善意行為の経済的対価に付いて

 

これは社会全体の大きな誤解かもしれませんが、

善意で他人の為に尽くす行為には、なにか無償で

なくてはならないかのような印象があります。

 

それは従来、奉仕と言う言葉で表現されていた行為を

ボランティアなどと言う英語に置き換えられたことにより

善意行為には、報酬が無いものとの

大きな合意の様な傾向が定着したようです。

 

ところが

「volunteer」を調べますと、自発的・有志・志願兵等であり

無償行為とか、奉仕のように神仏に仕える、利害を離れて

国につかえる印象とは随分異なります。

 

無償行為は「service」であり、自発的善意行為を

経済的対価のない無償行為と考えるのは

誤りでしょう。

 

ではどうして、こんなことを考えたのでしょうか?

それはある交通事故に出会った私が、沢山の野次馬が見守る中、雨が降る歩道でうずくまる自損事故の運転手を、病院まで連れて行ったことにあります。

事故発生後、相当時間が経過したのにも拘らず、携帯電話もない時代でしたが、救急車が来ないのです。

丁度通りかかった私は、何十人もの人が集まっていましたので、誰かが救急車を呼ぶものと思っていました。  そのまま現場を離れようとしたのですが、振り返っても未だ救急車が来そうにもなく、止むを得ずお節介を承知でタクシ−を止め、バスで1区ほど離れた病院に連れて行きました。

その病院では昼には丁度外科医が居なく、又タクシ−を止めて次の医院まで行きました。

事故者は頭から血を流し、体は雨に濡れていましたので、仕方なく私が連れて行ったのですが、本音は嫌でした。

問題はそれからです。

私はタクシ−代金を2回支払いました。

話せない本人に代わって医院では見た範囲での事故説明もしました。

私は医院から、傘をさして医院を離れましたが、私の名刺を渡し、後で思い返してみますと、当然タクシ−代やハンカチなど持って御礼に来るだろうと想像していたのです。

然し裏切られました。

車道の真ん中で横転していた小型トラックの横には、水産会社の名前も書いてありました。

然し私は馬鹿らしくてその会社に電話も架けませんでした。

多分頭を何針かは縫ったてしょう。

暫くして営業日誌を書いているとき、思い返して気付いたのが「善意行為の経済的対価」に付いてとのテ−マでした。