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八幡宮
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牡丹園標識
牡丹園標識
牡丹園の看板
牡丹園の看板
@藁囲型
@藁囲型
A傘型
A傘型
B路地型
B路地型
ピンクの牡丹
ピンクの牡丹
 牡丹色の牡丹
牡丹色の牡丹
白い牡丹
白い牡丹
黄色い牡丹
黄色い牡丹
ピンク牡丹のアップ
ピンク牡丹のアップ
梅の芽が膨らむ
梅の芽が膨らむ


鎌倉・鶴岡八幡宮の寒牡丹

例年、鶴岡八幡宮の寒牡丹を見てきた.

鶴岡八幡宮の寒牡丹(冬牡丹・正月牡丹)は1月1日から2月下旬まで公開されている。藁囲い型、傘型、路地型の3つ形があった。私が訪れたのは1月19日で、まだ、花は散るには間がある。与謝野蕪村の句・「牡丹散って うち重なりぬ二三片」という状態ではなかった。一方、梅の小枝は既に若芽が膨らみ、2月末には梅が楽しめそう。
牡丹は「富貴花」とか「百花の王」とも言われ、花の王と言われている。中国原産で、薬用として利用されている。日本でも「六味地黄丸」等の漢方薬の原料になっているらしい。
楊貴妃は種々の花の名前になっていて、桜、梅、芍薬などに、その名を残している。

中国の文学と牡丹

李白清平調詩=玄宗皇帝が牡丹を見て李白に詩を求めた。李白は牡丹を「楊貴妃」に見立てて次のように詠った。「雲想衣装花想容 春風拂監露華濃 若非郡玉山頭見 會向瑤臺月下逢。」大意は「雲を見れば楊貴妃の美しい衣裳が眼に浮び、牡丹の華を見れば楊貴妃の美貌が連想される。春風は沈香亭の手すりを吹き抜け、牡丹をぬらす美しい露はあでやかだ。これほどの美人は、群玉山のあたりで見かけるのでなければ、瑤台の月明りのもとでしかめぐりあえないだろう。」
一方、白居易の「牡丹芳」の中で「花開花落二十日 一城之人皆若狂」(花開き花落つ二十日 一城の人狂えるが若(ごと)し)詠い、牡丹より大切なものがあると警告している。そして、「大臣たちが牡丹にうつつを抜かすのは、その花のすがたが、あまりにも奇絶であるからなのだ。こうなれば、もう造化(自然)の力にすがり、牡丹の魅力をすこし減らしてもらうほかなさそうだ。そうなれば大臣たちも、花を愛する心を、農事にふりむけることができ、農事を愛する心に近づくことができるのではあるまいか」と詩を結んでいる。 

牡丹は平安時代には日本でも知られていたらしい。

万葉集には牡丹を歌った歌は登場しないと言う。奈良時代には牡丹が日本で知られていなかったと思われる(但し、奈良時代、正倉院の「柄香炉」には、牡丹唐草と獅子が結びついた文様が見られる。これは、輸入品で、国内で作られた工芸品ではない)。平安時代になると「蜻蛉日記」や「枕草子」には牡丹が登場するし、漢詩に詳しい紫式部も牡丹を知っていたらしい。平安時代後期に作られた陶器には牡丹のデザインがある。

花札の牡丹には唐獅子

「獅子に牡丹」は「梅に鶯」、「紅葉に鹿」、「竹に虎」、等と同様に、「取り合わせが良い事」の例えであり、縁起の良い慣用句である。唐獅子は所謂ライオンではなく、文殊菩薩が乗ると言う想像上の霊獣で。魔除け効果を期待されている。狛犬とは異なる。

落語と牡丹

D班のホームページの前回(平成24年1月)のトップページに落語の「牡丹燈篭」を紹介した。この噺は三遊亭円朝が落語の演目として創案された「怪談噺」であり、その後、多くの真打が得意にしていた。また、歌舞伎でも三代目・河竹新七が明治25年に「怪談・牡丹燈篭」を発表し、大ヒットしたと言う。

牡丹園

牡丹園と言う名前のレストランは中華街にもあるが、牡丹を愛でる事が出来る場所は数が多い。学生時代に訪問した岩沼の「金蛇水神社」は今度の津波で被害を受け無かった様で安心。神奈川県の牡丹園としては、鎌倉の長谷寺や大船の神奈川県立フラワーセンターの牡丹も見ごたえがあるはず。

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