囚われた霊を救え
発端は、長女の夢から始まった。「お婆ちゃん(妻の母)が大変なことになっている。」と妻に話したと言う。
夢の中味は、次のようになる。義母が、病院の中でカプセルに入れられ、逃げられない状態である。また、気が狂いそうになっている。そして、注射を打たれると、足のほうから紫色になり、眠ったように動かなくなる。そして、早くここから出してくれと訴えているという。
義母は、今年七回忌を迎える。私は、毎月義母の施餓鬼供養を、お山にお願いし、自宅でも、供養を欠かしたことはない。だから、その時は、ただの夢かもしれないと思い始めていた。
しかし、お山に参拝し、先師に、このことをお話しすると、師は、病院に囚われているようだ、病院まで行かなければ、だめだと、おっしゃる。十一月になり、三女が、お山に参拝の折、お婆ちゃんの霊を早く引き取らないと大変なことになると感じさせて頂く。しかし、師は、海外に行ってしまっている。師の帰りを待つ時間はないようだ。私が、行かねばならない。そう決意したその晩、まだその決意を聞いていない三女が、突然、お婆ちゃんが、泣いて喜んでいると言いだした。もう義母に通じたのかと、私は、驚いてしまった。二日後、ボール紙で急ごしらえの位牌を作り、病院に向かった。着いてみると、病院は、改築工事の真っ最中で、原形をとどめていない。義母のいた二階は、工事の音が鳴り響いていた。私は、二階に上がり、義母を俗名で呼び、塔婆を出して、御法を唱えた。義母の霊が、入ったと思われた瞬間、陀羅尼を唱えながら階段を下りた。多くの霊が、取り囲んでいるのを感じながら、病院を後にした。
自宅では、三女が、お経を唱え、加勢してくれていた。三女も、多くの霊の取り囲まれた私たちを助けようと、必死だったという。
御礼のお経が終わると、お婆ちゃん、コーヒ−が飲みたいみたいと、三女が言う。義母が好きだったインスタントコーヒーを供える。ほっとした空気が流れる。本当に、助かったようだ、実感が込み上げてきた。病院が取り壊されてしまえば、この世との接点がなくなっていた。尋常の方法では助けられなかっただろう。だから、急がねばならなかったんだと、得心がいった。それにしても、義母は、あの辛い状態で六年間過ごしたのだ。そして、もし、誰も気づかなければ、あるいは、気づいても助けられなければ、ずっと、いや、ひょっとすると永遠にあのままということになる。死後、囚われるというのはこういうことなのだと、理解できた。多くのことを教えて頂き、また助けて頂いたお山の神様方に、ただただ感謝しております。