11月9日、北関東の古峰神社の庭園・古峰園と、日光の輪王寺の庭園・逍遥園に紅葉を愛でに出かけた。
東北道の鹿沼ICから古峰(こぶ)街道を経て、古峰神社(ふるみね)神社を参拝し、その庭園の古峰(こほう)園は黄葉と紅葉が織りなす、まさに、紅葉の錦と言う表現がふさわしい。
一方、輪王寺の庭園・逍遥園はやや小ぶりではあるが、苔や池を含めた小さな錦の世界を見せていた。
紅葉を楽しむことは古くから行われていたらしく、万葉集や源氏物語にも登場するらしい、平安時代には貴族の遊びであった紅葉狩りが庶民に広がったのは、徳川8代将軍・吉宗が飛鳥山に桜と楓を植樹して、庶民に開放した事が契機と言う話もあるが、正しい話か否かはわからない。
植物の葉は一般的に緑色をしているのは「葉緑素(クロロフィル)」を葉に含むからで、この葉緑素は赤色の可視光を受けて光合成を行う。光合成は炭酸ガスと水を原料にして、糖類(デンプン)と酸素と水を作り出す。
秋に冷え込みが厳しくなり、木が周囲から十分なエネルギーを得られなくなると、木は活動を抑えて、休眠状態に入ろうとし、葉は不要になり、葉と幹の間に「離層」と言う仕切りを作る。
そうすると、葉と幹の間で養分が循環しなくなり、葉に残った糖分(デンプン)は分解されてブドウ糖に変化する。このブドウ糖が葉のなかにあるアントシアジニンと言う物質と結合してクリサンテニンと言う赤色の色素に変わります。一方、葉の中で養分を作る必要がなくなると、葉緑素が分解されて、緑色が薄くなり、この赤色が目立つようになります。これが「紅葉」です。
一方、銀杏などでは葉が黄色になります。銀杏などは葉の中にアントシアニジンと言う物質を持たないので、ブドウ糖があっても、赤色の色素を合成できません。しかし、植物の葉の中にあるカロテン(黄色い)がもともと存在し、葉緑素が分解される秋になるとこのカロテンの黄色が目立つ様になります。これが「黄葉」になります。
小倉百人一首の中に、紅葉の歌は6首ある。
(山に映える紅葉)
1.奥山に もみじ踏み分け鳴く鹿の 声きくときぞ 秋は悲しき 猿丸太夫
(さびしい奥山で紅葉を踏み分けながら妻を思って鳴く鹿の声がする。その声を聞くと秋の悲しさが感じられる)
2.このたびは幣も取りあえず手向け山 紅葉の錦 神のまにまに 菅家(菅原道真)
(今回の旅は急なことだったので前もって(神に祈るときにささげる)幣(ぬさ)の準備もできませんでした。神
よ、手向山の錦のように美しい紅葉を手向けの幣として、御心のままにお受け取りください)
3.小倉山 峰のもみじ葉こころあらば 今ひとたびの御幸またなん 藤原忠平(貞信公)
(小倉山に紅葉葉よ、もしお前に心があるならば、もう一度天皇の行幸があるはずだから、それまで散らないで待
っておいてくれ)
(川に散る紅葉)
1.嵐吹く 三室の山のもみじ葉は 龍田の川の 錦なりけり 能因法師
(嵐の吹きさらす三室の山のもみじ葉は、竜田川の水面で錦のように美しい)
2.山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり 春道列樹
(山の中の小川に風がかけたしがらみ(柵のこと)は、流れきれずたまっている紅葉であった)
3.ちはやふる 神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平
(不思議なことが多かった神代にも聞いたことがない。竜田川が美しい紅色にくくり染めにするということは)
小倉百人一首は鎌倉時代の歌人・藤原定家の小倉山の山荘を飾る色紙として選ばれた、と言う伝承がある。これがカルタとして普及しているが、語句が似た歌が多い事と、同じ語句が多い事が度を過ぎている点から、百人一首を研究分析した織田正吉氏の仮説が発表されている。 定家の小倉山山荘の色紙に書かれた歌がどのように配置されていたかを研究し、復元する作業である。この内容は彼の著書「絢爛たる暗号ー百人一首の謎を解く」「百人一首の謎」「謎の歌集・百人一首その構造と成立」等(横浜市立図書館から借用可能)に詳しく述べられている。
面白いことに、歌をキーワードで繋いで配置すると、承久の乱で隠岐に流罪になった後鳥羽上皇への思いを隠した歌集であると織田正吉氏は主張する。
百人一首をネタにした落語「ちはやふる」「崇徳院」「陽成院」の3つで、前の二つは頻繁に演じられている。
1.「ちはやふる-1/3」(-2/3)(-3/3)(百人一首の27番歌)
2.「崇徳院-1/3」(-2/3)(-3/3)(百人一首の77番歌)
3.「陽成院」(百人一首の17番歌)