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ハーメルンに関してはまだ語りたいことが山々あるのですが、 メインの各話感想終了&アニパロ(著作物についての)同人活動終了を記念して、 その出会いか ら今に至るまでの周辺話を。 |
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ああ、ガンダムW(以下GW)よ、トロワ受よ、感謝! いきなり違うアニメの違う話題で申し訳ない。しかし私がもし、GW視聴と同時にホモ 同人活動の道にも踏み入っていなければ、ハーメルンとは一生出会うことも無く終わった のかもしれない。 当時私は、GWに登場する美少年キャラの好き勝手なホモ漫画を描きなぐっては、「こ れが私の、この作品を心から愛する証しです!」と、言わんばかりの顔をして売りさばく、 愚かなやおい同人女だった。 元々はトロワ×カトルというカップリングだったが、メジャーカップリングのメジャー 幻想「クールでオトナなトロワと、天使のようなカトルがラブラブなの〜」を押し付けら れるのにイヤ気がさし(私が描いていたのは「意志のないトロワと、きちがいのカトルは 血を見て当然なの〜」というもの)、その逆で超マイナーなカトル×トロワ…総じて「ト ロワ受」と呼ばれる場所に移った。 が、こっちはこっちで「攻トロワ=悪」という空気が無い事もなく、次第に「愛する」 キャラをわざわざ「攻・受」の記号的なワクにだけ閉じ込めそこにしか魅力を見出さない 行為の矛盾にも気付いていくのだった。 やおい同人界…それは「自由な表現の場」が聞いて呆れる不自由極まりないカセで縛り 合う場所。…だから楽しい?そうだろう。 大体「攻×受」なんて表記、私は知らんが過去に誰か一人の言い出しっぺがいるとして、 今現在まで先人の手段を踏襲するだけなのだから。「攻×受」の約束事にがんじがらめの 表現、そしてこの一本のレール上だけを誰もが疑いもせず歩む光景。欲しいのは「自由」 はおろか、既存システムに組み込まれる安堵・集団への依存ではないのだろうか。ならば、 ただの連帯感ごっこに利用される作品って、実は何? むろん、作品の受け取り方こそ際限なく個人の「自由」だろう。ただ、領分には際限が あると感じる。キャラに対するホモの色付けやカップリング単位の主観を主義にまで昇華 させてなお、作品全体の客観判断が通るとは思えない。逆に。そんな「主義」にかまけな いと楽しめない作品って、実は何? 以上、批判ではなく疑問。私はその答えが出せなくて辞めたのだし。 話戻ります。トロワ受は何故か関西方面で盛り上がっていた。そこで今まで東京の即売 会にしか参加したことのない私も、まずは大阪のイベントでトロワ受デビューを果たそう と、喜々として申し込んだのがすべての始まり。これからはトロワ受で頑張るぞ!などと 意気揚々と燃えこそすれ、それがアニパロ同人活動の筆を折るきっかけになろうとは夢に も思っていなかった。 大阪までは深夜バスで行くことになり、よってイベント前日の1997年3月19日、 通常なら外出中の水曜日夕刻に在宅せねばならず、また余裕を持って早目の夕食をとるた めにTVのある居間に座る羽目になった。 私は何を見ようというのでもなく、TVを付けた。最初に映ったのが12チャンだった。 アニメをやっていた。5時すぎで、始まったばかりだろうがオープニングは見逃したの で何という番組なのか分からなかった。少女漫画のようなツンツンまつげの絵柄に抵抗を 感じたが、チャンネルを変える気にはならなかった。BGMに、昔よく聴いたべートーヴ ェンのピアノ曲が使われていた。 女性のキャラクターが一人語りで過去の話をしていた。そのダンナもパツキンのツンツ ンまつげのヤサ男だった。女性の口調は淡々としていたけれど、何か心底告白したいこと があるように思えた。女性の住む村には何かが起こりそうな気がした。ダンナにも何かが ありそうな気がした。絵柄に反して、これはよっぽど深刻な話だと思った。 アイ・キャッチ。ようやくこの番組のタイトルが、『ハーメルンのバイオリン弾き』だ と知る。 ワケが分からなかった。アニメ雑誌の記事をちらっと見たことはあるが、ハーメルとか いう主人公をはじめ、チャラチャラしたキャラが陽気な音楽旅行をしているイメージしか なかったからだ。 後半になって、そのハーメルが登場した。でも赤ん坊だ。女性は主人公の母親で、ヤサ 男は父親だった。物語は、益々深刻になった。でも、ありがちな話だ。人間の女と魔族の 男が恋に落ち子供までもうけたが、男は魔の血が濃くなり、女に自らの封印を頼んでいる。 女は、愛しているからできないと拒む。その前でヤサ男は見る影もない化け物に変貌して いく…。 そして、妻と二人の赤ん坊を残して化け物はいなくなってしまった。 ズルい。こんなオーソドックスな悲恋物を、クラシック音楽で演出するなんてズルすぎ る。ロクに知らない初見の番組でここまでコテコテにやられて、誰が泣くもんかと思った。 でも、涙がこぼれた。そして女性と赤ん坊たちと一緒に、泣いた。 最後に、ハーメルじゃない方の子供が魔物にさらわれた。でも女性は笑っていた。状況 はよく分からないけれど、その時の女性の口調と笑顔は恐ろしかった。この人は、善人じ ゃない。でも、悪人というわけでもない。ただ、生々しい女だ…という印象だけは強烈に 残った。 これは、毎週見るしかない…と決心した途端、次回予告で次が最終回だと知った。 もう、全然ワケが分からなかった。ナレーターは楽器の名前を羅列し、さっきは全然出 てこなかったハデなキャラたちが登場し、しまいにヒロインらしき少女が「世界を救える たった一人の女の子」などと自称した。この少女もアニメ雑誌で見たことがあるが、そん な大それたことを言うようには見えなかった。そんな大それた物語だとは思えなかった。 そして予告の音楽は、一発で耳に残った。 何なんだ。このアニメは…。私の夕食は、30分遅れた。 やがて一週間がたち、最終回を見た。恐らく1話から見ることになるかもしれないアニ メのラストを先に見てしまうのはもったいない気もしたが、先週の予告に勝てなかった。 何があったのか知らないけれど、キャラが一杯いて、みんな傷付いたり倒れたりしてい て、大変そうだった。先週と違って話は全然分からない。でもみんな辛そうで疲れ切って いるのは分かった。憎しみや悲しみに満ちた世界だった。 ハーメルはいなかった。いたけど、アニメ雑誌で見た姿とは似ても似つかなかった。ま た、アニメ雑誌で女の子だと思っていた長方形の帽子を被った人は、声で男の子だと知っ た。チョコレートのCMで極悪人だと思っていた黒っぽい男の子は、急にいい人になった。 そしてハーメルは、本当にいなくなってしまった。 終幕が近付き、メインキャラがバラバラに別れていくようだった。女の人の美しく寂し げな歌が流れていた。こんなシンプルな曲で終わってしまうのは不思議な感じがした。 最後に全然違う場面が挿入された。アニメ雑誌で見たハーメルがいる。ヒロインも明る い調子だ。多分この物語の最初の頃なんだな…と思った。 ヒロインが星空を見上げた。 「まるで…」の後に言葉は続かず、物語は終わってしまった。 何なんだ。このアニメは…。 翌日、最終回を一緒に見た同居人がビデオの『第1楽章』をレンタルしてきた。私は何 だかこわくて、すぐには見られなかった。やっと見たのは、4月の半ばだった。 第1話を同居人と一緒に見た後、二人で肩を叩き合ってぎゃあぎゃあ騒いだ。互いに当 時一番熱中していたTVアニメの名を出し、互いにそれなんか霞む!と断言した。因みに 双方、ラスト1〜2話&第1話対全話という比較。 少なくとも私は軽率だとは思わなかった。GWはおろか、私の中で15年間不動の地位 を誇っていた最高傑作、初代ガンダムやイデオンなどが総力で掛かっても、この第1話… 『鎮魂歌(レクイエム)』には勝てなかったのだ。 自分でも信じられなかった。巨大ロボットが宇宙で華麗なドンパチをやる世界が、一人 の少年がバイオリンを弾くだけの世界を前に、こうも簡単に色褪せるものなのか。キャラ デザだって、世界観だって、こんなの全然好みじゃない。…ああだけど、それが何だって いうの? ハーメルンがまず私に教えてくれたのは、「作品に何を求めるか」を自分のシュミ好み に固執してそこだけで満足するより、「作品に何を与えられたか」で自分のシュミ好みを 破壊されたり拡大されたりすることの方が断然楽しい!気持ちいい!ということだった。 元々、好きなアニメ(やキャラ)に「こうなって欲しい」「ああなって欲しい」と具体 的要望が顕著な風潮には共感できなかったし、それに当然のごとくお応えするアニメにも 魅力を感じなくなっていた頃だった。主要キャラが最後に全員笑顔でさえあれば、「素晴 らしい最終回」。TVアニメも、随分とナメられてる…。 自分の具体的要望通りのものを得られて、満足する…それは商品。自分の予想だにしな かった意表を突くものを提示され、衝撃を受ける…それが作品。…などと、受け手側のま こと勝手な持論まで確立させられたのだった。 また私はハーメルンで、特定キャラヘの偏愛的視点を完全に捨てた。作品を見るときの 最大の障害となるから。 その後一気に8話まで見て、初めて原作にも触れ、もはや興奮状態はピークに達した。 …へへ…スゴいやあ…私には何がなくとも、ハーメルンがあるぞ〜!…ヘヘ…と、不気味 な薄笑いばかり浮かべていた気がする。 そして、疑問。同居人がほぼ毎月購入しているアニメ雑誌3誌で、片っ端からハーメル ンの記事を探したが…こんな素晴らしいにもほどがある作品が、ほとんど地味な扱いでし かなかった(のちに『Megu』の存在を知るが)。 いや、生の声がある。同人界を探った。しかし身近なところで『ハーメルン』と言えば 判で押したように「動かない」「暗い」「原作と違う」の声ばかりが(特性ではなく欠点 として)聞かれた。 いや、専門家の声がある。期待と不安を抱きつつ、ドキドキしながら初めてハーメルン スペースを回った。 笑った。いや、笑えない。身近の比でなく暗黒の世界だった。TV版をいちアニメ作品 として批判するだけならいい。しかしマンガはTV版キャラを拝借して描きたい放題描い といて、トークでは「TV版は原作の良さが全然出てない失敗作」だの「アニメスタッフ 原作読んだことあんのか?」だの暴言吐きまくっている本が珍しくない。TV版が終了し てすぐの頃だったし、皆さんの活気もピークだったのか。 私は心洗われ胸打たれ、数日胃がオカシくなりました。そして自分の大切なものを土足 で踏みにじられた悔しさは、「自由」を履き違えた自覚のない行動そのものに対する怒り に変貌していった。 そんなに「原作と違う」のが許せないあんた方が、原作者の許可も得ずてめえのシュミ 都合(それこそ原作とは似ても似つかない世界)だけを描いて御大層に値段付けて人様に 売ってるソレは何ですか? 後に、TV版を正面から高評価される方からお声がかかったり、私自身の活動でかなり スッキリしたりで、今はもうどうでもいい。どの道、カトルとトロワのホモを描きなぐっ た本のトークで「GWは25話で終わった」「後半のカトルは認めない」などと盗人猛々 しくわめいてきた私に、他人様を一方的に責める資格はない。しかしその態度を自覚する ことは必要だと思った故、前述の乱暴な言葉もお許しのほどを。過去の自分への戒めも、 充分にある。 そしてこの日以来、私はあらゆるパロディ同人誌を一切買うのをやめた。 これは余談だが、GWのあるメインスタッフはアニメ雑誌のインタビューで同人誌を公 認する発言をしていた。同人層がアニメの重要な顧客となり、そのターゲットを狙って作 られる(としか思えない)ものも珍しくない現在、同人誌側だけを否定的に見る気はない。 一方、アニメ側が同人受けに頼ることも安易に否定したくない。アニメはオモチャを買 ってくれる子供に訴える必要上、ロボットや変身シーンをこれでもか、と投入する制約が あった。それがソフトを買ってくれる同人層に訴える必要上、ホモくさい美形キャラや人 気声優の投入という、新たな制約にシフトしつつあるだけのことだ。新たな制約からはま たその制約に乗っ取った上での、素晴らしい作品も生まれるかもしれない。かってロボッ ト物が、お子様向けだけで終わらなかったように。 ただそれは、細分化するニーズに応えるだけ、固定ファン人気に頼るだけ、といった矮 小な目標では難しいだろう。「新たな制約」への無私の奉仕が大前提…この流れが変わる には、まだ時間がかかるようにも思える。加え類似の一途を辿り続けるのも、潮時が見え ない。 脱線した。さて。もしハーメルンがアニメ雑誌で頻繁に取り上げられ、同人界でも人気 の高いようなアニメだったら、私も多少なりとも拠り所を得られただろう。一つの作品に 対する未曾有の感動は、多くの他者とそれを分かち合うことで暖かく包まれ、慰められる ものだ。 しかし当初私にあったのは、絶賛はするが話にならない同居人(ゴメン)だけだった。 今まで愛好してきたのは、拠り所に困らない高人気なアニメばかりだった。こんな事態は 考えたこともなかった。初めての体験に、震えた。 ハーメルじゃないけど、二つの道があった。 まずこの事態をいいことに、発掘した秘宝は誰にも教えてやらない、この極上の喜びは 独占するに限る、自分だけの隠れ家的アニメにしてしまおう!という道。…今となっては ウソみたいだけど、当初はこっちが有力だったのだ。しかし。次々と押し寄せる感動を胸 の内にしまい続けて悶死するよりは、やはり思う所洗いざらいぶちまけて楽になる道を選 んだ。 いや、ちっとも楽じゃない。不特定多数の方々に向けて、たった一本のアニメ作品の素 晴らしさを正確に伝える、この難しさ。私の知識や文章表現力ではあの作品には到底追い 付かなかったけれど、やるしかなかった。とにかく、一人でも多くの人に見てもらいたか った。既に見た人にも、ぜひ再確認してもらいたかった。 しかしへ夕なことを言えば逆効果となる恐ろしさや、情報の絶対的不足(放映終了後に 一人リアルタイム・原作はその後追い・アニメ誌の記事は全話見るまで熟読禁止)の不利 さや、ハーメルンを深く知れば知るほど他のアニメが魅力衰退していく淋しさからも逃れ られるものではなかった。 そんなことより、たかが一本のアニメ作品に私ええ年こいて何ムキになってんだろう… と度々思った(し、こんな作文書いてる今なんか最高に思う)が、「好き・嫌い」「いい ・イヤ」だけなら誰にでも言える、肝心なのは自分の言葉で語ることだ、それがこの作品 を「最高傑作」と称する何よりもの証しだ。…と言い聞かせながら続けたし、これからも 続ける。 最初に「この世で私以上にあの作品に狂っている人間はいない!」などと宣言したが、 あれは実際そんなヤツがいたらマジでコワい…という意味と、私以上にあの作品について 語る言葉を持つ人間はいない、という自らへの叱咤激励でもあった。…量より質だろ、分 かってます。「それ、前にも書いてたじゃーん」ってのは自分が思っている以上に多そう な…いや、強調したいことは反復、ハーメルンイズムだし。でも「私以上」の人、もしい たらゴメンナサイ&何とぞ連絡下さい。 発表の場は、少しでも多いほうがいい。二つの道、両方をとった。 まず、無縁の世界だったインターネット。同居人のパソコンで、ホームページを開設さ せてもらった。こちらは文字情報が一般的で、形としてキャッチャーである必要も無く、 書き込みも受け手も無限の場と、いいこと尽くしだった。 一方、同人誌を作ることには抵抗があった。印刷物というモノが残ってしまうこと、モ ノの体裁をとる以上キャッチャーでなければならないこと、同人誌即売会という限定され た場でしかさばけないこと。悪条件だらけだ。 第一、私はハーメルの描き方なんか覚えたくない…覚えてしまったけれど。その上自己 流の絵柄が固まってしまえばオシマイ…GWで充分思い知った。 それが「愛」と信じ、膨大な量のカトルを描き続けた代償。「カトル」と言えばアニメ の本人より、まず自分の描くカトル(であってカトルでないもの)が思い浮かぶようにな る。アニメがどんなことをやってくれるかより、自分の本でどんなことをやるかが重要に なる。そのとき、自分はもう「愛する」キャラそのものからは最も遠い所へ来てしまって いるのだ。ハーメルンで、この二の舞だけは踏みたくなかった。 さらに、今まではほとんど意識しなかった「本来、違法行為」という事実が重くのしか かった。本当に心から敬愛する作品の同人誌なんて、実は作れないものだと知った。ハー メルンで破産するのは一向に構わないが、一銭でもフトコロに入ったとき、私の愛は汚れ る…なんて青臭い信条にすがってもいられない。無料配布だろうが、著作物を無断借用し たモノを作ることには変わりない。 ポニーキャニオンに出していない手紙がある。同人誌制作の許可は頂けるか、版権とい うものは個人でも買えるのか、などとスゴいことが書いてある。別に大した部数じゃない し、相手にされないだろう…と、投函寸前で思い止まった。自意識過剰がすぎる気もした。 ともかくマンガを描くときはキャラの名前をセリフに入れないこと、絵柄をできるだけ 不統一にして「うちのハーメル」のイメージを自他共に抱かせないことを鉄則とした。我 ながらイジましい妥協案に、涙。 片や、肝心の「自分の言葉」は、初期にいくほど感情的で稚拙だし(今もそうだけど)、 間違いも多くて恥ずかしい限り。又、たった一度ハーメルンスペースで受けた打撃は根強 く残り、被害妄想もいいところ。長らく純粋な「指摘」や「意見」までひっくるめて「心 ない暴言」と受け取っていたフシがある。反省。 ともかく作り手の意固地さが如実に露呈した本・ホームページなんだが、励ましや共感 のお言葉も予想外に数多く頂けて感謝。当初は、まあ2・3人でも見てくれたらいいや… ぐらいにしか思ってなかったものの、現在ご報告頂けたのは28名さま。…心の底から! ありがとうございます。ハーメルンのソフトが一本でも売り上げること、レンタルビデオ が一本でも回転することが、この活動の最大の報酬です。気に入る・入らないはどちらで もいいのです。ただこんな作品がつい最近放映されていた、という事実だけは知ってもら いたかった。 まあ、これだけ引き摺り込めたんならGWやってて良かったかも。ホモ描いてて良かっ たかも。ハーメルンに出会えたことからして。あくまで結果論。 同時に、ハーメルンを広報するのに最も無意味な場所・ハーメルンスペースにも本を置 き続けた。理由。本の性格上アニメFCで申し込んだが、イベント側は作品名が同じなら スペース統一、マンガFCに事務的にぶち込むのだと分かった。のをいいことに、この場 の方々に再確認してもらうのも大切だ!というごくマトモな思いと、単なるイヤミです。 最後だからバラす。 何が一番楽しかったかって、サークルカットに「歴史的最高傑作アニメ!」などと明記 すること。スペースに飾るスケブに「TV版大好き!」などとデカデカ書くこと。こうし て、最初で最後にハーメルンスペースを回ったあの日の恨みを、当地で晴らしたワケ。 まあそんな話はやめて、ここらでハーメルンの素晴らしさを振り返ってみよう。 何はさておき、まずは画面。止メ絵のスピーディな切り替わり、印象強いハーモニーの 多用、絢燗たるフルアニメーションや背景動画、滑らかなCG…あらゆる技術が駆使され た、贅沢で表情豊かな画面だった。「静」も「動」もセル画アニメで表現できる限界まで 追及された結果、止メ絵の多さばかりが非難の的ともなったが、私はこれ以上セル画アニ メの醍醐味を満喫できる作品もないと思っている。デジタル化が進む時代の過渡期、セル 画アニメのひとつの円熟を象徴する作品だとさえ思う。 時間芸術において、一枚一枚意図して描かれた「画」の移り変わりを楽しむ。それは、 他の映像作品では味わえない魅力だから。 ただ、「一枚の画」にこだわることに感銘を受け過ぎてこれがスタンダードになってし まうと、他のアニメがマトモに見られなくなる、という弊害はある。実際私は、8話まで 見た段階で他のアニメの見方を忘れて難儀した。今までスムーズに見ていた何もかもの時 間・空間感覚が掴めなかったのだ。まさに西洋音楽のごとき明確なリズムある画面・展開 に慣れると、他のものは動画はちまちま動いてるけど異様な起伏の無さを感じた。未だに ハーメルンを見た後はしばらくその後遺症が抜けない。これは音声面でも同様。 次に、原作とはカラーも展開も…テーマさえ異なる物語。これはいずれ詳しく書くつも りなので簡単に、この作品は漫画原作アニメの歴史を塗り替えるエポックメイキングな事 件である。ただ、時期尚早であったのだ。原作異解釈表現を、原作の個性純化…ひいては 尊重として受け取る余裕が未だ視聴者側に培われていない。 しかし原作異解釈は他の映像ジャンル等では既に確立されており、漫画原作アニメだけ がいつまでもその慣例に捕われる必要性があるとも思えない。 またテーマそのものの優劣を計る傾向が強いが、果たして物語の「テーマ」に優劣など あるのだろうか。例えば「友情」は「人類平和」よりスケールが小さいから、「失恋の痛 手」は「恋愛成就」より悲しいから、「病める心理」は「健やかな成長」よリ退廃的だか ら作品として劣る…などという基準でもあろうものなら(あるとしたら思想統制の布かれ た戦時下とか)、古今東西の著名文学作品も半分以上…いや、ほとんどが陽の目を見てい ないだろう。肝心なのはいかなるテーマであれ、それがどう描かれるか、なのである。 むろんそのテーマや物語が、お子様時間帯のTVアニメにしては難解かつハードであっ たことは否めない。だがこれも、現在蔓延するヒーローは不死身・負けても勝利を掴み取 るという、がむしゃらに好都合な作品群の中で見た場合の話である。 ハーメルンはそれに妥協せぬ、徹底して貫かれた悲劇であった。でもまあ、決して結ば れ得ない運命の悲恋だなんて古典もいいところ…だが、「ただの女」が主導権を握ると、 これが聞いたこともない話に思えてくる。 物語の最後までケストラーとの再会だけを夢見たパンドラ、ハーメルとの日々だけを夢 見たフルート。彼女たちに「世界を敵に回しても!」などという力強い意思は微塵も感じ られず、「ただ、あなたのそばにいられたら…」という悲願だけが、やっとその細い体を 支えているかのような非力さだ。 しかしその言動こそ、復讐に血道を上げる者たちの物語よりショッキングなものであっ た。 思えば、TVアニメで描かれる女性キャラクターにマトモな女は滅多にいない。それは 男性側の一方的な夢の具現化であったり、機械のような完全無欠さであったり、極度にエ キセントリックであったり、躁病レベルの明朗活発さであったり…ちょっと、どこかオカ シい。もちろん、そこまで現実離れしたキャラクターが立ち回る空想の世界、それがTV アニメというものなのかもしれない。 だけど、「ただの女」は壮大な空想世界さえ食ってしまいかねない強烈なキャラクター であることを、ハーメルンはバラしてしまった。道理で、そんな厄介なキャラクターは誰 も描こうとしないワケかどうかは知らないが。 最初に全話オールナイトをやったとき、信じられなかったこと。覚えている限り、監督 ・脚本・演出・絵コンテスタッフに女性名は無かった筈。念のため調べてみたが、やはり これは男の人が寄ってたかって考えた話だった。 一つ一つの言葉が胸に染み入る妻の告白、物語の展開に最後の最後まで抗い続けたヒロ インの夢想、口許を映すのみに止められた年老いた美女への配慮…。ここまで微細に女心 ってやつを読まれて、怖いぐらいだった。 成長したフルートの、豊かな胸の谷間で揺れる鍵。ハーメルはパンドラの箱を通してフ ルートの胎内に回帰したかのようにも思える。再び箱を開き、再びハーメルを世界に産み 出せるのもフルートだけ。 物語は悲劇だった。しかしこの二人の辿り着いた愛の形は、実に羨ましいものでもある。 フルートというやつは、ことごとく私の昔の破れた恋を思い出させる。 初恋だった。 私は彼が好きで好きで、24時間以上一緒にいたい、私だけのものにしたいと思った。 会えないときは、彼を小さくしてポケットにでも入れて持ち歩けたらどんなにいいだろう …と夢想した。彼に私といない時間があることを認めたくなければ、彼に彼の母親がある ことも認めたくなかった。だってこの人は、私が産みたかったのに…。 別にそんな独占欲に始終とりつかれているワケではなくて、ついぼんやり考えてしまう 程度のこと。だけどその程度のことが、実は一番計り知れないのかもしれない。 「愛すること」…古今東西あまりに普遍的な題材だが、ハーメルンはその深層(にして 当たり前の表層)を克明に描いた。この作品で「愛」は美化の洗礼を受けず、ただ「素」 の在り方が静かに見つめられた。 そしてフルートは、私の苦い思い出をチクリチクリと刺激する。彼を、完全に独占でき た女。実際産まなくても(箱を開けなくても)、「産める」という可能性を孕んだ女。満 ちる想いは、淋しさ…と同時に、最強の自信ではないだろうか。 これこそ女側の一方的な夢かもしれない。フルートとパンドラも、結局は自分と彼のこ とだけしか考えなかったエゴイストかもしれない。だけど、小市民的なまでに平穏な日々 のほか何も求めなかった彼女たちの姿は、ストイックとさえ映る。ましてやそれが、「愛」 を殊更飾り立て合理的に利用する従来の物語のエゴイズムから、やっと女性キャラクター を解放したのだ。 この物語で女心は救われ、癒される。取るに足らない愚かで幼稚で狭小なものであって も、その存在は認められる。私は女としてハーメルンに出会えた幸運に感謝する。その優 しいまなざしに、心底身をゆだねられたのだから。下らない想いが、慰められたのだから。 まとめ。ハーメルンのあらゆる場面は、あらゆる要素の切っても切れない関係から成り 立っていた。画面はブラウン管が額縁となる「画」を仕上げていた。音声はその全体像が 「音楽」と呼べた。さらに画面と音声が合体してストーリーに結ばれたとき、奇跡のごと く完成された世界があった。 いち監督の個性ばかりが取り沙汰される昨今。確かにそれも作品を左右する重大な要素 だが、もう一つの側面もあろう。すなわち、どのスタッフの仕事が欠けてもこのスキのな い完成度は有り得なかった…と、多くの人の手を経るTVアニメ本来の姿が、実に納得の いく形で見えた作品だったと思う。 革新的、実験的、意欲作、型破り、斬新、異端…何度もそんな言葉でハーメルンを語っ てきたし、今もそれは変わらない。 ただ初期に、勢い余って「カウンター(対抗)・アニメ」と呼んでしまったことだけは 訂正したい。ハーメルンは、既存のTVアニメ作品からの脱却を計ったわけでも、まして や反抗を試みたわけでもない。ただその真髄に、どのTVアニメよりも深く迫っただけ。 その形態をいかに生かすか、何をどこまでやれるかに、どのTVアニメよりも貪欲だった だけ。前述の数々の形容さえ、このオーソドックス極まりない原点に帰結するのだ。 いきなり見た24・25話と1話、それだけで私の歴史的最高傑作だと確信・断言した が、その判断は間違っていなかったことを誇りに思う。この作品の素晴らしさが理解でき ることを、誇りに思う。 そして全話を何度か見返した今、やはり揺るぎない自信を持って言える。自分が今後見 られるアニメの数・また今後アニメが歩む傾向を考えて、これ以上素晴らしい作品にはま ず出会えないと思うから。 『ハーメルンのバイオリン弾き』。 私の人生に現れた、最高傑作アニメの名前です。 (98年12月27日) |