
判断基準と優先順位
ここ数十年の間に、何が良い、何が正しいと言う価値観が、ずいぶん変化しました。「運動中に、水を飲むな。」言われたのを覚えている人も多いでしょう。飲むと疲れると言われたものです。それが、「こまめに水分補給を。」に変わりました。不要と思われていた食物繊維は、大切なものになり、婚前セックスそして離婚も、当たり前。熱血指導に欠かせない体罰も、今は、暴力事件になってしまいます。世の中にあわせて生きていると、振り回され、自分を失いそうになります。あの時の苦労は、いったい何だったのか、我慢なんか意味なかった、そういう思いを抱いてしまいます。世の中からちょっと離れ、自分をしっかり見つめてみましょう。自分はこの世をどう生きたいのか、何を成したいのか、何を守りたいのか、何を大切にしたいのか、原点に戻り、考えてみたらどうでしょう。世の中は、勝手に価値を変えていきます。流されていれば、翻弄されるだけです。もちろん、時が経てば、自分も変わります。将来を予測できないので、それは、仕方ありません。「つい周りにあわせてしまう」「常識に反することはしない」、そういう外部にあった判断基準を、自分に取り戻すのです。ホームから転落した人を助けた青年がいました。正義感あふれる行為で、人々の賞賛を浴びました。しかし、もし失敗し半身不随にでもなったら、どうだったでしょう。それでも、自分は、よくやったと思えるかどうか。その人の親は、そして、恋人は、どう思うでしょう。また、火事の中、自分の子どもを助けられなかった母親がいました。見ていた人誰もが、助けることは無理と思いました。けれど、母親を責めようとする人がいます。母親も、一緒に死にたかったと嘆き苦しんでいます。そんな事件は、そうあるものではありません。でも、自分が当事者だったら、悔いのない決断ができるのか、そして、周囲の勝手な評価に惑わされないか。また、自分の日常は、ただ流されているだけではないか、したいと思ったことはできているのか、それを考えてみてもいいのではないでしょうか。まず、価値観を整理したらどうでしょう。「自分の命より大事なものは何か。」から始めてみましょう。家族、信仰、国家、矜持、信念、命を捨てても守りたいものは何ですか。もちろん、そんなものは無いと断言する人もいるでしょう。命より大事なものがあれば、それが一番、次が命です。それ以外は、全て、命より優先順位が下になります。次に、その大切な自分を守るのに、何が大切かを考えます。そして、先ほどの、自分はこの世をどう生きたいのか、何を成したいのか、何を守りたいのか、何を大切にしたいのか、を考えます。そうやって、自分の判断の基準と優先順位を考えてみるのです。例えば、人は、誰であっても助けない。自分が大事。そういう基準を持っていれば、なぜ助けに行かなかったと言う非難を浴びても、自分の生き方は違うと割り切れます。会社のために贈賄しろと言われたら、捕まったら割に合わないと止めてもいいし、昇進するならと、危険を覚悟で贈賄しても良い。どちらも自分を大事にしていることに違いはありません。困るのは、言われるまま贈賄し捕まって、職も退職金も失い、後悔の日を送ることです。流れに掉さすことは、結構エネルギーが要ります。しかし、掉ささない生き方も、辛いところがあります。しっかりした判断基準と優先順位を持って、ただ、流されるだけの一生と訣別したらどうでしょうか。
