ろう(聾)学校におけるコミュニケーションする力について考えること          

馬場 弘教

(1)コミュニケーションにおいて、最も大事なものは、伝え合う内容(中味=量と質)そのものである。

ろう学校において議論されるコミュニケーションする力に関して、ことば(言語=伝え合う手段)の力がしばしば話題になるが、私は手段よりももっと大事なものは、伝え合う内容(中味=量と質)そのものであると最近強く思うようになってきた。多様な手段を使ってもコミュニケーションの成立の困難な場面を数多く経験(見聞き)してきた。

どんな方法で伝えるかより、何を伝えるかが重要でないかと思う。結局は基礎学力をしっかりと身につけておかなくては伝え合う中味を十分に育てるのが困難となり、コミュニケーションの成立が難しくなって来る。

教育の目的は「中味を育てる」と考えるとき、読み書き計算に代表される基礎学力の獲得は、それ自体を身につけさせることも目標でもあるが、中味を育てるための手段の獲得といえるかと思う。

言語の基礎の獲得が不十分なまま臨界期を迎えたろう児に、国語等の教科を通して言語の指導を重ねても、言語力をつけることは難事中の難事だと思う。漢字が読め、書けるようになったからといっても、それが言語力の伸びに直結しているわけでもないようだ。難しい漢字が読め、そして書け、簡単な計算が出来ても、ごく簡単な文章の内容理解が苦手であったり、買い物やものづくり等の生活の場面での計算が苦手であったりする。

言語には外界を認識したり、思考したり、知識・経験を抽象化・整理・統合したり、それを蓄積・記憶したり、心(内面=精神世界)を育てたり・・・・多くの機能を有している。言語にはこのように「中味を育て豊かにする」様々な機能がある。

言語獲得の源たるべきその器は、臨界期を過ぎては大きく出来ない。その器の大きさで、それ以後の言語獲得の限界が決められてしまっていると思う。こう考えるとき、ろう学校ではその伝え合う中味(質と量)をどう育てるかという視点からも、言語の基礎を育てることの重要さを見直さなくてはならないのではと思う。つまり「言語のもつ機能について、」また「言語はどのようにして獲得されるのか、」・・・・。これらについて十分な研修を深めていくことがまずなによりも求められていると思う。

今ろう学校の現場に最も求められている、改革・改善の取組みは、「学力が順調に伸びないのはなぜか」「それはどうしたら改善されるのか」の議論を積み重ねて行くところから始めなくてはならないように思う。でもなぜか、ろう教育にとって最も重要なテーマについての議論が避けられているようで気になる。言語獲得の臨界期前後のろう児にとっての1年1年は取り返しのつかない貴重な時間である。

 

(2)手話がろう児にとって最もなじみやすく分かりやすい言語(自然言語、ネイチブランゲージ、第一言語)である。その手話を奪っては言語は育てられない

永年続いたコミュニケーション手段についての論争は、ろう家族のろう児の優秀性が証明されて決着がついた。口話(主義)の立場からの、あらゆる角度からの反論にもその優秀性の証明は揺るがなかった。それほど証明力のある調査・研究が次々に出揃っていった。これらの調査・研究から以下の結論が導かれるのである。

「乳幼児から手話の環境下で育ったろう児は、コミュニケーションのとれる環境のもとで、心を育み、手話という言語を獲得していき、その言語を通して内なる世界を拡大していったから、ろう家族のろう児はそうでないろう児よりあらゆる面において優秀である」。

このことは、一つの言語(手話)の獲得が他の言語(第二言語、日本語)獲得に有効であるということ、言い換えれば手話が他の言語(アメリカでは英語日本では日本語)獲得の妨害はしないということの証明でもあった。これによりアメリカではトータルコミュニケーションの時代に突入して行き、北欧ではその後一気にバイリンガルの時代に入った。

臨界期を迎える以前に言語である手話を獲得することで、中味を育てる基になる「器」を大きくしなくてはならないと考える。デフファミリーでない子どもに、手話環境をつくることは困難であるが、ぜひともそれをしなくては言語の基礎は育てられない。

(3)言語の獲得に関して、ぜひ確認して欲しいこと(職員研修で大事な事)

 本校のろう教育の改革、とくにその中核と考えられる言語の獲得に関して、前述したように以下の点をぜひ確認して欲しいと思う。

@手話は言語であり、当然通常の他の言語のもっている機能を十分備えている。つまり、意思を伝えたり思考したりすること以外にも外界を認識し内面世界を作ったりする機能なども有すること。

A言語はある年齢までにその基礎なり骨格を作り上げなければ、それを過ぎては、もはやその獲得は不可能であること。つまり臨界期があるということ。

B両親がろうであるろう児はあらゆる面において、そうでないろう児より優れている。つまり、乳児期より手話言語により育った子供は、他の言語の獲得や精神面の発達をはじめ、あらゆる面において、一般ろう児よりその優秀性が証明されていること。つまり手話は音声言語や書記言語の獲得に有益であり、妨害になることはないということ。

これらのことをきちんと議論し確認しておかなくては、取組みの前進を図ることは困難である。改革の取組みのためには、少なくとも共通認識しておくべき物(共通ベース)がないといけない。共通のベースを作り、それを足がかりに展開していく過程が改革のための取組みそのものであると思う。共通認識されたものがないままで、研修や取組みをいくらすすめても前進さすことは困難である。あるところまで進んだように見えても、振り出しに戻ってくることは必至である。本校の職員の議論や取組みがステップアップできないのは共通認識されたベースがないからだと思う。            2003,10,20 

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