
主人と結婚し、一ヶ月くらい経ったとき、S会に入信しました。主人の家族は全てS会に入信していました。S会は、教えを広めることに熱心で、毎日のように会合があり、入信者を入れなければならず、とても大変でした。新聞の勧誘や選挙の応援など、言われるまま夢中でやってきました。そんな折、義兄から、高校受験の子供を預かって欲しいと言われました。S会の活動のため、自分の子供の面倒が見られないということでした。私の家も、中学受験の次男と八ヶ月の四男がいて、男の子五人の世話をしなければなりません。必死に過した二年間でした。義兄の子が希望校に合格し、ほっとしたのですが、逆に頭の中は空っぽになってしまいました。眠るのに、睡眠薬が必要な状態になりました。その頃、S会の現状に疑問を持ち始め、やめたいと思い、主人に相談しました。しかし、それを聞きつけた主人の家族が、説得のため私の家に集まりました。恐くなった私は、家を飛び出し、実家に帰りました。実家で、暖かい愛情に包まれた二〜三週間を過し、また、家に戻りました。
実家の兄は、その後、私をお山に連れて行ってくれました。宗教はもうこりごりだと思っていた私は、まだ恐くて仕方ありません。まず、先師にお話しました。そして、どのようにしたら、S会から逃れることができるのかをご相談しました。先師は、「こちらへいらっしゃい。」と、神様の前に私を連れて行き、背中に御法を指で書き、二〜三回優しく撫でて下さり、最後にぽんと背中をたたいて、「もう何があっても大丈夫だからね。お山の神様がしっかりあなたを守ってくださるよ。」と、力強くおっしゃってくださいました。今でも、その時の先師の優しさと力強さを忘れることことはできません。ほっと肩の荷を降ろしたような安心感がありました。
とは言え、S会からの「どうしてやめるのか。」という責めは止まらず、私が退転する事によって、私より上の役職の人は、さらに上の幹部に責められることになるため、毎日私の家を訪れたり、買い物で外出すると、途中で、S会の人につかまり、道路でお説教が始まってしまうという有様でした。
私も、だんだん、お山が心の拠り所となり、主人には内緒でお山に伺っておりました。先師に小さな木の御守を頂き、先師が「これをいつも身に付けていなさい。」と、おっしゃったとおり、ちょっとしたお使いに出る時も身に付けていました。そのうち、S会の人達が、私に話しかけてきても、不思議と恐さがなくなり、「S会はもうやりたくありません。」と、少しずつ言えるようになってきました。その間、十年くらい掛かったと思いますが、S会の御本尊も、もし粗末にすると、家が火事になる、交通事故に遭う等、罰の論理があって、なかなか手を付けられずにいました。しかし、先師から、「お山に持ってきなさい。大丈夫だから。」と、おっしゃって頂き、お山にお任せしました。何の罰もなく、ほっとしたことを覚えております。
本当に死と隣り合わせのような毎日でしたから、先師が亡くなられてからも、前宗主様に、何時間も愚痴を聞いて頂いたりしました。私がタクシーで帰るとき、タクシーが見えなくなるまで、両手を合わせ、私の幸せを祈ってくださいました。そんなお姿が、今でも忘れられません。それから、主人が突然登山し、お山の清い空気に触れ、とても喜んで帰ってきました。私もとてもびっくりしましたが、それから、二人で仲良く登山ができるようになりました。S会からの仏壇を新しくし、現宗主様に我が家の御守護の神様を頂き、毎日気持ち良くお経を上げさせて頂いております。
お山に立派な御本殿が完成した時は、本当にうれしく、清く美しい川の流れのようなものを感じました。これからが本当の信心だと、心を新たにしました。
八月の戦没者供養のときに、前々から写経はしておりましたが、一つでも多くお経を上げたくて、早朝より新幹線に乗り、お山で一心にお経を上げておりました。私一人だけでしたが、御本殿に入りました。「突然に、今日はお山に来たくなり、登山しました。」と、手を合わせました。そのとき、法心様の後ろのお厨子の周りがパッと光り、神様のお姿が現れ「良く来たね。」と、おっしゃったように思われました。何とも表現できない幸せな気持ちになり、涙があふれ、あわてて御本殿から出てきたことがありました。それから本当に神様がいらっしゃるという実感が持てるようになりました。長い間信心をしておりますと、辛いことや苦しいことがあったとき、信心が揺らぐような事がありますが、そんなときは、非常に淋しく、自分が惨めになります。結局は、宗主様や庵主様に御相談し御祈念して頂き、自分も絶対この難関を越えるのだという意思を持つことが大切だと思います。絶対の一念で御法を唱えた時、願いが叶う事は何度も体験しています。今も悩みが全くないわけではありませんが、絶対に良くなるのだと信じ、お山のために少しでも役立つ自分になれればと願っています。