キャリアアップ教育について
日向工業高等学校 機械科 馬場弘教
宮崎県教育委員会より2006年度のはじめに「キャリアアップ教育」についての推進校決定のための計画書作成が現場に求められたことがあった。私はこのテーマに対して大いなる違和感・疑問を持った。最初にこのテーマを聞いたとき、委員会はテーマ設定に大きな錯覚・勘違いをしているのでないかと思った。
この設定されたテーマに対して教育の本質、工業教育の本質を見失っているような重大な問題点を感じ危機感を持った。委員会の指導がどうも最近変だなーと感じる場面が結構あるが、それらと今回のテーマ設定に共通するものを感じた。
キャリアという言葉は通常「経歴、経験」で使うことが多い。つまり「職歴」を意味する。
国家公務員の世界では上級公務員試験に合格したものを「キャリア組」といい、昇進も制限ないが、これと対語のノンキャリア組というのもあり、経歴・経験や実績があっても昇進が頭打ちになる公務員制度がある。ここで使っているキャリアは能力的なものや資格的なものを意味して、しかもそれの上級(際上位ランク)を意味している。
ところで通常使用しているキャリアアップはこれまでの経験や経歴の上に、それをさらにグレードアップし、職業能力等を向上させることを意味するのでないか。このように考えるとき、委員会が言うところのキャリアアップ教育は何を意味するのか分からなくなる。
もし工業高校の教育でキャリアアップの言葉を使うとしたら、資格や検定でその取得のための教育を現在ある程度(いや結構力を入れているかも)しているが、これを今後さらによりハイレベルなものの取得を目指す教育をしていくことを意味するのだろうか。
あるいは学校教育後の資格・経歴・能力を生涯にわたって、より高いものへと自己を向かわせていくというあり方・生き方の教育をさらに充実していこうというのだろうか。また俗に言うキャリア教育(職業観や勤労観の育成)をより充実していくことを意味するのだろうか。
本来、学校教育は「生きる力」を育むものであり、その最も中核となるものは、変化への対応力でないかと考えている。そのためにはあり方生き方の教育も含めて、基礎的・基本的な指導内容をしっかりと身に付けさせることが最も大事なことでないかと考える。変化への対応力こそが「キャリアアップ」する生き方であり、そのための基礎・基本をしっかりと身に付けさせることが学校教育の役割あるいは機能でないかと思う。
キャリア教育(職業観や勤労観の育成)は学校教育の範疇内であり重要テーマであるが、「キャリアアップ」は個人が学校教育後に自己啓発や企業内教育等として課されたりして行っていくものであり、普通一般教育を行う学校教育の範疇外である。
一方、たしかに専門学校の多くは「キャリアアップ」のための教育機関であるといえるかもしれない。普通一般教育で基礎・基本を身につけさせる工業高校と専門(専修)学校とは本質的に違うと思うので、このキャリアアップ教育のテーマに違和感・疑問を持つのである。
またこれと類似して気になる問題として、現場においてはものづくり教育についての考え方の不統一がみられ、それが工業教育について少なからず不協和音を発している点である。
近年「ものづくり教育」が盛んに言われているが、その内容はどうも技術教育でなく技能教育を指しているようだ。その結果として機械科における実習では実験的・学問的・技術的なものは軽視され、技能的なもののみが実施される傾向が強まってきている。
技術教育を推進するにしても施設設備の老朽化がすすみ、基礎教育の推進が困難の度が増してきている。ここ30〜40年間で新規あるいいは更新されたものにNC制御の工作機械やボイラーや熱機関、水力実験装置などがある。
でもせっかく導入された高価な買い物が故障しても修理の予算もつかなく、あるいは熱流体や計測などの機械の基礎学習の設備についてはそれらを使いこなせる人がいなくなりつつある。 また技術(工学=エンジニアリング=学問的)教育が行える工業教員がほとんどいなくなってきているようにも思える。しっかりとした技能教育の行える実習教師もあと数年したら退職してしまう。その後はロボット競技会の出品作品やパソコンのみが出来る人たちだけになってくるのでないかと危惧する。本当の意味でのものづくり教育(技術教育)を忘れてしまったら、わが国の工業教育に未来はない。
近年、学校養育に外部の厚生労働省や経済産業省から連携という名目で一種の外圧がかかっているが、文部科学省はそれらとの連携は重要であるが、もっと自信と主体性を持っておかなくては、それらに振り回されてしまうことになる。近年工業高校には多くの行事・取り組み・イベントが要請されてきている。教育の本質を見失っているのでないかと危惧する。多忙化がますます進みメリットよりデメリットのほうが大きくなってきているのでないか。委員会からのこのキャリアアップ教育についても、かなりの予算がつき、それを利用活用(消化する)することの意味もあったのだろうとは思っている。
教師の専門的力量低下もあるが、この多忙化現象で工業の基礎、ものづくりの基礎・・・が十分になされない実態があるのでないか。 現場は多忙化して教材研究の時間的余裕もないなかで基礎・基本をしっかりと身に付けさせる授業よりも、間に合わせ的授業になっている実態がある。
マイナス面が無視できないほど大きくなってきている。これは国の施策だから、教育委員会で対応出来るものではないのかもしれないが、どうもへんだ。