*の語の説明
末法
仏教の教えの衰えた世の中
戒律
守るべきおきて
如来
悟りを開いた方、仏
焼けている〜
法華経比喩品。小乗の教えは、方便だったことを説明するたとえ。燃えている家の中にいながら、遊びに夢中で逃げようとしない子供たちに、日ごろ欲しがっていた車があると告げて、子供を外に出させる話。
気が変に〜
法華経如来寿量品。釈尊の滅度は、衆生を目覚めさせる方便だったと説明している。良く効く薬を飲まない子供たちに親が姿をくらまし、自分は死んだと伝えさせ、子供を正気に戻させる話。
本地垂迹思想
衆生を救うため、仏が神道の神の姿になること
異教徒
自分と異なる宗教を信じる人々。
魔界
仏道を妨げるものの世界。
帰依
教えに従い、真心をささげること。
寄進
お金や物を寄付すること
慈悲
あわれみ、いつくしむ心。
あわれとは思わぬのか
普通の宗教では、罪を犯した人間は地獄へ、正しく生きた人間は天国へ行くと説いています。 しかし、法華経やお山は、少し違います。正しい生き方ができるように導いていこうとするのです。*末法では、時代も世界も汚れが染み付き、真っ当に生きることが難しい世の中になっています。自分の罪業は、確かに自分が作ったものですが、そうせざるを得ない場面もあります。愛された経験がなければ、自分のことしか考えられず凶悪な犯罪を犯すかもしれません。貧しすぎて今日の糧が得られなければ、盗むこともあるでしょう。すべてを本人の責任にはできない状況もあるのです。地獄に落ちたくなければ、*戒律を守れ、それもひとつの導き方ですが、穏やかな導き方もあります。法華経は、*如来の導き方を、たとえ話で示しています。*焼けている家の中で遊ぶ子供たちを、欲しがりそうな車を見せて出たくなるように仕向けたり、*気が変になって薬を拒む子に、ショックを与え、まともに考えられる状況を作り、飲ませるように仕向けたりしています。とにかくそうしたくなる状況を作って、優しく導くのです。お山も、同様です。罪業の中で沈みそうなら、少しずつ薄くして下さいます。チャンスに恵まれなければ、徳の積み方を示してくださいます。痛い目に遭えば分かるという突き放すようなことは、あまりしないのです。考え方についても、寛容です。仏教の神々の中には、もともと他の宗教の神だった方が多数おられます。日本の神道も、*本地垂迹思想により仏教と融合しています。*異教徒だからと、排斥しようとはしません。お山には、実に多様な世界から来られた神々がいます。先師は、我々の指導者であると同時に、お山の最大の信仰者でした。師は、常々、お山の法は、*魔界の者も得度できると言っておりました。そして実際に、魔界から*帰依し、お山の神になられた方もいます。魔を排除の対象としか考えない宗教の多い中、魔も救おうとするのです。お山の神々は、間違いを糾弾したりは、しません。教義に背いたとしても、罰したりはしないのです。入らぬものは、地獄に落ちるとか、*寄進をしないものは、事故に遭うなどと、罰の論理を振りかざす教団とは、一線を画しています。お山は、ずっと穏やかです。「天国が待っている。」と言われ、自爆テロに走る若者。その神は、その若者の死を、平然と見ているのでしょうか。私は、かつて自分の無能さに腹を立て、死んだほうがお役に立つのでは、と思ったことがありました。しかし、その時すぐに、お言葉が聞こえました。「その生、生かすが良し。」はっとしました。人は、生きているだけで役に立っている。無能であっても、生きてその生を示せば、それだけで役に立つ。死んだほうが良いという人間などいないのだ。また、かつて、信仰を勧誘する文章を書いてしまい、行き過ぎたかもしれないと思っている私に、お言葉が聞こえました。「お前は、あわれとは、思わぬのか。」つまり、お山に来ることができない人々を可哀そうとは思わないのか、とおっしゃっているのです。私は、そう思うからこそ、勧誘の文章を書いたのです。神様方は、私の文章の是非よりも、救いたい気持ちのほうを見ようとしてくださいました。同時に、神様方のお心が良く分かりました。神様方は、来られない人たちを、何とかしたいと思われているのです。信仰を無理強いせず、本人の自覚を待つのは、忍耐が要ります。信仰したほうが良いと分かっているほど、歯がゆいのでは、と想像します。この粘り強さに、私は、お山の*慈悲を感じるのです。相手が、自分からそうするように、実に粘りづよく、導きます。これこそが、慈悲である、と私は、自信を持っています。
お山の慈悲