輪廻からの視点
今、あなたはどういう人生を歩んでいるでしょう?日々様々なことが起き、自分の思い通りには、なかなか進まない毎日。今日一日をやり過ごすだけで精一杯。どのように生きていったらよいのか、途方に暮れてしまいます。また、時には大失敗をしてしまったり、あがいても成果が出ないこともあります。仏教は、いくつかの視点を与えてくれます。
ひとつは、どこを見るかという視点です。私たちは、病気になったり、事故にあったりします。周囲の人とくらべ、不幸と思う、それもひとつの見方です。また、日頃の不摂生や不注意の結果だから、きちんと直して、そうならないよう気をつけようという見方もできます。どちらが賢明か、すぐわかります。粗雑に扱って、コップを割ったなら、割れたことに腹を立てることは愚かでしかありません。今は、過去の結果であり、また、将来のもとにもなっているのです。長いスパンで、今を見る、それが大切です。確かに、でたらめな生活を続けていても、いたって健康な人もいます。しかし、彼は、病気の準備をしているのかもしれませんよ。
もうひとつは、何を大切にするかという視点です。目前の快楽か、将来の充実かということです。目前しか見ていないのなら、今は、挫折でしかありません。しかし、将来を見据えるなら、挫折は、乗り越えるべき試練に変わります。「ずーっと挫折ばっかりなんだけど。」そういう人もいます。*閉塞感でいっぱいになります。絵を描いている画家を見たことがありますか?実に楽しそうに描いています。バンドとセッションするギタリストも楽しそうです。賞をもらうことや人から称賛されることより、今の過程を楽しんでいるのです。それぞれ問題は抱えているはずです。もっと素材の重みを出したいとか、あのドラマーの音が雑だとか、でも、それを克服しながら、今を楽しむのです。さらに、問題を抱える状態を、自ら創り出しもします。利き手を使わずに描いてみたり、原始楽器を使ったりするのです。制限があった方が、よりよい表現ができる、スムースに運んでしまうと、心がこもらないと思ったのでしょう。「*娑婆即寂光」と言います。娑婆世界というのは、この世のことです。娑婆世界は、*煩悩を抱えた*衆生が、風雨寒暑を耐え忍ばなければいけない、*忍界です。辛いことばかり起きると、*忌避したくなります。しかし、この苦難に満ちた忍界が、視点を変えれば、*寂光の*浄土になる。苦難を耐え忍ぶ世界から、逆境を生き抜く知恵と勇気に目覚める世界、と視点を変えるのです。身勝手なお兄さんに振り回された人がいます。借金を押しつけられたり、お兄さんの子供を引き取ったり、大変だったようです。その時は、こんな兄はいない方がいい、と何度も思ったと言います。しかし、そのお兄さんが亡くなってしばらくすると、また、兄弟になってもいいかなと思うようになったそうです。姪や甥が感謝してくれることもありますが、それ以上に、兄も大変だったんだなと優しい気持ちを持てるようになり、きちんと生きることの大切さを知る事が出来たと思えたそうです。呪いたくなる状況でも、とにかく対処していると、違うものが見えてきます。今、目の前にあるのは、過去の結果です。この人は、前の世で、お兄さんに迷惑をかけたのかもしれない。出てしまった結果を嘆いたり、恨んでみても、どうにもならない。結果に、あたふたするのでなく、それを乗り越え、次を目指す、あるいは、もっと大きなものに向かう、そういう姿勢が、ゆとりを生みます。失敗や困難が、いつのまにか、自分を磨く*負荷に思えてくるのです。ゆるい斜面で、恰好よく滑れても、面白くはありません。急斜面のこぶを乗り越えながら、速いスピードで滑れたなら、絶対、楽しい。耐え忍ぶはずのこの世界が、困難と向き合うことによって、よりたくましい自分、叡智を供えた自分、逆境を楽しめる自分に変えてくれるのです。
挫折と向き合う閉塞を見据える
*の意味
閉塞感 へいそくかん
閉じ込められて出られない感じ
娑婆 しゃば
私たちが暮らしているこの世界、苦難を耐え忍ばねばならない世界
寂光 じゃっこう
仏の知恵に照らされた世界
煩悩 ぼんのう
心身を悩ますもの、心の穢れや汚れ
衆生 しゅじょう
命あるもの、生きているもの
忍界 にんかい
耐え忍ばねばならない世界
忌避 きひ
避ける、遠ざける
浄土 じょうど
仏のおられる世界、清らかな世界
負荷 ふか
動きにくくするもの、重し