私達は、輪廻を経て、今この世界に転生しています。私達の前生は、普通に考える以上に多様です。動物からの生まれ変わり、上の世界から落ちてきたもの、この世界にまた再生したものなど、実にさまざまです。それぞれが、前生の価値観、感覚を持ち込むので、お互いの理解を図るのは、容易なことではありません。一つの理屈に対して、反対の理屈が並べられ、論争は、いつまでも続きます。「弱者は、守られるべきだ。」と言えば、「弱者は、淘汰されるべきだ。」あるいは、「弱者は、強者に従うべきだ。」という反論が、出てきます。「誠実であるべきだ。」という価値観は、「退屈な人間の考えだ。」と否定され、「だましがあるから、ゲームは面白い。」と反対の価値を示されます。この世の矛盾、非合理を嘆いても、意味をなしません。始めから、矛盾は当たり前、理屈もさまざまなのです。また、生まれ変わる時、前生の徳と業を持ち込むので、平等ではありません。何もかも恵まれ、充分に楽しんだ一生もあれば、困窮の中ですごし、この世を呪う一生もあります。前生から続いている以上、始めから不平等なのです。この福徳と業は、宿命という形で、私達の将来にも埋め込まれています。予想もしないところで、姿を現すかもしれません。私達は、このあと、どのように生きていったらよいのでしょう。運命に逆らわず、流されていけばよいのでしょうか。着目すべきは、福徳と業が、種となっているところです。前生で福徳を積んだ人は、その果実を今受けています。だから、今、徳を積み、業を減らせば、将来、自分に返ってくるはずです。今生で間に合わなくても、来世には、結果として現れます。大災害の報道がなされる時、災害に遭うはずだったのに免れた人が、話題になります。もしかしたら、その人は、今生での生き方で、災害を避けたのかもしれません。人を困らせ、迷惑をかければ、やがて、自分に返ってきます。人を助け、神仏を敬えば、その徳も、自分に返ります。「悪いことをしても、のさばっている人間がいるじゃないか。」と言う人もいるでしょう。でも、それは、かき集めたから、今あるように見えるだけです。時間が経てば、あるいは生が変われば、水が流れ出すように去っていくはずです。時間差があるのです。むしり取っても、いつかは、返さなければならなくなります。人から迷惑をかけられっぱなしの人がいます。もしかしたら、前生で、迷惑をかけていたのかもしれませんよ。どう生きようと自分次第。でも、結果が自分に返ることを忘れずに。
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