大会主題
第44回初志の会東海集会in鳥羽
 ◆期 日  平成18年1月7日(土)、8日(日) 
 ◆場 所  三重県・鳥羽シーサイドホテル

大会主題

−もくじ−
1 設置分科会
2 座談会「わたしがめざす子どもとその実践」
3 講演1 『想像と創造』 名古屋大学教授 的場正美 先生
4 分科会報告(特別支援教育分科会)
5 講演2 『授業実践のエネルギーとなる3つのこと』 
                          元御薗小学校長 
西  良孝先生
 
  注:このホームページは、初志の会の大会公式記録ではありません。会に参加した管理人によるあくまでも個人によるものです。

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1 設置分科会(7分科会)

分科会 授 業 者 提案授業
小学1年 岐阜・多治見市立精華小 
            島原由美子 先生 
「みんなで遊ぼうよ」
小学2年 三重・度会郡伊勢町立吉津小学校 
            桂  良太  先生
生活・国語「つくりかた、あそびかたをつたえよう」
小学3年 愛知・愛教大附属岡崎小 
            山田 昌弘  先生
「ハウスのなすは 家族の手から」
小学5年 静岡・三島市立北小 
            稲葉 智則  先生
「自動車をつくる工業」
小学6年 静岡・富士宮市立黒田小
            若林 好美  先生
「選挙から始まった近代国家の始まり」
中学1年 三重・三重大附属中 
            平野 朋希  先生
「津の海苔養殖」
特別支援 愛知・愛教大附属養護学校 
            斎藤 慎吾  先生
「生活をひろげる子−小学学部3,4年・ゴリラくんのひろばであそぼう−」

   


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 座談会  「私がめざす子どもとその実践」

○座談会       
 《 司 会 》 
 上原育也先生(愛知県・豊田市立高嶺小学校) 

  《パネリスト》
  堀田隆長先生 (三重県亀山市立井田川小学校)
  坂田俊広先生 (岐阜県・多治見市立昭和小学校)
  三上  聡先生 (静岡県・富士市教育委員会)
   
 義経追討を命じた頼朝の決断について、「兄弟を殺す」という視点と、「一族郎党のためにやむ終えなかった、武家社会の始まり」という視点の討論の実践(小6)をはじめ、経済教育、教材論、授業で大切にしてみえることなど、各県を代表する実践家の方が、自身の実践を元に活発な提案をしていただきました。


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 講演1 『想像と創造』
  
           名古屋大学大学院教育学研究科教授 的場正美 先生


◆想像と創造
想像とは、経験のないことを頭の中で思い描く事。推し量ること。
創造とは、今までにないものをつくりだすこと。
想像と創造は、経験とかかわりながら、非連続である未来へと向う。

◆問題解決学習に必要な想像と創造
・問題解決学習の問題を明確にし、それを解決するための仮設をたてる段階では、想像が働く。
・解決の予測は合理的に推論できる安全な道筋のみでできるのではなく、これまでの経験と知識を土台に、自分の願いを実現する方向に、想像の矢を飛ばすことにって生まれる。
・今日の主題は、授業における想像と創造の働き

◆イメージは子どもの精神精神活動の中核
・想像は、目の前にあるもの、自分の直接経験したもの、よくわかっていることを、目の前にないもの、自分の知らない、経験したことのないものと結びつけ、その結びつきを足場にしてさらに向こうにあるものにむかっていき、それを自分と結びつけていくことではないか。(日々裕1993)

◆経験と想像と楽観
・想像は経験を足場としている。
・経験が生きる(足場にできる)ということは、楽観的にはできない。
・これまでの経験を現在直面している問題に応用できると考えることは、楽観的である。
・自分の死を経験できないのと同じように、現在の経験は取り返しがつかない。

◆私事

・真理は変化する。
私が名古屋大学へきて、一番学んだことは、「具体例をあげよ」ということ。広島大学は「本物を見よ」ということだった。広島大学は、学生にも本物のフグを食べさせる。丁稚奉公の人には本物の小判を見せる。ところが、名古屋では、「具体例をあげよ」と言われる。個別、具体的に考えることを徹底的に教えられた。静的普遍から動への転換を迫られた。
・一口に発達といっても「それは何年生のことですか」と問われた。
・動くものを動くものが解釈する。
 これは、皮をどんどんはいでいくようなもの。徹底した相対主義の世界だった。
◆日比先生の挙げている例
・愛知県・額田町立宮崎小の2年生の子どもの作文からは、朝早くから農作業をする人を遠くから見て、遠くからでは見えない、働いてる人の汗が朝陽に反射している姿を想像している。この背景には、この作文を書く前の授業が大きく影響している。この子は、お茶畑を見学したとき、おばさんたちが朝露でぬれたを脱ぐのも忘れて、あせびっしょりになって働いていることに強く心を動かされていた。
◆内面の変化
    ・内面は、体験を通して外の世界(自然、文化)に働きかけ、外の世界を受け入れることによって、内面が変化していく。
 ・池田聡子氏によれば、音楽の実践の中で、音楽の構造の探求と人の心の構造の探求の相互作用の中で、表現の深まりが生まれた。(『考える子ども』2003,8月号)つまり。内面の変化と表現内容の変化には密接な関係がある。
◆内面の変化と意味ある知覚
・私たち人間は、序行を観察しても、ビデオテープのようにすべての活動を記憶してはいない。むしろ曖昧である。人間の目や耳の能力は、鷹の視力や犬の聴覚など他の生き物と比べて、優れてているどころか劣っている。それにも関わらず、豊かな意味を作り出すのは、意味ある知覚をし、目と手を働かし、口で表現し、未来につなげようとするからである。その総体が創造を生み出す。
◆体験、イメージ、創造、学問


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 分科会報告
 ※詳しくは、『考える子ども』(2006年3月号をご覧下さい。)

                    ★私の参加した分科会について報告いたします。


《特別支援教育分科会》
 

 
  「生活を広げる子」を育てるために
   〜小学部3,4年生「ゴリラくんと遊ぼう」の
                   実践を通して〜

      提案 愛知教育大学附属養護学校 斎藤慎吾先生
                      (協力者:同校 増岡潤一郎先生)


  ○研究主題 「生活を広げる子」副主題「子どもの学びを確かにする授業」
  ※学校概要、研究愛知教育大学附属養護学校ホームページが参考になります。
              http://www.fuyou.aichi-edu.ac.jp/

○参加者の感想・質疑



中村・静岡 1つ1つの段階を踏んでの指導の大切を実感した。私は、縄跳びをやった。やらせてばかりいた気がする。

酒井・愛知 @障害のおさえは。
      A「生活の中から」の生活のおさえは?
      B隆之にとっての学びはどうか。「丸太を超える」という狭いものではないはず。
      C体育だけでは狭くなる。


市川・三重 ・その子にとっての学びの意味は何か。
      ・学びの広がりが狭いのでは。
川合・愛知 ・各学習場面の学びによる実感の積み重ねが、学びを確かにするという理論になっている。各場面での実感を子どもが持っているのか。
       ・問題解決のプロセスを大切にしてほしい。
前田・三重 ・実践の中でうまくいかなかった場面は? そのときの教師の働きかけは?
小倉・三重 仲間とのかかわりが記録から見えてこないが?
影山・静岡 やらされている部分もあるのではないか。
○協議コメント
増岡・協力者 ・私が担任しています。(以下、隆之=仮名の障害についての説明。略)
     ・「生活をひろげる子」とは、自分からやってできたという実感を持たせることで。
斎藤・提案者 ・高い所に登りたい。台に乗る。走り続けたいという意欲を感じて、願う姿を設定した。      ・支援は、学習活動を組むこと。本人がやりたい活動、場面を組む。直接的な支援は、他の子とかかわることがない子なので、教師が前に出て走ること、できたとき、教師が「できたね。」と実感させる言葉がけなど。
    ・かかわりについて かかわりの場面をできるだけ持とうとしている。みんなで一緒に見る場面を設定。まねようとする姿が見られた。

酒井・愛知 こだわりの様子は?
増岡・協力者 (隆之の様子について説明。略)
酒井・愛知 言葉の程度は?
増岡・協力者 (隆之の様子について説明。略)
酒井・愛知 40cmから60cmの幅を跳び越えることができるようになった、ということの押さえは何か。斎藤・愛知 もとから違う場面では跳べる。できるること。走る場面でやる。走って跳べたことが、実感として嬉しそうだった。(45cm)。それで、60cmを跳べたという実感をさらに深めた。
酒井・愛知 恐怖心をなくすことが、体育の教科といえるのか。
市川・三重 60cmを三つやるという場面の設定があってよいのではないか。リズム、連続という視点があってもいいのでは。
中村・司会 小倉先生、指導要領はいかがですか?
小倉・三重 この学習の単元、学習計画がよくわからない。
斎藤・提案者 1、2時間目 45cmを2つ。3,4時間目は、幅60cm。7時間目は45,45,60cmで。最終的には、60cm2つ。これに合わせて、岩(高さ)を設定した。
市川・三重 この子は、リズム感で大きな学びを獲得したのではないか。
川合・愛知 「生活を広げる」という部分で「身体を意識的に使う」という部分で「体育科」という教科におさえをしたのではないか。厳密な教科の枠、ねらいというよりも、「生活を広げる」といいう研究のねらいがあって、それを支える教科という考え方でいいのでは。
増岡・愛知  体育の力としては、跳び方が変わったことが挙げられる。跳ぶという力はもっとあるかもしれない。でも、「跳べ」といって、跳ぶ子どもたちではない。
酒井・愛知 教科という枠で考えない。未分化な部分もあるから、その押さえがあればいいのでは。
影山・静岡 実践が終わってから、自分で教具を持ち出して遊ぶ姿は、生活に広がった姿といえる。
影山・静岡 まわり子を見て、隆之がまねした姿はなかったか?
増岡・協力者 まだしていません。
中村・司会 個別支援計画について(話題転換)
増岡・協力者 教育支援計画は、全体。特別支援計画は、学校ごと。長期で。三年間分作る。
個別指導計画は、排便、言葉、数、音楽などは、学期誤と、親と相談して。学期の終わりに親と相談して、出来たもの、できなかったもの、やらなかったものを色分けして。教育支援計画は愛知県の様式がある。
小倉・三重  四日市は、様式はなかったが、12月市独自のものを作成。来年度より実施。関係機関との連携など保護者との連携が必要になる。また、特別支援教育についての後方活動も進めている。
市川・三重 普通学級の子どもも調整機能が落ちている。音楽と体育は大切。
小倉・三重 この実践では、踏み切り足のことも大切だと思う。

◆生活広げるについて
・市川 生活を広げる →学びを生活に生かしたくらいにしておく必要がある。今の提案では、多き過ぎるのでは。大切なことは、学びを1つ広げる部分ではないか。「丸太を跳んだ」という広げるは違うのではないか。8時間の中で、「丸太を跳ぶ」ところまで見通すことことは難しいのでは。むしろ、学び、その学びを生かすところを、生活に生かしたとしてよいのではないか。その方が見通しやすい。
酒井 やや信じがたい部分がある。多くの障害児学級の授業を見てきたが、8時間でこれたけ変わったといえるのか。違う要素もはたらいるのではないか。単元を抜けた姿のおさえはどうだったのか。
中村 特殊学級で、今まで自分は「できること」に満足していた。「生活を広げる」という視点を持つ事が大切ということがわかった。「しかる」と指導案にない「裏ワザ」も使っている。私の現在の問題意識として、今、特殊学級で分数を教えているが、教える必要があか悩んでいる。
酒井 ・誰にも知識欲がある。受刑者に教えた経験があるが、「分数をわかるようになりたい」と強く言っていた。
・子どもをバカにした授業を見たことがある。中学校で、お金の授業をするとき、お金とすしの模型でやる。子どもが逃げていった。なぜそんな勉強をしなげはれいけないのか、子どもに伝わらない。その子が興味をもつものを使ういう視点が欠落していた。
影山 健常児ど同じように学習活動を組んでやっているように感じられるが。

小倉 その子がもっている興味はなにか。
増岡 今回のよさは、自分からやって、できるようになったこと。
酒井 自分からできるというのは大切なこと。
市川 この授業では、教師は、子どもにかかわっている。出来た後の暖かい言葉がけなどでわかる。しかしその部分が少ないからわかりにくい。実際にはもっとあったのではないか。このことは、昨年の増岡先生の提案にも感じた。
(※以下略)
<コメント>
◆斎藤提案から学ばせていただいたこと

 子どもの実態をとらえ、きめの細かい支援による実践は、参加者は深い感動を覚えました。一人一人に対して課題と支援の方法が示されていました。日頃の生活の中から「その子の伸びる芽」をとらえようと子どもをとらえつづけてみえた、斎藤先生の力だと感じました。また、全員が熱中できる教材(ゴリラくんと走る)が、子どもたちを引っ張っていました。そして、単元の中で、cm刻みで子どもを伸ばしてみえました。この姿勢は、障害児教育でなくても見習うべきことだと感じました。私は、今年、附属養護の研究会(平成17年11月)に参加し、斎藤先生、増岡先生の授業を参観しました。教室いっぱいに1つの教材がつくられ、その中ら一人一人の学習課題にあった活動が用意されいました。一人一人の子どもたちのために、教師がこれだけの努力する、汗をかくということに深い感動を覚えました。
 また、実践がスムーズに行き過ぎる、という意見が今回参加者からありました。これに対し斎藤先生が「学習活動を組むことが最大の支援」といわれましたが、いやになれば、動かない子どもたちです。どうやったらこの子たちが動くか、どんな「状況」(支援)を持ち込むか、授業者はそこに、大変な時間と思考錯誤を実際には費やしてみえる。そして、できたのが斎藤先生の言われる「学習活動」です。障害児の子たちが動く学習活動を組む、まず、それだけでも、すばらしいことだと思いました。
 そして、「生活に広げる」という視点を持つことの大切さ。教科の学習していても、生活への広がりを考えなくてはいけいなということを、参加者全員が再確認できた分科会だったと思います。斎藤先生、そして、サポートしてくださった増岡先生、本当にありがとうございました。


◆分科会で議論されたこと
この分科会では、議論されたこととして@障害児教育において@「生活を広げる」ということの意味と方法、A授業記録について、の2点が焦点であったように思いました。
@障害児教育における「生活を広げる」について
 ・附属養護の今回の提案は、生活単元でなく、「体育」という教科の提案でした。そして授業での願う姿は、走りながら幅(川)、高さ(山)の障害を超えていくというもので、、単元をくぐりぬけた「生活に広がった姿」は単元終了後の2週間後の「丸太を跳ぶ姿」でした。この姿を「生活として広げた姿」として押さえることができるのか、についての議論がありました。自分からやって、できたという実感があるのなら、単元の関連した内容の中に「生活を広げる姿」を設定してはどうか、という意見ありました。自分から動く姿をとらえてくと、今回の授業によって広がった部分は、他の姿としてとらえることができるかもしれません。
A障害児教育における授業記録について
・うまくいかないことの方が実際には多い。研究にかかわる部分の授業の切り取りだけでなく、跳べなかったときのその子の状況や教師のはたらきかけが貴重な資料となる。
 これは、今回の資料が研究紀要のスタイルだったための意見だと思います。障害児教育の授業研究として、次年度以降の初志の会・特別教育分科会の在り方の参考にしたいと思います。
                                   (記:特別分科会助言者)

今回の特別支援分科会へ
参加してくださったみなさん。
少人数で、一人一人が考えを出し合うことができました。

  斎藤先生、ありがとうございました。





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 講演2 『授業実践のエネルギーとなる3つのこと』
           元御薗小学校長(三重県総合教育センター)  西  良孝先生  

 西先生は、初志の会において、長く中学校部会をリードしてみえた方です。高齢者問題をはじめ著明な実践をいくつもされました。
 今回は、授業実践のエネルギーとして、@生きる力の意味をつかむこと A自分が行う授業について過去の研究成果に学ぶこと、A授業分析の意味をつかむことの3点からお話をいただきました。

◆はじめに
 初志の会のよさは、いろいろな個性を認めてること。宮大工の小川三夫さんは「不揃いの形こそ安定感があるし強い」と言ってみえる。 

◆生きる力の意味について−「木を見て森を見ず」「鹿を追うものは山を見ず」になっていないか。
・「人間は個の一貫性が重大である。どんな一生を、どんな老後をその子に描くかの思いがあってこそ、教師の仕事は生きる。」(上田薫先生『考える子ども』NO.298)
・社会科の発足のねらいと方法
基本的な概念の整理をしているか。 生きる力とはいったい何か。「あいさつもでぬ子どもに英語塾」「自由にと言われてとまどう子どもたち」といわれる中で、何をおさえるべきか。私は、身体的な面の力、社会的・経済的な面の力、精神的な面の力の総合力だと考えている。現在、経済的な面の力のみをクローズアップしていないか。
・学力について。学力は、学習によって獲得された力だと考える。確かな学力とは意味を持て獲得されたものだと考える。エジプト文明=象形文字、太陽暦、測量術を覚えても、テストに必要なだけで、私たちの生きる力とならない。しかし、ナイル川の定期的な氾濫→暦の必要性(シリウスの移動に観察)、氾濫後の耕地の所有→測量術の必要性、氾濫の記録の必要→象形文字というように、関連づけると、そこに文明生活の必要性とともに生まれてきたことを理解ことができる。
基礎と基本について。基礎は大本。ことば、基本は枝葉の元になるもの。
・興味、関心、意欲とは。興味とは、情緒的なものが含まれる。関心は、心があるものに引き付けられること。意欲は、具体的に行動しようとする心。

◆授業について−長年の成果に学び、新たな一歩を
授業とは、全人格的なもの。そこが、学習塾と決定的に違うところ。教師と子どもの心の体制がある。個と集団の高まりがあると言える。
・学習指導や教授は文化の伝達である。講演は不特定多数を相手にしたもの。
授業研究の窓口には、@カリキュラム論、A教材論、B学習過程論、C授業方法論D子ども論などがある。
(1)教材論的窓口から
教材とは、子どもたちを刺激して、より人間的に成長させるもの。
・地域教材については、方法概念と目的概念がある。地域教材のよさは、@身近かA具体的思考ができるB見学が可能C子どもに具体的な資料を作成させられるなどがある。大切なことは、子どもの中にある地域を引き出すことである。地域は子どもの経験の場であり、直感をはたらかせて観察活動を行う場だから。
(2)学習過程論的窓口から
・授業は認識過程と集団過程の複合された過程である。人が考え始める時とは、矛盾の提示、困難さとの遭遇、驚き、葛藤場面などによる。
@課題解決的学習
の1つの流れ
 問題設定→仮説→検証計画→検証→吟味発展
例。水産業関係者が植林をしている写真→なぜ魚をとらずに山に木を植えているのだろう。
A問題解決学習の1つの流れ
 困難の漠然たる自覚→困難の明確化(切実性)→問題解決の自覚→予想をたてる→解決方法の仮説を推論によってはっきりさせ、検討する→検討によって生き残った仮説をさらに観察、実験によって検証し、結論する
例1 お店屋さん見学→自動販売機は店か?→給食調理室は工場か?
例2 高齢者の観察→病院の待合室でよく見かける、ゲートボールをしていた→高齢者の人の生きがいは何か
(3)授業方法論的窓口から
・教育機器、パソコンの活用、ゲストティチャーの協力、シティキャンパス的な考え
・資料の機能…@学習への意欲を高める、A問題の発見や把握 B知識や情報を得させる C学習の糸口や手がかりをつかませる D概念、原理をつかませる
(4)子ども論的な窓口から
・児童・生徒は柔軟かつ素晴らしい可能性を秘めている。
例 アルタミラの洞窟壁画をめぐる話し合いの授業→「何のためにこの絵を描いたか」に対する様々な考え方。
・「あなたは、学級の子ども一人一人についてどれだけ語れますか」

◆授業分析の意味を問う−医者は病気を見、名医は病人を見る
(1)授業分析
@その個を把握し、その個に応じた可能性を伸ばすことが大切、またそのこと(事例)が他の児童生徒の教育に役立つ(事例の中に一般性があり、それが新たな教育技術に関わる)
A方法;授業の録音・録画→文字にする→文節に分けるなど→目的と関わって分析・研究(カルテ、座席表、評価テスト、アンケート、ポートフォリオ等にも活用)
(2)授業分析、授業研究に関する様々な考え方について
・「望ましい授業の典型を創造するため」「すべての子どもの学習の法則性ほ探るため」「授業を構成する変数の関係明らかにするため」「個度身の学習の法則性を探るため」「発問、指示、助言等授業技術を向上させるため」→『子どもの変容と発展を把握するため」「人間が自己をどう選択し、構築していくかを解明するため」
  三重大附属中にいるとき、子どもたちに自分の授業のビデオを見せ、そのとき、考えていたことを書かせた。授業の中での子どもたちの心の動きは、様々である。「A君、本読むのうまいなあ」「B君があたったで今度は私かな」「C君が言ったから正しいと思った」「珍しく先生がDさんをさん付けで呼んだ」「Eは発表ばかりしてうざい」「もうじきチャイムが鳴るやろ」

◆おわりに
 金子みすずの詩「星とたんぽぽ」にふれて

ユーモアを交えながら、授業のキーポイントを整理してくださいました。



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