いつか私になるために プロローグ 雨が降っていた。 ザッーと音を立てて降り注ぐ雨は、廃墟と化した建物を濡らしていた。 住人がいなくなり、かなりの時間が流れたのだろう。中は雑草が生い茂り、見る影も無くボロボロであった。 そんな植物の楽園となってしまった建物の一室に、青年と少女はいた。 少女は、つい先ほどまで動いていた画面を、その瞳で見つめている。 もうその画面は何も映し出してはいない。 だが少女は、そこに何かがあるかのように、ジッと見つめていた。 そして青年は、少女の背中を見ていた。 泣いているのではない。だが自分の目の前に佇む少女は泣いているように思えた。 その背中は、いつもよりとても小さく見えた。 静寂が辺りを包んでいた。それはまるで少女を何処かに連れ去ろうとしているようだった。 そんな思いに捕らわれた青年は、少女の名を呼んだ。 「ルリちゃん・・・」 だが少女、ホシノ・ルリはその呼びかけが聞こえなかったのか、返事をしなかった。 青年がもう一度呼ぼうとした時、少女がこちらに向き直った。瞳に悲しみの色を浮かべて。 「テンカワさん、これが私の両親です」 ルリは青年、テンカワ・アキトにポツリと話し始めた。 「マシン・チャイルドに、コンピュータの父と母。お似合いだとは思いませんか?」 自虐的に言い捨てるルリ。 神秘的なルリの瞳が揺れている。だが、それでも少女は泣いていなかった。 「ルリちゃん!」 そんなルリに危険なものを感じたアキトはルリの肩に手を伸ばした。 いつもなら、やさしく頭を撫でてくれるアキトの手。 だが、今のルリにはその手が恐かった。彼女は現実感を失っていた。 アキトの手から逃げるルリ。アキトの横をすり抜け、廃墟から、彼女の生まれ育った研究所から、逃げ出した。 1. アキトはルリの後を追っていた。 外は小降りになっていたが、相変わらず雨が降っていた。 そんな中、アキトはルリの残した足跡を頼りに彼女を探していた。 足跡は小道にそって延々と続いていた。 それが今のアキトにとっては、自分とルリをつなぐ一本の細い糸のように思えた。 少し走ると川が見えてきた。 降り続く雨によって増水しているのだろう、ゴゥゴゥとうなりを立ててその川は流れていた。 その川の側にルリはいた。 服はすでにびっしょりに濡れており、その瞳は虚ろだった。 雨が二人の体を濡らしていた。 「テンカワさん。私、過去を忘れていたんではないんです。きっと忘れたかったんだと思います」 ルリの瞳に光が戻ってきた。 だが、その光に危険な予感がしたアキトは身構える。 「知らなければよかった。知りたくなかった。私は・・私は」 そういってルリは俯く。 アキトは、ゆっくりとルリに近づいていった。 そして、もう少しで触れられる。そんな距離になったとき、ルリは再び顔を上げた。 その顔には笑みが浮かんでいた。しかしその微笑みは、とても悲しい笑みだった。 そんなルリの表情にアキトは動きを止めた。 それが、明暗をわけてしまった。 「さよなら・・」 そう呟いたルリの体は、後ろに倒れていった。 その先には濁流となった川がある。 まるでスローモーションで見ているように、ゆっくりと落ちていくルリ。 気づいたアキトが、ルリを捕まえようと手を伸ばしたが・・・妖精は彼の手から、すり抜けていった。 「ルリちゃーーーん!!」 彼はあらん限りの声を出して、濁流の中に消えた少女を呼んだが、答えるものは何も無かった。 降り続いた雨は、生け贄を得て満足したのか、止みかけていた。 だが、川を流れはますます勢いを増し、不気味な音を立て続けていた。 2. 流れていく黒い雲。その合間を縫うように差し込んでくる日の光。 鈍い光を放ちながら飛行する赤い鋼の鳥。 アキトはエステバリスに乗り、川沿いに飛行していた。 ルリの持つ、通信端末の発する信号を探しているのだ。 あまり時間はなかった。 ナデシコの側にいれば無限に動けるエステバリスも、単独では限界があった。 そして何より、時間の経過と共にルリの生存している可能性も低くなってしまう。 アキトは、IFSを通して報告される内蔵電源の残量に焦りを感じた。 時の流れがやけに速く感じる。アキトは焦る心を押さえつけた。 そして電源もあともう僅かになった時、ついに待ち望んだ報告があった。 ホシノ・ルリ発見 詳細な場所を知らせるよう、エステバリスに命令を出した。 回答のあったその場所は・・。 「いた!!」 彼は、川の中州に倒れている少女を見つけた。 慌てて、だがゆっくりと着陸するエステバリス。着陸するや、ハッチを開け飛び降りるアキト。 急いでルリの元に駆け寄る。 うつ伏せのルリを仰向けにして呼吸を確認する。 「くそっ!!」 ルリの呼吸はすでに止まっていた。 まるで眠っているかのようなルリ。そう、彼女は今まさに永遠の眠りにつこうとしていた。 アキトはルリの胸を押す。とたんルリの口から大量の水か溢れてきた。 流されている間にかなりの量を飲んだのだろう。 その水がすべて、彼女の内から無くなっても呼吸は戻ってこなかった。 アキトは一瞬考えた後、ルリを見た。生きることに絶望した少女を。 「ルリちゃん、俺は君を死なせたりはしないよ」 そういってアキトはルリの唇に口づけた。 3. すっかり空は晴れ上がっていた。 日差しは、川の中州に膝を折り、佇む巨人にも降り注いでいた。 その巨人の足元には、毛布に包まれた男女の姿があった。 男は女を抱きかかえるようにして、毛布に包まっていた。 あれから息を吹き返したルリは、まだ目を覚まさずにいたが、ゆっくりと上下動する胸が彼女の生きていることを告げていた。 アキトは、びしょぬれなルリの体温が奪われてしまうことを懸念し、エステバリスにある緊急ツールから毛布を取り出していた。 いつもなら、気休めに過ぎないそれに、アキトは感謝していた。 青白かったルリの顔に、赤みが戻ってきていた。 「うっ・・・ん・・」 ルリの口から声が漏れる。 「ルリちゃん!!」 それに気がついたアキトは、ルリの頬を軽く叩きながら彼女の名を呼んだ。 うっすらと瞼を開くルリ。それはしだいに、ゆっくりと開かれていき、彼女の琥珀の瞳が見え始めた。 「テンカワ・・・さん」 ルリは、目の前にいるアキトの名を弱々しいながらも、しっかりと呟いた。 「よかった、ルリちゃん!!」 意識の戻ったルリを見て、アキトはそういうと腕の中のルリを力強く抱きしめた。 「いたいです・・テンカワさん・・・」 だが、アキトはそんなルリを抱きしめつづけた。 彼の瞳には、いつのまにか涙が浮かんでいた。 「どうして、助けたりしたんですか」 アキトから顔をそらしながら、ルリは尋ねた。 そんなルリにアキトは、彼女を見つめたまま答える。 「ルリちゃんに・・・生きていてほしかったから」 「私は、もう生きたくはありません」 「ルリちゃん!!」 怒ったように言うアキト。ルリはビクリと体を揺らす。 そして心の動揺を知られたくないのか、彼女らしくなく少し大きめの声で、怒鳴るように言う。 「私は、試験管の内で造られた生き物です!人間ではありません!そんなものが生きていても・・」 だが彼女は最後まで言い続ける事は出来なかった。 なぜなら目の前のアキトが、首を振りながら、とても悲しそうにこちらを見ていたからだ。 「ルリちゃんは人間だよ」 はっきりと、力強く言いきるアキト。 「でも、この髪も、この瞳も他の人とは違います!私はこの世界に、たった独りの生き物なんです!」 「俺は、その髪も、その瞳も、そしてルリちゃんも大好きだよ」 真直ぐな瞳。その瞳に心を奪われる。 信じてもいいんですか?好きになってもいいんですか? 自分を、そして・・・あなたを。 「ルリちゃん、見てご覧よ」 そういってアキトは、川を指差した。ルリはゆっくりとアキトの指差す方を見た。 「あれは・・」 そこには、天から降り注ぐ日差しを浴び、キラキラと光を反射しながら、急な川の流れに逆らって泳ぐ魚。鮭の群れがあった。 幾百、幾千もの鮭が、折り重なるようにして泳ぐその風景に、ルリは言葉を失った。 「ルリちゃんも知っているだろ?彼らは新しい命を生み出すために、泳いでいるんだ」 「・・・知っています」 「ルリちゃんは、あの姿を見てどう思う?」 そう言われてルリはハッとする。 彼らは新たな命を生むのだ。だがその時に彼らは死んでしまう。 彼らはいわば、死に向かって泳いでいるのだ。 だがなぜ、この光景を美しいと思うのだろう。なぜこんなに、深い感銘を覚えるのだろう。 彼らは知っているのだ。やらなければならない事を・・・。 「ルリちゃんは、確かに普通の人とは違う生まれ方をしたかもしれない。でも今、生きてるじゃないか。だからルリちゃん、生きていこうよ、これからも」 暖かい、とルリは思った。心も体も、とても暖かかった。 「ルリちゃん・・」 やさしく囁くようにアキトは言い、ルリの瞳から溢れる涙を拭ってやった。 私、泣いているんですか? 生まれて初めての事にルリは、どうすれば良いのか判らなかった。 私も、泣くことが出来るんですね・・・テンカワさん。 あふれ出る涙は止まることを知らないように、少女の頬を濡らし続けた。 そんな二人に、聞き覚えのある音が聞こえてきた。 低いうなりをたてる音は、無気味でもあったが、二人には懐かしいものだった。 見ると、想像上の生き物を模したかのような、白い大きなものが飛行しながら近付いてくる。 穏やかな日差しは、二人を包み込むように降り注いでいた。 エピローグ ドンドンとドアを叩く音がする。 防音が完璧なはずのドアを通して、人の声が聞こえてくる。 アキトの部屋。そしてベットの上に寝ているアキト。 彼は、アイスノン、と書かれたパックを頭に貼り付けている。 「ゴッホッ、ゴッホッ」 うっすらと目を開け天井を見る。グルグルと回っていて気持ちが悪い。 アキトは風邪を引いていた。まあ、雨にうたれ、ずぶ濡れになったのだから仕方のない事だろう。 「テンカワさん、大丈夫ですか?」 ベットの脇の椅子に腰掛けているルリ。心配そうにアキトを見つめている。 あの後二人は大変だった。 帰りの遅い事を心配したナデシコは、アキトとルリを探しに来た。 そこでナデシコのクルーは、毛布に包まり裸で抱き合う二人を見つけた。 これには、ユリカ、リョーコ、メグミが激怒した。しかし、ルリから事情を聞いた三人は、一応納得した。 もっとも、すべてを話すともっとまずいことになるので、一部の事実は伏せられたが。 その後三人は、風邪を引いたアキトを看病しようと争いを始めた。 だが、それをする事は出来なかった。 なぜならプロスペクターが待ったをかけたのだ。 彼女等は一応ナデシコの要人なのだ。風邪が移ったら困るのだ。 しかし看病人は必要だということになり、イネスの推薦でルリとなった。 ルリは遺伝子改良の結果、ウイルスの類いは受け付けない体質となっていたからだ。 この事にルリは、自分の体に感謝した。 そして先程からドアを叩いているのは、例の三人である。 ルリはそんな喧噪を無視して、 「テンカワさん、お粥を持ってきました」 そう言って、お粥を差し出すルリ。アキトはそれを受け取り食べる。 食べ終えたのを見て、ルリは空になった食器を受け取る。 「とってもおいしかったよ。ルリちゃん」 その言葉に嬉しそうに微笑むルリ。うっすらと頬も染めている。 お粥はルリの作ったものだった。ホウメイに教わりながら作ったのだ。 美味しいといってくれた・・。 もちろんお世辞ではない。その事を分かっているルリは、その一言がうれしかった。 「お薬です、テンカワさん。飲んで下さい」 ルリは風邪薬のカプセルと水の入ったコップを手渡した。 アキトは飲み終えると再びベットに横になった。 そっと、布団をかけなおしてあげるルリ。 ふとアキトの顔を見ると、すでに穏やかな表情で眠っていた。 「テンカワさん。私、見つけました・・大事なものを。・・・私になるために」 ルリは、アキトの眠るベットの脇に、顔を埋めた。 「おやすみなさい・・・・テンカワさん・・・」 ルリはそっと瞼を閉じた。 慣れない看病のため疲れたのか、ルリはすぐに夢の国へと旅立った。 そこにはきっと、彼が待っているのだろう。 ドアの向こうは相変わらず騒々しかったが、部屋の内で眠る二人を妨げる事はなかった。 Fin 後書き こんにちは。赤城しぐれです。 この物語は本編にあったものを参考にしています。 しかし実は私、この話(ルリの出生にまつわる話)を見逃したのです。 そこで、自分の知っている情報の断片と想像で書いものが、この作品です。 ルリの行動が、あまりに過激になってしまったと思いますが、ご容赦ください。 この物語を最後まで読んで下さいました皆様、本当にありがとうございます。 最後になりましたが、この物語の発表の場を与えて下さいました、中田様に感謝を込めて後書きにかえたいと思います。