保土ヶ谷公園の「梅まつり」の幟@や看板Aを見かけたのは2月7日。早速、梅林に立ち寄って、茶店Jで和菓子と抹茶を頂いたが、早咲きの紅梅2本が蕾をつけているだけだったB。2月19日には一番早い枝が2分咲きB。2月21日には早咲きの枝が3分咲きC。保土ヶ谷公園の梅林は、同じ種類の梅でも、テニスコート寄りの木々は開花が遅く、梅園東側の八重寒梅(紅)、紅梅(紅)、八重野梅(白)の3種類が早めに開花していた。しかし、この3種の名前は公園の「梅の種類の看板Eには記載されていない。2月24日には一番早い紅梅が5分咲きF。2月28日には7分咲き状態GH。しかし、梅林全体を見るとI5%程度の開花状態なのに、梅祭りの幟@は撤去済みになっていた。
保土ヶ谷公園の管理事務所横の展示場では2月28日には雛飾りNや吊るし雛Mが展示され、外は、クロッカスが芽を出しK、春の近さを感じる。早くから咲いていた水仙Lは2月末になっても元気に咲いていた。
2月20日のTV番組で、曽我梅林が1か月遅れの状況と報道された。この調子では、鎌倉の瑞泉寺の梅の見ごろは、平年は2月末頃と言われているが、今年の見ごろは3月にずれ込み必至だろう。
早咲きの桜・河津桜は2月28日のTV情報では殆ど咲いていない状況で、3月18日まで桜祭りが延期されたという。
2月29日には横浜に雪が降った。今後、次第に春らしい天候になるが、梅も、桜も、桃も、順繰りに遅れるだろう。
梅と言えば、菅原道真と天神様。菅原道真は藤原時平の讒言により太宰府に左遷され、京都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」は有名。この梅が京の都から一晩で道真の住む太宰府の屋敷に飛んできたという「飛び梅伝説」もまた有名。
菅原道真が亡くなった後、当時の平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で藤原清貫が亡くなった事から、「道真の祟り」とされ、道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視された。道真の死後に贈られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から彼を祭った神社に「天満」の名がついたと言う。現在、天満宮や天神社は合格祈願スポットになっていて、京都の北野天満宮、福岡県の太宰府天満宮が合格祈願で有名。鎌倉には荏柄天神社がある。
菅原道真も編纂に関わった歴史書「日本三代実録」には、2011年の東日本大震災と同じ地域を、貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)にM8.3以上の地震と津波が襲った貞観地震の記録があり、多賀城(宮城県)で、建物の倒壊と津波による死者が多数出た記録が残されているし、「末の松山(波越さじとは)」には津波が到達しなかったとの記録がある。貞観年代には噴火や地震などの災害が頻発していた。歴史は繰り返すというが、1100年後の現在、巨大地震や噴火の連鎖が気になる。
桃の節句は陰暦の3月3日、陰暦の5月5日は端午の節句、陰暦の7月7日は七夕祭り、今はお祝いをする方もいないが、陰暦の9月5日は重陽(菊の節句)、これに、陰暦正月7日の七草粥 を加えて5節句と言ったらしい。
しかし、明治6年(1873年)1月1日の改暦以降、桃の節句を新暦の3月3日に祝う地域と、旧暦の3月3日に祝う地域が混在するようになっている。陰暦の3月3日は桃の花の季節だが、新暦の3月3日は梅の花の季節である。
平安時代には、上記の5節句は季節の節目に身の汚れを祓う大切な行事だった。桃の節句は「上巳の節句」呼ばれ、3月の最初の巳の日に、人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体の穢れを祓って健康と厄除けを願ったらしい。
後に、宮中で紙の着せ替え人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けた紙人形を川に流す「流し雛」へ発展してゆく。
室町時代になると、この節句が3月3日に定着し、やがて、紙の雛ではなく、豪華なお雛様を飾って宮中で盛大にお祝いするようになった。その行事が宮中から武家社会に広がり、更に、裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていった。雛祭りは女の子の健やかな成長を願う祭りとして今も定着している。
旧暦の3月3日は新暦では4月に当たり、桃の季節になる。そこで、3月3日が「桃の節句」と言われるようになったらしい。この節句の、雛祭りのお菓子としては、京都では、菱餅、引千切等が飾られる。一般的な菓子としては「桜餅」があるが、関西と関東ではイメージが異なる。桜餅は享保2年(1717年)向島の長命寺近くの「山本屋」の初代・山本新六が考案したもので、餡を小麦粉の皮で包み「塩漬けの桜の葉」にくるんで花見客に売り出し、大ヒットしたらしい。関西風の桜餅は、細かく砕いた餅米を蒸して、餡を包み、俵型にして塩漬けの桜の葉にくるんでいる。
桃の産地と言えば近くでは甲府盆地が有名。4月には一面に桃の花Pが咲き揃い、見事な景色になる。数年前に、山梨県の「新府城址」で桃の花を愛でた事があるO。新府城は、甲斐武田家の最後の当主・武田勝頼が最終拠点とした城で、その「滅び」を想えば、もの悲しい雰囲気がある。廃城を歌った「荒城の月」にはもの悲しい曲想を感ずる。
この曲想は、スペインに残るイスラムの建築物として、コルドバの「メスキータ」、グラナダの「アルハンブラー宮殿」等を連想させる。アルハンブラー宮殿は城塞の機能を持っていて、イスラム系の方々の拠点であった。しかし、スペインのレコンキスタ(領土回復)によって、11年間包囲され、1492年に開城し、北アフリカのイスラム圏に去った。以前訪問した時、もの悲しい雰囲気を感じた。この雰囲気を反映した音楽が2曲ある。
1つ目はタレガ作曲の「アルハンブラーの思い出」というギター独奏曲。名手・N.イエぺスの演奏が光る。J・モラーのの演奏も、村治佳織の演奏も良い。スペイン南部のアンダルシア地方の観光地に通ずる道筋では、若者がこの曲の演奏を聞かせて小遣いを稼いでいた。この曲はギター独奏曲なので、一人で稼げる便利な曲である。
2つ目は、盲目の作曲家・ロドリーゴ作曲の「アランフェス協奏曲」というギター協奏曲。この曲の第2楽章冒頭のイングリッシュ・ホルンとギターの掛け合い部分は哀愁を帯びた曲想で人気があり、第2楽章だけが単独で演奏される。第2楽章だけの演奏としてはN・イエペスの名演がある。また、村治佳織のギター演奏も良い。2楽章だけでなく「全曲」(J・ウイリアムのギター)の演奏では、最初の7分は第1楽章で、第2楽章はその後になる(第3楽章まである)。カデンッア部では演奏者の個性が出るので演奏者の差を感じたい。尚、パソコン内蔵のスピーカーでは良い音質は期待できないが、良いヘッドフォンかPCスピーカー-1か-2を使えば、少し良い音質で音楽を楽しめる。
(注;アランフェスはマドリッドの南47Kmの町であり、滅びゆく者の哀愁を帯びた曲想がグラナダを思わせる。)