「燃える東魂!」(燃える東海公営魂!)
東海公営競馬(笠松・名古屋)に関する話題の他に、管理人が思い入れのある馬、新たなホームグラウンド門別競馬などに関するトピックを掲載。
「燃える東魂!」バックナンバー(2003年)![]()
「燃える東魂!」バックナンバー(2004年)![]()
「燃える東魂!」バックナンバー(2005年)![]()
「燃える東魂!」バックナンバー(2006年)![]()
「燃える東魂!」バックナンバー(2007年)![]()
「燃える東魂!」バックナンバー(2008年)![]()
「燃える東魂!」バックナンバー(2009年)![]()
オグリキャップ三回忌法要が執り行われる
7月3日、新冠町の優駿スタリオンステーションに隣接する「優駿メモリアルパーク」にてオグリキャップ三回忌法要が執り行われました。
オグリキャップ(1985-2010年、父ダンシングキャップ母ホワイトナルビー)は1987年笠松競馬からデビュー、地方12戦10勝の成績を引っさげて中央競馬に移籍すると、登録の無いクラシックの裏街道を6連勝、3歳(旧4歳)時に有馬記念(GT)を制すなど通算でGTレースを4勝、中央20戦12勝の成績を収めました。数々の挫折を繰り返しながら、その度に頂点に返り咲く日本人好みの馬でした。
1991年より優駿スタリオンステーションにて種牡馬入りしたオグリキャップですが、残念ながら産駒の活躍には恵まれず、2007年に種牡馬を引退、以後は功労馬として余生を過ごしていました。“競馬ブームの象徴”だけに、時にはデビューの地、笠松競馬場を救うアイコンとして笠松競馬場に呼ばれたり(2005年)、時には馬事文化普及の為に東京競馬場へ呼ばれたり(2008年)と、忙しい時も有りましたが、悠々自適な老後を過ごしていました。しかし、2010年7月3日に放牧地での骨折が元で亡くなりました(安楽死処分)。



亡くなった2010年7月19日には新冠町レコード記念館を会場に大規模な告別式とお別れ会が、昨年2011年7月3日には一周忌法要とホワイトブロンズ像の除幕式が行われましたが、今年の三回忌法要は直前まで開催が未定、「牧場関係者間での内々の三回忌法要」という決定がリリースされたのも先週という慌ただしさで、会場には現役当時の馬主さんや、調教師さんの姿も有りませんでしたが、晴天の中、スタリオン関係者や噂を聞いて駆けつけた熱心な競馬ファンなど50名余りが集まり、三回忌法要が執り行われました。
オグリキャップ産駒最後の現役馬だったアンドレアシェニエ(11歳、母マダムドルチェ、金沢/菅原欣也厩舎)が7月1日の金沢6Rで競走中止、予後不良となり「競馬場からオグリキャップ産駒が消滅」する事となりました。しかし、オグリキャップ最後の仔であるミンナノアイドルが無事に初仔(ゴールドアリュール牡)を出産していたり、妹オグリローマン最後の仔オグリテツがデビューを控えていたり、近親の「クィーンロマンス2010」が2歳トレーニングセールで2800万円の最高価格で取引されるなど、オグリキャップ(ホワイトナルビー)一族の夢はまだまだ終わりません。(2012.7.3UP)
※最近、すっかり「燃える東魂!」枠で取り扱う話題(東海公営話)が少なくなりました…再び、熱くなれる馬が出て来て欲しい…
オグリキャップ一周忌法要と銅像除幕式が行われる



7月3日、優駿スタリオンステーション内の「優駿メモリアルパーク」にて昨年の7月3日に亡くなったオグリキャップの一周忌法要と銅像除幕式が行われました。
1987年に笠松競馬場にてデビューしたオグリキャップは、笠松で12戦10勝の成績を引っさげて中央に移籍、ペガサスステークス(G3)から重賞6連勝、初G1挑戦となった天皇賞(秋)(G1)では好敵手タマモクロスの2着、ジャパンカップ(G1)ではペイザバトラーの3着に敗れるも有馬記念(G1)で初戴冠、その後はオグリキャップブームを巻き起こし、マイルチャンピオンシップ(G1)、安田記念(G1)、引退レースの有馬記念(G1)と4つのG1タイトルを重ねました。
もっとも、現役時代に競馬を初めていなかった私にとってはオグリキャップは「競馬のヒーロー」というより「地元(東海地区)出身のローカルスター」という存在でした。その偉業を知ったのは引退後になります。
引退後、新冠町の優駿スタリオンステーションにて種牡馬入りしたオグリキャップ、初年度産駒から小倉2歳ステークス(G3)2着のオグリワン、クィーンステークス(G3)2着のアラマサキャップなどを送り出したものの、JRA重賞を勝つ活躍馬を送り出すことは叶いませんでした。
昨年7月3日、たまたま優駿スタリオンステーションを通りがかり、5分程度元気な姿を見ることが出来たのですが、その日の午後、ぬかるんだ地面に脚を取られて骨折、安楽死という処置が施されました。
現役時代の姿は知らないものの、日高に住む上で、オグリキャップの絶大な知名度には常に尊敬の念を感じていました。また、笠松競馬存廃問題の折には、老骨に鞭を入れる形になったかも知れませんが、一時的な里帰りイベントなどにも出向き笠松競馬場存続のために尽力頂きました。当時お世話になったオグリキャップとその関係者の方々には感謝しております。



昨年7月29日には、新冠町レコード館にてお別れ会が開催され、700人以上の弔問客を集め、改めてその存在の大きさを伝えました。お別れ会の後には、オグリキャップの偉業を讃えるための銅像作製を目的とした「オグリキャップ号馬像建立委員会」(会長/須崎牧場・須崎孝治氏)が設立され、全国のファン1200名余りから2800万円を越える募金が集まりました。
一周忌である7月3日の完成に向けて、優駿メモリアルパークでは色々と下準備が行われ、敷地内で売りに出ていた「旧ナリタブライアン記念館」は「優駿記念館」として模様替え、敷地内では馬像設置の工事が始まり、前日には当日の準備として新冠町の生産者が集まりテントの設置など忙しそうに動いていました。
迎えた7月3日、当初は雨という予報でしたが、幸いにして天気に恵まれ、優駿メモリアルパークには500名を越える参列者が集まりました。JRAの土川建之理事長、JRA時代に管理した瀬戸口勉元調教師、笠松時代のオーナーである小栗孝一氏、生産者の稲葉牧場・稲葉裕治氏、橋本聖子参議院議員などの姿が見えました(競馬開催日の為、現役の競馬関係者の姿はありませんでした)。
10:00より「一周忌法要」が行われ、11:00より「銅像除幕式」が行われました。JRAのG1ファンファーレと共に除幕されたオグリキャップ像、今にでも動き出しそうな勇姿には参列者達からも歓声が送られました。銅像製作者の後藤信夫氏も来道し、司会の鈴木淑子女史とのトークでは色々な製作秘話を語っていました。この銅像は500円玉の素材に近い白銅にて製作されていて、このサイズの白銅像は日本でも(おそらく)ただ一つとの事です。



オグリキャップの姿のない放牧地は寂しいものの、今後はオグリキャップの馬像とオグリキャップ記念館が新たな観光名所となることでしょう。オグリキャップは一番競馬が熱かった時代の象徴、あの熱が再び競馬に訪れることを願いたいものです…※「オグリキャップ記念館」の定休日は現時点では未定との事ですが、基本的に毎日10時〜16時に開館しているそうです。
追記:オグリキャップ最後の仔となるミンナノアイドル(牝4歳、父オグリキャップ 母グレイスイン)は今シーズンより繁殖入り、ゴールドアリュールを無事に受胎しています。生産者としては「出来れば芦毛の仔が欲しい」との事ですが、まずは無事に孫が誕生することを願いたいですね。小ネタとしては、ミンナノアイドルは旧新冠町立東川小学校に出来た介護施設「おうるの郷」のパンフレットのイメージカットにも登場しているそうですよ。(2011.7.10UP)
東海ダービー馬ダイナマイトボディ繁殖入り。
2009年の東海ダービー(SP1)〔タイキシャトル賞〕など地方重賞5勝を挙げたダイナマイトボディ(名古屋・角田輝也厩舎)は昨年11月に競走生活を引退、馬主である畠山牧場にて繁殖入りしています。
初勝利がゴールドウイング賞(SP1)という破天荒な勝ち方で注目され、特別戦を2連勝を挟み、明け3歳の新春ペガサスカップ(SP1)で3連勝。春の新緑賞(SP2)は2着、駿蹄賞(SP1)は3着と負けたものの、東海ダービー(SP1)では今も重賞戦線に出走するトウホクビジン、後にサンタアニタトロフィー(SV)を勝ち、先日のダイオライト記念(JpnU)でも2着となったカキツバタロイヤルを完封して優勝した。この勝利は地方重賞としては1988年フジノノーザン以来の牝馬による東海ダービー制覇だった。(※1997年〜2004年はJRA交流重賞・名古屋優駿(GUorGV)として施行され、2002年にホーマンキュートが牝馬で優勝している)
軽快な先行力を武器に、更に東海クィーンカップ(SP2)・兵庫クィーンカップと2つの重賞タイトルを重ねたが、その後は成績が低迷、2010/11/18に登録を抹消された。社台ファーム生産の母系に、ロジータの血を引くレギュラーメンバーという良血だけに繁殖としても期待されている。初年度のお相手にはカネヒキリが予定されているそうです。名前の通りのグラマラスな若奥様になる日が待ち遠しいですね。(;´Д`)
ゴールドレット直仔の繁殖は絶えたのか…?
追記:畠山牧場は東海公営最強と名高いゴールドレットが種牡馬として供用されていました。数年前までゴールドレットの血統を引く繁殖牝馬は、鹿児島ホースランドあいらのレッドアゲイン・原則夫牧場のサンフューチャー(MRO金賞勝ちのスギノブライアンの母)、そして畠山牧場のヤマタケポロン(テレビ東京賞3歳牝馬S勝ちのヤマタケサリーの仔、ゴールドヴェインやグルーオンなどJRAでも活躍する産駒を送り出していた)の3頭が確認されていました。
レッドアゲインが亡くなり、サンフューチャーは繁殖を引退し、残された直仔はヤマタケポロンだけでしたが、昨年秋にJRA研究馬となったそうです。お腹にはシルクジャスティス最後の世代の仔を宿していたそうですが、残念ながらそこから先は調べることが不可能でした。どうやら、これで“BMSゴールドレット”という活字は消える事となりそうです…。(母母父としてはサンフューチャーの仔、サンビースターなどが確認できます)どんな形でもいいですから、5代血統表『ゴールドレット』の文字が血統に残って欲しいですね。種牡馬ゴールドプルーフの活躍に期待しましょう。
追記の追記:と、ここで追記の追記、「旅打ち]]]]」でも書いた、種牡馬に復帰したゴールドプルーフの初産駒ですが、4/12に牝馬(グラールスイートの2011)が誕生したそうです。この馬が繁殖に残れば父父に『ゴールドレット』の活字が残る事になります。春先には全日本サラブレッドカップ(GV)優勝時に騎乗していたK元騎手も会いに来たそうです。今年も2頭(お相手はグラールスイート・アエルノオカ)に種付けを行ったそうで、九州の地で生き残るゴールドレットの血統にも期待したいと思います。(2011.5.17UP)
「オグリキャップ号お別れの会」が開催されました
〜「笠松時代の馬主・小栗孝一氏の弔辞が読めるのは少年ジャンプ燃える東魂だけ!」(^^;〜
7月29日11:00より新冠町レコード館セレモニーホールにて「オグリキャップ号お別れ会」が開催されました。7月3日に放牧地で骨折し、年齢的な事もあり残念ながら予後不良となったオグリキャップを偲んで、競馬関係者・生産者・ファンなど730名以上の弔問客が集まりました。
優駿スタリオンステーションが旧CBスタッドに移動してから5年間、オグリキャップは長らく一般見学中止となっていました。(一部のツアーなどでは限定的に公開されていた)今年の5月1日から、優駿メモリアルパークが創設され、やっと一般公開が叶いました。僅か2ヶ月でしたが、最後にファンに元気な姿を見せることが出来て良かったんじゃないでしょうか。私は、一般公開後、サラブレッド銀座を通過するたびに様子を伺ったりしていましたが、死亡した7月3日の午前中にも、ほんの僅かな時間ですがオグリキャップを見学し「この様子ならいつでも会える」と思っていたのですが、まさかその日の午後に亡くなるとは…。
「オグリキャップ号お別れ会」が始まる前に、近いうちに片付けられ簡易型の献花台になってしまうという優駿メモリアルパークを訪ねてみましたが、そこで偶然にも笠松時代の馬主である小栗孝一氏ご家族ご一行と、山中輝久調教師にお会いし同行させて頂くこととなりました。



「牧場に所有馬の様子を見に来るたびに年に何度も会いに来たよ」と語る小栗氏でしたが、オグリキャップが暮らした馬房や放牧地を見て廻りましたが、口数も少なくオグリとの思い出に浸っていた様子です。(見た目には元気なオグリキャップでしたが、母のホワイトナルビー同様にメラノーマが進行し、決して体調は万全では無かったそうです)献身的に日常の世話をしてくれた優駿スタリオンステーションのスタッフへの感謝を語っていました。
その後、場所を新冠レコード館に移して「オグリキャップ号お別れ会」に参列しました。道の駅が併設されているレコード館ですが、1km先から案内板が用意され、駐車場は満車で多くのファンや関係者が集まっていました。
10:45分にレコード館に入場したのですが、セレモニーホール前には早くもファンが50m近く並んでいます。お別れ会の案内では「平服でおこし下さい」と書かれてはいたものの、やはり喪服の関係者が多く、私もちゃんとした格好して行って良かった…(^^;レコード館内部では、内藤律子氏のオグリキャップ写真展や、様々な方から提供された競走馬時代、牧場時代の写真や成績表などが展示されていました。
11:00より鈴木淑子氏の司会により「オグリキャップ号お別れ会」が始まりました。蒲D駿副社長・橋本正光氏(新冠橋本牧場)から「開会の辞」、蒲D駿代表取締役・村田繁賽氏(村田牧場)より「主催者挨拶」が行われ、JRA日本中央競馬会理事長・土川建之氏からはオグリキャップに対して感謝状と、全国の競馬場で13000名余りのファンによって記帳された追悼記帳が贈呈されました。
その後、土川理事長、北海道知事・高橋はるみ氏(代理)、新冠町長・小竹國昭氏、初代馬主・小栗孝一氏、生産者・稲葉裕治氏(稲葉牧場)、ファン代表・芳野奈津子氏から、それぞれ「お別れの言葉」がありました。笠松時代の馬主である小栗氏の弔辞は、感極まったのか涙声で何言ってるか聞き取れなかったのですが、オグリキャップへの万感の思いは弔問客の心に伝わり、そこかしこですすり泣きが起きていました。
その後、来賓の元JRA調教師・瀬戸口勉氏、JRA騎手・安藤勝己氏による「思い出を語る」トークが行われました。(残念ながら、参加が予定されていたJRA調教師・河内洋氏は所用で欠席になりました)「僕の未来を切り開いてくれた馬なので感謝しています」という安藤勝己騎手の言葉は何とも重く感じました。(オグリキャップが居なかったら、JRA騎手・安藤勝己の姿も無かったでしょうし、競馬の歴史は色々と変っていた事でしょう)



関係者やファンからの弔電が何通か紹介されました。ヤエノムテキやイナリワンからも弔電があったようです。贈られた弔電に「お◯へ帰ろうクラブ」の名が出た時は、会場になんかピリピリした空気が流れたんですが…なぜ?(^^;
来賓参列者の献花の後、オグリキャップ中央時代の馬主である潟Aバンティー代表取締役社長・佐橋五十雄氏から「謝辞」、優駿スタリオンステーション代表取締役・高瀬良樹氏(高瀬牧場)から「閉会の辞」、最後に一般参列者の献花となりました。予定終了時間を大幅にオーバーしていたのですが、参列者は去り難い感じで、それぞれオグリキャップの思い出を噛み締めているようでした。
オグリキャップが走ってる時代には競馬を始めていなかった私にとっては、オグリキャップは「競走馬」というより、「ローカルスター」でした(地元ローカルニュースに出てくる有名人扱い)。種牡馬となった後、旧優駿スタリオンステーションで初めて見た訳ですが、競馬ブーム全盛期には(新冠町の人口より多い)1日6000人以上の観光客が見に来たり、オグリの存在でサラブレッド銀座に信号機が設置されたり、優駿ショップは1日◯億円の売上出したりしていた逸話を知っているので、そんなとこからオグリキャップの偉大さを改めて感じます。「競馬ブーム」という追い風があったにせよ、不世出の名馬でしょう。本当にお疲れ様でした。そしてありがとう。
★追記★感極まった涙声と嗚咽で参列者にほとんど聞こえなかった小栗孝一氏の弔辞。別れ際に小栗氏から「別れの会挨拶」の原稿コピーを頂きました。とても心のこもった文章で、多くの人に伝えたいですね。「小栗氏の弔辞が読めるのは少年ジャンプだけ!!」じゃなくて(おそらく)「燃える東魂」だけ?全文をここに記載しておきます。(2010.7.29UP)※小栗孝一様、色々とありがとうございました。
『新冠、別れの会挨拶』(原文まま)
オグリキャップよ、長い間、本当にご苦労様でした。突然のお別れに、悲しみは絶えませんが、今は静かにゆっくり、お休みくださいと願うばかりです。
君との一番の思い出は…と言っても、とても一つに絞ることは出来ません。
もう何年前になるだろう。牧場で初めて君を見て”これはひょっとしたら…”とワクワクしたあの気持ち。笠松競馬場でデビューして目の覚めるような快進撃を続けてくれたあの頃。私の手を離れ中央競馬へ旅立ち私の心配をよそに、中央の強豪たちを次々と倒してくれたレース。そして古馬になり、数多くの名馬たちと演じてくれた名勝負や手に汗握るドラマ。タマモクロスとの葦毛対決となった有馬記念、絶体絶命のピンチから差しきったマイルチャンピオンシップ。世界の強豪を相手に最後まで頑張ったジャパンカップ。そして引退レースの有馬記念。勝ったレースはもちろん、馬群に沈んで敗れたレース…。どんなレースでも、一生懸命、ゴールに向かって走り続ける君の姿すべてが私にとっては忘れられない思い出であります。
平成2年暮れの有馬記念。ラストランとして臨んだオグリキャップは奇跡的な復活優勝を遂げて、有終の美を飾ってくれました。レース直後中山競馬場でまるで、”地響き”のように、湧き上がった”オグリコール”をはじめ、レースのたびにオグリキャップに注がれた「オグリー、頑張れ〜」「オグリー、負けるな〜」という熱い声援…。
私はそういった声援やコールを耳にするたびに心から喜びを感じておりました。私の名前をつけたオグリキャップに、こんなにも多くの競馬ファンから熱い声援が飛ぶ。オグリキャップへの皆さんの熱い声援は、私、小栗孝一にも声をかけていただいているような気がして、いつも幸せを感じておりました。本当にありがとうございました。これほど多くの競馬ファンに愛された馬はいないでしょう。私も元馬主として全国のファンの皆様に心より感謝申し上げます。
オグリキャップよ、素晴らしい思い出をありがとう。そして安らかにお眠りください。君が残した足跡は日本の競馬史に長く刻まれるだろうし、その素晴らしいサラブレットのオーナーとなれたことを心から誇りに思います。
オグリキャップ、長い間本当にありがとう。
安らかにお眠りください。
小栗孝一
追記:銘菓「オグリキャップ」、和菓子の小梅より絶賛発売中
「オグリキャップ号お別れ会」で小栗孝一氏から菓子折りを頂きました。(ひょっとして、これはかの有名な…?)とワクワクしながら家に持ち帰り、封を開けてみましたが、予想通り、笠松町の和菓子司・小梅が販売している「地元応援菓オグリキャップ」でした。(10個入り1500円、15個入り2150円、20個入り2900円)
名前は前から聞いてましたし、確か笠松競馬場の特観席で1個150円で販売していたような気もするのですが初めて食べました。北海道大粒小豆餡の際立つ甘さの後に、栗のほのかな甘味が伝わってきます。とびきり濃くて熱い緑茶を飲みながら食べたい銘菓でした。小栗孝一様、ご馳走様でした。
『和菓子司 小梅本店』
羽島郡笠松町長池287
営業時間 午前9:00〜午後7:00
電話:058-388-0322
毎週火曜日(祝日営業)
HP http://wagashi-koume.jp/index.html
年度代表馬ラブミーチャン、ゴールドジュニアSPV優勝!桜花賞挑戦に向けて始動
昨年、全日本2歳優駿JpnTを制し、NARグランプリ2010の「年度代表馬」「最優秀牝馬」「サラブッレド最優秀2歳馬」の三部門を受賞したラブミーチャン(笠松・柳江仁厩舎)が笠松競馬で凱旋出走、第34回ゴールドジュニアSPVを危なげなく逃げ切り6連勝、春の大目標である4/11桜花賞JpnTのトライアルである3/14報知杯フィリーズレビューJpnU出走に向けて始動した。
ラブミーチャンは(父サウスヴィグラス・母ダッシングハニー・母父アサティス)の3歳牝馬、昨年の10/7笠松競馬JRA認定競走でデビューを飾ると、2戦目の10/30ゴールドジュニアSPVで重賞初制覇、3戦目にJRAに挑戦11/14京都500万下では1200mを1.11.0秒の好時計で逃げ切りレコード勝ちした。中8日の強行スケジュールで挑んだ11/23兵庫ジュニアグランプリJpnUでも逃げきって交流重賞初制覇を果たすと、年末の大一番・全日本2歳優駿JpnTも逃げ切って無傷の5連勝、笠松所属馬として初のGT(JpnT)制覇を果たした。
2着までに桜花賞JpnTの優先出走権が与えられる出走を賭けた「トライアル」報知杯フィリーズレビューJpnUに向けての試走となったゴールドジュニアだが、出遅れ気味も何のその、スピードの違いでハナに立つとそのまま逃げ切り優勝、通算6連勝とした。



今回の地元凱旋出走は、オーナーである小林祥晃氏(風水師のドクターコパとして有名)の笠松競馬ファンに向けた粋な計らいで、平日にも関わらず例年の倍以上の2731人のファンが詰め掛け快速娘・ラブミーチャンに声援を送った。当日は、オーナーの「ドクターコパトークショー」なども行われ大いに盛り上がった。負けられない一戦となった、この日の勝利に関係者もほっと一安心、3/14フィリーズレビューでの桜花賞権利取りに改めて決意を語っていた。
※当日の詳細なドキュメントは「旅打ち]]]Y」にて掲載しています。