私が海洋高校勤務時代に考えたこと思ったこと学んだこと。

                           2009/4    馬場弘教

1、はじめに

 これまで人事異動で7回ほど大きく職場環境が変わってきた。うち31年間は全日制の工業高校だったが、定時制(夜間)、ろう学校、そして海洋高校での勤務も経験し、合わせてこれらが11年間だった。後者の11年間の思い出・感動・驚きは前者31年間の3倍はあるかもしれない。

学校勤務は学校行事を含めて全てが一巡するのに一年間を要する。全日制工業高校においては学校間でさほどの差異がないが、上記の3校種はそれまで経験したものとはかなりの違いがあった。それだけに貴重で楽しい得難い経験をさせていただいた。人事異動は振り返ってみるとすごく私に貴重な体験を与えてくれた。

人事異動の2年目からは生徒・職員・担当教科(工業高校では頻繁に変わる)、担当分担業務(校務分掌)は年々変わり、それなりに変化があるが、初年度よりは随分と事情がわかり驚きに似た変化を感じなくなる。私は1年間だけで職場を離れることになったので、新鮮な印象の残っているいま書き留めておこうと筆を執った。それが関係者(生徒と職員)へのささやかな恩返しになるのでないか、いや責任とも思える。

 

2、海洋高校の生徒は素晴らしいこと

海洋高校生は屈託なく明るく人なつっこいという点は、私の最も強く印象としてある。私が海洋高校の生徒は素晴らしいというのはこの点である。これは人間として極めて大事な要素であると思う。また彼らの人間的成長には目を見張るものがある。一人ひとりがここまで成長する学校はこれまで経験したことがない。これらの良さは学校の持っている校風や伝統が大きいと思う。それに学校行事等での先生たちの指導も大きく関与していると見ることもできる。

でもそれだけではないと思う。本校生徒の中には中学時代には先生や親を悩ませた俗にいうワルと思われる生徒が結構市内外から入学いるようだ。そういう生徒の特性として、いわゆる元気ボーと言うか、机にじっと座って学習することより、友達との遊び(交友)やスポーツなど体を使うことを好む。またその結果からか人間同士の触れ合いを大切にする傾向も強い。学校での成績は振るわなくても社会に出れば活躍できそうなイイモノを持っている生徒が多く目につく。 

私に親しくコミュニケーションを求めた生徒たちに結構多くこんな生徒がいるようだ。話していると中学時代の反省すべき点も自覚しており高校に入学して心機一転成長していきたい、自分を変えたいとの思いも強い。その彼らのほとんどが感動するほど純真で素直で気持のよい生徒たちであった。目を見張る人間的成長はもともと持っている彼らの自ら成長をしていこうとする内に秘めたエネルギーが強いからだろうと感じた。これが本校の伝統や校風そして学校行事をはじめとする教育活動の中で成果として現れてきたのだろうと思う。

 

3、卒業生が学校をよく訪問して来ることに驚いたこと

赴任直後に最初の驚きというか強い印象は、卒業生が母校である学校を訪れて来ることだった。近況報告、同級会の企画の相談。友達の消息確認。結婚して子供ができた報告。乗船から帰ってきたことの報告。就職の相談。・・・・等々。工業高校ではわずかに部活生が母校をごくまれに訪問する程度だった。ろう学校にもこの傾向が多少見られたが、ここ海洋高校ではかなりの頻度でそれがある。海洋高校理解のための私のいわば最初のテーマだった。

次第に分かってきたが、当然と言えば当然だが面倒見の良かった先生。口やかましく結構しつけ面で厳しくても生徒に愛情を持って接してきた先生。懐かしく会いたくなる思い出に残る人間味あふれる個性豊かな先生。いつも優しくすべてを温かく見守ってくれた先生・・・に集中しているようだ。私には訪問してくる生徒と楽しく語らっている先生から私には足りなかった多くのものを学んだ。すごく大事なものを学んだので、これからの残りの人生にきっと大きく役立つだろう。

各種学校行事の折にも卒業生が多数来ている。学校が懐かしいのだろう。また先生にも会いたいのだろう。そういう訪問者の中に中途退学者まで母校を懐かしみ、愛着を感じて訪問している者がいるのにはほんとうに驚いた。彼らにとっても海洋高校はまさに母校なんだなーと思った。

 

4、生徒と先生間の距離が近いことが成果につながっていること

生徒の成長には先生方の指導・接し方も大きく関係している。先生と生徒との距離が近いことがその要因でないかとまず気付く。学校行事を通して生徒間、生徒と先生間の距離感が近くなるのが最大要因だと思う。とくにカッターや進洋丸を使った行事、遠泳をする海洋行事、文化祭(海鳴際)体育大会の役目が大きいと思う。生徒の成長に大きく関係する行事は今後も大事にしなければならないと思う。

一方マイナス面として、学校行事が多くて学習の継続性が困難であり、この面での検討課題もないわけではない。行事の見直しの必要性が時折聞こえてきて私なりにもそれを考えてきた。しかしとくに縮小すべきもの・廃止すべきものは思い当たらなかった。歩こう会を削っても準備を含めても1日だけだし、他の行事はそれを実施するまでの準備期間に多くの時間を要する。工夫して少しは短縮できるかもしれないが、行事までの過程が成長に大きく絡むので、大幅縮小や廃止は困難かもしれない。ともあれ、海洋高校の行事は教育効果が大きい。工夫改善の余地はあるのかもしれないと思うが大事にして欲しい。

 

 

 

5、厳しい指導により大きな教育成果を上げていること

先生たちの指導の厳しい点も成長に大きく寄与していると思う。これまでの教員生活や家庭での子ども教育において私にはとてもできなかった点で、私自身の反省点でもある。厳しさは教育にとって大事なものだとも気づかされた。

学校行事の不参加者の補講の徹底はすごい。先生方の負担は結構大きいがそれをやりぬくところはすごいと思った。生徒も頑張りノルマの回数をクリヤーしてきた。水泳補講が寒い時期にずれ込んでもきっちり補講をさせる学校の姿勢にはサスガに海洋高校だなー感じ入った。

いったん約束事・ルールを決めたからには、徹底して妥協せず最後までそれの実行・完遂を迫る姿勢には学ぶ点があった。

 

6、でも謹慎指導(特別指導)の厳しさについては疑問を持ったこと

厳しさに教育的効果が大きいことは海洋高校で感じたところだったが、一方で謹慎指導の厳しさに疑問を持った。これまでの経験したどの学校よりも突出した厳しさを感じた。謹慎指導には罰(処分)としての処分要素と教育(特別指導)としての内面的成長を目指す要素の両面があると思う。ペナルチィー(罰的要素)色の極めて濃い謹慎指導がなされている現状の在り方について大きな疑問を持ち、心痛めてきた。

教育上このバランスを十分に配慮しなければならないと思った。校則違反等の行為を反省させ、本来の高校生の本分であるところの、学業生活の充実を目指す決意を促す指導、つまり内面からの変革・成長を目指す指導が組織的・計画的になされなくてはならない。

非行・校則違反といってもほとんどはカンニング・万引き・バイク無断取得および無断乗車、無免許運転・自転車等の寸借・・・・等々であった。なかには軽微と思われる様な校則違反で、3学期中が別室による謹慎だった生徒もいた。あまりにも長期におよんでいる。厳しさを通り越して過酷さを感じていた。現状は謹慎指導はペナルチィー(罰的要素)オンリーと見えた。見せしめやこらしめの教育的効果は認めるが、内面からの変革・成長を目指すこととのバランスを配慮していくのが教育機関としての学校ではないかと思う。

反省し決意をさせるには数日の期間で十分であろう。10日を超える(多くは数十日間)のはどう見てもやりすぎでないかと思う。その結果、多くは謹慎による緊張感もピークを過ぎ、反省どころかやる気がなくなり学校不信の気持ちも生じて来ての教室復帰となっていた。教室に戻っても長期間に及ぶ点検指導期間も引き続きクリヤーしなければならない。もう2度とこんなつらい謹慎指導は受けたくないと思うであろう。再発防止には効果は大きいと思う。でも謹慎指導が契機となって退学していく生徒も少なからずみられた。関係者には悪いが残酷さまで感じる指導がなされていた。効果があるからと言って謹慎指導の長期化には賛成できない。非人間的であり、人権上にも、法的にも多くの問題をはらんでいる。

7,どうしてこんな厳しい指導が行われているのだろうかということ

海洋高校には管理職も人権担当もカウンセラーもHRTも当然いる。なかでも人権担当は県の事務局のトップ役員2人まで配置されている。でもこんな過酷な指導についてはだれも異論を差し挟む余地がない。いまの学校はいろいろな意見を持ってもそれを出すことは困難である。それほどに管理職の権限は強い。意見を述べたらどうなるのか、みんな考えるので職場には重苦しささえ漂っている。

まるで全員一致の如く厳しい指導がなされているが、必ずしもそうではないのかもしれない。でも他の人がどう考えているのか知る手段はない。この謹慎指導の厳しさに胸をイタメル学校関係者はいなかったは思わない。厳しい指導に疑問を感じつつも誰も異論を唱えることができなかったというのが現実でないのだろうか。

これを好意的に見れば、だれ人も校風というか伝統の重みの存在に拘束されてしまっていたのでないかととらえることもできる。つまり厳しい指導で学校秩序を保ってきたという取り組みの歴史(?)の重みがあったのではと考える。

しかしその校風なり伝統を存続させているものは、長年勤務している専門教科の職員だと思う。それも現在学校運営の中核的な主任層でないかと思う。この伝統を大上段から振りかざされると、学校運営に絶大な権力を持つ普通教科から赴任してきた管理職でも異を唱えるのに戸惑いがあったのでないかとも推察する。普通教科の先生たちに至ってはなおさらであろう。中堅の主任層から、本校には過去に・・・・があり、・・・な指導を行い・・・・結果として現在がある。これを強く主張されたら沈黙せざるを得ない部分があるのでないか。

現在30歳ちょっとから45歳前後までの若い主任層が学校運営をけん引している。そして残念なことに年配の経験豊かな先生方を学校運営から除外してしまっているシステムを作ってしまっている。若手の主任層はやる気十分は認めるが、ときには経験不足から暴走気味ともなっている。彼らにブレーキをかける人までをシステムから除外してしまっている。

 

8,学校の危機管理はどうなっているのだろうかということ

学校運営から異なる考え方の人を排除すればたしかに効率的に運営はできるが、ときには危機管理の上からは大きな問題をはらんでいる指導がなされることがある。もっとも大きな弊害は組織が機能しなくなることである。

現に生徒指導においてコンプライアンス(法令順守)の側面から見るとき、大きな危機をはらんでいる。保護者から正式にクレームなり訴えがあったなら学校側は人権上・憲法上もはや「校則」だけでは持ちこたえられない。近年は校則も一般法なみに憲法や教育基本法、学校教育法から逸脱することは許されない。今後のことを考えたら即刻指導方針の転換をしなければならないと思う。

 

 

9、人権重視こそが学校教育の原点である

人権重視には憲法感覚が必要である。優しさがなくては人の教育はできない。優しさは相手の人権を尊重するときにはじめて生まれる。生徒の悩み苦しさを理解せずして頭ごなしの厳しさは教育の現場にはふさわしくない。多くの生徒の前で正座指導をさせているシーンを見ることがある。見せしめにも見えるし。長時間に及ぶので体罰的要素も感じる。

「私は泣かぬとも、涙暇なし」といった鎌倉時代の宗教指導者がいた。現状の生徒指導に苦しんでいる生徒のことを思って涙を流す者こそが、教師としての人間としての出発点だと思う。

正義感なくては人の人権は守れない。アクとつるんだり、自分を常に有利に、自分の利益を守ることしか考えない人も教師の資格はない。送別会の折に離任のあいさつ中に、挨拶者の言葉のあげ足をとりせせら笑う者がいた。海洋高校の職員の中にこんな人がいたのはショックだった。

指導の域を超えて罰としても過酷すぎる謹慎指導に苦しむ生徒や、学校を去って行った生徒に涙する人が何名いたのだろうか。私の苦しさ・涙はまさにこれだった。私だけでなく、わずかだが数名は涙する人が見受けられた。

これまでの指導が妥当だったと思う人には私の言には反発しか持たないだろう。こういう人は学校の方針(管理職の考え)が変われば見事に迎合していくことは目に見えている。こういうことには不器用な私にはこんな人がうらやましくもある。大きな流れの中にいる方が楽だから、あえて自分の意見を持たないし、たとえ持っていてもそれを表に出すことは自己保身の人はそれを避ける。

 

 

10、海洋高校には母親の役割をする先生が極めて少ないこと

 厳しい指導をする先生も大事だが、生徒を理解し包み込むような優しさを持っている母親的な先生の存在も必要である。家庭に母親がいればまだ救われるが、母親が父親の役目も担って母子家庭も結構いるようだ。

 家庭の中でも父親役と母親役のバランスが大事だと思うが、学校においても同じでないかと思う。圧倒的に父親的な職員が多い中では、少なくとも女性職員、学級担任、カウンセラーはこの母親役に徹してもらいたい。人権担当もカウンセラーの役を担って欲しい。専門の実習教師の先生も、後輩への愛情が私たち以上にある者と思うので、積極的にカウンセラー役を担って頂けると、また違った形での生徒の成長が期待される。

母親役はまず生徒の言い分を聞き、その全てに受け入れるため共感できなければならない。それだけで生徒は自分で答えを見つける事ができる。そういう内に秘めたすばらしさを成長過程の子供はみんな持っている。海洋高校生にはとくに強くそれを感じる。

 

 

11、私が海洋高校生に学んだ大事なこと

先生を・・・ちゃんと教師を呼ぶ生徒は結構いる。私はそのように親しく呼びかけられ生徒と楽しく談笑する先生を見て羨ましかった。私もそのうち親しくババちゃんなどと呼ばれてうれしくなった。海洋高校生は屈託なく明るく人なつっこいと思うようになったが、次第にそれだけでなく人間対人間の触れ合い・関わり合い、コミュニケーションを求めているように強く感じるようになった。

多感な青春の真っただ中にいて、家庭環境や進路・学習、友達との関係に悩み苦しんでいるひと、そして謹慎指導中の生徒との話しをする中で、私は多くのことを学んだ。

人間として対等平等を求めているが、指導者として、あるいは年長者としてちゃんとその点の敬いの念はちゃんとわきまえている。・・・・ちゃんを呼ぶことを容認しては、けじめや節度上に問題あるという先生がいるが、まったくそんなことは杞憂である。生徒を人間的に対等に見れば相手も当然そのように見てくれるのは当然の理である。権力的に高いところ見下ろしたり、抑圧するより、人間的平等、対等の関係こそ教育の場では重要でないかと学ばせられた。偉そうな高い立ち場からでは生徒を変えさせることはできない。生徒からもたくさん学ぶ謙虚な姿勢があったときに、教育的な成果が上がるのでないかと思う。

 海洋高校の生徒との語らい・関わりのなかで、あらためて感じたことがある。それは

シンガーソングライター、ジャズピアニストのアンゼェラアキさんが子供との対話や「手

紙」でしばしば感動の涙を浮かべるシーンや、プロ野球コーチから高校教師に転身した

畠導宏、夜回り先生の水谷修さんの教育に対する情熱にあらためて深く感じ入ることがで

きた。それまではTVの映像や書籍でそれぞれ数回ずつ感動的に視聴する機会があった。この3人により、教育者として人間として本当に大事なものを示してくれていることに

あらためて気づかされた。

3人に共通する点は生徒を包み込むように優しく、そして常に目線は生徒と同じで決して指

導者ぶっていない点である。だから生徒は心を開き、指導を受け入れていくのだと感じた

私と生徒との関係を通して一つ思い出すことがある。それは私の仕えた上司40人以上のなかで、とくに尊敬する元上司の管理職の3人のことである。他の多くの管理職は事なかれ主義の見本みたいな人たちであったが、この3人に共通する点は改革者であったことだ。いろいろな抵抗にあいながらも現場の改革を目指して奮闘した。生徒の人権を守る(一人ひとりを大事にする)ための優しさから出てくる行為であったのだと、後日つくづくそう思えた。生徒の人権を守る人・正義の人がほんとうの優しさを持っている。そういう人も時には厳しい指導をする時もあるが、それは深い愛情の発露である。

また情熱的で涙もろく温かい人たちでもあった。職員のやる気を大事にするため説得を重ねて納得の上での改革を目指した。押し付けは決して好まなかった。でも改革すべきことは妥協せずに貫き通した。

海洋の高校での経験は繰り返しになるが、本当にありがたかった。生徒の皆さん、先生たちをはじめとする関係者に深甚の感謝の気持ちで筆(キーボード)を置きます。