| 「パイオリン(Violin)」って、「小さいビオラ(viola)」ってイミらしい よ!つまりビオラはバイオリンの前身、親みたいなモンですから、その名を持つキャラの登 場で物語も幕を開けます。 原作1話ではズバリハーメルと出会う最初の人間であり、1話丸ごとビオラ少年の目を通 してハーメルの大まかな人物像が描かれる、大変重要な役割を担っています。一方、TV版 1話ではズバリ本篇開始と同時に結界士ビオラ様、ぶっ倒れて登場終わり(死んだか?)。 …最初っからあのアニメの底イジのワルい性格がよう分かります。 因みに私は音楽聞いてどれがビオラパートだとか、全然分かりません。そんなド素人なり に、魔曲の源泉を訪ねるコ〜ナ〜。 ★モーツァルト『レクイエム二短調K.626』 W.A.MOZART/REQUIEM,K626 『レクイエム』小史 レクイエムの原典、死者へのミサの祈りはエズラ記第4巻に由来する。このエズラ記の葬 儀の儀式への使用は古く、ドイツのフルダ修道院では8世紀から月に一回、その後フランス のクリュニー修道院で10世紀から年に一回、11月1日(死者の記念日)に行われるよう になった。 音楽的に最も古いレクイエムは15世紀のG.デュファイによるものと見られ、16世紀 には声楽のみによる曲が幾つか作られ、やがて1650年以降は宗教音楽の戯曲化の風潮の 中、楽器伴奏のついた強烈な表現で生み出される事となる。 こうして古来数多くの作曲家が手掛けてきたレクイエムだが、ケルビーニ、ベルリオーズ、 ヴェルディ、フォーレの作品と共に『5大レクイエム』のひとつに数えられる傑作で(因み に上記の4作品は、伝統的な儀式とは完全に分離しているらしい)、実際に演奏される事も 多いのがモーツァルトのこの曲である。ハイドン、ショパンの葬儀やナポレオンの墓の改葬、 ケネディ大統領の追悼ミサなどにおいても演奏されている。 モーツァルト最後の曲 1791年7月、モーツァルトは「不思議な使者」からこの曲の依頼を受ける。依頼主の 正体は音楽愛好家及びパクり魔ヴァルゼック伯爵で、入手したこの曲を亡き妻のために自分 が書いた作品として発表する。が、こんなウソはその後モロバレ。 ただ、既に病に冒されていたモーツァルトは不気味な使者を死神の使いと思い込み、余命 いくばくもない自分自身の鎮魂歌の如くその作曲に情熱的に打ち込む。 しかし当時モーツァルトは歌劇『魔笛』、『皇帝ティートの慈悲』の二つのオペラの創作 ・上演にも忙殺されており、9月末にその全てを終えたものの病状は悪化、もう『レクイエ ム』を完成させる時間はあまり残されていなかった。 そして12月4日、〈涙の日〉8小節目を書いた以降は筆を進めることができず、翌5日、 35歳の短い生涯を閉じた。 4つの『レクイエム』 曲は、通常の『レクイエム』と同じくラテン語による定められた式文を用い、以下の構成 から成る。 1.入祭文 6.涙の日 2.キリエ 4.奉献誦 3.続誦 1.主イエズス 1.怒りの日 2.賛美のいけにえ 2.奇しきラッパの音 5.聖なるかな 3.御稜威の大王 6.祝せられたまえ 4.思い出したまえ 7.神の小羊 5.呪われし者 8.聖体拝領誦 結局この中でモーツァルト自身の手で書き上げられたのは?、?の全てと?、?の声楽パ ートとオーケストラのバス・パートのみ、その他の部分を弟子のジュスマイヤーが師の指示 に沿って仕上げた「ジュスマイヤー版」が一般的に知られているものである。 だが、その補筆部分がモーツァルトの作曲部分と比べてあまりにマズいという指摘もあり (素人耳には全く分からないが、様式的なミスも目立つらしい)、オーケストレーションに かなり手を加えた「バイヤー版」、さらにジュスマイヤーの手になる部分を完全に排除した 「モーンダー版」で演奏される機会も多くなっている。 三者の差異は〈涙の日〉においても顕著である。まずジュスマイヤーは9小節目以降はそ れまでの歌唱声部の反復を試みて、最後は2小節の「アーメン」で閉める30小節の楽章に 仕上げた。バイヤーはこれを、合唱声部自体は保持しながら伴奏の管弦パートにかなり修正 を加えている。モーンダーの場合は9小節目以降に〈入祭文〉第2節の独唱歌唱声部の旋律 を聞かせ、その後第7、8小節の上行音形を模し、最後は79小節に及ぶ「アーメン・フー ガ」を置くという、まったく新しい補作を試みる。 …らしいのですが、自分で調べて書いたこと半分も理解できません。何せジュスマイヤー 版は多く出回っているものの、バイヤー版録音のものは探したが見付からない、モーンダー 版は録音されて出ているかさえ分らない状態です。聞いた事の無い音楽について語るなんて 我ながらサギですな〜。 しかしこれだけはハッキリしました。この有名な3つの『レクイエム』の他に、我々は4 つ目の『レクイエム』を知っている、という事です。そう、「田中公平版」です。この立場 を明らかにする為にも〈涙の日〉について延々述べました。 「ジュスマイヤー版」では全演奏1時間近く掛かるこの曲を、僅か2分に縮小した「田中 公平版」。その構成は,冒頭から〈涙の日〉で始まり、問題の9小節目以降はいきなり〈怒 りの日〉に繋がる展開を見せます。 〈涙の日〉の最初の2小節こそ悲しげなパイオリンが印象的な序章で始まりますが、『レ クイエム』全体の楽器編成ではバイオリンは控え目な役割しか持っていません。〈怒りの日〉 は中でも悽槍雄大な合唱曲で、激しいオーケストラの響きが圧倒的(トランペットやオルガ ンやティンパニが迫力!)、あえてこれを弦楽メインに塗り替え繊細華麗なバイオリンソロ の主役に任せた点、また〈涙の日〉と〈怒りの日〉というタイトルからも分かる全く性格の 異なる曲をすんなり自然に、いやむしろその落差を生かした上で1曲にまとめ上げた点は、 素人耳でも拍手を送りたくなる名アレンジ!…オリジナル必聴!魔曲ベスト3人りは確実で す。 もちろん場面とのマッチングも見事。〈涙の日〉が静かに序々に盛り上がる中ではハーメ ルのパンをじっくりキかせた“静”の画面。これから起こる大展開をタップリ臭わせます。 そして魔族の触手が四方からハーメルに襲いかかる“動”の画面に切り替わった所で音楽も 急展開、〈怒りの日〉に突人します。2話、5話のような画面と異質な選曲もタマランです が、こういう正統的な使い方も有無を言わせぬテンションでキメてくれます。 しかし最初の魔曲でいきなりこんな曰く付きだらけの曲を使用する、しかもわざわざ作曲 家め絶筆部分として名高い箇所に手を出す大胆不敵さは、もう何から何まで型破りな番組の 性格そのもの(感激)。 原作2巻目の半ばでも登場する曲ですが、原作ではライエルにハーメル(主人公)の圧倒 的な力を見せ付ける要素が強いのに対し、TV版では決して幸先よろしくない物語の幕開け、 といった印象を残します。大体『死者のためのミサ曲』なんてフツウ1話から使うか、サプ タイトルにするか…。因みに原作最初の魔曲は、うって変わって母親の我が子への愛情を歌 った『シューベルトの子守歌』。時間あれば、原作の魔曲もおいおい訪ねます♪ 参考文献 『レクイエム発音講座』アット・プリモ(ビクター) 『モーツァルト探求』海老沢敏編(中央公論社) 『モーツァルト〈?〉声楽篇』属啓成(音楽之友社) 『モーツァルト大全』志鳥栄八郎(共同通信社) 参考CD ◇カルロ・マリア・ジュリー二指揮・フィルハーモニア管弦楽団・フィルハーモニア合唱団 (ソニー) ◇カール・ベーム指揮・ウィーンフィルハーモニー管弦楽団・ウィーン国立歌劇場合唱団 (フィリップス) ◇へルベルト・フォン・カラヤン指揮・ベルリンフィルハーモニック管弦楽団・ウィーン学 友協会合唱団(エコー・インダストリー) _以上ジュスマイヤー版、バイヤー版はマリナー、ショウ、アーノンクールなどの指揮で出 てます。 ★スメタナ 連作交響詩『我が祖国』より“モルダウ” BEDRICH SMETANA/『Ma Vlast』〜‘V1tava” 昔から思ってましたが、クラシックの作曲家って名前がズルい。ストラヴィンスキー!シ ベリウス!ロッシーニ!ワーグナー!メンデルスゾーン!…みんなちょっとカッコ良すぎや しませんか。何つ一かホラ、まんまSFロポットアニメで使えそうな響き。 「戦艦ストラヴィンスキー、これより敵要塞シベリウスに特攻を掛ける!」「このドヴォ ルザーク艦隊、やられはせん!」「ホルスト砲、撃って撃って撃ちまくれい!」バルトーク 砲もかなり強そうですが、スメタナの比ではない。なんたってこの人の名前ベドルジーハで すよ、ベドルジーハ!もう最終兵器ってカンジですね。劇場版イデオンで言う所のガンドロ ワ。でもそんなラスト15分で全貌を現すような大層なメカが少年時代の愛称、「ベー坊」 とか「ベドやん」とかだったらちょっと困りますね。百歩譲ってせめて「ベドルっち」。 んなワケでチェコフィル生演奏の興奮も覚めやらぬ(殆ど覚えてない)まま、6話登場の 名曲についてお届けします♪ 波乱の生涯 「チェコ国民音楽の父」と仰がれるスメタナは1824年、チェコのリトミシュルに生ま れる。父親はビール醸造技師。幼い頃からピアノとバイオリンに天才的な腕前を見せ、家族 の反対を押してブルゼニ、プラハの学校でピアノと作曲理論を学ぶ。 当時のチェコは政治的にも文化的にもオーストリアの支配下にあり、人々のうちには民族 復興の機運が高まっていた。l848年、スメタナもその中で『国民軍行進曲』や『自由の 歌』を書き、自らも義勇軍の一員として革命運動に参加する。しかし革命は失敗、益々オー ストリアの圧力は強まり、スメタナの芸術は未だ評価を得ず、指揮者としての活動も受け入 れられなかった。またこの頃結婚しているが、結核を患った妻とは10年で死別し、4人の 子供のうち3人にも幼くして先立たれている。そして1856年には祖国を離れ、スウェー デンのイェーテボリ管弦楽団の指揮者となり、この在任中に3つの交響詩を作曲する。 やがてオーストリアの圧力も弱まる1861年、再びプラハに帰国し、「芸術家連盟」の 音楽部長や「フラホル合唱協会」の指揮者に就く等、盛んな活動を始めた。チェコ国民音楽 の創造を押し進め、オペラ創作にも着手、『売られた花嫁』(1866年)は画期的な成功 を収める。 しかし1874年7月、梅毒に感染した事から聴覚に異常をきたし、10月には完全に耳 の機能を失ってしまう。当然、指揮者等の公職は引退を余儀無くされ、作曲も思い通りには 出来なくなったが、芸術家は奇跡を起こす。その創作舌動は、聴覚を失ってから死亡までの 10年間に、最盛期を迎えるのである。ピアノ曲『夢』(1875年)や弦楽四重奏曲『我 が生涯より』(1876年)、そして連作交響詩『我が祖国』(1879年)といった後世 に残る傑作は、この間に作曲されている。 交響詩『我が祖国』は「高い城」「モルダウ」「シャールカ」「ボヘミアの森と草原より」 「ターボル」「ブラニーク」の6曲から構成され(全曲演奏約80分)、完成までに5年を 要している。病魔と戦いながらも、祖国によせる熱い想いで筆を進められたこの曲はプラハ 市に捧げられ、毎年国家の行事として盛大に行われている「プラハの春」の音楽祭の開幕演 奏を飾っている。中でも「モルダウ」は6曲の中でも特に優れた音楽と言われており、最も 広く知られている。 その後も数々のオペラなどを作曲し成功も収めるが、梅毒はその肉体から脳までをも触み、 1884年4月、発狂状態の末プラハの精神病院に収容される。そして精神錯乱と拒食状態 のまま正気に戻ることはなく、同年5月、悲惨な最後を閉じた。60歳であった。 沈黙の中の『我が祖国』 うわぁ、梅毒ってコワいですね。やっぱ梅毒はマズいよ、ベドルっち。それにしても音楽 家にとっての聴覚の喪失は、絵描きにとっての視覚の喪失に等しいんでわ…と思ったら、専 門的な作曲法などをキチンとマスターしていれば、決して不可能ではないとか。しかしオー ケストラを構成する全パートの音色は記憶に頼るのみなワケだし…(同じく聴覚障害のあっ たベートーヴェンは、最悪の時でも左の耳に弦楽器の音色は聞き取れたらしい)。強いて言 えば、視覚が完全にモノクロと化した中でカラー原稿を仕上げる感覚に近いのか?…違うと 思うけど。 逆に完全な沈黙の世界、一切の雑音を排した世界だからこそ、美しく研ぎ澄まされた音楽 が浮かび「聴こえ」易いのか?そう、この交響詩を我々は耳から当たり前に聴く事が出来る が、スメタナ本人は未聴だなんて哀しい(泣)…ではなくて、作曲家の頭の中では誰も聴く 事の出来ない純粋な音楽だけが鮮明に響いていたに違いない…などとキレイにまとめるワケ にもいかん、ヒドい耳鳴り・幻聴に悩まされていたという酷な事実。 ともかく他国に弾圧される中での民族意識の高まり、全聾状態での交響詩の作曲…もはや 私なぞの想像力の限界を地球10周分越える次元で書かれたこの曲に、何を言ってもなぁ。 ここはやはりスメタナ先生ご自身のお言葉による、「モルダウ」解説を↓。 この曲はモルダウの川筋を描いている。二つの水源の一つ(フルートの動機と弦のピチカ ート)は水が冷たく、もう一つ(クラリネットが加わる)は水が暖かいが、合流して一つの 流れになる所から始めて、その流れが森(ホルンが活躍)や、牧場や、楽しい婚礼の祝宴が 開かれている田舎(ポルカ)を通り抜け、月下での水の精の踊りや、その側の岩の上に臨ま れる誇らかに天高くそびえる城跡も後にする。やがてモルダウは聖ヤンの早瀬にさしかかり、 幅広い流れとなってプラハへと向かう。そしてヴィシェフラト(高い城)を通り過ぎ(第l 曲の主題が再帰)、エルベ河に合流すべく、壮麗に、彼方へと消えてゆく。 作者自身によるんだから当然ではありますが、これぞ名解説!…クラシックド初心者で、 チェコなんて見たことも聞いたこともない国…ではなくて行ったこともない国の事情なんて ロクに知らん私にでさえ、それぞれの言葉の差す箇所が河辺の地元民はおろか、その水中に 泳ぐ魚やプランクトン(できればツリガネムシを希望)の如く、皮フ感覚で汲み取れます。 冷たいよ〜、あったかいよ〜、うわぁ流されるよ〜、回る回る〜はー落ち着いた〜…ああ、 バカっぽい…この解説を読みながら「モルダウ」は独語なのでチェコ語で「ヴルタヴァ」を 聴くと身震いしつつ、トリハダ立ちつつ、かなり単細胞生物っぽくなれます。お試しあれ。 ただラストの「チャン♪…チャン!」オチが、ここまで情景描写に徹してきた河の流れが いきなりせき止められたようで勿体ないのか(行き場を失う単細胞生物)、チェコ最大の河 の堂々とした印象を語る結論として潔いのか、私は判断に苦しみます…。とか言うな〜。 魔曲「モルダウ」 で、やっとこさ魔曲です。曲自体は、「合流して一つの流れになる」原曲の最もキャッチ ャーな主題部分を忠実に取り上げており、特に派手なアレンジも無いのでは…と思ってよく 聴き比べたら、まるで印象は異なるのでした。 まずコリャ演奏している人数、つまりは楽器数が違うよな…やはり低予算は悲しい(泣) …そういや先日文化放送の某声優番組を半年ぶりに何となく聞いたら、偶然にも田中公平氏 がゲスト出演!なさってて、アニメを一本作るのには大変なお金が必要だが、現在の制作費 ではオーケストラを使って作曲するのも困難で、田中氏は自分の給科を制作費に投じ、収入 は印税に頼るのみだという驚くべき話を聞きました…もちろんその後『魔曲全集』を保存用 にもう1セット購入したのは言うまでもありません(泣)。 しかし、そんな切羽詰まった環境の中で、実に丁寧なお仕事をしてらっしゃいます。原曲 のような重層な厚みも、優雅な彩りを添えるハープ(同じ弦楽器)もないからこそ、前面に 強調されたバイオリンはさらに生える。そのとぎれる事なく歌うような饒舌な音色は、例え ば原曲が動画枚数1・2枚の所もl0枚に描き分けます。エエ、画面とは逆ですね。でも、 より効果的な表現を日指す手のかけ方は同じ。主旋律に呼応して震え泣く高音の響きなどは、 事態の全容を把握してないキャラに代わって、場面の悲痛さを切々と訴えております。 また、原曲より管楽器の出番を遅らせ音も抑えて主張を弱めたり、原曲より若干スローな テンポによって音数の多いバイオリンをじっくり聞かせるなどの工夫も発見できます。原曲 にはないピアノもバイオリンを追って自然に参加しますが、実は原曲はそもそもピアノ曲と して書かれた、という説も有るらしいです。 主人公「モルダウ」 所で「戦い」を描くアニメには、ヒーロー物にせよロボット物にせよ、変身、搭乗、合体 などから十八番の武器攻撃場面に至る、番組中最大のダイゴ味、お約束場面がつきものです。 ハーメルンでは魔曲演奏場面がこれに当たりますが、いや待て、何だか素直に「お約束」と 呼び難いのは、やはり各話見事にバラバラ!なそのイメージゆえ。 絵的にはバンク使用率が相当低く(前半見た限り、ハーメルがバイオリン弾いてる絵っつ ったらコレ!ってのが無い)、内容的にもほぼ毎回違う選曲に伴い、その効力や場面のニュ アンスも次から次へと七変化しまくり。 加え、「お約束」にしては全く読めないそのタイミングのニクさ。常に意表を突いて始ま る気紛れな「お約束」は、「そろそろクるかな…」なんて余裕を与えない展開の早さのみな らず、大抵において、演奏開始瞬間に演奏者を画面に存在させない(他のキャラが「!」と 気付き、こっちも「!」となる)、「音楽」という武器のウマ味を実に有効に生かした演出 の賜物でしょう。場面の緊張や安定といった空気を、一瞬にしてブチ壊すバイオリンやピア ノや笛の音。この小気味良い破壊こそが、ハーメルンならではの一つの「お約束」なのかも しれません。6話もしかり。 又その後の、今度は魔曲が猛スピードで場面とマッチングして行き、あっと言う間にその 独壇場と化す様も、いつもながら飲み込まれるような快感。マーブリングの絵の具を使う時、 基本となる1色目の上に2色目をポンと落としたら2重の円がクッキリ浮かびますが、少し 掻き混ぜるとみるみる2色が複雑に絡み合い、より細かなマーブル模様を描き始める、あの 感じ。 そしてさらに繊密に入り組んだ末、どっちが基本色だったのか判別不可能になる、あの感 じ。これは『交響曲第7番第2楽章』用のネタだったけどガマンの限界、魔曲演奏場面は、 絵の後に音楽を被せるのではなく、音楽に合わせて絵を作っている要素が非常に強いのです。 時には音楽が場面を盛り上げる以上に、場面が音楽を盛り上げているのでは?とも受け取れ る箇所が目に、いや耳に焼き付く。 6話でも、オーボゥが「モルダウ!」と強く言い切り、ハーメル・トロンの二人がマウス ピースの上に高く飛ぶ、集中線も効果音もこれでもか!なあの場面、トロンが巨大なハリの 間を突進していく場面、最後の森の中を亀裂が駆け抜ける場面などは、キャラよりも音楽の 存在感が目立っている気がします。 やはりクラシック音楽こそが、この作品の真の主役なのです。そして田中公平氏は、見事 なキャラ・デザを「聞かせて」くれるのです。 さて、私はまだハーメルン免疫の無かった初期、この6話まで見た辺りで目が腫れるまで 泣いて、腫れが引かず病院行って、正直に泣きすぎた事を伝えたらこれ以上泣くなと言われ、 アニメを見るのにドクター・ストップがかかったポケモン・パニックの先駆者ですが(思い 上がり)、この場面何がズルいかって。 トロンは生き生きとした表情や心情の高まりが前面で描かれている一方、ハーメルはセリ フも無ければ表情も全く見せない!…く〜っ!…もう行く末対称的な二人の立場を、イヤと いうほど臭わせやがります。髪とマントを力なく靡かせて降ってくる、儚くやるせな〜いハ ーメルの絵なんて、あまりに刺激が強すぎる映像です。6話『にしのばんにんマウスピース』 の番組後半にて、涙腺に異常を訴える私が続出!でも、ハーメルンやめないで!…。 参考文献 『クラシック作曲家辞典』中河原理監修・フェニックス企画編(東京堂出版) 『音楽夜話』五島雄一郎(講談社) 参考CD(ド初心者のコワいもの知らずな感想つき) ◇A・ドラティ指揮/ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団(フィリップス) ↑マイルドなモルダウ。穏やかなテンポで非常に丁寧、でも無難さが物足りない気も。 ◇J・ビエロフラーヴェク指揮/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(日本コロムビア) ↑ドライなモルダウ。弦の流れは粗削り、全体的にも情感の盛り上がりに乏しい印象。 録音技術が悪いのか?ジャケ写はステキ☆ ◇R・クーベリック指揮/ボストン交響楽団(グラモフォン) ↑アッパーなモルダウ。各パートがひたすら歯切れ良い!明朗!活発!若々しい!…分、 重みや深みに欠ける気も。因みに帯には『この曲の決定盤』とあります。 ◇小林研一郎指揮/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(ポニー・キャニオン) ↑大特薦盤モルダウ!発売元びいきするワケでなく、演奏・録音共に洗練度はピカ1! 迫力の美しさ!吉祥寺駅隣の某CD店の店長さんらしきも、大推薦してくれました♪レジ の店員さん同士がクラシック話を始めたら、店内客全員が同時にそちらを振り返るような コワい店だった。ぜひ通いたい。 (98年2月18日) |