考える授業サポーターへのお誘い
霜田一敏(愛知教育大学名誉教授)
               
 小学校から高等学校まで、学校教育で行われている多くは、覚えねことを目的にした授業であり、先生が覚え込ませる授業である。如何に効率よく上手に正答を覚えるかが学校での成績になり、それをうまく成し遂げる生徒が優等生である。この風潮や考えはすべての生徒に行き渡っているといえる。今日の高校から大学に進学してくる学生を見れば歴然とした事実である。大学に進学してきた学生たちの多くは、問題意識を持って積極的に考えたりしているとはいえない。授業に対しても、受け身の学習体制であり、教官に教えてもらい、それを理解し覚えようとする。黒板やボードに書かれたものをそのままノートに写すことを勉強することだと思っている。要領よくノートし、それを覚えて試験にパスしようとする態度が、学校教育12年の間に染み付いてしまっているのである。その背景には答は一つであるという正答主義がある。教師や教科書、参考書に正答があり、それを批判して別の答を求めようとしたり、複数の回答を追求しようという考えは受け入れがたいのである。学生たちは、教えられるものを如何に受け入れ理解するかという受け身の思考活動しか働かないのである。主体的な思考活動を喚起することはない。考える主体、学ぶ主体が育成されていないところに問題がある。

 学生たちは大学の授業のなかで主体的な発言や考えが求められると困惑してしまう。大学ではレポートや論文の提出が頻繁に求められるが、自分の考えを論理的に展開する術を知らない学生には重荷である。今の学生は問題意識も批判力も育成されていないから、何を主張しどう書いたらよいのかわからず、コンピュータや他の人の論文に頼り、そのまま引用して自分が書いたものにする。盗作であることさえ、意識されていないのである。

 これらの学生たちが4年間の大学教育で主体的な人間に育っていくであろうか、きわめて疑問である。大量の学生を受け入れ、少人数の教官でマス教育をしている大学教育では、ひとりひとりの人間力の育成や人間教育まで目が行き届かないのが実状である。

 今大学を卒業して、それぞれの職を得て社会人になっていく学生たちを見た時、これからの日本社会の将来に危機を感じてしまうのは私一人だけだろうか。

 根本から人づくりや教育のあり方を問い直す必要がある。特に、学校教育のあり方を問い直し、考え直さなければならない。知識を覚える教育から脱皮し、幼少時から考える主体をどう育てるかに目を向け、時間と労力をかけて考える力を育む授業の復興を図らなければならない。そのためにも考える授業の普及とそれを可能にする教師の育成は急務である。特に来年度から団塊の世代の退職を迎え、また、少人数学級の増加が見込まれることから、在職の教師も含めて自主的な再教育、再研修の機会を設け、サポートが必要である。

 幸いにして、優れた実践を残された社会科の初志をつらぬく会会員の方で退職された方や退職の時期を迎えられた方が多い。その先輩方に、これからの日本の子どもたちのためにも奮起して頂き、各地で休日などを使って自主的な教師の集いや研究会を催し、現場の様々な悩みの相談や教育実践上のサポーターとなって初志の会の考えの普及に努めて頂きたい。私も及ばすながら愛知県を中心に、各地の集いに参加してサポーターの役割を担いたいと思っている。その際には、初志の会への入会という条件をつけないで、考える子どもの育成、教科を越えて考える授業をつくる協力者・仲間として手を携えて組織拡大に努力すべきであると考えている。
                                     (平成19年1月 記)


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