■ぬえ1

ここ数日、寝込みを何かに襲われる事が続いていた。
暗いもやに囲まれていたり、
視界がはっきりしなかったり。
自分を襲っている物が何者かはわからない。
四つん這いの獣にも見えれば、
這い回る人間のようにも見える。

巫女に頼んで、決界を張ってもらった。
大金を積んでみれば目を輝かせ、
過剰な迄に決界を張り巡らせてくれた。
いわく、もはや呪詛の域に達しておいた。
家主である私が認めた者以外は入る事が出来ないという。
少々都合が悪いが、
寝込みを襲う何者かが去れば取り払うと約束してくれた。
分かりやすくて良い事だ。


深夜、玄関の扉が叩かれる。
曇った視界のまま外を見ると、
見たことのある影が立っていた。
ああ、誰だっけ、
見た事はあるんだろうがいまひとつ分からない。
いや、どちらにせよ。
こんな時間に物言わず玄関を叩く者が人間であるものか。
「名を名乗れ」
影は黙ったまま。
どん、と扉を叩いた。
何だ、化け物か。
しかし決界、もとい呪がある以上入ってはこれまい。
「私よ」
聞いた事のある声が響く。
そうこれも、決して聞いた事の無い訳では無い、
しかし主の思い出せ無い不思議な声だった。
「誰だ……?」

どんどん、
両手が玄関の擦り硝子に張り付く。
大丈夫だ、扉は開かない。
「私よ」
どんどん、
手は張り付いたまま、何かが扉をノックする。
どんどん、どん、どん。

何かが扉に張り付いてくる。
頭はすっきり、目も月明かりに慣れきっているのに、
扉の前に立つ何かが分からない。
「明日も来るね」
不意に扉の向こうに赤い瞳が映る。
硝子越しで、どんな目かは見えないが。
それはゆっくりと三日月に閉じ。

気が付くと雀の鳴く声、
月明かりは朝陽に変わりつつあった。
あれから朝まで立ち尽くしていたのだろうか、
あれが何かは分からなかったが、
扉に張り付いた無数の手の後が現実を表していた。



「と、まあ、そんな事があったのさ」
香霖は興味なさ気に茶を飲み干した。
「ふう、それで?」
「金目の物は無いし、話を対価に買い物出来ないかな、とな」
「あのねぇ、魔理沙といい君といい……
 ツケといてあげるからまた後日お金を持って来てくれ」
「ちぇー」
資本主義なんて暫く幻想入りしないぜ、と返しつつ、
お茶を飲み直した。
「じゃあ、私が立て替えとくわ」
突如背後から聞こえた言葉に驚き、
噎せて大きく咳込む。
「げほっ!
 って、お前……」
ああ駄目だ、すっと名前が思い出せない。
ただ既視感のまま、
「何でここにいるんだ?」
と、彼女の目を覗いてしまった。
黒い髪と赤い瞳は、
見慣れた雰囲気を出すものの名前が思い浮かばない。
「ま、良いじゃない。
 単にあなたの話がもう少し聞きたいだけよ」
「友達かい?」
「ああ?」
香霖の問いに対して上擦った声で返す。
否定や威嚇ではなく、疑問の意味で。
「はいこれ、代価よ」
「まいど、じゃあごゆっくり」
「あ、こら何を勝手に」
「はいはい、
 これで逃げられないわよ?」
ゆっくり微笑んだ彼女の赤い瞳が歪む。
あれ……何だっけ、この……
デジャヴが酷い。
きっと最近、見た筈なのに。
「ああ、えっと……何だっけ」
「何が?」
「君の名前、いやすっかり忘れたみたいで」
彼女はくすくすと笑っている。
「あは、素直なのね。
 ぬえ、よ。
 忘れないようにもっと印象づけてあげようか?」
すっと顔を近づけられても焦る。
「いやいや、ど忘れしただけだよ。
 ごめんね、ぬえ」
ああ、違う。
何でだ、
この子に、ぬえはきっと見たことあるのに、
まるで名前を始めて知ったような、
初対面のような気がしてならない。
何故、だ。

「もうちょっとゆっくりお話したいし、
 ○○の家に行っても良いかな?」
確かにここで長話してれば香霖に迷惑がかかる。
ぬえを連れて、家に帰る事にした。

家の前、玄関に立つとぬえが足を止め、
手を引っぱる。
「ねぇ……○○、
 私は入っても良いの?」
「え?そりゃ……もちろん」
「へぇ、そうなんだ……」
ぬえは不気味に笑いながら入って来た。
「お邪魔します」
「ああ、いらっしゃい」

うん……?
霊夢にかけてもらった決界は、
既に家に招き入れた事のある者には通じない筈だ。
なのに、ぬえは。
「なあ、ぬえ。
 君は家に来たのは初めてだっけ?」
「ううん、何度も来た筈だけど?」
何度も?

まるでかつてからの友人の様に振る舞うも、
始めて会うような、
否、まるで何度も会ったような。
妙な感覚が目立ってくる。
いや、違う、違うんだ。
でも、これじゃあまるで。

「毎晩あんなにも愛し合ったじゃない?」

部屋の入口を塞ぐように、
赤い目が歪んでいた。



「冗談、だろ……」
嫌だよ、それじゃあまるで。
「ありがとう、わざわざ招き入れてくれて」
笑顔に見向きもせず、逃げ道を探す。
「ああ、窓は駄目だよ」
声の主を見ると、
爪のような、翼のような、
尻尾のような、鈎のような、
紅と蒼のそれを背中からゆっくりと生やしていた。
「外から変な物が入ったら困るんだろう?
 私が閉じておいたよ」
カーテンは開く、
鍵も掛かってない、
しかし窓は、開かない。
「何をする気だ……!」
すると彼女はきょとんとした顔で、
今更といった風に口をきいた。
「……君を愛するのに、理由なんか必要かな?」
「だ、だからってこんな……!」
「満更でもないだろう?
 君、起きてるのに寝たふりなんかして……抵抗しなかったじゃないか」
右手で輪を作り、左手の人差し指で貫く。
赤い瞳は閉じたまま、
彼女は笑っていた。
「あ、あれは……
 あんな訳の分からない姿じゃ、怖くて」

へぇ

「じゃあ今の女の子の姿なら怖くなんか無いよね?」
違う。
「ああ」
そんな訳無い。
「じゃあ、本当は嫌だから抵抗出来るんだ?」
無理だよ。
「そりゃ……まあ」

一瞬、翼がするりと伸びて僕に巻き付き、
ぬえが距離を詰める。
「さあ、○○はどんな抵抗をするのかな?
 早く何とかしないと怖いお姉さんに食べられちゃうよ?」
口だけで笑いながら、
わざわざゆっくりと一歩ずつ近づいてくる。
……駄目だ、翼のせいで後ろには下がれない。
くそ、くそ、どうすれば良い?
抵抗?
身をよじらせろ?
そんなの意味が無いのに?
抵抗に意味なんて無い、逃げなきゃ駄目なのに?
「っ……!」

間合いに踏み込んだ瞬間、
手を突き出す。
彼女を押し退けて逃げようとした瞬間。
手は、彼女につかみ取られ、
そのまま引き寄せられ、胸に倒れ込んでしまった。
「酷いね、女の子に暴力振るうなんて……」
「は、離せ!お前なんか嫌いだ!」
「声が震えてるよ?
 恥ずかしくて喋れないのかな?
 怖くて逃げ出したいのかな?どっち?」
それこそ答えはどっちだ?
何て答えれば興味を失ってくれる?
何をすれば嫌ってくれる?

「ま、君が私を嫌ってるのは分かったよ。
 でも……

 女の子に暴力振るっちゃう悪い子には、おしおきしないと、ね?」

ぬえは艶かしく微笑み、
舌なめずりをする。
背筋が凍る。
恐怖と期待、
相反する二つの感情に押し流され、
僕は逃げる意志すら失っていた。
「ほら、満更でも無いじゃないか」
くすくすと笑いながら、
手繰り寄せた僕を抱き直した。
「あ……」
翼が、背中に張り付く。
まるで植物が根を張るかのように、
べったりと、背を這い、侵食してくる。
「目を閉じちゃ駄目だよ、私の目を見て」
舌を絡め、
唾液を飲ませてくる。
細まる赤い瞳と、
雪のように白い肌、
闇のような黒い髪のコントラスト。
こんなに綺麗だったのに、
気付かないままで、
目を惹かれる。
背中の痛みも、
口の中の焼け付くような感覚も忘れたようで。
「分からなくなっちゃおうか、自分の事」
ずっとこのままで居たかった。



暫くの後、
視界も耳も曇ったままで、
力無く倒れた体をぬえが抱き起こす。
「大丈夫?」
表情は見えないけど、
彼女が身を案じて笑っているのが感じられた。
頭を下げて肯定の意志を表する。
次第に視界も耳もはっきりとした所で、
彼女は悪戯っぽく微笑んで、こう言った。
「ところで、君は誰だっけ?」











閉ざされた家の中で、
ぬえに縋り寄る。
「ほら、大丈夫、私はここにいるよ?」
「ごめん、怖かったんだ……」
ここ最近、記憶がだんだん欠落していく。
「なにもかもわからなくなっちゃいそうで?」
「ううん、違うよ」
それも、物や人がなんだったのか分からなくなってしまう。
「好きな人が、分からなくなってしまったらな……って」
「ふふ、○○は優しいね」
ぬえは僕の頭を撫でて、再び手繰り寄せる。
「大丈夫、いつかきっと記憶が戻るよ。
 例えその日が来ても、私は君と一緒だから、ね?」
赤い瞳を歪ませて、ぬえが微笑む。
「っ……!」
途端に身が竦む。
何で彼女の笑顔に恐怖を感じるのかわからないが、
それに気付いたぬえがもう一度頭を撫でる。
「大丈夫、きっと全てが上手く行くから……
 今は、今を楽しもう……」


暗闇の中、
正体の明かぬ二人の男女は、
いつまでも愛し合っていたという。

お互いが、何も解らぬまま。

ジョバンニ氏




最初は、聖を取られたくないだけだった。
ムラサや星がそれを諌めてくるのが不思議だった。
なんで?
聖は皆の物なのに、私たちが諍いを起こす事があってもそれは暗黙のルールだったのに、
あいつは、聖に好かれてるって、それだけで・・・・・・

「何でそんなに機嫌が悪いんだ?」
「知らない」
悔しいけどあいつは、嫌われるような人間じゃなかった。
別段、何が出来るという訳ではないが、
此処で生きるのに適したであろう穏健さと楽観的な性格は敵意を奪う。
それが妙な葛藤を生ませる。
私は、こいつが聖の前で失態を犯して、
そのままここから居なくなってくれれば良いはずなのに、
心の奥底で「本当にそれで良いのか」「それで誰が喜ぶのか」という気持ちが浮かぶ。
何を今更・・・・・・
私まで毒されているのだとしたらやはりあいつは危険だ。
自身の器量以上の物を注ぐ事は出来ないのに、
溢れる事を厭わない器など、私には釣り合わない。

「あぶぅ」
槍に手を掛けた瞬間、
ほっぺが指で押され息が抜けた。
「な、なにふるのよ」
「何か困った事があったら相談に乗るぞ?」
「だれがあんはなんはに」
「どうだか」
余裕たっぷりに笑っていた。
まるで腹の底を見透かされているような感じなのに、
不思議と嫌ではなかった。
ただその感覚は非常に癪に障る。
「とにはふはなしなさいよー!」
ぶわっと翼を起こすとあいつは「おお、こわいこわい」と言って歩いて逃げていった。
寂しくなんか無い、
惑わされてるだけなんだ、あの飄々とした男に。
さもすればあれこそあの男の才能なのかもしれないけど。

・・・・・・何も、心地よい、いや、心地悪い訳じゃないのだ。
聖と○○の間柄を邪魔する手段などいくらでもある。
そう、たとえば、
「あのさ、さっきの事なんだけど・・・」
そう、聖とこいつが一緒にならなければ良いのだ。
手段は選ばない。
「あなたの事が、好き・・・・・・とか、なんかそんな・・・」
とん
「わわ」
額を指さされた。
演技とはいえ目を瞑っていた為少し驚いた。
「それで?」
「その、よかったら、付き合って欲しいかなぁ・・・なんて」
○○はくすくすと笑って、
「指一本で、御されるような妖怪が?」

今度は、黴臭い木の弓すら持たない人間に、
勝てない、と思った。

槍に手を掛ける、
私の目を見てる、
でも、前に歩けない。
人差し指一本、額に当てられているだけなのに、
足が固まってしまったみたいで、動けない。
「う、あ・・・」
「もっと素直になりなよ」
困った顔をして○○は去っていった。
もっと、
違う。
なんで今私は、もっと、なんて考えを浮かべた?
もっとあいつと一緒に居たい?
違う、違う。
私から聖を奪った癖に、
あんな奴嫌いなのに、大嫌いなのに、嫌わなきゃいけないのに。
心はそれを拒んでる?
それなら、押さえ込まなきゃ。
惑わされただけのまやかしの本心なんて。






なのに聖は、
どこからその事を知ったか、
私に謝って、○○から身を引いた。
「からかってごめんね?」
ああ、違うよ、からかったのは私なのに、
聖のそんな顔を見たくなかっただけなのに、
両の手に掴める物はもう無くなってしまって、
私を縛ってくれる一本の指もそこにはなくて、
壊れてしまった私の虚栄心は、

あの手を縛った。

○○は驚いていた。
自分は、巫女やメイドの様な特別な人間とでも思っていたか。
ただ、四肢の腱を切られ仰向けに横たわりながらも、
それに跨った私の目をまっすぐと見ているのが気に食わなかった。
「正直量り損ねたよ、君を」
「ええ、こんなにもあんたが欲しかったなんて思いもしなかった」
そうじゃない、意識と言葉はシンクロした。
「ここまで素直じゃないなんて思わなか・・・」
五月蝿く喋る口に指をつっこむ、
喋っていた為に軽く噛まれたが、どうという事はない。
「今度は、私が指であんたを犯す番ね?」
順番、
自分でそう考えて背筋に冷たいものが走った。
凄く楽しい、
こいつを圧倒して、
鳥肌をそば立たせ、
抵抗も出来ないのをいい事に圧倒するのは。

でも、逆なのだ。
こいつに、犯されたい。
指の一本で、自分の無力さを噛み締めるまでもなく扱われたい。
自分はこんなにも強いのに、あんなに弱いものに御されたい。
ああ、そうか、
飼いならされたかったんだ、この人に。
でもね、○○。

飼い犬は甘やかしたら、主人よりも自分が上だって思っちゃうんだよ。
「しゃぶれ」
内心はどうか、怯える○○は口に突っ込んだ私の指を優しく舐め始めた。
どうかな、屈辱かな?悔しいかな?
もっともっと辱めてあげるからね、
いっそ聖の前で屈服したように見せるのも良いかもしれない。
悔しいよね?私が憎いよね?

だから、次は私の番だよ?


誰かに見つかったら彼だけ助けられて、私は封印でもされるかな。
でももしそうなったら、彼だけでも道連れにして、
いつか封印が解かれるまでたっぷり虐めてもらおう。

指をもう一本突っ込んで舌を軽く引く。
私の番なら引き抜かれるんだろうか。
どうあれ、それは非常に心地よかった。

>>ジョバンニ氏




いっそ地下の橋姫にでも会ってみようか、
甘える相手がいるだけマシ?
そりゃあそうかもしれないけど。
・・・白蓮は親みたいな奴で、友達じゃないんだ。
ムラサは、ああ、あいつは明るいから、私以外にも友達がいるんだ。
何で物事の邪魔をするのかって、嫉妬してただけなんだ。
友達がいないから、
祭事も、それを楽しむ相手が居ないから。

10月の晦はハロウィンとかいう西洋の祭りだそうで、
仮装した子供が町を練り歩きお菓子を貰うんだとか、
数少ない顔見知りの小傘が誘ってくれたものの、
「ああ、うん、そんな歳じゃないからさ・・・ごめんね」
下らないプライドは理性を押し付けて、口からは思いもしない言葉が飛び出してしまった。
それで、私が後悔するのはどうでも良い、ただ、
「え・・・ごめんね、ぬえの都合も考えずに・・・」
小傘を傷つけたかもしれない、そんな感覚が心を深く抉った。

白蓮は存外早くここに馴染めたみたいで、
家の前に飾られたかぼちゃ提灯と、中から聞こえる知らない笑い声が私の居場所が無い事を教えてくれた。
だよなぁ、
私は嫌われ者だもんなぁ、
そうでなかったらこんな夜に一人で暗闇を歩かないし、
もっと誰かから誘いがくるはずだもの。
「う・・・ぐす・・・」
折角、封印が解けたのになぁ、
一人ぼっちなのは、自分のせいだもんね。
「うあ・・・うぅ・・・」
泣いたって良いじゃないか、どうせ誰も来ないんだし、
涙がずうっと流れ続けて、涙に海に溺れてしまえれば良いのに。

「大丈夫?」
声が聞こえて、顔を隠した。
泣き顔なんて見られたら恥ずかしいし、みっともない。
「ほら、涙拭きなよ」
渡された布で涙を拭くと、
目の前には人間の男が立っていた。
歳は・・・私の見た目と同じぐらいだろうか、
白い大きな布を持っていた。
「こんな時間にこんな所で・・・本物の幽霊かと思ってびっくりしたよ」
「は・・・でも私、妖怪なんだけどね」
ああ、駄目だ。
素直にありがとうって言えば良いのに、
強がって、馬鹿みたいだ。
「あはは、じゃあこれあげるよ」
彼は笑って流して、懐から飴を取り出した。
「これは・・・?」
「うん、いや、結構驚いたからさ、泣き声で」
ああ、そうか、
ハロウィンだから、か。
「優しいんだね」
「そうかな」
表情一つ変えずに、自然に返してくれると嬉しい。
軽さが、重さが、ちょうど良くて、心を埋めてくれる。
「ねえ、君はなんて言うの?」
「ああ・・・○○って呼ばれてるよ」
「じゃあさ、○○、今からでもハロウィンは楽しめるかな?」
どうかな、
彼は気まずそうに時計を出した。
「ハロウィンはもう終わったよ、今日は11月1日だ」
時計は1を指していた。
「あ・・・
 じゃあなんで、私に飴をくれたの?」
「なんか、うん、見た目だけで言うのもなんだけどさ。
 ・・・・・・好きになったから?」
「なっ・・・!///」
う、あ、駄目だ。
嬉しい、凄く嬉しいけど、
こういう時どうすれば良いのか分からないよ。
他人に好かれた事とかないから!
「ご、ごめん、今凄く混乱してる、かも」
「あぁ、いや、その、言ったこっちも軽率だった、ごめん」
「い、いや違うの!嬉しいの凄く、あの、良かったら一緒に」
一緒に、居ない?
「もちろんさ」
お互い、心拍は高いままだけど、
手をしっかり握って、
暗い夜道を、ゆっくり歩いた。



「アンタ最近、気持ち悪くなったね」
ムラサが第一声に発した言葉がそれだった。
「は、はぁ!?あんた人を馬鹿にするにしても言葉を選びなさいよ」
「いや、明るくなって、人当たりも良くなったと思うよ?
あぁ、そういえば、彼氏が出来たんだっけ・・・」
琴線に触れるってのはこういう感じなのだろうか、
彼は、私から離れないように隠してた筈なのに、
私しか友達は居ない筈なのに、
何で・・・!
「でもあんたは性格悪そうに見えてこそあんたらしいって・・・」
「どこで知ったの」
「え・・・・・・」「どこで○○の事を知ったかって聞いてんのよ!」
ムラサの肩を掴んで問い詰める。
友人を失う後悔よりも焦燥が走った。
・・・○○の方が大事だ。
「し、新聞よ、新聞。
 あんた達が夜中に会ってるの、記事にされてたんだって」
「そう・・・なら、良いけど」
「しかしあんたも中々・・・面食いね、○○って結構かわい・・・いや、何でもないよ」
「なんて言ったの?」
「い、いや、だから、
 あんたの彼氏って、結構可愛いなぁ・・・って」
「私から○○を奪うつもり?」
「そんな訳ないって、あくまで感想を言っただけだよ」
忌々しい、何が感想だ。
人の物に気がある癖に。
○○、早く会って、
他の誰かに、見つからないようにしないと。
あなたの友達は私だけなんだから。
だって、そうじゃないと、
あんな晩に一人で居る筈が無いよね?
ねえ、○○・・・・・・


ジョバンニ氏





笑っていた、モニターの向こうで、彼女は。
楽しそうに、嬉しそうに、クスクスと。
なんの因果も脈絡もなく、ただ外部出力の接触が悪かっただけで、
それが笑う事となんら関係など無いはずなのに。
彼女はまるで見せつけるかのように笑っていて、笑顔を。
なんの変哲も無い、少女が立っているだけのそれは、
偏愛を見たままに書き起こした物で、
強いて言うなれば装束に紅く染みる血痕と、
虚をふらふらと見据える光の無い眼で、
遠巻きに恋敵を撃ち殺したと連想させようという程度のもので、
やはりそれはただの少女であった。


処理落ち、フリーズ。
サムネイルは赤一色に、
拡張子は文字化けし、削除も出来ない屑ファイル。
羅列された小さな画像の中で一人笑う少女はそこはかとなく無気味で、
一人だけ生き延びるのがまた運命的でもあった。
バックアップを取ってなかったのは痛いが、
保存していた物はフォーマットしよう。


ひたり、
後ろから冷たい手が伸びて、マウスを握った。
後ろも向けぬまま、それはそこに居る事を誇示するように、画像をクリック。
モニターに映る自分の後ろには




それは幻覚だったのか幻想だったのかは分からない。
ただ確かな事は、彼女はこうして目の前で笑っている事である。
ならばいっそ、狂ったのは自分だけであってくれ、
そう思いながら重い瞼を閉じ、体を彼女に預けた。


ジョバンニ氏




 贈り物なんてガラじゃない。
 だから何も用意なんてしてなかったし、する気も無かった。


「バレンタインと言ってですね。想いを寄せる殿方にこう、大切な贈り物をしたり……」
 得意げにその風習を語る星の横でぬえは退屈そうに溜息をつく。
「……何でそんな風習に則らなきゃいけないのよ」
「何でって……」
 きょとんとした表情のまま、星は真顔で答えた。
「ぬえには好きな人、いないんですか?」
「んなっ!?」
 突然そんな事を聞かれたぬえは勢い良く咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」

「い、……いきなり何を聞いてくるかと思えば!
 いるわけないじゃない、そんなの!!」
「……あれ?そうなんですか?」
 星は悩む様な目でぬえをまじまじと見つめ、首を傾げる。
「絶対間違い無いと思ってたんですが」
「……間違いないって、な、何が?」

「――が――で――――しちゃってる位の相手、もうとっくにいるものだと――って、あら?」
 その言葉と同時、ぬえは蒸気が爆発する様な音と共に真っ赤になってぶっ倒れていた。

「……なん、なんでそんな事細かに知ってるのよぉ、寅丸!」
「何の事です?」
「まさかあの鼠を私の監視につけてたとか、そういう……」
 ぬえは真っ赤なまま星へと詰め寄るが、星は不思議そうな顔をしたまま、笑ってみせる。
「いやいや、ただの憶測ですよ。
 でもぬえならそれ位進んでいてもおかしくはないかなぁと……って、気に障りましたか?」

「……勘かよ!!!お前は何処の巫女だよ!!」
「私は巫女ではなくて毘沙門天の……」
「あーあーあー!もういい!もういいから」
 星が説明を始める前にぬえは言葉でそれを止めると、窓に手を掛け羽をふわりと蠢かせる。
「あんたこそそうやって――が――で!
 ――――してればいいじゃない。あんたの彼氏とさ!」

 そう吐き捨てると、勢いよく外へと飛び出していった。 

「…………」
「おや、ご主人。こんな所で何を……」
 入れ違いに入ってきたナズーリンの視線は窓の外へと一瞬移ったが、興味なさそうに視線を戻した。
「……ぁ……う……ぐっ、ナズー……リン。……うぁっ……私だって……私だってあの人と……」
「入る部屋を間違えたらしい」

 ぴしゃっ!

 主人の言葉を気にも掛けず、今開けたその戸を彼女は思い切り閉めた。


 行く当ても無くぬえは空を漂っていた。
 その正体を隠しつつ、道行く人間をちょこちょこと驚かせながら。

「バレンタインつったってさぁ……」
 正体不明の種をその辺の生き物に植え付け、それを見た人間が慌てる様を見て、楽しむ。
「恐れさせたり、かどわかす方が主流の私が」
 けれど直ぐに飽きてしまい、それを剥がし上空へと浮き上がると、雲を見つめたまま憂いの表情を浮かべ。
「何を贈ればいいってのよ……」
 何時の間にか沈んでいた夕日へと呟きながら、ぬえはそのまま浅いまどろみの中へと落ちていった。


 ……。

 夜の闇に染まった黒い森の奥深く。
 真っ黒な沼の中に、○○は半身以上浸かっている。
 ぬえは座るようにして浮かび、それを見下ろしていた。
「私からのプレゼントは気に入ってくれた?」
 徐々に沈んでゆく○○の手を握り、少しだけ引き上げると力を緩める。
「ずぶ、ずぶと。何処までも落ちて行く……
 私が飽きたらそれでおしまい。

 二度と浮かび上がる事はない、底知れぬ世界へと飲み込まれてしまえば。
 ……楽しいゲームだと思わない」
 ○○はぶんぶんと首を振って答える。
「勘違いしないで」
 それに対しぬえは何処か優しい声で応えた。
「”楽しいゲーム”だって言ったよね?主に私がだけど」
 ○○がぬえの顔を見上げた。
「……くくくっ。

 気付かないのね。
 私がずっと、あなたの手を掴んでる事。
 あなたが沈んだら、私も一緒に沈むのよ

 暗く深い、人の手も人外の瞳も届かない……この深淵の中に」

「そしてあなたは物言わぬ泥のまみれた人形となって、抱かれたまま眠るの。……私の腕の中で」
 ○○の手から次第に力が抜け落ちるのを感じ、ぬえは握っていた手に大きく力を込めた。
「分かってるって。○○だってそんなの嫌だよね。
 でも、ゲームオーバーとしては悪くないかなって」
 ぬえはにやりと笑うと○○の手を自分のボタンに掛けさせた。
「だから、さ。
 攻略してみせてよ。
 あなたの全力で、私と言う城を篭絡させれば良いのだから。
 幸い私はあなたに惚れていて、全力で愛して見せてくれれば私も誠意を見せるかもしれないよ。

 煮るなり焼くなり好きにしていいんだから、さ。
 ――それとも」

 ずぶん、と。ぬえも沼へと身を落とすと、二人の顔の高さが同じになる位にまで沈んだ。
「ん……むっ……」
 噛み付くようにぬえは唇へ齧りつくと、顔をほんのりと赤らめながら、ふふふ、と笑った。

「もっと深い所まで潜ってみないと、見破れないかな。
 私の、この気持ちは――」


 満点に輝く星空の様に。
「……空気が心地良いと思ったら」
 沈んでいた太陽は隠れ、夜の闇と月明かりが世界を彩っていた。
「夢……だったんだ……」

(……面倒くさいな。あれが現実でも、私は構わなかったのに)


 人里の灯りは殆ど消えていた。
 ○○はまだ眠れずに何かをしているらしく台所で悩む様に突っ立っていた。
「おーい。わたしが来たぞぉーっ」
 そして明らかに玄関以外から入った様子のぬえがそれに飛びついてくる。
 背中にはしっ、と張り付くようにおぶさると○○はそれが当たり前の様に、
 手を後ろに回して頭を撫でた。
「……50点だね」
 何の点数だよ、とツッコミが入る。
「彼女の扱いに決まってるじゃない。つまんないなぁ○○は。
 でも許してあげる私は優しいなあ。
 幸せ者だねー、○○」
 ぬえを撫でる手に力が込められ、髪の毛をわしゃわしゃとしてやる。
「なによ。やるっての?」
 喧嘩腰でそう答えるが、その声は何処か嬉しそうだった。

 が、撫でていた手が急に引っ込む。
「んん?ぁ、ちょっと○○、もうちょっとやっ……」
 すぽんっ。

 そんな音がしそうな感じで、○○の人差し指がぬえの口に収まった。
 口内の舌に触れたそれは、まだ少し暖かく。
「なにこれ、あま……」
 どろっとした、味がしていた。
 何でも今日、人里で妙な食材が入り”こういう菓子”が急に流行り始めたのだとか。
 一部紅白やら黒白が『異変ね』『異変だな』と騒いでいたらしいが、どうなのやら。
 それなので、どうせなら一騒動治まる前にと○○はそれを手に入れ、現在に至る、と。

 ……結果、人里で言っていた『黒い固形の甘いお菓子』は出来なかったらしい。
 そのなれの果てらしい溶けた甘く黒いなんかを指に絡めると、またぬえの口に運んでやった。
「んちゅっ……あのさ。これはこれで出来てるんじゃないの?」
 ……。
「十分食べられるし」
 かもしれない。
「じゃあ皿か何かに移してよ、気が利かないなぁ。

 ……んでなんでまた指に取ってるのよ、それ」
 何でだろう。
「あむっ……食べる私も、私だけど」
 すっ。
「……」

「普通に食べさせる気、ないでしょ……?」
 はい。

「…… …… …… ふーん」


 ガシャン!!

 ぬえの羽が薙ぐ様に台所を舞っていた。
 床で皿が何枚か割れたのか、その破片が少し飛び散っている。

 一緒に倒れた○○の腕にも、軽い傷が出来たのか、血が流れだしていた。
 ぬえは素早くその腕を掴んでおり、直ぐにずずず、と這うように滴を舐め取った。

「……あなたの味。知ってる味がする」

 ぬえは羽で溶けた菓子を取ると、口に含み、そしてそれを口の中で絡め合わせた。
 そのまま何も言わずにぬえは○○と唇を重ね合わせると、それを舌で渡す様にして動かした。

 ちゅぽん、と音を立てて離れる。
「あなたの血と私の唾液、それが混じったこのお菓子は……一体何なんだと思う?」
 そしてぬえは少し不服そうな顔をしていた。
「○○に食べさせられてばっかりじゃ、ねぇ」

「私だってあなたに食べさせてあげたい。いや、食べさせたい。
 私以外、誰にもあなたにお菓子を食べさせる事なんて許さない」

「あなたの”ナカミ”に触れていいのは私だけ」

「私を味わっていい存在も……

 私を食べていいのも」

 あなただけなんだから。
 ぬえは無邪気に笑って見せた。


「バレンタインは贈り物をしないとね。大好きなあなたに、私というお菓子を上げる。
 どんな味がするか、覚えられるまで、ね……?」
 ぬえはゆっくりと手を重ね、その身を○○へと預け。耳元で囁く。
「三月にはあなたがお返しをする番らしいけど……

 きっと間に合わないねわね。○、○?」
 好き、好き、好き、と小声で何度も呟きながら。


 きっと何時までも見破れない、彼女の想いに侵されて。

おやつ氏