卒業生からのメッセージ
( 東京大学経済学部卒の 平中良和君 が、5年前に 24 年ぶりで院長宅へ話しに訪れた際帰りがけに撮ってくれた写真です。当然、年相応に頭の薄くなりかけた、向かって右側が院長です。
平中君の背後に写った白壁の門灯には、学問や知識の象徴である 「 ミネルヴァの梟 」 を取り付けています。日本でも、不苦労、と当て字をして、日々の生活を苦労することのないようにと、梟の人形を集めたり、ハリーポッターで登場する真っ白な梟を飼う人までいますよね。
院長も玄関口の靴箱の上に梟の置物を飾ったり、梟の形の花籠に季節の花々を生けてみたり、梟をあしらったブレスレットなどをはめたりしています。
今回、三笠教室再開に当たって、平中君から卒業生コメントを頂きましたので、紹介いたします )
三笠教室再開のお祝い
英隆塾を 1982 年に卒業いたしました、平中と申します。このたび、英隆塾が必昇学院と名前を改め、教室を再開すると聞き、「 あの英隆塾が最初に始まった場所に、名前を変えて再び教室が開かれるのか ! 」 と感慨深く嬉しく思っております。つきましては、餞の言葉の代わりとしまして、英隆塾草創期の塾の様子について、当時の記憶を掘り起こしつつ、ご紹介したいと思います。
小学校の六年生に上がり、塾長の教育エッセイ 「 従順な反骨 」を読んで感動した友達に誘われて、初めて行ってみた塾、それが英隆塾でした。
その友達の塾長への心酔ぶりはハンパではなく、将来は自分が英隆塾をしょって立つと公言し、塾長の生き方をそっくり真似ようとまでしておりました。
塾があったのは、通っていた川下小学校からすこし離れた三笠町にある塾長の実家で、当時教室と言えばここだけでした。
自転車屋さんの 2 階が教室で、前のクラスが終わるまで 、塾長のお父さんが経営する自転車店で待つ間、寒い冬の日などストーブを用意してくれていた事、生徒が乱雑に置いた自転車も、きちんと並べ直して貰えた事、等々まるで昨日のように思い出します。中学校を卒業するまでの 4 年間、休みもせず通い続けた次第です。
1000 ページを悠に超える大作の翻訳、サハラ砂漠縦横断と、若い頃から発想豊かでチャレンジ精神旺盛な方でしたから、塾長の指導法は大変ユニークなものでした。
授業は学習の要点を押さえてサクサクと進むので、学校の予習・復習程度の内容など、1 ヶ月分はものの 1 週間で終わってしまいます。
結果、授業時間は十分に余裕が生まれるので、たとえば英語の勉強では学校指定の教科書 ( 当時岩国市の市立中学で使っていた New Prince )に加え色々な教科書( 高水中学で使っていた New Horizon や、さらに広島など他の地域で使われていた New Crown ) も教えていただきました。
おかげで英語には相当の自信がつき、学校の定期テストに不安なく臨めるようになりました。( 当時は英語主体の塾だったのです )
数学を教えていなかったのも、苦手だからではなく、問題を見た瞬間に答えが浮かぶので、説明がまどろっこしくて面倒だから、という理由によるったそうです。しかし、数学も是非、というリクエストに応え、私たちが卒業して数年後には、英語と数学を主体にし、定期テスト前には理科や社会まで、重要ポイントを教えるようになったのだそうです。
生徒の要望を最優先し、御自身が 9 教科全科目でオール 5 をとった力を発揮して、学校の補講にとどまらず、入試対策として、問題を読んだ瞬間に解答を導く受験テクニックを伝授しているとのことで、私たちの時代にそれを教えて貰えていたら、大学受験も文系ではなく、理系に挑戦し、今とは違った人生を選べたかもしれません。
中学 ・ 高校における教師の影響次第で、将来が決まることもあると思えば、医師という道を選ばず、教育者になった塾長の生き方は大きな意義があったといえるでしょう。二十歳そこそこでそうした選択をし、まったく後悔はないと胸を張れる人生は、幸福に満ちており、24 年ぶりに再会しても、もうじき還暦を迎えるとは思えない若々しさで、私自身、塾長にあやかって、最高の生き方をしなければ、と感じ入りました。
また、授業の合間のお話も塾生の楽しみの一つで、塾長の成功談、失敗談、冒険談を初め、大量の読書から得られる雑学を聞かせて貰うことで、高校・大学、・社会人と自分たちが今後歩むであろう人生のイメージが膨らんでいき、現在旺盛に活動できる基礎が培われたのだと感じられます。
さらには、サハラ砂漠での格闘をはじめ、塾長の様々な経験が綴られた大学ノート 「 乞食袋 」 には、その記録が紙面いっぱいにびっしりと書き込まれていました。
このノートの生き様を胸に秘め、自信を持って就職活動に臨んだというお話を伺うにつけ、その活力に満ちた生き方に圧倒されたことを覚えています。
・・・ と、いざ書き始めれば、次から次へととめどなく当時の事が思い出されますが、4 年の間楽しく勉強ができたのは、子供たちを教え導くことに情熱を燃やし、理念を持って指導にあたる小林先生がいたからこそだと思います。
塾長には是非これからも、より多くの子供たちに、学ぶことの楽しさ、向上を目指しての真摯さ生きることの喜び等々を伝え続け、生き方の定まっていない後輩たちが、勉強ばかりでなく、自信を持って己の道を貫くことの大切さを身につけらるよう、心から願ってやみません。
東・川下・麻里布地区の皆さんも、小林先生ののユニークさに接し、より善き人生設計をされんことを。そして必昇学院のますますのご発展を、心よりお祈り申し上げます。
卒業生OB 平中 良和
[ 川下小学校(1979年卒)、岩国中学校 → 平田中学校(1982年卒)、岩国高校(1985年卒)、 → 東京大学(1990年卒) ]
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