の中で、自分の体の奥底から聞こえてくる神様の声が聞こえたのです。

 ちっぽけなお前のことなんか、誰も大して気に留めはしないんだ。その中で体裁ばかり気にして、自分の好きなことをしないでいて、何のための人生なんだ ! せっかく造ってやった機能は、精一杯使ってくれよ。人間はチーターほど早くも走れないし、空を飛ぶ能力に関しては鷹どころか蚊にさえも劣る。力はゴリラにも熊にもライオンにも象にも遠く及ばない。だけど、奴らと違って、頭だけは高級にしておいてやった。おかげで、車から新幹線から考え出し、飛行機からロケットまで作り上げ、猟銃を使えばどんな獰猛な動物も一発で殺せるような武器や、何万馬力の力を発揮する道具を発明した。

 だから、しっかり頭を使って生きることが、人間に与えた使命なんだぞ。その頭を、人間同士が殺し合いに使ってしまうような馬鹿な真似をするなよ。お前だけじゃなく、お前の目の前の相手にも、同じ能力を授けてやっているのだから、充分に使おうともせずに無駄にしている奴がいたら、注意してやってくれよ。 そう神様に命じられた気がしたので、僕は自分の仕事として、せっかく持って生まれた頭脳を無駄にすることなく、頑張って使ってくれないか、と子供達を応援する教師を選んだのでした。


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