信仰
1信仰という道
2 お山の信仰 
3 お山の慈悲
4 合掌そして祈り
5 挫折と向き合う
 閉塞を見据える
6 思いは通ず
 祈りは届く
7 この世の実体を
  知ろう
8 億年の因縁 皆帰妙法
9 唱えることの意義

法生寺
1 花のように お知らせ
2 法生について 地図
3 法生寺内地図・留心 
4 年間行事・月例行事
・お札


心と人生
1 自由に生きる
2 判断基準と優先順位
3 占いと霊視
4 前生と今生

5 神霊と私たち

6 心の修行

7 理想の社会

8 小さな幸せ

9 執着と向き合う

10 中道 偏らない心

11 メメントモリ 
 死を忘れるな
12 時空を超えて
 神からの俯瞰

13 霊界と顕界

14 法界縁起 一即一切

15 憑依と除霊そして霊障 


信仰体験
1 此経難持 義父を偲ぶ
2 霊格の差を思い知った私
3 前世は剣岳の修験道
4 信仰で心に平安が
5 予知夢そして火災
6 囚われた霊を救え

メールを送る


 ゲストブックへ

Counter



     *の語の意味

       虚空
空間、大空
      見宝塔品
法華経で宝塔が出現する部分
      此経難持
法華経を保つのが難しいと説く所
      大千世界
十億の世界、全宇宙
      法蔵一切経
すべての経典
       六神通
六種の超人的能力
       阿羅漢
小乗仏教の最高位
       仏滅度
釈尊が亡くなった時
   亦未だ難しと為せず
まだ難しいとは言わない
    是即ち難しと為す
これが難しいことだ
此経難持 義父を偲ぶ


 私が妻と結婚するとき、義父が示した条件は、お山(法生寺)に参拝することでした。私は約束どおり、結婚式の前後2回ほど参拝しました。そしてある日、義父の家で先師とお会いしました。先師は、会話の途中、「わしの前に座りなさい。合掌してお経を聞きなさい。」と言いました。私は、何をするのかと思いましたが、言われたとおり、合掌してお経を聞きました。すると、合掌した手が上に上がり始めたのです。止めようと思えば止められそうな感じでした。自分の意思から離れた手が、なんとも不思議でした。手は、あごのあたりまで上がると前方に方向を変え、まっすぐ伸びていきました。そのまま体も伸び、いっぱいに伸びると体は下に向かい、師の前でひれ伏す形となりました。私は、当初、催眠術かと思いました。しかし、師の口から暗示の言葉は出ていません。また、師の前でひれ伏す人を見たわけでもありません。何が起きたか分からないまま、やがて体は起き上がり、元の合掌の形となりました。お経が終わったとき、「妻の家族が変に思うのではないか。」という懸念が頭をもたげました。説明しなければ、と思い家族の顔を見ると、誰も不審そうな顔で私を見ていないのです。ヘンなことをするやつだという表情ではないのです。先師は、私に、「お前の守護の方が現れた。」とおっしゃいました。そして、「お山の大きさが分かるとは、たいした方だ。月に一度は、お山に来るように。」と付け加えました。一週間ほどして、また妻の実家を訪問しました。そのとき、義父は、先師と初めて会ったときのことを話してくれました。先師は、義父の店に、良いとはいえない身なりで訪れたそうです。しかし、義父は、先師の姿を見た瞬間、涙があふれるように出てきました。そして、師の足元にひざまずくと、はるか昔の前生の記憶がよみがえったと言いました。この方に従い、ある尊い方の下で修行した記憶です。ぼろぼろ涙を流しひざまずきながら、店の人たちは、変に思っているだろうなと気になっていたと言いました。「立派とはいえない服装の師だったから、余計そう思ったのだ。しかし、本当に澄んだ目をした方だったよ。」義父も同じような経験をしていたから、私のしたことも、誰も不審に思わなかったわけです。
 お山に毎月通うことにし、お経本もいただきました。義父のところで、お経の読み方を習いました。義父は、読み方を教えながら、こう言いました。「いいかね、うまく読もうとか、上手に見せようとか思ってはいけないよ。」そして、こんな話をしてくれました。義父がお経本をいただいたときの話です。仏壇の前で、文字を一つ一つ拾いながら、たどたどしいお経を読んでいたそうです。そのとき、義母が部屋に入ってきて、「鈴を鳴らしましたか。」と聞いたと言います。「いや、鳴らさないよ。」と答えると、「そうですか。」といって、部屋を出て行きました。また、お経を上げていると、戻ってきて、「やはり、鈴が聞こえるわ。でも、うちの鈴とは違う、もっときれいな音です。」と言いました。そして、その日はお経を上げるたびに、義母の耳に、上品な鈴の音が響いたそうです。お山に上がった折、先師にお伝えすると、「あなたのお経は、そういうお経なのだ。仏壇に入っていられた方も、あなたのお経を喜ばれただろう。」とおっしゃったそうです。「そのときに私のお経は、つっかえつっかえのひどいものだったよ。しかし、そういうお経でも、お山と通じているお経は、それなりの品格がある。また、こういうこともあったよ。それからしばらくして、朝お経を上げていると、ある霊体が現れ、こう言うのだ。『私は、裏の寺に祭られているものだ。あなたのお経を聞いていて、自分はなんと情けないところにいたのだと思う。あなたのお経のおかげで気が付いた。もうこんな所には、いたくない。去るつもりだ。』そう言って、姿が消えたのだ。そしてその後、裏の寺で火事があり、本堂の本尊が在ったところだけが焼けてしまった。お経は、形ではない。裏のお寺の住職は、私のお経よりずっと上手だ。しかし、私のお経は、お山の霊気が入っている。法華経を唱える宗派は多く、どれも同じと思ってしまいがちだ。しかし、法華経は、一つの入れ物なのだ。宗派によって、中身は違う。同じ字句であっても、入っている霊気が全く異なる。そこを理解しなければいけないよ。」
 義父は、それからも、尋ねるたびごとに、霊界、信仰、お経について教えてくれました。同じ話もありますが、何度でも聞きたい話もありました、その一つに、*見宝塔品の*此経難持に至る箇所があります。六難九易を説くところです。膨大な数の経典を説くこと、高い山を手にとって投げること、足の指で*大千世界を他国に投げること、最高の山で無量の経を演説すること、虚空を取って自由に歩き回ること、大地を足の爪の上において天に昇ること、乾いた草を担ぎ大火の中で焼けないこと、八万四千の*法蔵一切経で人に*六神通を得させること、多くの衆生に*阿羅漢を得させること、これらは、できるはずも無いようなことだが、次の六つに比べれば、易しいことだ。つまり、*仏滅度の後、経を説くこと、人に伝えること、教えを実行すること、一人にでも説くこと、経の意味を問うこと、経を慎んで持(たも)つこと、こちらのほうがが難しいことだ。九易には、亦未為難(*亦未だ難しと為せず)が続き、六難には、是即為難(*是即ち難しと為す)が続きます。繰り返される音律とともにいつも感動が高まったのを記憶しています。お経を持つ事が大変なのだ、難しいことなのだ、ということが分かると同時に、凄そうなことを頑張る必要は無い、一見易しそうに見える経を持つことに努力すれば良い、一所懸命に持てばいいのだと安心できました。そうして、三十数年が過ぎると、若暫持者(若し暫く持たん者)とありますが、ほんの短い間でも、この法華経を持つということが実に難しいと理解できました。易しそうに見えるため、日常の雑事に紛れ、意識がほかに移ったり、人が変わってしまい、そのことに意義を見出せなくなるのです。志を保つのは難しく、確かに、此経難持だったのです。