生徒が教師の授業を評価することについて

                日向工業高校   馬場 弘教

生徒にわれわれの授業を評価してもらい、それを今後の授業改善に役立てていくことは大変に結構なことだと思う。いろいろな面から授業の改善を考えていかなくてはならない。私の場合は生徒に評価してもらうと厳しいものが出そうで怖いという気持ちがあり、少々気乗りしない。でもそんなことは言ってはおられない。

進学予備校では講師の評価はずいぶん以前から実施されていた。評判のよい名物講師をそろえるのは、経営上の重要事だ。

良い授業とはどんなものだろうか。本校でよい授業と評価されても、それが他校でも通用するとは限らないし、その反対に、本校の生徒からは良い評価を得られなくても、他校では良い評価を受ける事だってあるだろう。またどこの学校でもよい評価を受ける人もいようが、逆にどこに行ってもよい評価をうけない人もいるであろう。

 私は有名進学予備校の数学、国語、英語のビデオテープを視聴したことがある。中身のある力をつけるという面からは、さすがに名物講師だけあって、実に見事な授業だ。でもその人が本校でどんな授業ができるであろうかとも思った。授業の評価は学ぶ側の生徒の状況によって大きく異なったものとなる。

 また国家試験の有名予備校の名物講師のビデオ教材も視聴したことがある。実にわかりやすく、内容の詰まった講義をする。進学や資格試験の予備校では講義を受ける人は、目的意識が高く、中身のない授業は敬遠されるし、評判が悪い。進学に向けてあるいは資格試験合格に向けての力をしっかり付けられる人が当然に評判がよい。

本校の授業においては、面白おかしく、退屈しなく、わかりやすく、眠たくならない授業ができなければならない。学習の意欲・意識が高くない生徒も結構1クラスの中にはいる。居眠りや私語をする生徒の存在が気になる。基礎学力の不十分な生徒も多い。こんな中での授業には、いろいろな困難が伴い、なかなか成果が上げられない。

ところで授業のあり方について少々気になる点がある。基礎的・基本的な内容をしっかり身につけさせることが学校教育の大きな目標であると思うが、現実は授業を受ける側の生徒の基礎学力不足などの問題で、目標とする授業が困難で、しっかりした基礎学力を付けさせる授業より、内容のない暇つぶし的で間に合わせ的な授業になっている部分がないのかどうか点検してみる必要がある。

教材研究の時間不足からかせっかくシラバスを作っても、それとは全く関係のない、無計画な内容のない授業が一部で行われているのでないかと思う。

授業が困難でも、何とかわからせようとする、真っ向勝負の授業でありたいが、そういう授業はやるほうも少々疲れるし、生徒は喜ばないのかもしれない。評価されることを考えたら、受けの良い授業に逃げたくなる傾向も出るのでないか。でも私は真っ向勝負の先生の授業を支持し、評価したい。生徒の中にはそういう授業を支持してくれるものもいるはずだと信じたい。

生徒への質問項目に「わかりやすい授業であったかどうか」「誰の授業がわかりやすかったか」というのがあった。私はそれだけでなく、内容のある、力を付けさせてくれる授業であったか、基礎基本を大事に教えてくれようとしている授業であったか、本当に学びたい授業であったのか。・・こういう観点からの質問もぜひほしいと思う。だれの授業がわかりやすかったかと、生徒に聞くのであれば、だれの授業がためになったか。力がついたか。有意義であったかなど生徒に問うてみる必要もあるのでないかと思う。指導内容と評価を切り離しての質問には抵抗を感じる。今回のアンケートの書式(設問項目)に対して、教務の担当職員に以上のような主旨を伝えていたが、採用されなかった。

まとめられた生徒の評価の結果を見ると、概ね日ごろの評判の良い先生の評価が良かった。基礎基本を大事にする、中身のある授業を、わかりやすく指導してよい評価を得ている人も多くいた。生徒の気持ちを理解し、生徒の側に立って行う先生の評価も良かった。何度も何度もわかるまで懇切丁寧に指導する先生などの評価も良かった。生徒は先生の熱心さや優しさも評価していた。でも、中にはそうでもないのでないかと思える人の名前も上がっていた。内容がない(中身が詰まってない=基礎的・基本的な内容がない)授業を分かり易いと思っている傾向も見られた。

基礎基本を大事にする授業はある面生徒にとって難しく、苦痛に感じる部分があるのかもしれないし、中身のない授業がわかりやすいと錯覚してしまうことも十分に考えられる。それゆえ基礎・基本の力をしっかり身に付けさせる授業では、生徒の評判は必ずしもよくないのかもしれないし、中身のない受けのよい授業の評判がいい傾向も出てくるのでないか。生徒の評価を大事にしなければならないが、それを気にし過ぎる傾向が出て来てはいけない。

生徒へ授業の評価を依頼する目的は、当然授業の改善であろうから、授業の質・中身がまず問われ、そのあとにわかり易かったかを問わなくては、われわれの授業が歪んで来る恐れが出てくる。生徒の受け(評価)だけを意識するようになったら、われわれの授業が変質していく恐れが出てくる。そうなれば何のための評価であったのかということになってしまう。

今回の調査の結果は、自分の授業を振り返る機会となり良かった。評価を考える前に、われわれの授業のあり方・中身を問い直す必要があるように強く感じた。

                                  2005,8

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