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@書評 『「教育の崩壊」という嘘』(著・村上龍)(16・4・18up )
A書評 『夜回り先生』(著・水谷修) (16・4・18up)
B雑感 「心にくい込む授業」 (16・5・23up)
C記録 「教育課程フォーラム報告」(16・7・17up)
D論考 「問題解決学習・実践を通して」 (16・11・22up)
| D論考 問題解決学習・実践を通して 『考える子ども』(2004年11月号) |
問題解決学習・自らの歩みから
一 教材が強すぎる
教員三年目までの私は、地域素材を掘り起こし、子どもと教材を追いかけることに情熱を傾けていた。統合により廃校になった中学校の校舎跡を見学し、学校の統合問題について考えさせたり、学校近くの山城跡を取り上げ、戦国時代の弱小領主の生き方を考えさせたりした。体験的な活動を通して生まれた気づきから、一人調べと話し合いを組織して、社会認識を育てたいと考えた。子どもたちが予想以上に夢中になる姿が嬉しくて、新しい教材の開発と実践にのめり込んでいった。「地域教材の掘り起こしと追究力の育成」が私の研究テーマだった。
私が初志の会に入会させていただいたのはこんな頃だった。全国集会に初めて参加した折に声をかけていただいた縁で愛知のサークル「若手研」の仲間に入れていただいた。そして、実践をしてはサークルに持って行った。当時の若手研は毎月名古屋大学で行われていた。愛教大の霜田一敏先生や附属岡崎小教官の酒井宏明先生(現副校長)や、石川芳孝先生、浅井厚視先生、水谷光孝先生、宇野善久先生がみえ、また、名古屋大学の石川英志先生(現岐阜大学)や、院生の飯島先生、平山先生もみえて、多彩な顔ぶれだった。自分の実践を大学の先生やベテランの先生方に見ていただける、というだけで嬉しかった。
「川合君の実践は教材が強く出すぎるな。」
サークルで提案するたびに私は、何度もこの指摘を受けた。しかし、私はなかなかその意味をとらえることができなかった。小五・三河仏壇の授業の提案をしたときだった。単元の導入で、各自の家にある仏壇をスケッチしてくる宿題を出したことを話すと、「仏壇が家にない子はどうするのか?」と質問を受けた。私としては、仏壇を観察することから、仏壇の立派さや細やかさに気づかせたい、という思いがあった。また、仏壇作りの職人さん・石川さんを訪問し技のすごさに気づかせたい、さらに日本の仏壇も東南アジアから安価な彫刻の部品が流入し、職人さんの生活を脅かしていることを知らせたい、という私なりの単元の構想を抱いていた。「仏壇はとても大事にされていてほとんどの家にあります。仏壇がない家の子には友達の家に行って見せてもらうように言いました。」と答えると、「そんな大事な仏壇なのに、仏壇がある家とない家があることの方が問題ではないのか?」とバッサリと言われた。もう十数年も前のことなるが、今でも鮮かに思い出すことができる。「確かにそうだ」と思った。しかし、当時ささやかながらも、自分の実践に手ごたえを感じていたからだろう、「では、どうやって単元を構成するのか?教師が見通しを持って単元を構成し、社会の問題を考えさせる授業のどこがいけないんだ?社会的な認識を深めることで、子どもは成長するのではないか。」という反問が私の心の中に沸き起こった。しかし、そんな私に「体験的活動をさせて子どもたちに感想を出させても、教師がとらえさせたいねらいに迫るのに都合がよい考えや疑問のみを選んで学習問題にしていないか」とさらに追い討ちをかける指摘が迫ってきた。この言葉は、強く私をとらえて、私はそこから逃げることができなくなった。以来、「教師の構想は単線的。子どもの意見は表面的。どちらもすぐに問題とはならない。意識と現実のズレを意識させる。」「切実な問題とは?」「子どもの側に立つとは?」と、自問自答が続いた。
この頃は、一九八0年代後半で、築地久子先生の名とともに静岡・安東小学校が注目された時期であった。そして、愛知では、新城小学校が『しゃべる授業から見守る授業へ』を出版され、愛教大附属岡崎小学校の研究会で長岡文雄先生が講演されるなど、初志の会の大きな流れを感じた。自分の疑問を持ちながらこうした学校の研究会に足を運び、初志の会の東海集会にも参加するようになった。また、その一方で法則化運動に連動する形で有田和正先生の実践が全国的に紹介され、「ネタ開発」「追究の鬼を育てる」などに、初志の会とは別の意味で強い刺激を受けた。そして、初志の会と有田先生は全く異質なものに思われたが、実は有田先生は初志の会から出発されたこと、初志の会で提案された有田先生の実践をめぐり、後に「切実である派−切実になる派」論争と呼ばれるものが行われたことなどを少しずつ知るようになった。私の初志の会への関心は益々深いものになっていった。
二 初志の会の問題解決学習
初志の会の問題解決学習と一般的な問題解決学習(問題解決的学習)との違いを少しずつ意識するようになった。今日、文部科学省が提唱する問題解決的学習は、子どもたちに問題をつかませて調べさせていく主体的な学習方法を意味する。これは、従来の発見学習や探求学習と違わず、教師の思考の追体験、教材の側の問題を解決させる学習になりかねない。大切なことは、子どもに自分の日常生活における経験に照らし合わせて考えさせること、そこに切実さが生まれる。そして、初志の会の特質は、問題解決学習を手段ではなく、目的ととらえてることにある。(注:これについては、『考える子ども』NO203(1992−5)、204(1992−7)号の藤井、山根、田代、藤本の各氏が論をはじめ、初志の会の出版物で述べられている。) とらえさせたいことを教師の側から簡単に絞り込まず、子どもたちの経験や価値では判断できない矛盾や事実に気づかせながら、現実の中に深く入っていく、そんな授業をしてみたい、と願うようになった。そのために、子どもをより深くとらえなくては、と考えるようになった。
小学校に五年勤務した後、中学校に転勤となった。細切れになりがちなの中学校の授業の中で、一年間に一本、地域素材を掘り起こし、大単元を組んでじっくり子どもと向き合う実践をすることを自らに課した。日系ブラジル人が地域に急増する中で、いろいろな職場で働く日系ブラジル人の方にインタビューしなから、受け入れる日本の企業、地域のあり方について話し合った実践、中三全員が長崎に研修に行く機会を利用して、長崎の街で原爆に関する街頭アンケートを行った実践など、子どもたちの体験、意識に近いところで実践を組むよう心がけた。中学校における実践の困難さはあっが、中学生だからこそ、本気になったときの取り組みには勢いがあり、思考は奥深いものであった。学習課題を設定する場合には、教師にとって都合のよい学習課題に引っ張りすぎないようにと、時にはかなりストイックに授業を行った時期もあった。そのためか、まとまりのない実践になることもあった。そんな中で、子どもをとらえようと、一人一人の授業中の姿、授業後の感想を座席表にまとめ、授業構想に役立てることを続けた。
三 A子の育ち−『阪神大震災の復興と私たち』の実践から−
平成七年、中学二年で阪神大震災を教材化して実践に取り組んだ。子どもたちが住む愛知県と神戸を中心とした被災地は、距離的に離れているものの、被災した親戚がいたり、消防署員の父親が神戸に派遣されたりと、子どもたちの周りに関係する人が何人もいることが分かってきた。そこで、こうした人たちと手紙でやりとりを始めた。また、愛知からボランティアで被災地に駆けつけた学生の方や、被災地の子どもたちを愛知に招待したNPOの方などを学校に招いてお話しを伺った。さらに学校祭でそれまでの取り組みを展示し、募金活動を行った。二学期の社会科と学校祭の時間を使い、また学年を挙げての取り組みとして規模の大きな取り組を行うことができた。
こうした活動の中で、「仮設住宅に住む人は、あと二年したら、仮設住宅に住めなくなる。年金で暮らすお年寄りは、どうすればいいの。」「ボランティアの人は、自分でお金を使って神戸まで行っている。自分にはできない。どしてそんなにできるのだろう。」と子どもたちの中に、いくつもの疑問が生まれてきた。
A子は、授業後の感想に「ボランティアって何だろう。わたし、わからなくなってきた。」と綴ってきた。将来看護婦になりたいという夢を持ち、校内のボランティア活動にも積極的に参加するA子だが、学生たちが自費で被災地に駆けつけて活動しているにもかかわからず「ボランティアの活動が被災者の自立を妨げている」という地元の人の声を聞いて、戸惑いを隠しきれない様子だった。
話し合い中で、被災地で食事を作るボランティアのあり方が問題になった。「被災者を甘やかさないでほしい」という神戸のある地区代表の方の言葉が話題になった。子どもたちからは、一日の食事をすべてボランティアが作ってしまうと、被災者はボランティアを頼ってしまう。一日に何度かは、被災者がご飯の準備をした方がよいという意見がいくつか続いた。このとき、それまで沈黙していたA子が次のような発言をした。
「ご飯のことだけど、何かみんな、被災者とボランティアの人を分けて、ボランティアの人が作って配ってあげればいいとか、何回やればいいかって、話し合ってるけど、そうじゃなくって、被災者の人も混ぜてみんなで一緒にやった方が、ボランティアの人がいなくなっても、ボランティアの人がやっていた仕事を一緒に作っていく中で覚えていって、後から自分たちでやってもいいし、別にボランティアの人たちが二食作って、被災者の人たちが一食作るという風に分けなくても、一緒に協力してやればいいと思う。」
彼女のこの発言が学級の均衡を破り、以後ボランティアと被災者の協力という視点からの意見がいくつも出された。A子の発言で学級の空気がさっと変わったあの一瞬が忘れられない。
決してスマートな授業ではない。沈黙が続く場面もあるごつごつした授業であった。また、この話し合いが中二の社会科としてふさわしいかという指摘もあろう。しかし、単元を通してボランティアについて考え続けたA子にとっては、ボランティア活動を回数で制限するという表面的な割り切り方は、到底受け入れることができないものであった。彼女は納得できない何かを、自らのすべてを総動員して考え、「分けるのでなく、協力を」という新たな視点を学級に示したのではないか。このとき、A子の中で、一つの問題解決が成立したのではないか、と考える。 <文責・川合>
C記録「愛知県教育課程フォーラム」参加報告 |
平成16年度「愛知県教育課程フォーラム」に参加した。
○日時 平成16年7月2日(金)
○場所 名古屋中小企業センター
○日程 午前 @全国・教育課程説明会報告
A学力向上フロンティア実践校報告(小1、中1)
午後 @国立教育政策研究所所員による 教育課程についての説明
A教科ごとの分科会
<参加して>
○ 文部科学省の教育課程説明会の伝達であり、夏休みに各事務所単位で開かれる地区の教育課程集会の打ち合わせと いう性格の会。
○ 繰り返し、説明があったのが、今回の指導要領の小改定は、決して指導要領の方向転換ではない、ということだった。基礎・基本の定着、確かな学力の重視が言われているが、これは、これまでの「生きる力」の大切な一部である、と。なるほと゜、そういう言い方もあるのか、と少し感心した。
○ 評価については、子どもに返す評価、指導に役立つ評価が強調されていた。単元の終わりに、子どもに学んだこどをwebさせる方法が紹介された。子どもがどのよに学んだかをふり返らせる。こうした活動を位置づけることが教育的、ということだ。作文でなく、webというところが今日的か。(短め、ビジュアル)
○ 学力向上フロンティアは、算数のTT指導、習熟度別の報告だった。小学校3年までは、TT指導、4年から習熟度別というのは、一考に値する。習熟度別については、コース選択は、親と子どもが一緒に決める、単元ごとにコースを選べる、単元の途中から習熟度別を実施する単元を設けるなど、子どものニーズに応じる形を取り入れている。コース選択の権利は子どもにある、教師の側が子どもを分けるのではない、というところが、ポイントだろう。
○ 小学校・社会については、「調べて、考え、表現する社会科」がキャッチフレーズになっていた。「表現する」の部分の説明がまだわからない。「考える」こととほとんど同じ意味にも感じられた。全国での説明を伝達するという形で行われたため、「テープ起こしをして、このくらいの説明ですから、これを聞いて地区集会で話をれる先生方は、もっと大変だと思いますが」と話してみえた。社会科の力を大変細かく分析的にとらえている。たとえば、地図の利用の仕方にもいくつかの技能、身につけさせたい力がある。子どもの問題意識を高めること合わせてこうした技能、力を指導していきたいものだ。でないと、「技能を教える授業」になってしまいそうだ。
○ 中学校・社会は、金原先生が説明された。問題解決的な学習について自分の考えを持ってみえる方。文科省の説明をどう話されるか、期待して聞いた。「〜と説明がありました。〜ということだと思います。これについては、違う考えの方もあると思います。」と立場を分けてはっきり話されたのが印象に残った。ただ、「公民の指導要領にはドラマがある、と指導要領を作った方のお話をきいて、私も大変勉強になりました。」と謙虚に言って見えたことが心に残った。
<文責・川合>
B雑感「心にくい込む授業」 |
先日、知多(半田市)の先生と一緒に仕事をする機会があった。仕事の合間に話が弾み、東海市深谷猛延先生のことになった。すると、その先生は、「深谷先生には中学で社会科を教えていただきました。私が中学で受けた授業で覚えている授業は深谷先生の世界地図の授業だけです。」と言われた。30代後半の女教師の声に「へー。」と思わず声を挙げてしまった。地図の上に書いてある方向に行くと、アルゼンチンの方に行ってしまう。そのことについて話し合ったのだそうだ。 そして、授業の後に「レポート」を書いて出さなければならなかったそうだ。
たった一つだけ心に残っている授業。いいなあ。それ以上彼女から聞くことはできなかったが、彼女の中に心の中にやきつき、ずっと残っているのだ。深谷先生が昨年出された二冊の本のうち『個を育てる実践記録集』の中に「心にくい込む授業」と言う一文がある。彼女にとってまさに、世界地図の授業が心にくい込む授業だったのだ。※二冊の本を見ても残念ながら世界地図の授業についてはふれられていない。ただ、『授業に魅入る』の中に、名附中の教え子が、横浜国立大に進み、市川先生の教育学の講義で深谷先生の授業記録と出会った話が掲載されている。また、深谷先生は附中を出られた後も、一貫して子どもたちに話し合わせる授業実践をされ、「緒川城城主水野元信の死と天下統一」<中一>の実践を昭和57年初志の会・全国集会で提案してみえる。
※ちなみにこの女性教師は、緒川小のオープンスクールで育ち、加藤幸次先生に花束を渡した写真があるとのこと。中学は緒川町立北部中。深谷先生が名附中を出られ赴任された学校らしい。)
家で家内に聞いてみた。「おい、中学の授業で心に残っとる授業はあるか。」「さあ、理科でカエルの解剖やったことくらいかな。」(!)
自分の授業を教え子たちは、覚えていてくれるだろうか。心にくい込む授業をしただろうか。そういえば、教員になった教え子からこんなことを言われたな。「中学一年のとき、先生『熱帯雨林気候は大人、ジャングル、ジャングル、子どもは砂漠気候、中学生はステップ気候』って教えてくれましたね。あれは強烈だった。」と。これは下ネタ!(でも、実は教え子から「先生、大沼城やったこと、覚えてるよ。」と話してくれたことがあるんだな。) <文責・川合>
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A書評 『夜回り先生』(著・水谷修) |
「夜回り先生」と呼ばれメディアで取り上げられることが多くなった、横浜市の夜間高校教諭水谷修先生が、自分の半生を振りかえって思いをぶつけた本。なにがすごいって、不登校や引きこもり、薬物ちゅうどくなどになっている青少年に対する愛情は半端ではない。ある少年を暴力団から抜けさせるために、自分の指をつめている。それでも、その少年が幸せな今を送っていることから見れば、安いものである、と言い切っている。
その根本にあるものは、教師としての使命感や熱意とは違った。彼自身が決して幸せとは言えない幼少期を送っており、大人に捨てられた悲しさと、大人に救われた喜びが、夜回りをする彼の原動力となっている。
暴走行為をする少年も、薬物に走る少年も、彼は決して叱らない。逆に彼らをその世界に追い込んだ大人を厳しく糾弾する。「世の中には汚い大人が多すぎる。大切な子ども達を昼間の世界から排除しようとする大人、夜の世界へ引きずり込もうとする大人、何もしないくせに子ども達を救いたいと言っている大人・・・。私はそう言う大人が許せない。」(抜粋)そして、そこから、抜け出すために手を差しのべる。水谷先生が差し出した手につかまり、魔の淵からはい上がる子ども達は、幸せをつかもうと一人で歩き始める。それは、水谷先生自身が歩んだ道でもあるのだ。それらの子ども達から感謝されることで、水谷先生は逆に救われていると感じた。
自身のメールアドレスを公表しているのはもちろん、この本を出版しているサンクチュアリ出版に電話すれば、水谷先生の携帯番号も教えてもらえるようだ。きっと神様のような毎日を送っていることが想像される。それでも、人間として、人の役に立つ喜びをかみしめながら、寝る時間を惜しんで子ども達と対話を重ねているのだろう。とても真似できるものではない。
これは、水谷修という人の生き様なのだと思う。生まれたくもないのに、暴力的にこの世に産み落とされた水谷修という人間が、今までの人生で傷ついた心を癒すための取り組みなのだと思う。
私には私の人生や価値観がある。教育というものは、自分の人生観や価値観を精一杯生徒にぶつけ、その反動を精一杯受け入れやりとりと考えてきた。したがって、水谷修と同じである。一つ確実に違うのは、教師という立場に対する拘りである。残念ながらこの本の中には水谷先生がどのような授業を行っているかということや、授業に対する思いについては、あまり触れられていない。夜間高校では授業実践よりも夜回りなのかもしれない。しかし、私は「授業勝負」という教師としての生き方を、大切にしたいと考えている。この本を読むことによって、自分自身を見つめ直すことができたようだ。
<文責・早川>
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@書評『「教育の崩壊」という嘘』(著・村上 龍) |
私のクラスに学級文庫にもある「13歳のハローワーク」が売れに売れている村上龍紙のエッセー。どちらかと言えば、反社会的な作品を書いてきた彼が「教育の崩壊」という言い方は間違っていると語る序文と7人の著名人との対談、中学生1600人へのアンケート結果の三部3部構成。
【序文】
日本の教育は、崩壊ではなく、世界規模の産業形態の変化や、それにともなう日本の政治・経済システム、考え方の変化に対応できないというのが主論。私も「教育の崩壊」や「教師の質の低下」と言っておけば、社会全体が変化に対する思考停止を容認するから、メディアにとれあげられているだけだと思う。
実際私の恩師の中には、今考えると首を傾げたくなる人が何人もいたし、布袋小や北部中の先生方を見れば、昔より今の教師の方がはるかに優秀だということは私の世界の中では明白なこと。結局、社会全体が変化する子ども達に対応できていないのに、社会は学校のせいにして、リスクを負うことを回避していると思う。
村上氏によれば、豊かな社会になった今、崩壊して機能しなくなっているのは、教師や親の「権威のコントロール」という子どもに対する統治方法。なるほど今の子ども達は相手の力を瞬時に見抜き、教師という権威を振りかざしたところで、何の役にも立たない。成人式もこの「権威のコントロール」の代表例だと思う。成人式を見れば、学校や教育が崩壊しているのではなく、社会全体の権威が崩壊していると言える。
「権威による」コントロールという方法が崩壊した今、村上氏はこれから「コミュニケーションによる」コントロールに切り替えていくことを提言している。具体的には次のように提案している。
@家庭や学校へのカウンセラーの導入、警察や地域紙、民間組織との協力など、社会のインフラ整備が必要。
A私たち大人は、どう生きればいいのかを職業・仕事の多様な選択肢と充実感を得る方法を含めて、つまり、個別の希望を子どもに示さなければならない。
【対談】
7人の中でも、藤原幸博や河上亮一など、教育現場に立つ人の話は言葉が上滑りしていないので説得力があった。藤原氏の言葉では「コミュニケーションによる」コントロールを、教師の努力に依存するする部分が大きく、この学校の先生方の体や心がよく壊れなかったなと言う。河上氏は、今の時代に生きる教師として、教師の力だけでは問題が解決できないことを外部に伝えることも仕事だと言い切る。
「権威による」コントロールから「コミュニケーションによる」コントロールに切り替えて行く必要があることは理解できるのだが、結局すべてのことにコストがかかり、教師の献身的な個に対応する能力や意欲に頼らざるをえないと再認識。
<文責・早川>
