JR西日本の尼崎列車事故について思うこと(事故原因を考える) 馬場 弘教
気になるマスコミの事故原因報道について
今回の事故原因を、マスコミは専門家や調査機関を取材して、「競合脱線」「複合脱線」と報じている。通常、事故は単一の原因で起きるというよりも、危険要因が複雑に絡んで起きることが多い。だから当たり前すぎて常識的なこの表現では事故原因を表していることにはならない。しかもいつもこの種の報道では、事故原因を、偶然に運悪く、たまたま悪条件が重なったかのようなニュウアンスで報じられることが多い。
一般的に事故は潜在的に潜んでいる危険要因が複合して起きることが多い。どういう要因がどのように重なったのかというところの詳細は、航空・鉄道事故調査委員会の報告を待たなければならないとしても、マスコミはみんなが考えていける情報を提供する義務があるのでないかと考える。いまの日本は年々悪化している治安のほか、あらゆる面で安全がおびやかされ、安心して暮らせる社会でなくなりつつある。
調査機関がどのような報告をするのか気になる。原因究明力にも限界があるだろうが、それ以上に各方面に配慮して、今後の対策に有効なものはあまり期待できない。ATSの増設を急いでいるという成果はすでに現れているが、それ以上のものは期待できない。われわれの関心が薄くなって忘れたころに報告はまとめられ、マスコミも人目につくようには扱ってくれない。多くの代償が払われている事故から真の事故原因を学び、それを教訓により安全な対策が取られなければならない。そう願って本稿は書いている。
事故の事故性(通常では事故は起きない、要因が複合して起きる)
事故直後の会見で、計算上は時速133キロメートル以内なら一応安全であるみたいなことを言っていた会社の役員がいた。その数値を持ち出すあたりが客の安全輸送を預かる旅客業の企業の上層部の考えにしてはあまりにも「安全」についての認識がお粗末過ぎた。
安全速度70 Km/h(曲率半径300m)対して逆算して133 Km/hを瞬時に出したのかもしれない。JRでは設計に際して簡易な計算式(安全率を3.5前後に設定しているようだ)を用意しているのでカーブの曲率が与えられたら、転覆速度および制限速度、そしてそのときに必要なカント量、を求める計算式(省令?設計者で異なったものにならないような統一的な一種の公式みたいなもの)を用いているようだ。
もし計算で求めるのであれば、通常は計算可能な条件を設定して行う。おそらく、カーブの曲率半径、客車の重心位置、走行速度、線路のカント(遠心力の影響を小さくするため、カーブ内では外側レールを高くしている)の4条件は計算データとして必須であろうが、それ以外は計算に組み込むことが困難であるので省いていたものと思う。安全速度の計算式はこれに危険要因が複合しても一応安全が保たれるように安全率を考え、そして経済性(ダイヤのスピードアップ)のバランス・・・・これらに経験的な要素も加味して作られたはずだ。
実際走行における安全速度の計算は条件が多すぎて、計算で求められるはずもない。もしそれを行うとすれば、次のような危険要因を考慮しなくてはならない。
@乗客数が多くなると、立っている人が増えてくる。そうすると重心は高くなるし、さらにカーブでは重心移動(荷崩れ的なもの)が起こり、危険度はますます増して行く。
A線路の施工においてもカントの高さや曲率(ともに緩和曲線を挿入)を計画通りにすることは困難だし、荷重による沈み込みなど・・・理想通り、想定したとおりには工事できない。
B足回り(台車)のスプリング特性(空気ばねと軸ばねの横剛性)でカーブにおいては直線走行時より複雑な挙動をする。
Cブレーキ操作(カーブ内で操作力を変える等)もそれら全体をますます複雑にしてしまう。振動やゆれなども扱いの難しい危険要因だ。これらが複合し、システム(系)全体の不安定(共振)さを引き起こす。
Dそれに電車は列車(車両を連結)であることも事故原因の解析を複雑にしていく。
E今回の事故は脱線より、転覆だと考えられるので、線路や車輪の磨耗(フランジ部の磨耗等)の影響は無視できるのではと思う。
Fそして車体の剛性はどのように影響したのだろうか。横風の影響は今回はなかったように思う。車両の軽量化の影響はさほど大きくはなかったものと思う。
これらの条件を加味・考慮したら、スーパーコンピュータでも、その解析は得られないであろう。もしかしてシミュレーションで擬似的に再現ができるのかもしれない。ともかく、事故現場付近での電車の安全走行速度の計算は複雑な要因が絡み、ほとんど人知を越えた領域にある。
私は今回の事故は低速域でしばしば問題になる、いわゆる脱線(乗りあがり=せり上がり、すべり上がり、飛び上がりと分類される)的な要素より、高速域で問題となる転倒、横転、とも呼ばれる転覆であったように思う。
@乗客により重心位置が高くなっていた。
Aカーブの遠心力とブレーキ操作で重心移動が外側へ大きく移動した
Bスプリング系の横剛性による車両の重心移動も大きく作用した。
これらが転覆要因として大きかったものと思う。
この現場(制限速度を70Km/hとしている)においては、100Km/h以上では危険度は急に増加するはずだ。この速度では安全の保証はまったくないと考えるのが常識的で普通だ。危険要因の複合しない条件下で得られた計算上の数値である133 Km/h以上では実際走行においては事故を起こさない確率はもはやゼロだと思う。私はこの速度では100パーセント事故を起こすと思う。危険要因は複合すると安全からは遠ざかるようにしか働かない。ある瞬間においては危険要因同士が打ち消す方向に働いても、次の瞬間にはその反動として危険領域に大きくゆり戻してしまい、事故を回避できなくなってしまう。実際の走行においては多くの危険要因が、常に複雑に絡んでいるので計算上の133 Km/hよりはずいぶん小さくなるはずだ。
この現場において制限速度を70Km/hとしているのは概ね妥当だし、運転士はその速度を越えてはならない。絶対に厳守しなければならない数値だった。制限速度70Km/hは計算上の数値133 Km/hと比べたら数倍(3〜4倍)の安全度(安全率)だ。でも、安全を脅かす要因が複雑に絡み合って走行している実際走行においては、この安全度は当然に確保しなければならない数値だと考える。
私の考える事故原因(人的要因から考える(T))
報道によると、事故原因は運転士の遅延回復のあせりが背景にあり、制限速度を越えたスピードで事故現場に突入したことにあるという。原因は速度の出しすぎが主原因で、多くの危険要因を誘発しそれらが「複合」「競合」したものだという。だから「速度制限器=ATS」を設置しなければならないとして、その工事が進められている。これらの一連の流れは理解できる。
事故は運転士一人の問題ではなく、JR西日本の関係者によって引き起こされたものだというところまでは、報道されていた。私は今回の事故は人災の典型だと思う。人的(ソフト面)なミスをハード面の整備だけで片付けてはいけない。なぜ運転士がそのような危険な運転をしたのか、その背景を、考えることが大事でないかと思う。
アメリカの国家交通安全委員会の報告(柳田邦男氏の作品を読んで知った)では、なぜパイロットが事故原因となる操作をしたのかという分析に及んでいる。私もこの報告書のように、事故におけるヒューマンファクター(人的要因)の面から、今回の事故の原因について以下のように考えてみた。
運転士の彼はそれまで何度かブレーキ操作上のミスをしている。急ブレーキを何度か使用している点から考えて。ブレーキの効き具合を理解してなかったのでないかと疑う。ブレーキ力を一定だと仮定すると、133 Km/h、100 Km/h、70 Km/hからそれぞれ止まるまでの距離の比は、約3.6:2.:1である。スピードを出しすぎると停止までの距離が大幅に増加することが、十分に理解されてなかったのでないかと思った。遅延回復のため、直線区間では高速度で走り、カーブへの進入直前で制限速度に落とすつもりでいたものと思う。遅延回復のためのあせりのためそのタイミングを誤り、思うように速度が落ちずにあわててカーブ内でブレーキ操作を強めたのでないかと思う。このようにして多くの危険要因が相互に複合し、より危険な方向に一気に傾いていったのでないかと想像する。
それに、彼の運転操作の無謀さから考えて、通常の走行においても、安全を脅かす要因が常にいろいろと複雑に絡み合っているという認識が薄かったのでないかと思う。つまり事故発生のメカニズムについての認識不足も強く感じる。安全走行には工学や科学的な知識考え方がしっかりベースにないといけないと痛切に感じる。運転士教育として、これらの基礎知識の習得は最も大事な教育カリキュラムだと思うのだが、現実はどうだったのだろうか。
それにすこし気なるものとして、彼は遅延を起こさないようにする技量よりも、生じた遅れを取り戻す技量にあこがれていた(それが出来てはじめて一人前と友人に語っていた。ゲーム感覚的な要素も感じる)のでないかとも思った。
設定された制限速度はどんなことがあっても守らなくては安全は確保されないという認識が運転士にあったかどうかも疑わしい。
航空事故を起こしたフロリダ航空とJRの体質の類似性、パイロットと今回の運転士に共通するもの(人的要因から考える(U))
柳田さんの書物によると、1982年フロリダ航空のタンパ行き90便が大雪の中のワシントンのナショナル空港を離陸してまもなく、高度が得られずポトマック川に墜落する事故を起こした。国家交通安全委員会の事故報告書には数々の原因を列挙していた。今回の列車事故との類似点・共通点が見られるので、そのことを書いてみたい。ノンフィクション作家の柳田邦男さんは「フェイズ3の眼」の中に事故報告書を引用し、氏の論を展開している。引用したものを参考にすると、事故機の機長は副操縦士から昇格するにあたっての審査で、操縦手順を規定どおりに行なわないという問題を指摘されていた。また航空機のシステムと性能限界に関する知識の不足も指摘されていた。パイロット(とりわけ機長)の確保にあせる航空会社は、再教育を実施し不十分なまま機長に昇格させた。その教育を受けたはずの機長は、34歳で最後のフライトとなったこの日の飛行においても数々の規定違反・無視をしていた。
最低限の点検項目であるチェック・リストでさえ、ただ棒読みするのみでこれらを軽視する姿勢が目立っていた。致命的だった主翼の積雪の軽視(高度が出なかった)、エンジンの空気取り入れ口の除氷装置の不使用(パワー不足を起こした)などの規定違反も判断の甘さも基礎知識不足からくるものだと思う。
大雪で離発着が大幅に遅れていて、離陸を待つパイロットにはあせりがあった。翼の上の雪をマニュアル通りに溶かす作業を一度はしたが、待機中に再び積もってきた。その雪を溶かす作業が無駄に思えた(マニュアルの軽視)。翼の上の雪は、飛行機が飛ぶと吹き飛ぶのでないかという甘い判断。雪の影響を軽視する副操縦士との会話がフライトレコーダに記録されていた。彼は翼の上に積もった雪(1cmほどだったという)を溶かすことなく、重大な規則違反を犯してそのまま飛び立った。その結果十分な揚力、高度が得られないまま、地上すれすれで、地上の障害物に接触して墜落するという事故を起こした。川に墜落した飛行機事故の様子がTVで何度も何度も放映され日本でも多くの人が見た。事故の一部始終が映し出され衝撃的だった。この事故で助かった人はわずか5人だった。
流体力学とりわけ翼の働き(エンジン吸入口の着氷による空気流量の不足も同じ流体力学)を理解してないパイロットのことを、粗製濫造のパイロット養成=質の低下だとしていた。(柳田氏の作品中の報告書の記述からそのように感じた。国家交通安全委員会の事故報告書原文にはどのように書かれていたのか?)
以前に柳田さんの作品を通して知っていたこのパイロットのことを今回のJR事故では真っ先に思いあたった。事故機のパイロットは翼の働きを理解してないなど流体力学の基礎の理解が不十分であった。JRの運転士は、危険要因となる車体の運動特性、ブレーキングの作用、遠心力、振動、揺れ・・・などの運転士として必要な基礎学問(知識)についての理解不足が見られるし、とりわけ事故は危険な要因が相互に複合して起きるという事故そのものの発生のメカニズムに対しての理解が不足していたのでないかと思った。そして事故に及ぼす心理作用の働きについても認識していたようには思わない。いや、そのようには社員(運転士)教育をしてなかったものと思う。「日勤教育」をするところからみて、この会社の教育はそんなレベルでなかったのかと思った。
私鉄とのシェア競争を余儀なくされているJR西日本にしても、航空自由化で急成長中のフロリダ航空にしても、旅客業としての安全第一の経営より、企業としての目先の利益優先の考えが支配的だったと思う。社員教育にかける手間とコストを惜しんだため、会社はそれにより得られた利益よりはるかに大きな損失を被った。この2社に限らず、教育訓練より管理の強化の職場は多い。
このように考えるとき、JR西日本の運転士も今回の事故の被害者の一人だと強く思わざるを得ない。家族の無念さはいかばかりだろうか。
大脳生理学の側面から考える(人的要因から考える(V))
柳田さんの「フェイズ3の眼」の帯書きに、「「なぜ、サラリーマンは仕事でミスを犯すのか?」大脳生理学で「フェイズ3」とは、事態の分析力や予測能力が最も発揮される、最良の状態のことだという。事件が多発し複雑化する現代社会において人はいかに意識レベルを「フェイズ3」に保つか。その時々の話題をヒントに冷静な眼と判断力の養い方を説く。」とある。
柳田さんはこの書においては、フロリダ航空のパイロットのミスを出発遅延により焦りの状態にあって、大脳の意識レベルがフェイズ3の状態からのフェイズ4(興奮、慌て、驚愕、パニックの状態)に跳ね上がり、その結果、一点集中(早く離陸したい)でほかのものが目にいらず、判断停止(誤判断)の状態になりその行動の信頼性は非常に低下していった。と、このような論で話をすすめているようだ。まさにその通りだと思う。
尼崎の列車事故も秒単位の遅れを取り戻そうとしての焦りで、「フェイズ4」の状態になり、彼の判断力を低下させて大事故を招いたといえる。
私の場合は、彼の判断の誤りの背景として、もう1点、前述したように専門分野の業務を遂行するための基礎知識の不足を追加してあげている。焦りが誘引となり、基礎知識の不足が誤った行動を決定的にし、大事故を引き起こしたというのが、私のこの書き物の主旨である。
事故対策を考えるに当たって、「注意書き」や「マニュアル」に書かれていることの理由なり根拠を真に理解できるだけの知識・理解力を、教育訓練で養わなければ「フェイズ4」の状態になったときに、誤判断により事故を回避できなくしてしまう。
柳田さんは医療、災害、事故、先端分野・・・をテーマとしている作品が多い。私は柳田さんの書の多くを愛読書としてきた。とくに事実シリーズ(事実の読み方、・・・・・・・)がすごい。柳田さんの作品から多くのことを学び、考えるヒントをもらった。
補足 大脳生理学のフェイズの考え方は、大脳の意識レベルの最も低い状態をフェイズ0としフェイズ3を業務を遂行するときのベストな状態であり、フェイズ4は過剰な意識レベルで正しい判断ができないとしている。このように意識レベルを5段階に分類して、人間の行動を考えていこうとする一つの考えである。多くの分野に活用できる考えである。
2005、7,1
事故調査委員会の中間報告について(最終報告書への注文 T)
事故調査委員会の中間報告が9月6日になされ、新聞でその要旨を見た。やはりというか日本の調査委員会の限界なのか、事故原因の人的要因の分析(なぜそんな運転操作をしたのかという原因なり背景)はほとんどなされてはいない。事故に至った経緯についての数値的・科学的な分析の部分が大半を占めていた。数値と時間の記述のみがやたらと目に付く報告だった。私は今回の事故について関心を持っているが、読むのに忍耐の要る報告書だった。大いに失望した。
人災の事故は、当然に人間やその組織の問題に一番焦点が当てられるべきだが、報告書はあたかも天災であるかのごとく科学的・数値的なもののみ羅列されていた。
新聞で読んだ限りの中間報告書には今後の委員会の審議・検討の方向性を示してなかった。これでは今後の審議の方向性にも最終報告書にも期待が持てない。
この中間報告書では被害者の家族などは到底納納得出来ないだろうし、今後の事故の再発防止について十分に役立つ内容とは思えない。事故調査委員会は、事故原因の分析を行い、再発防止のための調査を行う組織だと思っているが、私の思い違いなのだろうか。最終報告は中間報告(事実編?)を受けて、まったく異なった内容(人的要因の分析)になるのかもしれないという期待もまだわずかに持っている。
調査報告書は今後の再発防止を最大の目標としてまとめられなくてはならない。今回の事故の原因を調査すれば必ず、人や組織の問題に行き着くことになる。でもその責任の追及はよほどの過失がない限り個人に向けるべきでないと思う。本当の責任は企業や監督行政庁にあるし、事故の原因が人や組織のどこに問題があったのか明らかにするものでないと意味がない。運転者個人も組織・企業の一員であるし、企業活動も行政の監督庁の下にある。解明すべき真の原因はこれらを総体的に考えてのものでないといけない。
今回の事故原因は人的要因であるのに、運転者個人に原因を求めていく方向に矮小化すれば、最終報告書は再発防止に資するものとはならないだろう。
事故の種類は多いが、人的な要因から見た場合事故原因には共通するものが多い。人的な要因を明らかにした調査報告書であれば、調査した事故の再発防止に役立つだけでなく、他の種類の事故についても多くの教訓示唆を与えるものとなるであろう。
2005/9/9
たびたびの非常停止グレーキの作動をどのように扱ってきたのだろうか。
事故後の新聞報道で、この日事故現場にさしかかる以前にも数回非常グレーキを作動させている点が気になったと前述しているが、私は精神的な動揺(一種のパニック状態にあったのか)からなのか、無謀運転の表れなのかとも思った。
事故調査委員会の中間報告によると、JR西日本では2004年度は年間で46回の非常ブレーキの作動があったという。これはATS側からの強制作動らしい。ATSからの警告の段階でとどまったケースはこの何倍もあったに違いない。
ダイヤの遅れは日勤教育(指導ではなく罰のようだ)をさせられるので運転士はすごく気にしていたようだが、非常停止グレーキを作動させた場合は、その原因の解明やそれをした運転士への教育は果たしてどうなっていたのだろうかと思った。この点についてはあまり問題視してなかったのだろうか。
ダイヤの本数や定時運転は良質のサービスの提供であり、経営上の重要な問題なのかもしれない。非常ブレーキの作動は安全上の問題と関連が大きく、事故には至らなくても旅客業を営む企業にしてみれば、ダイヤの遅れ以上に問題にしなければならないものだ。
1件の大事故の裏にはその30件ほどの小事故と300件ほどのヒヤリ体験があるというハインリッヒの法則がたびたび引用される。非常ブレーキの使用(作動)はまさに大事故に
つながりかねない予兆的な出来事であり、これはハインリッヒに言わせればヒヤリ体験そのものだ。これを安易に見過ごしたらそのうちに大事故を引き起こすことになる。大事故の芽を徹底的になくしていくことが求められる。
福知山線と平行して走っている競争相手の会社は、ダイヤ本数にしても、所用時間にしてもJR西日本よりゆとりが見られるは、現場の声や安全を重視しているからだろうか。
それにしても、民営化して歴史の浅い企業が、民間以上に民間的な営利至上主義になっているのはなぜだろうか。過密ダイヤおよびその運行に伴う安全の確保に苦しむ運転士などの現場の声が反映されない経営体質(多くの企業にも見られる)にもぜひメスを入れてもらいたいところである。
2005/9/16
事故調査委員会の調査・報告書に限界(制約)があるのだろうか
毎日新聞の記事に「・・事故調は・・・・事故責任の所在は追及しないが、原因を調べて国に報告する義務がある。これまでは監督行政や企業体質の問題に踏み込んだ背景調査や提言をすることはなかった。・・・・」とあった。今回も過去の報告書のように自己規制して、事故原因の調査においてそれを明確にできなければ、事故調査委員会のその存在意義すら疑われることになる。
事故調査委員会は原因の所在を明らかにするところであり、事故責任の所在を明確にするところではないことは理解する。原因を明らかにすれば副次的に責任の所在が明確になるが、それを恐れて原因を明らかにする調査において規制や制限を設けてはいけない。
今回の事故の原因は運転士の運転操作の過ちから来ていることにほぼ間違いないから、当然運転士、JRの組織、監督行政庁の問題点にメスを入れる調査でないと意味はない。
航空・鉄道事故調査委員会に関連する法規類を調べてみたら、航空・鉄道事故調査委員会設置法によると、航空事故及び鉄道事故の防止に寄与することを目的として設置されている。これに続く条文等に目を通してみると、事故調査に関わる調査については限界があるようには規定されてはいない。むしろ調査のために大きな権限が与えられている。
同法第3条によると、事故調査委員会の所掌事務は
一
航空事故の原因を究明するための調査を行うこと。
二
航空事故の兆候について航空事故を防止する観点から必要な調査を行うこと。
三
鉄道事故の原因を究明するための調査を行うこと。
四
鉄道事故の兆候について鉄道事故を防止する観点から必要な調査を行うこと。
五
前各号の調査の結果に基づき、航空事故及び鉄道事故の防止のため講ずべき施策について勧告すること。
六
航空事故及び鉄道事故の防止のため講ずべき施策について建議すること。
七
前各号に掲げる事務を行うため必要な調査及び研究を行うこと。
とある。
また委員長及び委員の任命については第六条に、
委員長及び委員は、委員会の所掌事務の遂行につき科学的かつ公正な判断を行うことができると認められる者のうちから、両議院の同意を得て、国土交通大臣が任命する。
と規定されている。
委員には科学的かつ公正な判断を行うことができる人であることが求められている。ここのところを自己規制の理由としてはいけない。事故原因を各専門分野の識見を有する人が、真摯に事故原因の真実を追究したものであれば、当然に科学的であり公正であるといえる。事故の人的要因を明らかにする調査においては当然自然科学の分野に限らず、社会科学や人文科学・・・・の諸専門分野の手法・知見を以って原因を追究する行為はまさに科学そのものである。そうして得られた結果は当然に科学的である。人的要因を明らかにできない調査では、科学的に原因を究明したことにはならない。
科学的な調査によって得られた結果を尊重する姿勢そのものが公正である。関係各所に配慮した報告書はもはや公正だとは言えない。
真実に忠実な調査・報告書こそが科学的であり、公正といえる。手加減や配慮したものは科学的とも公正とも言えない。事故調は自己規制せずに立派なものにして欲しい。
2005,9,20
もし私が事故調査委員会の委員であればこんなことを調べてみたい
(最終報告書への注文 U)
中間報告書にあるような事故に至ったまでの時系列的な分析(中間報告の数値の羅列がまさにそう)も事故原因の分析としては必要なものだと思うが、それは調査の出発点でしかない。それだけで終わってはいけない。
私が委員であれば、最終報告書に向けて今後の事故原因を人的な要因(運転士、企業、監督行政庁の問題)に絞って調査していきたい。人的要因について論じている私の論文は資料不足で推測に基づいて記述した箇所がある。その部分の裏付けをとらなければならない。
人(運転士)および組織(JR西日本)ならびに監督・指導する立場の行政庁である国土交通省のの問題点を明らかにしなくては、再発防止のための教訓を見出すことはできない。
今回の事故の最大の疑問は、事故に至るまでの異常と思えるような運転操作をなぜしたのかである。この解明が調査の最大のポイントである。
そのためにはまず、事故を起こした運転士の分析のみならず、現在執務中の運転士の状況を調査・分析したい。そうすることによって事故原因としての運転士の問題が見えてくるはずだ。事故を起こした彼の問題は彼一人だけの問題ではなく、多かれ少なかれ他の運転士にも共通しているものがあるはずだ。彼だけが特異では決してないはずだし、共通するそれを見つけることをしなければ、再発防止の教訓として得るべきものは少ない。
次に私が明らかにしたいと考えるのは、運転士教育の実態である。運転士として身に付けておかなくてはならない基本的なことがどれだけ知識としてだけでなく身でもってそれを理解し体得させていたかである。
具体的には、安全速度(制限速度)の意味するもの。事故の発生のメカニズム。運転士としての業務遂行に関する基礎知識としての遠心力の大きさとそのはたらき。速度と運動エネルギーの関係(速度と停止するまでの距離の関係)。カーブ内でのブレーキ操作では重心位置が危険域に行く要因(人荷の移動、スプリング系や車両の横剛性にさらにそれを増幅する揺れや振動等)が多くあり、制限速度以上でカーブ内でブレーキ操作をすることはきわめて危険であること。通常の運転でも多くの危険要因を抱えて走行していること、・・・等々。これらを十分に身に付けていたかどうかを調査したい。
また心理状態の事故に及ぼす影響についての理解(自己理解と自己統御)もあったのかどうかも知りたい。附随してこれらを教育するカリキュラムが存在しているのかどうか。
多くの人命を預かっていることのプロとしての自覚が十分にあったのかどうかも調べたい。つまりゲーム感覚的(事故を起こした運転士に感じた=前述)なものがなかったのかどうか。企業側としてはプロ意識の高揚をどのように図ってきたのかを調査したい。
マスコミで話題になった日勤教育は定時(定刻)運転できなかったときのみ行ったのか。安全運転に関わる問題行動のあったときにはどのようにされていたのだろうか。非常ブレーキの作動の原因の分析・・そしてこれに対してどんな対応をしてきたのだろうか。
運転士になるまでの教育、運転士になってから定期的に行う教育、安全上に問題を起こした場合の安全教育。・・・・等々、運転士教育のカリキュラムはどうなっているのだろうか。運転に関して問題行動を起こしたときに行う個別の教育は、ベテラン運転士に添乗して学ぶ実務教育こそが大事である。マスコミで私の知る範囲の日勤教育は逆効果でしかない。この日勤教育のねらいと効果はどうであったのだろうか。
教育カリキュラムの編成は現場の実態に詳しい実務経験者も相当数加わったものでないといけないと思う。現場経験者が少ないという問題はないのか。現場経験者と管理部門出身者のバランスが必要だし、理系・技術系出身者と文系出身者のバランスも取れているのかどうか。
ダイヤ編成の問題は運転士側からはどのような形で要望(声)が上がっていたのか。それに対してどう対応してきたのか。ダイヤ編成についても実務経験者側の考えが反映されているのかどうかを知りたい。管理や営業サイドの考えが優先されすぎているアンバランス・不合理はないのか。最近多くの企業に見られる危機管理上の問題はこの種のアンバランスから生じていると思う。この面からの解明もしてみたい気がする。
ごく最近では三菱自動車のリコール隠しに見られるように、いま日本の組織の多くは、組織疲労を起こして機能しにくくなってきている。官・民を問わず近年多くの問題を起こしている。JR西日本にも類似の組織上の問題を感じる。再発防止のための事故調査はこういう組織上の問題にも遠慮なく切り込んでいかなくては、意味のある報告書にはならない。
2005、9,22
筆者自己紹介
一流大学でもなく、しっかり勉強したわけでもないが理工系全盛の時代に大学では機械工学を学ぶ。流体力学、振動学など各種力学(専門分野の単位数の半分以上は・・・力学だった)を学ぶ。鉄道車両工学は2単位修得している。現在は工業高校の機械科教諭。今年度末で定年となる。
教育の分野の関係者として、業務を遂行するのに必要な基礎学力の重要さの観点から、今回の事故について関心を持って報道を見てきた。アメリカの航空事故との対比(類似点、相違点)で当初は書いたが、事故調査委員会の中間報告書を見て追加して意見を述べたくなってきたので加筆しました。筆調が少し硬く、過激になったのでないかと少々気にしていますが意見・感想等お寄せいただければ書いた者としてありがたいです。