はじめに                                                              

10月の集中公演、これがあったからこそわずか7か月で復活できたと思います。

もちろん、多くの皆様からのご支援があってのことです。そのことを記憶にあるうちに書き記したいと思います。

 

<公演依頼は突然に>

6月のはじめのことでした。(団体企業名の敬称略)

10/9(日)に神奈川県鎌倉市の鎌倉宮で神楽を奉納しませんか。」

とのメールが届きました。その方は湘南リビング新聞社にお勤めで雄勝町出身、何とか雄

勝のためにとの思いで提案してくださいました。

 

 前年から決定している民俗芸能inとしまヘの出演、宮城県から依頼のあった北海道・東

北ブロック民俗芸能大会とあわせ10月集中公演(しばらくして仙台マチゲキも出演決定)

となりますが、絶対復活させるという揺るぎない意志のもと「できる限り道具を復活させ、

その時できるものをできる範囲で」と考え一丸となって進みました。

 

時をほぼ同じくして、ユネスコ協会連盟の担当者の方からメールがあり復興支援の手助

けを申し出てくださいました。後に日本テトラパックを主とする支援企業を見つけてく

ださいました。

 「これでかなりの事をやれる。」そう思うことができました。

5月に設立した雄勝法印神楽復興支援金とユネスコ協会連盟で流失した物資の購入や復

旧をし、できる見込みのある道具と残った道具でできるものを奉納しようという考えに

資金的裏付けがある程度確立し、より現実味をおびました。

 

道具の復旧、具体的には

・舞台・太鼓・音響設備は除く(舞台まで資金がまわらない、太鼓は借りることもできる。)

・舞に必要な道具を揃える。(揃えることのできる見込みのある道具を使用する演目)

・単純購入が難しいものは担当を決め受け持った道具の製作に当たる。

です。

面担当・ザイ担当・千早担当・石の帯担当

会議の度に進行状況を報告してもらい、不具合があれば皆で協力して事を運びました。

 

鎌倉宮公演が複数演目なので、ここで奉納できる演目を決定すれば他の10月公演もやれ

ると考え鎌倉宮の演目を決めました。

 

昼の部:道祖、岩戸開、産屋

夜の部:橋引、鬼門、蛭児、日本武尊

 

人員数が多く係るものとそうではないものをバランスよく配置しました。

7番奉納であれば、通常の祭典規模なので、平常時なら難なくこなせるのですが、

実際はここからが大変でした。

 

<実感のわかない稽古>

稽古日を決めて集まりますが、多くの神楽師は他方の仮設住宅におり、練習会場まで遠い

会員で35kmの距離を車で移動しなければなりません。

稽古日を定めても自治会などの集まりや新しい就職先の都合などで全員が揃うことも困難

でした。

話し合うことも多くて、いざ集まっても会議で時間を割かれる始末、やろうとしているこ

とがいかに大変なことか身をもって知りました。

 

道具がないことで、稽古にも支障をきたしました。

本番を想定した稽古をおこなう場合は千早を着けて行います。

この場合は使い古したものを使用するのですが、それもない状態です。

千早を着けたイメージのみで舞を稽古しました。千早の袖使いは舞のキモです。はたして

イメージのみでどこまでクオリティーをあげることができるか不安でした。

 

<画像に悪戦苦闘>

 7月、各イベントごとにポスターやパンフレットを作成するので、画像を提供してほしい

との連絡が入りました。正直焦りました。記録画像がほとんど無いのです。みんな津波で

流失していたことから、思うように画像が集まりません。自分の団体をPRするための初歩

的なものすら無かったのです。

 この危機を救ってくださったのは、本HPを通じて知り合うことのできた全国の皆様で

した。このことでも、皆様の支援により復活を遂げていくのだと深く実感し心より感謝し

ました。

 

<膨大な準備物>

道具を準備するために必要物品を整理しました。

7番奉納するにあたって必要物品数、なんと74品目!!

改めてなくしたもの多さに気づきました。

呉服屋から千早を構成する生地や帯を購入するにも、今までお世話になっていた店は津

波で壊滅しており仕入れができません。それでも周辺の店を探し、数本の帯を入手しま

した。それでもたりません。

 色々な情報をもとに足で探しました。東京にも行きました。探しに探してたどり着いた

のは岩手県でした。さすが民俗芸能大国岩手、そこの呉服屋さんは千早の構造を理解し製

作し数着を10月9日まで仕上げてくれる運びとなったのです。

 難題はほかにもありました。面です。数名の方が面彫りを名乗りでてくださったのです

が、流された面の情報が極端に少ないのです。1枚の平面写真から完全コピーを依頼しな

ければならず難航を極めました。彫りなおしをお願いすることもありました。頂いた面は

どれも完成度が高いものなのですが、雄勝の顔じゃないものは使えないのです。本当に心

が痛みました。

 

それでも名乗り出てくださった方々は、必死で取り組んでくださりかなりのものが、一面

また一面とそろいだしてきました。

途中からユネスコ支援で美術院国宝修理所に数面お願いする運びとなりました。

面の復旧はこれからも多くの協力を得ながら時間をかけて行っていきたいとおもいます。

 

<皆様のお名前を残したい>

 支援を頂いた方のお名前を何かに残したいと思っていました。そんな折、ユネスコ協会

連盟から神楽幕が贈呈されることが決定しました。復興支援金を頂いた方のお名前を裏

に残しては?と担当の方より提案されました。「これだ!!」と思いました。

 

9月初旬までご支援頂いた方々のお名前は、我々神楽師が常に控えている幕裏に、つまり

はいつもそばに皆様がいるという意味も込めて幕裏に刻みました。


<予期せぬ宮太鼓の寄贈>

 太鼓はどこから借りようか?そんな思案の真っ最中、有志により太鼓2基を寄付してくださると

の連絡が副会長より入りました。(許可を頂いていないので名称は伏せます。)しかも、雄勝法印

神楽の音に合うものが好ましいとの言葉を頂き、大きさや皮の張り具合も選ばせてくださったのです。

音質は、先輩神楽師が吟味し決定いたしました。
 

<雄勝法印神楽専用舞台>

 雄勝法印神楽の舞台の多くは津波により流出してしまい。暫くは神楽舞台での奉納はで

きないだろうと会員一同は思っていました。そんな矢先、仙台10−BOXの方々や学校

の教授
等々の有志が雄勝法印神楽再生実行委員会を結成し、雄勝法印神楽専用舞台を作って

くだ
さるとの吉報が届けられました。こちらの委員会の皆さんは独自で資金調達を画策し一流

の専用舞台を作ってくださいました。何度も雄勝まで足を運んでくださり、一緒にかつて

舞台があったところを歩き、現地の空気の中でことは進行して行きました。

 

分かっていた結果なのですが、それはそれは素晴らしい舞台が完成しました。本当に有難

かったです。こちらの舞台は10月22日仙台市で行なわれる「れきみん秋まつり」とい

うイベントで
正式に贈呈されました。

 

<実感できる瞬間>

10月、神楽師全員の白衣、袴、草履、そして千早が完成し皆の前にお目見えしました。

とたんに実感が湧いてきました。皆の顔に笑顔が見られました。各々の正装が揃ったこと

が皆嬉しくてたまらなかったようです。

 

10月7日舞台は一足先に鎌倉に向かいました。そしてこの日の夕方・・・

遂に今回使用する神楽道具74品目全てが揃ったのでした。翌8日は鎌倉へ出発の日です。

本当に綱渡りでした。でも、できました。この後も続くであろう残りの道具復旧作業に自

信をもった瞬間でした。

 

<鎌倉宮本番前当日>

10月8日早朝にバスにて出発、15:00到着鎌倉を少し観光させていただき、ご好

意で、鎌倉宮薪能を見ることができました。この日、今回の震災の影響で千葉県に引っ

越してしまった高校生神楽師と再会することができました。そして、彼も当日舞台に上が

る事が決定したのでした。この日は早々にお休みしました。

 

そして本番当日

 若者達は朝食もとらず鎌倉宮で作業をしていました。もちろん私もです。

 舞台を組み立て会場を作るためです。当然高校生神楽師達もこき使います。

こういう体力勝負の時もホント重宝する若手です。

9時に先輩神楽師が会場入りし舞台の仕上げ作業を手伝って下さいました。

 

ふと、会場を見回すと岡野玲子さんデザインの雄勝法印神楽復興支援手ぬぐいの販売ブ

ースが目にとまりました。岡野さんは復興支援金を立ち上げるきっかけをくださった方で

す。今回さらなる復興支援を申出てくださり、オリジナルデザインの手ぬぐいを販売し、

売り上げを当団体に寄付してくださるとのことでした。既に2枚もっていたのですが、さ

らに2枚購入し、今日の舞台で使用することを決めました。

 

舞台完成後はリハーサルをして、早めの昼食そしていよいよ衣装に袖を通しました。

背筋が伸びます。

いままでと違う緊張感。それは、今日はじめて着ける面、千早当等、はじめて上がる舞

台、道具とも舞台ともなじみのない初対面。

この面はどの角度から見れば生きるのか?この千早はどの帯とマッチングするのか?太

刀の長さは?舞台の感触は?

全てのものに同調していく・・・お互いのクセを手探りで探しながら友達になる。

今日、すべての神楽師が一斉に初舞台を迎えるにも等しいのです。そのような緊張感の

中で、舞台ははじまろうとしていました。

<鎌倉宮奉納>

セレモニー祝詞に続き一部が道祖で開幕となりました。まだ若い太鼓の音は、これから

私たちとともに熟成していくのだと思いました。

道祖の舞手は千早購入の中心的人物で、各地への仕入れ先の選定は彼が中心となって行

いました。どんな気持ちで今舞台にたっているのだろうか?たぶん本人に聞けば「いつ

もと変わらない気持ち」と答えるだろうな・・ 私は、楽屋で次の演目の準備をしなが

らそんなことを思っていました。舞は滞ることなく無事舞い納め道祖終了。いよいよ出

番です。演目は岩戸開です。雄勝法印神楽で最も重要視されている演目です。本演目の

主役は舞台搬送や大道具準備を中心となって活躍してくださいました。そして、最も大

切な本演目の太鼓には会員の最長老、御年81歳がつき大役をこなしてくださいました。

 

演目は進み自分の出番となりました。やり慣れた役どころ天津神です。やり慣れたハズ

の役柄でしたが、初舞台のような緊張感から汗が冷たく感じました。しかし、一歩舞台

にでるとよく周りが見渡せました。緊張はしていましたが支えてくださっている皆様の

お顔が見えたことで、心は不思議に落ち着きました。岩戸開で出番を一つ終え少しだけ

気持ちが楽になりました。

 

次の演目は産屋でした。尊は単純購入が難しいザイを作成してくださいました。

姫に抱かれた赤ちゃんは後から聞かされたのですが、主催者側が交渉を重ねて出演が決

まったそうで、東北は福島県で震災被災し、神奈川県に避難している方のお子様でした。

とてもしっかりした赤ちゃんで一番の大役をこなしてくださいました。

 

<舞台は第二部へ>

あたりは暗くなり、夜の静けさの中に神楽舞台は鎌倉宮と共に十三夜の光を受け幻想的

に映し出されました。夜神楽はとても感動的な舞台となりました。

はじめに橋引きが奉納されます。この演目の姫役は亡き高橋会長が得意とした役柄でし

た。この日は伊藤副会長が大役をこなしました。

昨年の国立劇場公演では裏方に徹して貰った高校神楽師3名も今回は橋引きの人負役と

して舞台に上がります。この一年で彼は少しずつ経験を重ねてこの舞台を掴みました。

未来を託すこの若い神楽師達は本当に心強く思います。

御年81歳最長老は監督役で大活躍!

震災復興を祈念するかのような舞に会場が笑顔になりました。

 

盛り上がった舞台の次は、いぶし銀の舞、鬼門!私の出番です。

これにつては、とても詳しく書きたいのですが、不思議と記憶にないのです。ただただ

無心で舞いました。綱を切った瞬間におひねりが飛んできたのを覚えています。

複雑な足遣いの舞で、一般受けしにくい舞なのですが、大きな拍手を頂戴しとても嬉し

かったです。

 

次の演目、蛭児の途中から雨が降り始め少々焦りましたが、多くのお客様は帰ることな

くご観覧を続けてくださったことにとても感動しました。

 

晴れの日ばかりでなはい、雨の日の奉納だってある。暑い日、寒い日、あらゆる環境で

適応できなければ舞人も道具も失格。その為の雨であり寒さでもあったかもしれません。

天気予報には傘マークなんてありませんでしたから。

 

それらに合格し、舞台は大トリ日本武尊

雄勝町で最も好まれている演目といっても過言ではない演目です。

 

凄かったです。会場がすべて一体と化して神々しく輝いて、まるでこの地に昔からあっ

て慕われていたのではないかとさえ思えるほどに・・・

 

十文字に鬼女が仁王立ちになり、ぐんと揺すると笹についた雫が照明と月の光を受けて

きらきらと舞い落ちます。会場の皆様も手のひらをグーにして視線を舞台に注いで下さ

っています。会場の興奮が最高潮に達したところで太刀を奪い、鬼女の首を落とし、

舞台清めのチラシを奉納。会場割れんばかりの大きな拍手が鎌倉宮にこだまし、一大

イベントは無事結びとなりました。

楽屋には、多くのお客様がいらして下さり、沢山のねぎらいの言葉とご支援を頂戴いたしました。

 

この日を迎えるまでの不安な時間はとても長かった。

この日を迎えるまでの準備期間は本当に短かった。

 

でも、一歩を踏み出さなかったら今日の雄勝法印神楽は無かった。

この日の感動や達成感は得ることができなかった。

踏み出す勇気をくれた皆様に、心から感謝申し上げます。

さらなる復興を遂げ、感謝の証としたい。

 強く、強く思った、そして心に誓った一日でした。

 

こうして10月の集中公演の幕開けは最高の形ではじまったのでした。

 

<さあ、お次は豊島区で>

鎌倉から戻り5日後、我々は東京都豊島区に向かっていました。民俗芸能inとしまに

出演するためです。こちらの出演は被災前より決定しておりました。

今回は他方の団体さんと一緒の公演になり一演目の奉納ですので、7名で伺うことに

なりました。

道具は前日にチャーター便で送り、当日会場に運び入れ道具チェックをします。

こちらの関係者の皆様もとても親切に温かく迎え入れてくださいました。

 

リハーサルも順調に進み一同は楽屋に戻りました。

 

気持ちよい10月の日差しを窓越しに浴びた楽屋で、他団体の方々の演目の音色をBGM

に自分たちの出演物の道具をそろえる。複数団体出演ならではの心地よさです。

うっとりしすぎてあっという間に出番が回ってまいりました。

 

演目は震災以降一番多く舞っている日本武尊でした。

頻繁に奉納する時などはちょっとした工夫をします。

それは、演者をかえることです。ルールを守っていても表現に違いがあらわれます。

野球の投手がみんな同じフォームでないのと似ているかもしれません。地元では、「○○

(誰が)舞っている●●(演目)が好き」という人がいるくらい表現が変わります。

今回は尊を鎌倉宮奉納で鬼女を演じた方が演じました。

鬼女は副会長が舞い奉納は大盛況でした。

そして、楽屋には多くの人々が足を運んで下さり豊島区の皆様はじめ多くのお客様から

励ましの言葉とご支援をいただきました。

鎌倉宮・としま区とはしごしてくださった方々も沢山いたことを後で知り、感激しまし

た。


 <れきみん秋まつり>

 inとしまから一週間。我々は仙台市榴ヶ岡公園におりました。この日もとても重要な

日です。<雄勝法印神楽専用舞台>の贈呈式があるのです。

 生憎の雨模様でしたが、会場には立派に神楽舞台が設置されておりました。

!!!  神楽師は一様に驚きました。そこには神楽舞台に付随する「竜宮殿」と呼ばれる

小舞台があわせて設置されていたのです。

 小舞台は、本舞台を縮小しているだけなので、構造的な手間暇は本舞台と同等にかかるはず

です。それをこっそりと制作してこの日にサプライズプレゼントとは・・・一同、只々感謝す

るばかりでした。

 私はというと、急な仕事が入り開演ギリギリの到着となりました。

 流れを把握できないうちに一番目の演目「道祖」が奉納されました。彼は、震災以降率先して

この舞を奉納します。港を作り道を整備し神を導く舞。彼の中には復興に対する揺るぎない意志

が存在しているのだと私は思いました。一番の出席率で、大先輩ですが下回りも手伝ってくださ

います。「できることは何でもやる」復興の第一歩を決断する時もそのようにおっしゃっていま

した。有言実行、私も見習わなければならないと思うのです。

 次の演目は、日本武尊です。この演目を外すわけにはいかないのです。この日まで3か所共通

のこの舞ですが、ご観覧頂いている皆様の真剣なまなざしに力が入ります。

 悪鬼も当初は屋根が低いこともあり櫓に登らない計画でいましたが、登ってこそこの演目とば

かりによじ登り型を決めました。(立ちあがるスペースはなかったので座ってですが、)

大暴れする悪鬼、それでもビクともしないこの舞台。末永くお付き合いできる舞台を頂けたこと

の嬉しさを我々は感じていました。

この公演も盛会に結びを迎えることができました。

ゆっくり皆様とお話をしたかったのですが、当方の都合上どうしても叶わず早々に帰ることになっ

てしまったのが残念でしたが、それでも多くの方々にお声をかけて戴きました。

(つづく)

 




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