本校ろう教育の今後のあり方について(意見と提案)
馬場 弘教
今後の議論のための一つのたたき台としての提案です。この提案が契機となり、各学部における十分なる話し合いのもと、具体的な取り組みに発展していくことを期待します。
※1、については2000年12月末 2、については2000年10月末
3、については2001年1月7日 4、については2001年1月14日
書く時期・目的が異なったものを表題の下に寄集めましたので、書き方が不統一だったり、同じようなことを書いたりしている部分もありますが論点は、多少違ってます。
1、12月22日の本校ろう教育の今後のあり方について考える研修会について
学年対応の学力がついてない原因はなにか、について意見(抜粋)
・障害に起因する「認知」その他の学習を進めるうえで必要な基本的な部分の発達の遅れや、それらが不十分であることにより、自然な学習がスムーズに行えない。
・思考・学習する道具(言語)を持たないから、言語は日本語だけに限定されるものでなく、英語やフランス語でも手話であってもよい。
・言語は大事なものだ。学習や思考するため以外にも、記憶や感情なども言葉によって脳に焼き付け定着させる機能を有する。この言語力の不足が学習の遅れをもたらしている。
・言語力の不足から教師と学習者のコミュニケーションが円滑に行えず、それが学習の遅滞をもたらす。
・ 原因を子供に求めてはいけない。子供を取りまく学校や家庭の教育環境が組織体として機能してないから。
・指導者の力量(専門性)の不足が原因である。
本校職員に求められている専門性とは
・手話が十分使えること(使える人はごく少数))
・聴覚口話法について知識・技能を有すること(有する人はごく少数)
・言語についての基本的な知識・理解をもつこと
・ろう社会・ろう文化についての理解をもつこと
・ろう教育者としてそれにふさわしい人間観・障害者観をもつこと
私の意見
・高等部・中学部の先生は小学部までの教育の成果が不十分だと、また小学部の先生は幼稚部までの教育の成果が不十分だと、下学部にその責任があるかのような発言に対して、幼稚部の先生から反論が出た。下学部の先生ほど苦労も多く、頑張っているのは認めるにしても、言語発達の遅れの責任をそれによって免れるものではない。言語の基礎を6歳あるいは9才までにしっかりと獲得させなければ、それ以降は伸びないという現在の言語学の常識からして、下学部にはより大きな責任があると思う。この問題は幼稚部・小学部の先生だけでなく全職員で考えその対策を考えなくてはならない問題だ。
・口話法が大事だという発言が何度か出ましたが、手話を使えば口話力が進まないとする考え方が基になっている旧来の方法では誤りと思う。手話を使いコミュニケーションの取れる状況下での、学習者の意欲を重視した口話法でないと成果は期待できない
・手話を言語と認めるのか、単なる身振りとするのかでは、手話の位置付けが異なってくる。手話を言語とすれば、ろう者にとってなじみやすい手話を核(第一言語)にしての日本語(第二言語)の学習が考えられるが、単なる身振りであれば、これによる言語学習は難しい。
・手話は日本語の獲得に有益でありこそすれ、不利になったり妨害になったりすることなどありえない。ここ30年のアメリカやヨ−ロッパのトータルコミュニケーションやバイリンガル教育の取り組みは、この考えに基づいている
本校の今後のあり方を考えるに当たってぜひ確認しておくべきことがら
・手話は言語であり、当然通常の他の言語のもっている機能を十分備えている。つまり、意思を伝えたり思考したりすること以外にも外界を認識し内面世界を作ったりする機能なども有すること。
・言語はある年齢までにその基礎なり骨格を作り上げなければ、それを過ぎては、もはやその獲得は不可能であること。つまり臨界期があるということ。
・両親がろうであるろう児はあらゆる面において、そうでないろう児より優れている。つまり、乳児期より手話言語により育った子供は、他の言語の獲得や精神面の発達をはじめ、あらゆる面において、一般ろう児よりその優秀性が証明されていること。つまり手話は音声言語や書記言語の獲得に有益であり、妨害になることはないということ。
2、全日ろう大会およびその前後に学んだこと、考えたこと、気づいたこと等(報告の抜粋、一部修正)
ろう学校赴任前後のこと
本校勤務を命じられたとき、手話が出来ないのでは勤まらないのでないかという不安が真っ先に生じてきました。何人かの先輩の方にこのことを伺ったら、その心配は無用だと(安心させてくれたのでは)教えてくださりほっとして赴任してきました。しかし始業式・入学式を経て次第にろう児と接するなかで、コミュニケーションの取れない問題点が顕わになってきました。ろう学校に勤務する職員にとって手話は大事なコミュニケーション手段であり、ぜひ身に付けなければならないものと痛感しました。
次に感じたのは、本校のろう児の基礎学力の不十分さであった。何に起因するのか。どうしたら改善されるのか。この問題は赴任以来の私にとっての大きなテーマでありました。私なりに次第に問題点が見え始めてきました。言語力の問題だということまではすぐに理解されたのですが、それより先は現在も思案中。しかし次第に問題点や解決の方法について理解されつつあります。それを以降に述べます
なぜ文部省は聾学校において手話を公認しないのか。
保護者、ろう関係者が手話の導入についてどれほど今まで訴えてきて、そして教育関係者がそれを無視し続けてきたのか最近それを知りました。手話については、文部省はいまでも、公認してはいない。ましてや推進などはしてない。最近やっと黙認するところまできたようですが。
なぜ方針を転換できないのか不思議な感じがする。手話を推進すれば、今までの聴覚口話一辺倒が何であったのか問われるし、手話のできる先生を採用、配置等の施策をしなければならないし、現職の教員研修、人事異動等の困難な問題が発生するので手をつけなかったのでないかと思います。
手話は立派な言語だということ
助詞がなく、語彙が少ないので複雑な内容の話しはできないとか、手話を言語でないとか、劣っているかのごとき批判じみたことをなんどか聞いてきました。最近手話はやはり立派な言語だと感じる場面に何度か遭遇しました。前田先生、そして今回のろうのシンポジストの方の話しにおいて、通訳者を通して理解したその話しの奥深さは、思想や、哲学はもちろん人間の心情等や抽象的なものをも十分すぎるほど表現していました。我々が使っている日本語と全く遜色ないものであることを感じました。ろう者にとってのかけがえのない言語だと強く感じました。
セミリンガルでは9歳の峠は越えられない。目指すべきはバイリンガル教育
言語は6歳ぐらいまでにその骨格をマスターしなければならない。遅くとも12歳ぐらいまでには終えていなければならないようです。今の口話による言語指導では到底12歳までに骨格をマスターできない。これにより9歳の壁(峠)をこえる事は容易ではないのだと思います。言語力がつかないことがいろんな場面に9歳の壁(峠)を作っているのでないかということです。見よう見まねで10歳(本校生徒の平均的なところ?)前後から覚えた手話も中途半端にしか身についていない。どっちの言語も不完全なレベルにしか達しないセミリンガル(と言うそうです)を育てる結果となっている。手話を第一言語(母語、基底言語)としこれをベース(基底、基軸、基幹)に第二言語(日本語)を獲得させるやり方なら、9歳の壁(峠)をこえさせられるのでないかと十分予測がつきます。2つの言語を使えるバイリンガル(ご存知の通り通常は日本語と英語等の外国語の2言語を言いますが、ろう教育の場合では、手話と日本語の2言語のマスターをいいます)を目指すべきでないかと思います。どんなに頑張ってもセミリンガルしか到達できない聴覚口話法でなく、同じ努力をするのであれば、2言語マスター(これこそ1石2鳥と言うのでないでしょうか)を目指すべきでないかと思っています。現在の言語学は、他の学問分野と比べ遅れを感じますが、やっとこのあたりに達したように思います。その言語学の知見によるバイリンガル教育によって、現在の状況を突破できるのは確実でないかと思います。具体的には手話を乳児の早期からどんどん取り入れながら、それをベースにして音声日本語、指文字、書記日本語へと並行しながら語彙を増やしていくやり方です。この方法で言語力をつけることが十分可能でないかと4月の赴任以来(正確には5月ごろより)考えてきましが、本を読んだり、先輩の教師の指導や講演を聞く中で、徐々にこの方法は有望でないかと思うようになってきました。(じつはこのついて、私に一番早く、最も強く影響を与えたのは、ろう教育について私よりも、もっとろう教育について素人であるはずの妻の意見でした。子供を育てたことのある母親はこどもの言語教育については大先輩であるのだと実感してます。)ろう児の言語教育にこの方法が有望というより、これしかないのでないかと最近強く思います。しかしこの方法(バイリンガル教育に近い)をやっているところは日本では三、四校あるか(?)ないかと聞きますので、参考とすべきモデルはないに等しい。本校で実施する場合は、手話の出来る先生が低年齢の子供さんに1クラスだけでも試行しその成果の確実性を確認しながら拡大していったらどうだでしょうか。
手話が大事だと言う人は、聴覚活用(聴覚口話法とほぼ同じ)も大事だと言うが、その逆の人つまり聴覚口話法が大事だと言うひとは、手話が大事だとはいわない。
手話が大事だと言う人は、聴覚活用(聴覚口話法)も大事だと言うが、その逆は・・・・・・ということを本校の先輩教師から聞きました。この言葉は意味深だなーと思いました。手話をどんどん取り入れたらどうかと言う人は、じつはバイリンガル教育を目指しているのでないかと思います。つまりコミニケーションの取れる状態を作り(母語をまずつくり)つつ言語教育その他の教育をやろうと考えているからです。一方の人たちの考えは、手話をやれば言語教育(口話)ができにくくなると言います。両者はこの点においてすれ違いがおきています。このすれ違っているところをお互いに意識していたのでしょうか。手話か聴覚口話法か、という議論が昔あったそうですが、この議論における論点は、手話が言語学習に有益なのか、それとも妨害するものなのかということであると思う。両者は論点を整理して、これを検証すれば良かったはずで、それを整理せずしての論争だから不毛の論争の最たるものになったのでないでしょうか、現在の言語学は、バイリンガル教育の有効性にやっと気づいたところで、あとは実践の段階でないかと思います。アメリカやヨーロッパではここ10年20年前から実践されています。
3、私の考える改善案(手話を核にしての準バイリンガル(一言語二様式)教育の導入 数値や到達レベル等の案は単なるイメージで一つの例示です)
3歳まで
・乳幼児期より身振りや手話をどんどん使っていく。
・そのためには、学校や家庭での手話環境(音声言語も併用)を作る。そのための必要あれば家庭への支援をする。
・聴覚活用を十分図りながら、傾聴態度を育てる。
・発声訓練、発音練習を早期より開始(12ヶ月以降)。
・3歳までに指文字をマスター。
・手話にてごく基本的日常生活のコミュニケーション能力の育成。
・ 語彙数800レベルを目標。
※手話→指文字→あいうえお50音→日本語への言語教育のプログラムの開発を外国の指導書や外人のための日本語学習のテキストを参考にして開発する。
※先進校の取り組みを参考にしその経験を本校に生かす。
6歳まで
・ 5歳までにあいうえお・・・・50音が書ける。
・ 手話が先行して日本語教育をリードしていく。
・ 日本語の基本的日常生活のコミュニケーション能力の育成。
・ 語彙数3000レベルを目標。
9歳まで
・ 国語については学年対応を目指す。他の教科は1年遅れ以内を目指す。
・ 日本語表現の骨格の完成。(文法と語彙において)
・ 語彙数5000レベルを目標。
・ 日本語が手話と同レベルに達する。
12歳まで
・ 日本語について(文法と語彙において)基礎の完成。
・ 国語については1年遅れ以内、他の教科は2年以内の遅れを目標とする。
・ 語彙数8000レベルを目標
・ 手話と日本語を同時にマスター。
※使用する手話は
同時法的なものか、中間(ピジン)的なものにする。日本手話を使う二言語二様式は、ろうの先生のいない(いてもごく少数)日本のろう学校では、それを使う環境が作れない。
4、補足意見(3、のについての提案理由等も含みます)
いま、どうすべきだろうか
永年続いたコミュニケーション手段についての論争は、ろう家族のろう児の優秀性が証明されて決着がついた。口話の立場からの、あらゆる角度からの反論にもその優秀性の証明は揺るがなかった。それほど証明力のある調査・研究が次々に出揃っていった。
これらの調査・研究から以下の結論が導かれるのである。
「乳幼児から手話の環境下で育ったろう児は、コミュニケーションのとれる環境のもとで、心を育み、手話という言語を獲得していき、その言語を通して内なる世界を拡大していったから、ろう家族のろう児はそうでないろう児よりあらゆる面において優秀である」。
このことは、一つの言語(手話)の獲得が他の言語獲得に有効であるということ、言い換えれば手話が他の言語獲得の妨害はしないということの証明でもある。
かくして、アメリカでは1960年台後半からトータルコミュニケーションの時代に一気に進んでいった。一方ヨーロッパではアメリカより10年遅れてバイリンガル教育へと進んでいった。トータルコミュニケーションは理念であり方法ではない、などの言い方を当初はして受入れられてきたが、その成果は期待されたほど上ったわけではなかった。
ヨーロッパで先行していたバイリンガル教育の考え方が1990年台に入り、アメリカにおいても次第に高まってきた。
アメリカもヨーロッパも実践の段階で、すでに10年20年の時が経過した。いまだ際立った成果が上ってない(?)ようで、カリキュラム作成の段階で足踏み(?)しているようだ。
ただ「ろう家族のろう児はそうでないろう児よりあらゆる面において優秀である」という事実のみが、ろう教育者のまえには厳然としてある。そこで現在はカリキュラム作成が急務となって来ている。そしてそれが徐々に出来つつあり,入手可能なものも一部ある。第一言語から第二言語への移行のカリキュラム作成はそう簡単ではないようだ。
日本でもすでに四校(?)の幼稚部で実施されている。そのうちの一つのが2000年夏季研修会でM先生より報告があった。その報告によると、コミュニケーションのとれる環境下で生き生きとした生活の様子がよくわかり、そのなかで心情や言葉が豊かに育っているのが理解された。
これらの学校が今後、教科指導のある小学部へどうつないでいくのか、興味があり目が離せない。これら先進校の取り組みのすべてを参考にしなければならない。内地留学先にはこれらの学校が最適でないかと思う。
本校でバイリンガル教育の考え方を進めようとした時、ろうの先生が複数そして手話技術の十分ある健聴の先生もある程度必要となる。現在のスタッフで本校でやろうとしたときには、限定した部分でしか行えない。
ろう児には1年の遅れは取り返しのつかない年月ある。たちまち言語獲得の臨界期を迎えてしまう。悠長に検討に時間をかけるわけにはいかない。見切り限定発車すべきかと思う。
9歳の壁を越える(超えさせる)ことこそ重要だ口話教育ではそれができない。
9歳の壁を越えさせるのは容易ではない。本校だけの問題ではない。よその学校でも、外国でも同じ傾向だ。言語の獲得に時間がかかりすぎ、たちまち言語獲得の臨界期に達してしまう。これにより9歳の壁が立ちはだかって来る。
口話ができても語彙がないので「国語力」として見た場合、そこには大きな限界がある。読唇出来るといっても、獲得している語彙以上のものは読めるわけがないし、
身につけた9歳までの国語力の範囲内での限定されたものでしかない。
現在は情報がいろんな形で入手できる。それらの情報を判断し・活用できる能力が極めて大事である。それらの情報(聴覚障害者には文字情報が命)に接したとき、その文字が読め、意味がつかめ、内容が理解され、自らで考え、判断していくのは言語力(国語力)がその全てといってよい。この言語力の獲得こそ最大事であり、最優先すべきものと思う。
口話教育では言語の獲得が困難であり、それにより言語発達に遅れを来たしている。それゆえに私は、口話教育は言語の獲得に致命的欠陥(妨害している)を有しているという結論に達する。言語力こそ優先すべき課題であるはずだ。口話力という言語力の限定した範囲のものを身につけさせることを目指して、それが言語力そのものの獲得を妨害しているは本末転倒だ。
そういうわけで手話(言語)の獲得が最優先されるべきだ。手話はろう児にとってなじみやすい言語であり、健聴児が音声言語を獲得すると同様同程度に、習得が可能である。獲得した手話(言語)を基にして国語学習などを展開していけばよいと考える。
こういう考えの人もいる
手話の獲得を優先して、それにより口話の習得が遅れてもそれはやむを得ない。しっかりした言語力を身につけることの方を優先したいという人々もいる。こういう人は、口話もできれば「もうけもの」それは「おまけ」だとも言います。この人たちは決して暴論を言っているのではないと思う。
私は、口話力の獲得を犠牲にしても、言語力の獲得を優先したいとする考えがよく理解される。しかし私はまた、言語の力がつけばそれにより副次的に口話力もついてくるのでないかとも思う。つまりコミュニケーションの十分取れる条件下では、言語使用の欲求が自ら高まり、口話の必要な相手には口話を使うようになり、そのなかで口話も自然に上達するのでないかと考える。このことを裏付ける報告が全日ろう大会のレポートにあったし、M先生の報告からもそのことが伺えたと思う。
口話教育に対する一つの疑問
たしかに口で話しが出来ることはすばらしい。しかしそれはごく限られた範囲の人がそこに達することが出来るのみであって、多くはしゃべれても健聴の人には聞き分けが困難なレベルにしか到達できない。
口話力をつけるといっても、教師の努力やろう児の頑張りだけではどうすることも出来ない部分があるのでないかと思う。つまり私は残存する聴力の差が口話力に差をつけているのでないかと思っている(当然かな)。
また聴力だけの差でもない部分もあるのでないかと思う。同じ聴力(機械による単音レベル測定)でも聞こえ方に差がある(これも当然かな)。そのうえ自分の発する音がフィードバックされるのにも個人差がある(私の推論、当たっているのかな)のでないかということです。口話力の身につき方に差があるのは、こんな事情があるのでないかと思う。そう考えると、口話はできるようになる子は特別な訓練しなくても出来るのでないか、出来ない子はいくらやっても出来ないのでないかということです。こういう疑問がふとよぎることがある。
一律にその向上を期待しても、その成果を享受できるのにはあまりにも不平等すぎる。言語獲得の遅れという大きな犠牲を払っての引き換えにしては残酷すぎる結果でないかと思う。
いずれにしろ、言語力がつかないまま9歳をむかえ、そのため以後は伸び悩んでしまっているというのが口話法による教育の現状でないかと思う。
参考にした資料・書籍
1、言葉の認知と発達 中嶋誠、 岡本 夏木、村井 潤一 著 東京大学出版会
2、子どもたちの言語獲得 小林 春美、佐々木 正人 編 大修館書店
3、ろう教育の``明日``をもとめて 第10集 ろう教育の明日を考える連絡協議会
4、聴覚障害者教育コミュニケーション論争史 都築 繁幸 著 お茶の水書房
5、聴覚障害者のためのトータルコミュニケーション 田上 隆司 著 日本放送出版協会
6、アメリカ聾教育におけるトータルコミュニケーションの台頭 草薙 進郎 著 イセブ
7、アメリカ聾教育におけるトータルコミュニケーションの発展 草薙 進郎 著 イセブ
8、バイリンガル教育 衝撃の世界 全日本ろうあ連盟
9、インターネットのろう教育関連のホームページ
10、全日ろう・九聴研のレポート集・事後報告集
とくに良かったもの参考になったものは、2,3,6,7,9
4はT先生 8はH先生 その他は図書室にあるものを読ましていただきました。
3、の第10集のあとの11集は既刊(本校にあるのかどうか、まだ見てませんがたぶん良いと思います。改革を熱望する人々、改革に奮闘する人々の考えに接して強い衝撃を受けました)
9、では膨大な情報に接することが出来る。
最少のエネルギーで勉強したい人は、4、3、2、(この順がわかりやすい)を薦めます。