ろう学校における職業教育の課題とその改革について(本校の産業工芸科に赴任して考えたこと、そして取組んだ事)
延岡ろう学校 産業工芸科 馬場 弘教
1、赴任早々に感じたこと
工業高校の機械科から、ろう学校に赴任して3年半になる。最初は戸惑いや驚きがいっぱいあった。手話は覚えなくてもいいとか、口話でも話しは通じるとか・・・そんなわずかな予備知識で赴任したのだが、赴任早々の始業式の日から驚きの連続だった。先生と子供が手話を使いながら会話している風景を見て、私には何を話しているのかその話の内容がつかめなかった。とくに手話と口話を併用しての子供の話しが聞きとれなかった。
また授業を進めていくうちに、基礎学力の不十分なことが、それも大変深刻なことがわかってきた。当初はそれまでの指導が良くなかったのでないかとか、生徒の努力不足でないか、などと考えていたが、どの先生も一生懸命頑張っているようだし、どの子供も一生懸命努力しているように見えた。その後しばらくして「9歳」の壁という言葉を先輩教師から教わった。子供たちの学力の伸びが順調でないことは本校に限らず全国の多くのろう学校においても深刻であることも知った。
このようにろう児とのコミュニケーションの困難な事と基礎学力の不十分なことの2点はとくに衝撃的であったのを思い出す。現在もこの事は、私の頭から離れる事はない。
ところで産業工芸科に関しては、初めて経験する校種であり、赴任の当初は授業をどのようにして進めて行けばよいのだろうかという、授業に対する不安が一番大きかったのを思い出す。前任者(先輩)はどんな授業をしていたのかをまず知り、それを参考にしたいと思った。でも授業等で使ったファイルが何一つ残されていなかった。後任に引継ぎのため残しておくべきものが何もなかった事が赴任した当初に感じた驚き・戸惑いだった。
また実際に指導を始めて感じたことは、実習指導においては木工一筋の実習教師と専門外から赴任してくる教諭との間の連携は難しく、指導内容・方法において教諭がほとんど関わり得なかったこと、とくに製作する品物の図面がないままで指導者の指示のみによって製作されていたこと、製図と実習においてその関連性がなかったこと。・・・・・・等々。専門学科の指導においても多くの改革すべき課題のあることに着任早々に気付いたのだった。(前任者も同じように問題点を感じていたに違いないと思う。)
仕事のやり方を変えるということは、科としてのチームでの人間関係の再構築である。生徒に生きる力を培うため、公務員としての服務をあるべき姿に変えることでもある。今までなれ親しんできた仕事のあり方、やり方を変えることになり人間関係の摩擦を克服しなければならない。生徒を中心に据えた考えがベースにないと、解決は困難である。
2、私の取り組んだこと、
(1)まずは自分の担当する授業の工夫改善から着手
実習、課題研究、製図、インテリアエレメント生産、工業数理を担当した。手話の下手な私は板書を多くし、ノートを取らせ、指導内容の記録(ファイルして保存、誰でも活用できる)で定着を図ろうとした。基礎的基本的内容の指導の徹底を目指した。初年度は生徒の基礎学力不足の深刻な状況の把握が不十分で、指導内容と生徒の実態との間にはギャップがあったと反省した。
指導内容の記録・ファイル化(保存)をすることにより、指導の問題点が明らかになり、改善へと結びついていけるし、また指導者が転勤等で異動しても引継ぎが出来ることになる。つまり授業を半ばオープン状態にし、経験ノウハウの共有財産化を目指した。
(2)次には学科職員間の連携のあり方についての改善を行う。
実習や座学においての役割分担の明確化と連携のため、および指導のあり方に関しての協議を行った。既成の流れを変えようとするものであるので、当初はずいぶんと勇気とエネルギーの要ることだった。機を見つけて、私の考えているあるべき姿を提案してきた。現在まで数度この種の話し合いを持った。幸いにも大方の理解が得られ、複数の職員で担当する実習や製図の指導では連携が進んできたし、指導記録の整備、サンプル作品・・・の整備も進んできた。
学科教育においていろいろな面において改革が進んできた。赴任当時感じた学科内に存する多くの課題は現在かなりの前進をみている。もの作りをするときはサンプルや試作品がベースになければ困難であるし、図面がなければ作ることは容易でない。教諭と実習教師の互いの立場を尊重し合う連携がなければ、実技を伴う指導はうまくいくものではない。
私は製図と実習を一体化させることが重要だと考えた。実習でつくる作品を製図で図面化させ、その図面を見ながら製作していく方法を取り入れる工夫をしてみた。「なぜここがこの寸法になるのか」であれば「材料はどれくらいの長さにすればよいのか」など、常に図面と対比させながら考えさせ、納得させながら、自力でものが作れるようなそんな力をつけたいと思って取り組んできた。現在かなりの手ごたえを感ずるようになってきている。
専門教科の指導については実習教師と教諭の連携が大事だとかねがね思っていたが、ここ2年ぐらいの間にかなりの改善がすすんできた。その成果として、ここ2,3年間に生徒に分からせる。理解させる。力がつく。そういう教科指導へと大きく変わってきた。取組みにおいて劇的に変化してきたのを感じる。このように専門教科における指導において大きく前進してきたので、今後にその成果も十分期待される状況にある。
家具製作における使用材は現在までベニヤ板張り(フラッシュパネル)がメインだったが無垢材の家具製作も取り入れるようにした。
(3)次には学部に対して、学校全体に対して、ろう教育に対しての取組みで提案し、取り組んできた。
ろう学校の生徒の基礎学力の不十分なことは、言葉の獲得が聴覚障害により遅れ、それがため言語の基礎が出来ないまま臨界期を迎え、以後そのために学習をはじめとする全般に深刻な影響をもたらせている事を関係書籍等により次第に知るようになった。
私は学習の遅れの深刻さを十分に理解できないまま、なんとか力をつけようと焦って試行錯誤してきた。私は前述したように自分の担当する教科から始め、学科内の教科の指導に対して何とか改革したいと取り組んできた。実習や製図やその他の座学においても、永年の先輩の経験に基づく指導の方法は、それはそれとして正しい側面もあるとも思ったのが、現実が現実なだけに私はそれらの全てを疑い、これを打開する方法として、もっとよい方法があるのでないかと模索してきた。私自身が直接関係し担当する分野のものに対しては、現在までいろいろ試行錯誤を繰り返してきた。また、私が直接関係しない分野の問題についても多くの意見表明、提言を行ってきた。
前任校においても、前々任校においても授業の工夫改善をテーマにして自分の担当する教科だけでなく、全校的な立場での推進を図ってきた経験(学校教育課題研究の取組み)があったが、本校に赴任して感じたものは、通常考えるところのものよりさらに幅広く、そしてより根源からの取組みの必要なことが赴任して数ヶ月で感ずるようになった。多くの書籍やインターネット情報に接する中で次第に自分なりに問題の深さ、困難さを感ずるようになっていった。
とはいえ、まず自分の教科におけるところの授業の工夫改善がまず喫緊の課題であったし、学科主任でもあったので学科全体におけるところ授業の工夫改善も取り組むべき大きな課題だった。さらには学部全体、学校全体(ろう教育)についての改革と・・すべてに亘って総合的な前進を図らなくては、深刻な子供の学力停滞の問題は解決しないと思った。
問題の根は深く(言語力の不足が全てに波及)トータルに前進を図らなくてはならない。自教科・自学科・自学部における取組みは、ある程度は身近に私の実践が見えるので理解される部分もあったが、学校全体のろう教育の改革についての意見表明や提言は、ろう教育に関わって来た先輩諸氏の反発(抵抗勢力については別述)を買う場面があり、苦い思いを一杯経験してきた。しかし、管理職でもない現在のポジションや力量では、精一杯やれる事をやってきたとの思いがある。改革に対してのインパクトを本校の多くの職員に与えてきたとの自負を持っている。