■椛1

こちらが赤ん坊の頃から、10年以上飼っていた犬が死んだ。
悲しくない訳では無いが、老衰だったからか涙は出なかった。
他の大人が知ったら年の割りに冷めた子だと言うかもしれないが、これでも○○は悲しんでいる方だ。
いつも飼犬の散歩コースに使っていた親が所有する山の一つに埋めてやり、
お供え物として持ってきたビーフジャーキーの袋を取り出そうとした所で、
どこからかキャンキャンと悲鳴のような鳴き声が聞えてきた。
咄嗟に○○はナップザックを担ぎなおし、音のする場所目指して走りだした。

向かう途中で少し霧の中を通ったが、おそらく早朝のせいだろう、近づくにつれて水の音が大きくなる。
藪を掻き分け視界が開けると、そこには見覚えの無い大きな川が広がっていた。
鳴き声のすぐ近くまで来ているのは間違いない、見回すと川の中程にある岩に茶色い箱のような物が引っかかっているのが見えた。
ダンボールかと思い岸にそってよく見える場所まで近づくと、それは大きな桶だった。
子犬でも流されたのかと思って川の中に点在する岩を飛び移って近くまで行き、桶の底を覗くと、なんと簀巻きにされた女の子が横たわっていた。
岩にでもあたった時に破損したのか、底に穴が開いて浸水が始まっており、既に半分以上女の子の体が水に沈み始めている。
「あ…そ、そこの人、助けてください!!」
こちらに気づいたのか女の子が助けを求めてきた。
助けようと行動を起こすが、行き成り壁にぶつかった。
○○には引き上げるほどの力が無いので、代わりに拘束を外そうとするが、筵を縛っているロープが水を吸って硬くなり、簡単には解けないのだ。
かと言って浸水が始まっている桶に降りたら、浸水が加速するか引っかかっている部分が外れて一緒に流されるかもしれない。
「お姉さん!、何か切るものは無い?」
駄目元でカッターでもあればと思い聞いてみる。
「底に私の剣があるっす」
一瞬ぎょっとしたが、この際追求は後回しにする。
女の子が少し身をよじると確かに底にそれらしき物が見えた。
しかし、更に問題が起きた。
子供の○○では、桶の底にまで手が届かないのだ。
何か良い手は無いかと思考を巡らせ、咄嗟にアイデアが浮かんだ。
ナップザックをおろし中を漁ると、中からリードと大型犬用の首輪を取り出した。
二つをつないで桶の底に首輪を降ろす、目論見どおり柄が首輪に引っかかり僅かに持ち上がった。
身を乗り出して何とかそれと掴むと、思った以上の重さに四苦八苦しながらロープを切る。
女の子は剣の鞘と同じく底に沈んでいた円盤みたいな物を掴むと、なんとか岩の上に這い上がった。

「お姉さん、大丈夫?」
「ありがとうございます。おかげで助かったっす」
ブルブルと体を振って水を落とした後、女の子が例を言う。
まるで犬みたいだ、と思ったら本当に尻尾らしきものがあった。
咄嗟に助けてしまったが、剣を持ってる事といい格好といいどう考えても状況が普通ではない
どう話を切り出そうか考えていると、ガサガサと音がして藪の向こうから何かがこちらに向かってくる。
この辺り一帯は父親の所有する土地で、人が入ってくる事は滅多に無いはずだが、誰かが女の子を追いかけてきたのかもしれない
どうするか決めかねているうちに藪の向こうから顔を出したのは
2メートル半を超える大きな"熊"だった。
確かに人里近くとはいえ山だから、熊や猪くらいは出てもおかしくなかったが、それでも大きすぎた。
そもそもこのあたりで熊が出たなんて話聞いたこともない。
同じ年頃の子に比べたら落ち着いているとはいえ、所詮○○も子供である。
初めて熊に出会った驚きと恐怖で○○は動けなくなった。
もっとも、仮に動けた所で坂道でもない限り人間が逃げれる可能性は殆どない
獲物を見つけた熊は、真っ直ぐこちらに向かってくる。
もう駄目だと思った瞬間、白い塊が○○の前に飛び出してきた。
「君には悪いけど、命の恩人を食わせるわけにはいかないっす」
円盤みたいな物は盾だったらしく、女の子はそれを構えると一瞬で熊の懐に飛び込んだ。
そして次の瞬間○○は信じられない光景を目撃した。
女の子は右手に持っていた剣ではなく、左手に持っている盾の方で熊を殴りつけると
熊の体が数メートルほど吹っ飛び木に叩きつけられたのだ。
「今のうちっす」
熊は気絶こそしなかったものの思わぬ反撃に怯んだらしく、その隙に女の子は○○を抱えると、
信じられない速度でその場を逃走した。

「ここまで来れば大丈夫っす…うっ」
抱えていた○○を降ろした途端、女の子は膝をついた。
「お、お姉さん大丈夫?どこか怪我したの?」
「は…は…」
「は?」
「腹が減ったっす」
一瞬こけそうになったが、気を取り直して何か無いかナップザックを漁る。
出てきたのはスナック菓子とペットボトルのお茶、そして犬用のビーフジャーキー
大して腹が膨れるとも思えないが、スナック菓子の袋を渡そうとすると、何かに気づいたのか女の子が顔をあげた。
「君が持ってるそれ、すごく美味しそうっす」
一瞬スナック菓子の事かと思ったが、女の子の視線はどう考えてもビーフジャーキーの方を向いている。
念のためにビーフジャーキーの袋を動かすと、それに合わせて頭と耳がピコピコ動く、どうやら間違いない
「えーと…よかったら、食べる?」
「食べるっす!」
尻尾を振りながら女の子は即答した。


「ご馳走様、あんな美味しい物は初めて食べたっす」
「は…はは、それはよかった。(犬用なんだけどなあ…)それにしてもお姉さん強いんだね」
「幻想郷じゃあこれくらい当たり前っす」
「幻想…郷?」
聞きなれない地名を聞いて、そういえばここはどこなのか調べようと携帯を開くと圏外になっていた。
南極と北極以外なら例え海中だろうと使えるタイプなのだが、完全な異常である。オマケにGPSまで使えなくなっていた。
「えっと、お姉さん」
「何っすか?ああそれと私の事は椛って呼んで欲しいっす。」
「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。僕は○○、それでここどこだかわかる?幻想郷って地名は僕は聞いたことないんだけど」
「聞いたこと無い?君もしかして外から来たっすか?」
椛から幻想郷についての説明を受けた○○は、すぐには信じることは出来なかった。
しかし、椛の耳や尻尾が作り物では無く、更に衛星電話が圏外になりGPSも使えない現状では信じるしかなかった。


日も暮れかけていた為、とりあえず今日は野宿ということになり、二人は焚き火にあたりながら身の上話をした。
「じゃあ○○は飼犬を埋葬してる最中に私の声を聞いていつのまにか幻想郷にきてたんすね?」
「うん、椛の方は友達に簀巻きにされて流されてここまできたんだ?ひどい人だね、帰ったら文句の一つも言ってやらないと」
「…ソレは恐らく無理っす、一晩で私の筆跡で辞表書いて自分は休職届け書いて行方くらますくらいやりかねない人っすから」
「まさかそんな事は…」
漫画じゃあるまいし、と言おうとして今の状況からして普通では無いので言えなかった。
「戻っても私の居場所は無いかもしれませんね」
「でも椛のおかげで僕も助かったんだし、居場所が無いなら新しく作ればいいじゃないか」
それは子供の何の根拠も無い言葉に過ぎなかったが、椛には効果的面だった。
「そう…そうですよね!なんか元気が出てきました。」
「そうだよ、とりあえずはこの状況をなんとかしたいね、これからどうすればいいんだろう」
「○○みたいに迷い込む人は居ないわけじゃないし、人里までたどり着けばなんとかなるっす」
人里には、○○みたいに迷い込んだ人間が居ついたり、帰る手段も無いわけでは無いらしい。
「そっか、なら何とか辿り着かないと…といっても方向も分からないし、さっきの熊みたいなのが出てきたら…」
「そこは大丈夫、飼犬の代わりに私が○○を守るっす」
私を助けてくれたこの首輪に誓って、と○○の持っていた首輪を自分から首につける。
「ほら、これをつけてる間は○○がご主人様っす」
「ははは…ありがとう、じゃあ僕が人里につくまで任せるね」
「はい、"○○が人里に着くまで"○○を守るのが私の新しい役目っす。その代わり、○○も私から離れては駄目っすよ」
「うん!」

その日はスナック菓子とお茶と言う組み合わせで晩御飯の代わりにし、
翌日は気温の低い午前中に出発したのだが
「あ…暑い」
朝のうちにペットボトルに水を詰めて水筒代わりにしたものの、
異様に蒸し暑かった為○○の水筒はすぐ空になってしまった。
「はい、○○、お水っす」
剣で藪を切り開いていた椛が、こちらの様子に気づいて竹筒に入った水を渡してくれる。
「ぷはっ、生き返った。椛は平気なの?」
「私は乾きには強い方だから、半分もあれば平気っす」
そういえば椛の分は?と思っていると、椛は○○から半分に減った水筒を受け取るとそのまま口をつけて飲んだ。
「!?」
「どうしたっすか?○○」
「い…いや、なんでもない」
驚く○○を尻目に椛の方は間接キスに全く無頓着だった。

異様に蒸し暑かった理由は午後になって判明した。
正午過ぎから曇りだしてはいたのだが、三時をすぎたあたりから夕立となった。
すぐに近くの木の洞に入ったので、濡れたのは少しだったが夜になると急に冷えてきた。
「風邪をひいたら大変だから、もっとこっちに寄るっす」
外は濡れていて燃やせそうな燃料は無く、その晩は洞の中で過ごした。
多少恥ずかしかったが、椛の胸元に抱かれると暖かくどこか懐かしい匂いがして、不思議と○○は落ち着いて眠ることが出来た。

翌朝は、椛がどこからかもってきた野菜と果物で朝食をとって出発したのだが、
その日はほんの少し歩いただけで椛は昼食を提案した。
「○○、申し訳ないっすけど燃えそうな物を集めてくれないっすか?私はその間に魚を獲ってくるっす」
「うん、わかった。」
「危ない時は大声を出してくれたらすぐ戻るっす」
そう言って川に向かった椛だったが…


「私達にコソコソついて来るやつ、そろそろ出てくるっす」
河原に着いた椛の第一声はそれだった。
「あちゃー、やっぱりばれてたか」
「……にとりっすか」
「にとりっすか、じゃないよ急に辞表を出していなくなったって聞いて心配したんだよ
「私の辞表…やっぱり出してたんすね…文さん」
「急にそんな事するはず無いと思って探し出したら人間と一緒だったから暫く様子を見てたけど…全く、椛ったら何やってんのさ」
「…なんの事っすか」
「とぼけても駄目だよ、なんで同じ山をぐるぐる回ってるのさ、椛の能力なら道に迷うなんてありえないじゃない」
「妖怪の山から私の居場所が奪われた今、私の居場所は○○の隣だけっす。」
「それが理由?じゃあやっぱり辞表は椛の意思じゃないんだね。ならあの人間にも事情を話して山に戻ろうよ」
「嫌っす」
「!?…なんでだよ椛、まさか…あの人間の事を気に入ってるの?」
「………」
「ふーん、確かに前に話してた椛の好みのタイプにそっくりかもね、数年もしたら良い男になりそう」
「もういいっすか?そろそろ戻らないと○○が心配するっす」
「でもね、椛、そんな方法でいいの?好きになったんならちゃんと言えばいいじゃない?こんな方法間違ってるよ!」
「にとり、○○は私のご主人様で○○は私に任せるって言ってくれたっす。だから○○は私の全てで私自身っす。だから私は私のやり方で○○を守るっす」
その時、流石に遅いのを心配したのか、○○が近づいてくる気配がした。
「丁度よかった。椛に山に戻ってもらう為にも私はあの子にちゃんと説明するからね」
そういって○○の来る方向に向いたにとりの背後に、椛は近づいた。
「にとり」
「何?言わないでくれってのは却下するよ、私は人間の盟友だからね。こんなの見過ごせない」
「なら…消えてもらうっす」
「え?」
脇腹に衝撃が走り急速に意識が薄れていく、にとりの目に最後に映ったのは、血のついた剣を拭う椛の姿だった。


「そろそろ○○が来る、その前に…」
にとりを川に投げ捨てた後、もう○○の気配がすぐ近くまで来ているというのに、椛はもう一つの気配に気がついた。
「隠れても無駄っす」
弾幕を展開しつつ一気に間合いを詰める。
「きゃっ」
飛び出してきたのは夜雀だった。偶々屋台の材料を取りに川に来たところで先ほどの場面に遭遇し、
隠れたもののその後の光景を見たせいで動けなくなっていたのだ。
「見られてたっすか…」
「あ…あ…こ、殺さないで」
今から抵抗する夜雀を殺して痕跡を消すのは無理と判断した椛は全力で盾を振りかぶった。
「そぉい!!」
椛の全力スマッシュで夜雀は遥か彼方に飛んでいった。遠くで水音が聞えたので、別の川にでも落ちたのだろう。
「これで邪魔者は居なくなったっす」
丁度その時、○○が椛を見つけて駆け寄ってきた。
「椛、ずいぶん時間が掛かってるみたいだけど…ひっ」
「ああ、○○、ちょっと魚を獲るのに手間取ってたっす…○○、どうしたっすか?」
自分を見る○○の目に怯えが走っている。
「も…椛、盾に…血が…」
「…?ああ、これっすか、ちょっとさっきまで性質の悪い獣がいたっす」
「でも盾の血って…手形じゃないの?」
椛は盾を見る、なるほど確かに先ほどの夜雀の手形がべったりと盾についている。
「ああ、これっすか。幻想郷には人型に近い獣も沢山いるっす」
「へ…へー、そ…そうなんだ」
「どれだけ人の形に近くても獣は獣でしかないっす。でも私は違うっす」
ゆっくりと椛は近づいてくる。
「私は誇り高き白狼天狗っすからね。一族の誇りにかけて、何があってもどんな犠牲を払っても約束は守るっす。だから」

椛は、○○の傍に行くと、抱きしめた。そして耳元で囁く
「○○も約束破るような大人になったら 駄目 っすよ」
そう言った椛の目は誰よりも狩人の、いや、獣の目をしていた。

>>up0674



「私、好きなんですよ。詰め将棋って」

パチリ。
彼女は遠くを見ながら将棋を打つ。

「一手、一手、少しずつ相手を追い詰めて行くのってスリルを感じるんです。でもね○○さん」

彼女はこっちを見てない。盤上も見ず機械的に駒を打つ。
小皿に盛られたウメボシを一粒口に放り、酸味の強そうな昆布茶をずずっと啜った。

「白狼の血でしょうかね。一気に獲物を仕留めるのも好きなんです。哨戒役なんで滅多に闘いはしませんけどね」

チラリと流し目で○○の方を見てから、彼女はまた一手をぴしりと打つ。
○○は戸惑いと彼女に対する畏怖で何も言えず、盤上を眺めるしかなかった。
素人でも解る。王手まで後数手。王は逃げることも叶わず追い詰められるのを待つのみ。

「ええ、貴方が少し前に言っていた異常の件、あれは私の仕業です。寝室に誰かが忍び込んだのか? 私ですよ」

ぴしり。

「だって貴方は私に対して踏ん切りの付かない態度ばかりとって。そのくせ他の女には愛想を振るう。気の長い私でも怒りたくなりますよ」

ぴしゃり。ずずっ。

「ゆっくり、詰め将棋のように貴方を私だけに向けようとしてたんですよ。最初は。でもあんだけ気の多さを見せつけられれば……焦ります」

ピシッ!

「だから、一気に王手を掛ける事にしました。それがあの異常なんですよ。○○さん、よく眠ってましたね」

ピシャン。

「当たり前ですよね。月の薬師に特注した媚薬も配合した睡眠薬ですよ。○○さん、眠りながらアソコを金棒みたいにしてましたよフフフ」

ピシャ。

「最初は痛かったけど、直ぐに気持ち良くなって……そして、授かったんです。ちゃんと計算してましたしね」

ピシャン。椛の打つ手が止まった。
動揺する○○は、再び盤上を見た。
盤上に王の逃げ場は、何処にも無かった。

「経過は順調ですよ○○さん。まさか○○さん、私とこの子を捨てたりはしませんよね?」

○○の逃げ場も、最早無かった。

「王手、ですね。私、最初は男の子が良いと思うんですけどどう思いますか○○さん……いえ、あ な た 」

4スレ目 >>763




 足元に付けられた枷と、それに続く縄をぼんやりと眺める。

――妖怪の山、山中――

 ここへ来てからかれこれどれくらいの月日が過ぎただろうか?
 始めの頃は健気に壁に傷などつけて数えたりしていたのだが、
 見つかってしまってからは自粛している。
 いくら僕を監禁している本人とはいえ、
 女の子の悲しそうな顔は出来るだけ見たくない。
「○○、ここにいたんだね」
 声のした木陰へ視線をやる。現われたのは、僕を監禁した張本人。
「あ、椛。おかえり」
「うん、ただいま。散歩?」
 少し探るような視線をのらりくらりとかわす。
「そんなとこ。動かないと鈍っちゃうしね」
 至極当たり前の事を言ったつもりなのだが、途端に椛は顔を曇らせる。
 小走りに駆けてくると、僕の腰に抱きついてきた。
「○○は、どこにもいかないよね?」
 何処か切実さをはらんだ物言い。
 いつからこの子は、こんなにも変わってしまったのだろうか。
「大丈夫だよ、椛。僕は何処にも行かない」
 うっすらと目に涙すら溜めている少女の頭を撫でてやりながら、
 僕はそんなことを考えていた。
「ずっと、一緒?」
「うん、ずっと一緒だ」
「……えへへ」
 ようやく落ち着いたらしい。頭をぽんぽんと叩くのを合図に、
 ゆっくりと僕から離れる。……左手を握り締めたまま。
「そろそろ暗くなってきたし、帰ろうか、椛」
「うん!今日の晩御飯はねー……」

 ……椛の手前、付けっ放しにしているけれど。
 この縄、すぐ解けるんだよね。
 ああ、駄目だ、見てられない。
 椛は僕が守らないと――

4スレ目 >>997




「ただいま。良い子にしていたかい?」

 帰宅した彼女は、剣と盾を壁に立て掛け、優しく微笑みながら言った。
 短くああ、と返事をすると、満足そうに頷き、俺の頭を優しく撫でまわした。 
 実年齢はともかく、見た目が少女である彼女に、大の男がそんな事をされるのは気恥ずかしい。
 僅かに身動ぎすると、彼女は悪戯っぽく微笑み、俺の頭を胸に抱きかかえるようにして、いっそうくしゃくしゃと髪をかき乱した。
 ……華奢な体つきなのに、意外とある。

「私のいない間に、勝手に外に出たりしなかっただろうな?」

 大きなイヌ耳を不安そうに伏せながら、彼女は俺の顔を覗き込んだ。

「この前みたいに、勝手に外に出ては駄目だぞ? 外は凄く危険なんだからね」
「……出たくても、出られないよ、これじゃ」

 俺は皮肉っぽく鼻を鳴らし、自分の首輪から伸びている鎖をじゃらりと揺らした。
 犬のリードよろしく伸びた鎖は、屋内の柱に厳重に巻き付けられ、打ち付けられた馬鹿デカイ釘でしっかりと固定されている。
 人間の俺の力では外す事が出来ない。
 彼女は、俺の皮肉などまるで気にも留めず、満足そうに頷いた。
 もしかしたら、皮肉とすら受け取っていないのかもしれない。

「お腹が空いただろう? 今御飯の用意をするからね」

 幼子にでも話しかけるような優しい口調で言い、彼女は台所へと向かった。
 ひょこひょこと楽しそうに揺れる彼女の尻尾を眺めつつ、今までの経緯をぼんやりと思い返してみる。
 趣味の秘境駅巡りの最中、幻想郷と呼ばれるこの地に迷い込み、獣や良く分からない生き物(後で妖怪と知った)に追いかけ回され、肉体的にも精神的にもズタボロになっていた俺の前に彼女は現れた。
 白銀のような不思議な色合いの髪に、犬のような耳と尻尾、小さな身体に不釣り合いに大仰な剣と盾、どう見ても普通の人間には見えなかったが、それでもそれまでに遭遇してきたものに比べればかなりマシだったし、なにより必死だった。
 今思うと、大の男が、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして縋りついて助けを求める様は、色々な意味で終っていたと思う。
 そんな俺の様子に彼女は、始めこそ驚いていたが、事情を察したのか、すぐに保護してくれた。
 そして、ここが幻想郷と呼ばれる外の世界から隔離された箱庭であること、俺の居る場所が、妖怪の山と呼ばれている場所であること、彼女自身が白狼天狗と言う妖怪である事も教えてくれた。

「人間はどうしようもなくひ弱で、うっかりするとすぐに死んでしまう貧弱な生き物だ。だから、これからは私がお前の面倒を見てやるよ」

 かくして、俺は彼女に助けられたその日以来、彼女の家で養われることとなったのだが、家から一歩も外に出してもらえなかった。
 外に出してほしいと頼んでも、危険だからの一点張りで、まともに取り合ってもらえない。

「人里って所に行ってみたいんだ」

 幻想郷には、数は少ないものの、普通の人間も住んでいるらしい。
 この家の本棚にあった、幻想郷縁起という本でその事を知った俺は、彼女にそう頼み込んだ。

「とんでもない! 平和な外の世界で育ったお前が、人里の凶暴な野良人間達の間で生きていけるわけがない!」

 なんだよ、野良人間って。

「温室育ちのお前が、過酷な人里で生きていけるわけが無いんだ。私がずっと面倒見てやるから、大人しくしているんだ。いいね?」

 ……彼女の言動は、どうもおかしい。
 当初は、親切心で言っているのだろうと思っていたけど、少し度が過ぎている気がする。
 そしてある日、俺は彼女が外出している隙を狙って、彼女の家から逃げ出した。
 逃げ出したまでは良かったが、その先の事までは考えていなかった。
 どこに行けばいいのか分からず、結局、妖怪の山の樹海で途方に暮れてしまった。
 そうこうしているうちに日が暮れてしまい、またしても妖怪に襲われてしまったのだ。
 馬鹿デカイ熊のような妖怪に散々追いかけ回され、もう駄目だと思った瞬間、はじめてこの幻想郷に来たときのように、彼女に助けられた。
 俺と熊の間に割って入った彼女は、熊の鋭い爪を盾で受け流し、一気に懐に入り込むと、右手に握った大剣を片手で軽々と振るった。
 舞いでも踊る様な軽やかな動きで、瞬く間のうちに原型すら留めないほどに、熊を解体してしまったのだ。

「大丈夫か? 怪我は無いか? もう、勝手に外に出たら危ないって言っただろう?」

 返り血と、それ以外のなんか赤黒いので全身を彩りながら、彼女は楽しそうにワラッタ。
 
「これで分かっただろう? 家の外は、本当に危険でいっぱいなんだから」

 満面の笑みを浮かべる彼女に、俺は間抜けに口を半開きにしたまま、カクカクと頷くしかなかった。
 ちなみに、その日の夕飯は熊鍋でした。
 熊さん、美味しかったです。






 ……そんなわけで。
 勝手に外に出ないようにと、首輪と鎖を付けられる羽目になってしまったのだ。

「どう? 美味しい?」
「うん。美味いよ」

 食事を摂る俺の様子を、彼女は頬杖を突きながら嬉しそうに眺めている。
 用意された食事は、白米に味噌汁、彼女が山で採ってきた山菜の天ぷらと鮎の塩焼きという、中々豪華な献立だ。
 監禁されてからのほうが、食生活が改善されているのがちょっと複雑だ。

「……こうやって、お前と過ごせる時間なんて、あっという間なんだよな……」

 にこやかに微笑みながら、俺の食事を眺めていた彼女が、ふと寂しげな表情になってつぶやいた。

「どんなに大事に飼っても、人間のお前は、あっという間に、老いて死んでいくんだ……」

 そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱり俺はペット扱いだったらしい。

「そこで、私は考えたんだ。お前が死んでも、お前の生きた証を残す方法を」
「なんだよ、それ」
「お前に子供を作らせて、その子供に更に子供を作らせて……そうやって、お前の生きた証をずっと残す方法さ」

 どこか熱に浮かされたような口調で、彼女は俺ににじり寄ってきた。
 さり気なく距離を置こうとするが、身体が思うように動かない。

「最初は、人里から適当な人間の女でも攫ってきて、お前と番わせて子供を作らせようと考えた」

 さらっと、とんでもない事を言いやがった。

「だけど、行為の最中に頭からバリバリと食べられてしまったら、目も当てられない」

 あれか。人里の女ってのは、カマキリか何かなのか。

「だから、私がお前と番う事にしたんだ」
「なっ、なにを、言って……んむっ!?」

 物凄い力で畳の上に押し倒され、無理矢理唇を奪われた。
 食事に一服盛られたのか、押し退けようにも指一本動かす事が出来ない。
 もっとも、妖怪の彼女に力で抵抗する事なんて、端から不可能事ではあるが。

「可愛いお前の証をこの身に授かる。これが一番良い方法だと気づいたんだ」

 彼女は、獣のような目で俺を見降ろし、荒い息を吐きながら、俺の衣服をはぎ取って行く。

「そして、子供が産まれたら、その子供と私が番い、更に子供をもうけるんだ」

 俺の上で、苦痛と恍惚が綯交ぜになった表情で辛そうに動きながら、彼女は言った。

「そうやって、お前の生きた証をずっとずっとずっとずっとずっと、後世に繋げていくんだ。素晴らしい事だとは思わないか?」

 素晴らしいかどうかは別として、女の子が産まれたらどうするんだ。
 男の子が産まれるまで頑張るつもりなのか。
 行為の最中、他人事のようにそんな事を考えていた。

















「……さ、産休、ですって?」
「はい。これが、診断書です」

 目を丸くする射命丸 文に、椛は永遠亭の薬師の直筆と思われる診断書を提出した。

「まだ2カ月なので、それほど目立っていませんが」

 文は、ぽかんと間抜けに口を開けながら、手渡された診断書と、僅かに頬を赤らめ、幸せそうに腹部を撫でる椛の顔を交互に見つめた。
 いったい、いつの間に。
 幻想郷一の情報通を自認する自分が、部下にそういう関係の異性がおり、しかも……

「文様? なにか、書類に不備でも?」
「い、いいえ。受理したわ。大天狗様には、私の方から報告しておきます」
「ありがとうございます」

 一礼して踵を返す部下の背中を、文は呆然と見送った。
 扉の閉まる音に、ようやく我に返る。

「ううう……椛に……椛に先を越されたぁ……」

 一人残された文の慟哭が、室内にむなしく響いた。

5スレ目 >>52