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啄木記念館
石川啄木記念館
(盛岡市北部の旧玉山村にある)
渋民小学校
渋民小学校の復元校舎
(啄木記念館の構内に移築済み)
盛岡中学の顛末
盛岡中学での顛末
(中途退学)

啄木の故郷を訪ねる

愛されている啄木

10月11日に盛岡で僅かな時間の余裕を見て、啄木記念館を訪問した。記念館の展示によれば、石川啄木の歌碑は全国に164基もあるという。しかも、彼が住んだ土地や訪問して歌に詠んだところ以外にも多いのはなぜか?
彼が生活した地は、岩手(渋民村と盛岡)⇒東京⇒岩手(盛岡渋民村・代用教員時代)⇒函館⇒札幌⇒釧路⇒東京である。しかし、歌碑は青森宮城、福島、栃木、茨城、福岡、広島、高知、沖縄など13県に建立されている。
 彼が愛される理由はいくつか考えられるが、青春を歌った作品が共感を呼ぶためであろう。多くの作家が、若いころに啄木の作品に惹かれた事を、多少のテレを含んで、告白している展示がこの記念館にある。

啄木の生涯

渋民村の小学校時代は神童や天才と言われた。盛岡高等小学校(現在・市立下橋中学校)を経て、盛岡中学(現在・盛岡第一高校)に進学するが、ここで、先輩諸氏や先生の影響で文学に目覚める。在学中から与謝野鉄幹が主宰する「明星」に投稿し、注目される。盛岡中学を中途退学し上京し、文学を目指したのは16歳の頃。19歳で処女詩集「あこがれ」を刊行するが注目されない。失意のうちに岩手に戻り、20歳で結婚し、渋民小学校の代用教員となる。
21歳で函館(商工会議所臨時雇い、代用教員、新聞社社員等)に移り、4か月暮らす⇒札幌⇒釧路を経て、22歳の時に、本格的に文学に取り組む目的で、妻子を函館に残し、金田一京介を頼って上京⇒23歳で「スバル」の創刊にかかわり、幾つかの作品を発表するが文壇からは認められない。⇒24歳で歌集「一握の砂」を発表するが、文壇から認められず、東京の生活は苦しく、朝日新聞の較正係や新聞歌壇の選者として生活する。⇒25歳で詩集「呼子と口笛」を発表するが、高い評価を得ることはできない。
26歳(1912年4月12日)で、肺結核のため死去。葬儀は15日に浅草の等光寺で行われ、夏目漱石、佐々木信綱、北原白秋、木下杢太郎、金田一京介、若山牧水、土岐善麻呂らが参列した。啄木はこの寺に葬られたが、後日、遺骨は函館に移された(函館に一族の墓がある)。1912年6月(死後2か月)に刊行された詩集「悲しき玩具」は各方面から激賞される。
(注)盛岡第一高校の卒業生名簿を見ると、明治36年3月卒業生の「卒業外会員」の欄に石川一(啄木)の名がある。
1年先輩に野村胡堂、2年先輩に金田一京介、3年先輩に米内光政の名がある。宮沢賢治は大正3年卒(11年後輩)。

啄木の作品紹介

石川啄木の歌の中で歌碑に多く刻まれている歌の上位3首は次の通り
1.ふるさとの 山に向かいて 言うことなし ふるさとの 山はありがたきかな (国内の6箇所にある)
2.かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川      (国内の4か所にある)
3.東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる        (国内の3か所にある)

啄木の歌は多くの人が一首や二首は記憶しており、青春の感慨を心に浮かぶままに歌い上げているからこそ愛されるのではないだろうか?短い生涯の間、孤独、放浪、恋愛、失意、病苦を経験しながら、全生涯が青春だったと思う。
多くの詩から独断と偏見で選ぶ。

1.不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心(盛岡の不来方城の碑=自分も高校時代に寝転んだ)
2.砂山の砂に腹這い 初恋のいたみを遠く 思いいずる日  (函館の啄木浪漫館の外の碑 中学時代に見た)
3.石をもて追わるるごとく ふるさとを出(い)でし悲しみ 消ゆるときなし
4.ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聞きに行く   (上野駅の碑)
5.いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の間より落つ
6.たわむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず  (広島 三次市の碑)
7.友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買いきて 妻としたしむ
8.呼吸(いき)すれば 胸の中(うち)にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりもさびしきその音
9.新しき明日の来(きた)るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど
10.やわらかに柳あおめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに   (旧・渋民村の碑 啄木記念館に近い)
11.盛岡の中学校の 露台(バルコン)の欄干(てすり)に 最一度われを倚(よ)らしめ (盛岡一高前の碑)
12.函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢車の花            (函館公園の碑)
13.病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあおぞらの煙かなしも 
14.その昔 小学校の柾(まさ)屋根に わが投げし鞠 いかになりけん    (下橋中学校の碑)
15.はたらけど はたらけど 猶わが生活(くらし)楽にならざり じっと手をみる

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