
この道を歩いてみませんか
今、死が目の前に迫ったとしても、私は、多分満足して、あの世に向かうことができると思っています。この世には、様々な価値観があり、生き方に迷いがあって、当然なのですが、私には、迷いはありません。私が、今までの一生を肯定する最大のものは、*諸天善神の方々のお手伝いができたという思いです。もちろん微力であることは重々承知しています。人が、一生をかけて求めるものは、多様です。一生を懸けたとしても、価値が無くなっていたり、変質してしまったり、ということはよくあることです。この世にある限り、不変ということはありえません。私も、過去世において、虚しい思いをした記憶があります。自分が目指したものが変わってしまった。目指すこと自体、意味が無くなってしまった。そういう思いです。諸天善神のお手伝いと言っても、その方々が信頼できなければ、裏切られることもあるでしょう。しかし、私には、その心配は、全くありません。諸天の方々が、この世が良くなるように、動いてくださっていることは、充分に分かっているからなのです。信仰は、しばしば狂気と一体になりますが、私ほど疑りながら、信仰してきたものはいないのではないかと思います。それは、*過去世の記憶が、警戒させているのだと思っています。私が、自分の信仰で、自信を持っているものは、諸天の方々の*霊格です。無条件で、尊敬できます。尊さの説明をされなくても、ひざまずきたい。かつて、仏壇を粗末にしている人がいました。その人の家でお経をあげた折、干からびた*榊と僅かなお水を目にした私は、「この人をお守りする必要はありません、すぐお山にお帰り下さい。」と言ってしまいました。しかし、「少しは、信仰する気があるのだ。ここにいるよ。」というような神様の*想念が伝わってきました。「こんな人にも、情けをかけてくださるのか。」と申し訳ない気持ちで、涙が溢れ出した記憶があります。また、こういう事もありました。ある人が、近所の神社の霊体を呼び出してしまったのです。神社の霊体たちは、集団で押しかけてきて、「呼んだのは、そちらだ。」と責めたて、お山から降りていた神様を連れて行ってしまいました。先師が、お助けに行ったときには、縛り付けられ、されるがままになっていたそうです。「お山の神様方は、理を曲げるわけにはいかないのだ。あの人は、お山を*恃んで、自分を誇示しようとしたのだが、それは、*増上慢だ。神社に行かれた神様は、その神社の霊体を圧倒できる力を持っている。しかし、非が、守護しているものにある以上、ご自分がその責めを負うのだ。」と師は話してくれました。どこまでも慈悲深く、しかも毅然としている神様方に、私は、絶対の信頼を寄せています。諸天の方々は、信仰せよとか、信ずれば助けるとか、天国に行けるとか、そういうことは一言も言いません。ただ黙々とこの世を良くしようとしておいでです。私達の仲間には、事故から救われた、経営が好転した等の現世利益を頂いた人もいますが、それは結果での話です。諸天の方々は、人々が業を晴らすような努力を期待しています。業が無くなれば、人を不幸にする元が消え、世の中も良くなってくるはずです。諸天の方々には、一挙に世の中を変える何かではなく、一人一人を変えていく粘り強い意思を感じます。わずかな力しかない私ですが、少しでもお手伝いができればと思っています。今度こそ、満足して、あの世へ行けそうです。
皆さんは、どうですか。まあうまくいっているといえる人生を歩む方々、今成し遂げたことだけで、この一生を終わっていいのでしょうか。何かが、足りないとは、思いませんか。魂を磨いて、あの世に帰ろうとは、思いませんか。後悔の一生であれば、なおのこと、埋め合わせをしなくて良いのでしょうか。挽回の手立てを考えるべきではありませんか。
信仰というこの道、私たちと共に歩いてみませんか。去るも自由、入るのも、自由です。
あなたは、2006年
7月28日以来
人目の
お客様です。
法生寺は、来るものは拒まず、去るものは追わずという団体です。生き方に悩み、真理を求める人々に、開かれた門となります。法生寺のページに、概要を載せました。
心と人生のページは、「どう生きるべきか。」「生きる意味とは?」「何が大切なのか。」そういう人生の疑問に、書物に拠らない考えを示します。また、幽霊・呪縛霊・憑依霊そして守護霊・神霊など霊界の問題にも立ち入ります。
信仰体験のページは、信仰した実際の出来事や体験を書いていきます。
各ページは、随時ページを追加しますので、時々お立ち寄りいただければ幸いです。
相談や質問がある方は、メールあるいは、ゲストブックにお願いします。
*の語の意味
諸天善神
天界の神々と仏法を守る神々
過去世
過ぎ去った世
霊格
霊体の位、地位
榊
神に供える木
恃む
あてにする、頼りにする
増上慢
思い上がっている事