尊敬するろう(聾)教育改革者のZ先生のこと
延岡ろう学校 馬場 弘教
Z校長さんは誰にも優しく、公平で包容力があった。さっぱりした性格でもあられた。これらからか私はZ先生には、私にはない男らしさを強く感じた。自分の地位とかを優先して子どもを犠牲にするような、普通よく見られるような管理職ではなかった。
改革者であるが、強引な手法でなく、ソフトで職員のやる気と自主性で改革しようとしていた。委員会出身の管理職にしては珍しいタイプだった。校内の各種の会合や研修会にも都合をつけて参加する事がよくあった。校内の手話教室等にも参加されることがあった。それにより私たちはどれだけ勇気づけられたものか。
改革を推進するために必要な研修をよくされた。私はアメリカにおいてトータルコミュニケーションの時代に入ったきっかけは何であったか。手話の優位性は何か。その学問的裏づけ・証拠はあるのか。私はこれらの資料を見つけるために各種の本を読み探していた。あるとき、これらについての資料が見つかったので、大急ぎで私が校長室にそれを持って報告に上がったら、「この資料を探していた。」と言ってすごく喜んで下さった。なんどもなんども「俺が探していたのはこれだ。この資料が欲しかったのだ」と話されていた。見つけた私も喜んで下さってスゴク嬉しかった。
「改革の中核になって欲しいうちの若手に、これらを読んで欲しいな。」ともよく言われていた。私が校長室を訪ねるのは、ほとんどは資料を届ける用事の時だった。でも、ときには、この本が面白かったよと言って見せていただいたこともある。正式な書名は忘れたが、「幼児は言語をどのようにして獲得するのか」という題名で岩波新書風のモノだったと記憶しているが。可愛いお孫さんの言語獲得を身近に観察しながら読まめれているのだと聞いた。私も同じように孫を通して言語獲得の事を学んだ。
校長室にはご自分で購入された書籍以外にTさんの書籍や私が持ちこんだ資料・文献等がたくさん積み上げられていた。
またあるときは、手話校歌を作る構想を話して下さった。またご自分の体のこともお話して下さったこともあった。
私はZ校長さんには改革者としての側面を強く感じていたので尊敬していた。今まで20人以上の校長に仕えてきたが、Z先生以外には、あと二人ほど改革者に出会った。改革者に共通している事は、優しさと不動の信念とプライドなどを持たれていることだった。
優しくなければ生徒のために現状を打開する気持ちは起きないのだろうと思った。優しさ以外に芯の強さというか確固とした自分を持たれているのも共通している。自分より上の権力者に媚びる事はなかったし、自尊心(プライド)を持たれていたので、部下の人間の尊厳(人権・プライド)をも大事にされるので、部下が納得するまで話し込むこともあった。権力で押さえつけるところがなかった。
Z先生が亡くなられてスゴク残念な気持ちを持つのは尊敬できる上司だったからである。現在存命のあとの二人の現場改革の元校長とは今でも親交(賀状や書簡・電話交換程度)がある。退職後の管理職で尊敬でき付き合う気になれるのは稀だと思う。
本校にはZ校長は二年間勤務だったが、私はその間に20年分改革が進んだと思った。あと二年いて下さったら、本校ももっともっと進んだかもしれない。
でも、転勤後の本校の改革の推進をZ先生を尊敬している若手の人々が中心となって頑張っているのを見ると私も嬉しい。
転勤後は電話で数回お話ししたのみで、直接お話しできてなかったのが残念だった。6月頃だったが出張の折にお会いしたくて立ち寄ったが、検食(給食は管理職が事前に食べる)前で体調も悪いということもあり、お話しするのは遠慮して別れた。その後もお話もできず亡くなられたのが悔やまれる。あの当時ずいぶん体調が悪かったのだとその後に知った。
亡くなられたZ先生は今後も私の心の一隅にズーと生き続けて行くことだろうと思う。ご冥福を祈るとともにZ先生の心を深く知る人達で本校の改革のために力を合わせて行かなくてはならないとの思いを強くする。
平成15年11月