「私と雄勝法印神楽」
一年目の俺 2001年 その2 2001年4月12日 午前8時 私は桑浜の白銀神社にいた。 私はこの日、初舞台を迎えるのだ。 新人神楽師の初舞台は神社での御祈祷からはじまる。 神楽師2名(太鼓1笛1)で打ち鳴らしという楽曲を奏で神事がはじまった。 この時の私は、こういうところの作法をまるで知らなかった。8時に神社に来るようにという連絡も実は前日に貰ったのだ。 作法についても事前に教えておいてほしいと思いながらも、白衣を纏ったら地区方々からみればいっぱしの神楽師なので、そこは堂々と振る舞った。五感を研ぎ澄まし見よう見まねで頭を下げたり玉串を奉奠したり手を叩いたりした。我ながら大したものである。 30分の神事を終えご神体は神輿に移された。 ご神体は宮司の着物の袖に入れられ、神楽師が榊と幣束で隠し神輿に納められる、この時にご神体を覗き見たりしていけないと伝えられている。神罰で目が見えなくなるとか言われている。 幼少のころ「ご神体を見ることができたら大金持ちになれるっていう言伝えのほうがいいのにぃ」と自分ちの祖父に真顔で訴えたことがあったことを思い出してちょっとだけ笑ってしまった。 ここで神輿は別に祭りの会場に移動するように会長に言われた。よくわからないままいわれたとおり会場に移った。 雄勝町の祭りの特徴(雄勝町だけではないが・・・)は宮守(みやもり)と呼ばれる家の庭に神楽舞台を設置することだと思う。もちろん神社境内や地区集会施設敷地に設営するところもある。 宮守は、世襲で他の家が継ぐことはできないとされている。 祭典の間、宮守の家のすべてを解放することになる。 地区の規模にもよるが地区役員、学校長、近隣神社の役員等々を招待し饗応する。 熊沢地区では全戸を招待するらしい。 しかしながら、この年の白銀神社祭典は宮守で行うことができなかった。 宮守宅でご不幸があったのだ。 ご不幸とは家族や親戚が亡くなったことを指し、約30日〜5日前位の範囲で、祭りの近くに地区でご不幸があった場合は祭りそのものを行わないこともある。 何とこの年は、船越地区、大須地区、熊沢地区とご不幸が続き祭りが行われなかった。 桑浜羽坂地区白銀神社祭典も行わなかった場合、この年の春祭りはすべて中止となる。 でも、この地区では祭典を行った。私が思うには、宮守の立場だからこそ祭りを行ったと解釈している。祭りには喪中の者は参加できない。今回の祭りに宮守はかかわることができないのだ。 なのでこの年の祭り宿は、この地区のしきたりで、宮守でできない場合にここで行うと決まっている家で行われたのだった。 その場所に私は向かった。 楽屋には、既に先輩神楽師がそろっていた。 黙々と道具を作っている。 初舞台以降の新人は遅くとも2時間前には会場入りし道具を整然と並べ音響を設置し、その日使用する竹に不足が無いかチェックする。ということを兄弟子から教わった。どうやら、基本以外は何でも現場で教わるのがウチの団体のようである。 竹は、当日使用する道具の原材料である。 直径3.5cm長さ45cm 程度の竹6本程度 直径1.5cm長さ150cm 程度の竹4本 直径1.5cm長さ240cm 程度の竹1本 直径1.0cm長さ60cm 程度の竹6本 全ておおよその長さ太さだ。 これらに、和紙と麻で細工をして行く。私を除く神楽師全員で行っていた。その様子をただつったて見ていたら、兄弟子が「手伝え」と目で合図をくれた。ここでも丁寧に教えてくれる訳ではない。目で仕事を盗む必要があるのだ。道具作りには色々な技術がつまっていた。小刀一本で鯛の切子や幣束、矢羽根などを刻む、麻で縄を作り結ぶ。凄い世界に入ったことを改めて実感した。 見よう見まねで作業していたらやり直しを命じられた。といっても私は麻縄で一か所を結んだだけだった。ちゃんと結べていたので意味が分からなかった。 そしたら会長が、「縁起が悪い縦結び」とボソッと言葉を発した。 結び方に縁起が良い悪いがあるなんて知らなかった。結び直しをしたら「なんでも勉強だ」っていわれた。(この日以降、日常でも紐の結び目が凄く気になって仕方がない。) こうして、道具が完成して30分位したところに神輿が到着した。 私は直ちに着替えを開始した。 自分で出来なので先輩に着せてもらう。 そしていよいよ舞台に上がった。 面をつけて舞う。人間の視野はこんなにも広いのかと再認識する。それくらいに面の視野はない、なぜにここまで視野を確保していないのかと嘆きたくなる。この視野のないことに自分なりの理由を見つけることができたのは、それからもう少ししてからのことだった。この時は、もっと見やすく面を作ればいいのに・・・くらいにしか考えなかった。 そんなことより、舞台に立てたことが嬉しかった。確かに緊張した。練習はあくまで練習でしかないと痛感する舞台だった。 しかし練習は重要だ。練習を重ねることにより本舞台で沢山の事を感じることができるのだと思った。 舞っている感想は、神楽日記に記してあるとおりである。 出番は4番だった。というか4番しか舞えないのだ。それがその時の自分でとにかく先へ先へと進みたかった。それが精進だと当時は思っていた。 この日は、見る景色すべてがキラキラとしていた。 舞の出来とかも気にしていたが、神楽師として祭りに携われることの素晴らしさでとにかく嬉しくてしかたなかったのだ。 これが私の初舞台だったと、何年たっても忘れないと思った。 (実際に十数年経っても鮮明に覚えてますよ。) こうして神楽師として、一歩前に進んだのだった。
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