ものづくり教育について(U)

          (私のものづくり経験とそれを通しての意見・感想)

                                                               日向工業高校    馬場 弘教

 工業科教員の世代間の問題(軋轢)を少々感じることがある。つまりものづくり教育についての考え方に世代間の違いを感じることがある。同世代の多くの人がこれを感じると聞く。これについて本校赴任以来少々考えてきた私の考えを述べたい。これが本稿の主目的・動機である。タイトル付けをどうするか悩んだが結局表題のようにした。また、文章の書き出し・構成についてもなやんだが、以下のように考えた。

 学習指導について私が意見を述べれば、どんな実践をしたのかと問い返す人がいる。ものづくりについて意見を述べれば、いったい何を作ってきたのかなどとやはり問い返す人が出る。そういうことで、本稿においては私の実践(経験)を先ず述べて、後段の意見へとつなぎたい。

 

T、 私のものづくり経験                         

1,小学生時代

@計算尺 掛け算割り算それに見たこともないSin.Cosなどの関数計算のできる計算尺を、本物のコピーを作った。A九州の立体地図 図書室にあった日本の立体地図をまねて等高線のある九州地図を元に厚紙を切り抜いて作った。B高さ測定用の簡易な測量道具 直径3メートル(幹周りは10メートル)位の大杉が通学路の神社にあった。ずいぶん高く見える眼鏡橋が家のそばにあった。それらの正確な高さを子供なりにそれを求めたいという気持ちで測定具を作った。 C各種の彫り物 彫刻刀やのみナイフ等で、木や彫刻用のゴム素材、柔らかい石材等に彫り込むのが趣味だったのか、中学生頃までいろいろ彫った。印鑑も彫り、5本ぐらい今も手元に残っている。D「模型飛行機」「竹とんぼ」 学校で全校児童参加の大会があった。飛行機は全校2位の成績だった。優勝者の飛行機は回収できなくなるまで飛行し遠くの林の中に消えた。竹とんぼは、翼断面に加工した迎角の小さなもので水平飛行距離の大きな、滞空時間の長いものだった。私のものはよく飛んだ。

Eその他 ものづくりではないが自転車、農機具、柱時計などの修理(壊すことも多かった)などの機械いじりが好きだった。野山を駆け回り探検小屋を作ったり、地下に迷路みたいな総延長30メートル位のトンネル掘りをたしこともある。昔の子供は遊びをいろいろしたものだった。そのなかで、物作りに関するものを思い出しながらその中のいくつかを列挙してみた。

 

2,中学生時代

 家の土間だった部分に10畳ぐらいの広さの部屋を増設し、そこには掘りごたつも作った。指物職人だった父が大工として大阪方面に出稼ぎで留守をしていたときに、私が土間に一部屋作ったのだった。父が帰った時、建具を作り使い勝手のよい部屋となった。9部屋あった田舎の比較的大きな家だったが、45年間ほど我が家の中で最も使われた。

 中学校の自転車小屋をボランティアで作った。放課後先生と二人で作った。大工的な仕事は比較的得意だった。

 

3,高校生時代

 実家はたばこ屋をしていたので母は外には出ることができずに、内職を色々していた。時々手伝ったことはあるがこの時期はものづくりはあまりしなかった。家の修理など依頼されたことをした程度である。農作業は結構手伝った。

 

4,大学生時代(主として夏休みに)

 @ビルの建設現場でアルバイトA 鉄骨屋さんでアルバイトの経験

それぞれ20日間ぐらい働いた。ものづくりの経験(実務経験)のないストレート採用の教員なので、このアルバイト体験は今振り返ると貴重な経験だったと思う。当時の先輩教員はほとんど会社での実務経験を持っていた。皆さんそれぞれが得意な技術・技能を有していたので尊敬していた。現在の教員はほとんどストレート組(教員浪人は経験したものが多い)で、本格的なものづくりの経験は少ないのでないかと思う。

 

5,工業高校の教員時代

自宅の家周りの工事 

 24年前にマイホームを購入した。@その家のぬれ縁、A結構大きい木造のしっかりした倉庫、B家の裏側の囲い工事をした。これらの経験で、マイホーム一軒ぐらいは作れそうだという自信みたいなものはある。 

 

教材として @掛け図掲示装置(モータによる自動巻き取り)Aエンジン性能試験装置Bシーケンス制御トレーニングボード。これは県内の工業高校数校で使用された。

 

部活(機械部)顧問として

  初任時の日向工業高校(23〜26年前)ではマイコンクラブとして2〜3年間顧問をした。キットパソコンだったが、それらでソフトハード面の学習をした。延岡工業高校の時代では機械部顧問だった。パソコン班(電気科電子科の生徒が主3年〜4年間活動)と機械班(機械科が主)の2つの班で活動した。パソコン班はゲームソフトの開発(生徒の作品で市販されたものもあった)が主だった。機械班は各種のエコカータイプの自動車を製作した。エンジンはホンダの50CCと250CCを使用。前2輪後1輪、前1輪後2輪。軽自動車の変速機を使用したもの(バイクの変速機+軽自動車の変速機)多段変速でバック運転のできる車、逆に切れるハンドルの車、差動装置のある車等々9年間で9種類の車を作った。

 

総合実習(課題研究)担当教員として

 生徒と一緒に作った作品に、@風力発電装置の製作、A改造(アイデア)一輪車、Bコンパクトリヤカーの製作 C 4輪自転車D 各種の風車の翼Eエンジンの模型Fエンジン発電機G風力利用の揚水ポンプ装置H刃物研ぎ器2種類I各種の水車装置(模型製作)を製作した。私は10人の生徒を4班に分けて年に4テーマずつこなしてきた。昔の生徒はよくやったものだ。最近の生徒ではこんなことはできない。付きっきりで指導に当たらなくてはならないと思う。ものづくりに関して基礎学力の低下以上のレベルダウンを感じる。

 

聾学校教員として

 @組み継ぎ手数種A電話台B四段引き出し箱C収納棚DテーブルE小物作品数点を製作した。電話台と、たぶの木(厚さ5pの無垢材)のテーブルは現在我が家で使っている。とくにテーブルは気に入っている

 

社会人のサークル活動において

 市内の6名だったか25年ぐらい前に2年間ぐらい活動した。そこでは、手作りパソコンを作ったりしてメカトロの学習をした。各種のチップを5枚の基盤上に組むんだものも作った。

 

その他として

 @組み立て倉庫(イナバ製)3戸A引っ越し荷物昇降滑車装置B子供の2段ベッドC子供会の御輿を数人で作った。D屋根の葺き替えや塗装Eその他日曜大工的なものはいろいろ。最近2度目の木造倉庫を作った。

 

U、今までのものづくりの経験を通しての意見・感想等

私の今までのものづくりで一番印象に残るもの

 私は実社会での実務経験を持たない教員の中では比較的ものづくりを経験してきたほうかもしれない。私の作ったものの中で一番専門的知識をフル動員したものは、16年ほど前に製作した風力利用の発電装置および揚水装置である。風力発電といえども、一人の技術でカバーするのは難しい。私が作った以前にも以後にも県内で風力発電に挑戦した人は結構いるが、回す事だって容易ではなかった。発電できた人はごく少数であろう。私は最初の一発で見事に自動車用の発電機で発電する装置ができた。しかもきわめて短期間(10月末ぐらいから取りかかったので、70時間弱?)で完成させた。効率は30パーセント近くあったのでないかと推測する。性能面でも私のものを超えるものがその後県内で出たかどうかは知らない。都城高専の初期(作り始めて5年後ぐらい経過後に見学で訪問したその頃)のものはずいぶん技術的には発展途上に(効率は数パーセントぐらいと思われる)にあった。翼の加工で苦労していた。いまはどのあたりだろうか。

 

ものづくりはシステム作りである。

各構成要素を一つに最適にまとめる工学的手法は、機械科職員が最も得意とする分野である。私の作った風力発電装置(システムとしては最小の部類)でシステムをいかに構築するかを例として述べたい。設計の第一歩は、発電容量(何ボルトで何ワットの出力か)の決定、続けて発電機を何にするか、その発電機の発電特性(回転数と出力の関係)はどうなっているか。それにマッチした羽根車(翼)の設計(設計値(点)の設定およびそれに基づく設計=最高性能を出すときの風速、回転数、翼の径、各種のひねり角度等の設定)、および設計した通りに加工する技術、全体の制御機構、全体をまとめて一つの装置とする技術これらを一つにまとめ上げるエンジニアリング(システム構築力)を必要とする。このための基礎的な学問として、数学的なものは当然として、機械工学的なものをはじめ、流体力学、電気工学、電子工学・・・幅広い分野の知識・技術を要する。

 機械工学はものづくりにおけるシステム構築の最適解を見出すことを専門としている。大きなシステムでは多くの専門家が結集する必要があるが、全体をまとめ上げるには工学的手法を身に付けた人でなければ難しい。部品点数100万点以上の巨大なシステムはアメリカが、それ以下10万点以上は日本が、それ以下は東アジア・・が分担するという、国際分業の話がちらほらと出ている。日本の巨大システム構築力が30年ぐらい前をピークに次第に低下傾向にあるのでないかと思う。

 私はものづくりはシステム作りだと思う。それには各構成要素の組み合わせの最適解を見いだす手法が絶対の必須条件だ。宮大の壁面ロボットの開発にはこのシステム的なアプローチが欠けていたと思った。最適解を見いだすには、各構成要素の特性把握が設計の最初の一歩として重要だ。にもかかわらず宮大の壁面ロボット開発ではこの点が無視されていたように感じた。宮崎工業高校での講演後に二人だけでこの事のついてしばらく意見交換をし、私からシステム的なアプローチが欠けていることを指摘したのだった。

 いま盛んに取り組まれているソーラカーは、発電パネル、モータ、バッテリ等がセットで提供されているので工学的には難所は何もない。それらをそのまま組みあげれば出来るというものだった。もしセットものがなかったら、各構成要素の特性をどのようにマッチングさせていくかという設計行為が必要だ。この辺りが最も、ものづくりの醍醐味のあるとこころだ。

 

ところで、県内工業高校のエコカーの製作で感じることだが

 ここでも工学的アプローチが不十分なように感じた。燃費を向上させるためには多くの要素がある。どれがどれだけ燃費向上に寄与するのかを資料を収集しそれらのデータを分析する中で事前に想定(予測し仮定する)する必要がある。燃費向上には軽量化も重要な要素に違いないが、エンジンの総合特性を全く考慮してなく、エンジン本体から変速用の機構部品を取り除いたりするなど、全く無茶なことをやっている。ただ軽量化を図ることのみ考えてそのために多くのものを犠牲にしてしまってかえって燃費を悪化させているいる。エンジンの総合特性を考慮して最大燃費率を得るには変速機構は欠かせないというか、最も重要な部品だ。私はエンジン本体の改造は最終手段だと思う。工学的なアプローチが見られないいまのエコカー製作は誤りだと指摘したい。

 私だったらボディ(車体)の軽量化には最大の努力をする。ドライバーの選定(低体重の人)も重要だ。キャブレター関連(気化および供給方式)も重要だし、カーブでの走行抵抗の低減には前輪の操向機構も重要な要素だと考える。そして何よりも重要だと考えるのは最適ギア比を得るために、外部に自転車用の変速機を使い、最大燃費を出すギア比で走行したい。ノーマルエンジンは実用性(加速性、登坂性等)を重視したギア比設定になっているので、燃費重視の設定ではない。燃費率を最大にするギア比はノーマルエンジンよりかなり過負荷域にそれがあるはずだ。最適ギア比を得るための変速機構は、重量の軽減策から考えるとマイナスでも燃費向上には重要なことだ。

 

工学的なアプローチとは

 言いかえるとシステムの構築を考えることだ。私は常に各構成要素がどのような特性特性(曲線)を持っているのかを把握することから始める。それがものづくりの最初のステップだ。エコカーであればエンジンの総合特性曲線(ご存じないひとが多い)を入手し検討することからものづくりを始める。それらのデータがなくても、既存のもの(エンジンならなんでもよい。傾向は同じ)を参考にして予測・想定する。いずれにしろ最終的には最適解は実験を繰り返す作業で手探りするしかない。

 家づくりであれば使い勝手や、機能、予算・・・・などソフト面・ハード面のバランス上に最適解を見いだす。家づくりの上手な建築家は、すべての要素についてのバランスがよい。

 私の家は使い勝手である動線の検討から始め、通風・採光、それにコストを重要視した。少ない予算だから、妥協点も多かったがこのようにして最低限のバランスを保つ努力をした。多くの人も私と同じように考えて家づくりをしていると思う。

 ものづくりはこのように総枠の制限の下に、全体の最適化を図る行為でないかと思う。家であれば、立地条件、総予算という大きな制限下でそれらを考えていくことになる。

 

ロボコンで優勝できるチームのアイデアには

 優勝チームのロボットのアイデアにはすごいものがある。それに事前の操作練習を十分こなしていなければ優勝は難しい。アイデアは多くの人で議論し知恵を出し合っていくときにいいものが出る。これには、ものづくりの経験などのない人というか、素人の方が頭が柔らかくいいものが出る可能性がある。

 勝敗を決するロボコンはアイデアが最も重要な要素だが、アイデアから形にしていく製作の段階では、工学的な考えでアプローチしなくてはうまくいくものではない。

 今年の大学ロボコンは東大が圧勝した。見事なものだった。東大があんなに強いとは思わなかった。彼らはおそらくプラモデル作りの経験しか持ってなかったはずだと思ったが、彼らの製作したものは圧倒的に強かった。競技の様子をTV番組で見て、東大生だから強かったのか、東大生でも勝つことができたのか、などものづくりとは何なのかと考えさせられた。東大生の中には工業高校や高専の卒業生はいなかったはずだとも思って見ていた。今年の東大のロボットには実にしっかりした工学的手法(私はこれをエンジニアリングと言った)を感じた。ものづくりには工学的発想というか、システム的な考えがなくては良いものができないと先に述べてきた。

 

「ものづくり教育」を聞くたびに感じる違和感・抵抗感を感じる

 別稿にこのことについて書いたが、ここでは別の観点(世代間問題)から書いてみる。ロボコンやエコカーに取り組んでいる(授業の中でなく部活での取り組み)若い世代が、年配者に向かって「ものづくり教育が大事だ」と言う。その口調なり態度をみるとき、世代間ギャップというか、考え方の違い以外に、世代間の戦いみたいな、あるいは、若い世代からの年配教員への挑戦状みたいなものを感じてしまう。私と同じように年配者の多くが感じるという。年配者が次第に一線(・・・・主任・・・部顧問)からはずれ、若手がバリバリやっていくのを、いつの時代も同じで年配者は寂しく感じるというのが背景にあるのかもしれないが。

 若い世代の人は、理工離れした時代に育ち、ものづくりよりパソコンゲームなどに代表される消費文化の中で育ったのである。私たち年配組は、理工系がもてはやされ、ものづくりに夢や誇りを持って育った世代である。私も子供の時からものづくりに関心があり、教員になってからは機会が多くはなかったが、それなりにものづくりに関わってきた。

 私たちより少し先輩の世代は現場経験を持った人が多かった。ものづくり経験の少ない世代の若い教員が、ものづくり経験の豊富な時代に育った年配教員に向かって「ものづくり教育」のことを言うことに、違和感・抵抗を感じるし、その意図は何だろうかと考え込まざるを得ない。

 

パソコンができ、エコカーやロボコンをやっていれば、それでいいのか

 それをしてない年配教員に向かって、俺たちの方がものづくりや、技術が分かっていると言いたいのかもしれないと思ったりもする。

 パソコンができれば先端をやっているかのごとき錯覚をし、一方それができなければ遅れているかのように卑屈になったりする傾向がある。

 パソコンという道具は世代間にギャップを作る道具みたいな側面がある。いつの時代でも若者は時代の流れに敏感でそれに乗り遅れまいとするが、年を取ると「変化しないもの」を求める傾向がある。パソコンや携帯電話・・・世代間ギャップを作るものは今後も次々に出てくるだろう。その時、今の若者もやがて私と同じものを感じるだろう。

 

私のパソコン歴は

 MS−DOSの時代にはある程度さわってきたが、ここ4年ぐらい前まではしばらくは遠ざかっていた。その間は「松」「桐」「マルチプラン」を仕事上で必要最小限で使っていた。この間10年ぐらいはブランクがあったかもしれない。

 今の若い人はさわり始めたときから定番の売れ筋ソフトに巡り会えて幸せだ。そしてなによりパソコン本体やソフトが安価になってきたこともあり幸せだと思う。私たちの若い時代は機材も高く多くのソフトがひしめき合い、乗り換えるたびに多額の出費とマニュアル読みでうんざりした。便利さより不便さを一方では感じてきた。

 Windowsの時代のソフトは使い勝手よく、それぞれのソフト間で操作方法が類似していてなじみやすい。Windowsの時代になってからはマニュアルを読むことは滅多にしない。試行錯誤しているうちに解決することが多い。それでも分からないことはそれぞれの分野に詳しい人に聞くことなどで解決することをすればよい。

 私は最近家庭でパソコンの前に座る時間が多くなってきた。一つのソフトを十分使いこなすというよりも、いろいろなソフトでパソコンのすばらしさを体験・学習している感じに近いようだ。パソコンでこういうことができるのかと知ることは楽しい。こういう面からすれば、私の場合は遊びに近いのかもしれない。

 

年配者のパソコン離れが世代間ギャップを生んだ要因の一つだ。

 昔は機材とソフトが高価だった。3年ぐらいしたら性能面での陳腐化がすすみせっかく購入したものが使えなくなる。それでも何とか工面して1〜2回は追っかけて購入もしてきた。それとソフトの使い勝手の悪さ・乗り換え時の苦労・・・こういうことに次第に嫌気がさしてきた。パソコンをやっていた人が次第に遠ざかっていくのには、こんな事情もあったからだと思う。これから世代間のギャップが生まれてきたようだ。

 また、転勤で移動していった先では今まで経験したことのない機器(年式や型番)があり、慣れ親しんだものと操作方法が違うから若いときに比べて順応していくのがおっくうになってくる。おまけにマニュアルが紛失してなくなっておったり、前任者も転勤でいなくなったり、さらには機械の調子も悪く、故障もしていて修理の予算もなく(そういうことで機械科の設備の稼働率はかなり低い。)・・・おまけに赴任先では慣れない部署で、さらに責任ある仕事まで回ってきて・・・こんなことが重なって絶望的というかパニックになってくる。このように転勤を重ねると適応に負担を感ずる度合いが大きくなるようだ。変化への順応力が年とともに落ちてくる。これも一つの世代間ギャップを生む要因になっているのかもしれない。 

 

パソコンは得意な人が多いが、教材研究での深まりがない

 年配者から見ればパソコン以外にはほとんど興味を示さない人には違和感を感じる。学科の基幹科目の教材研究をもっとしっかり深めて欲しいと思うことがある。

 それにしても現在は多忙化している。これが教材研究に時間が十分持てなくなっている原因の一つにもなっている。学科の職員同士で教育課題解決に向けての議論・話し合う機会もなかなか持てない。

 私は教育においては基礎・基本を最も重視しなくてはならないと思う。ものづくりにも基礎・基本があり、その態度および考え方を教育するのでなければならない。工業高校におけるものづくり教育(座学や実習の両面)において、基礎基本をおろそかにしてはいけないと思う。本稿および別稿は、この事を、私のものづくりの経験を踏まえて述べている。

 

工業教育研究委員会の答申「ものづくり教育の推進」について 

「ものづくり」とは何を言うのだろうかと、この答申を読んで思った。私の考えているものとはずいぶんと違いがあるようだと、答申を読んで感じた。わずか3回でまとめたことを考えれば立派なものだと思う。私の考えはこれまでにおおよそ述べてきたが、答申の考えに疑問を持つ点をあげ意見を述べたい。

 全体を貫く考えに、学校の活性化と、特色ある学校作りと地域との連携があるようだ。これはこれとして大いに結構なことだ。全体的な本質的解決でなく、イベント的盛り上げ的なものを考えているのだろうか。教育カリキュラム全体からでなく、部活動分野に多くの議論が集中しているようだ。議論はどうもイベント的というか、なにか外部に向かって情報を発信していこうという程度のことのようだ。これ以上の議論の深まりはなかったようだ。 中には、「ものづくり教育はあくまでも正課の授業を基本にすべきで、正課の座学、実習をいかに。充実させるかが重要である。」「3年間で1つのものを完成させる・・・」との本質的解決に迫る意見もあった。こういう議論をいろいろな角度から出し合って欲しかった。でも以下のように多くの点に渡って反論したくなる意見が並んでいる。あまりの多さに一つ一つに意見を述べるのは苦痛だ。

 若手職員の技術力が・・・・・、先端技術の導入の必要性をどう考えるか・・・・・、またその教育の必要性などが話題になっている。ものづくり教育に携わる職員が少ないとか、先端技術に関する職員の意欲の向上意識改革が必要、技量を向上させる研修の機会がほしい。技術系部顧問の人事・・、部顧問の技術力向上策・・・、技能5輪を目指す・・・・、ものづくりの好きな(それができる技術・技能を持った)教員の採用を・・・、ものづくりマニュアルを・・、特定の教員に偏っている「ものづくり教育」・・・・、技術力のある生徒を地元に残す・・・、ものづくりから遠ざかる教員が増えている・・・・、実習や課題研究を担当させものづくり教育の中核を担える人を・・・、職員の技術の裾野を広げるためにものづくりマニュアルを作り・・、退職実習教師の優れた技術の伝承を・・・、などの意見交換があったみたいだ。このように技能と技術とを混同した議論がなされている。

 やはり私が前述したように、ものづくり教育とはロボコンやエコカー、マイコンラリー、ソーラーカー・・・・をやっている職員が ものづくり教育をやっていて、それをしてない人は逃げていると考えているようだ。また、それをやっている人、それができる人が技術力があり、先端をやっていると思っているようだ。このような意見を出しあい議論する人が、これからの工業高校のものづくり教育をしていくのかと思うと、・・・・。30年前から進行してきた理工離れの時代に育った人の意見にはついて行けない。逆にそういう人は、ものづくり教育における基礎・基本の大事さを言う私の言にはついて来られないないことだろう。

 日本の技術力はキャノン、ソニー、デンソー、ホンダ、トヨタ・・・のように国際的にも優良な企業はあるものの、日本のロケットの開発力、近年開業の第3世代新幹線の初歩的トラブルは日本の技術(システム開発)力の低下の現れでないか。工業高校でのものづくり教育のこれから先が思いやられる。

 

技能と技術を混同して議論してはいけない

 工業教育研究委員会の答申に違和感・抵抗感をもつのは、技能と技術を混同して議論しているからだ。答申では技能という言葉を使ってなく技術といっているが、そのほとんどは(全部かもしれない)内容からして技能のことを言っているようだ。議論に参加した人は、まさかこの区別を意識してなかったのだろうか。そうであればかなりの無謀な議論だ。どんなに時代が変わり、生徒が変わっても、学校教育である工業教育は技術教育であるべきだ。技能の教育は学校教育にはなじみにくい。

 技能と技術の二つの言葉を混同しては議論がかみ合わないはずだが・・・。議論する前に言葉についての共通理解を図っておかなくてはならなかったのではと思った。答申は混同したまま進行した議論でその様子をまとめている。なんだか不思議な気がする答申である。それとも技術とは何であるかを理解できない人達での議論だったのだろうか。今までに出会った普通科系の出身の校長にはこの区別がつかない人が多かったようだ。議論に参加した人たちが、普通科系出身の校長と同じレベルの技術観であればさびしい。、

 

技能は

 あること(特殊なこと、特別なこと、それぞれの分野のことを行うとき)を行うときの技であり、スキルである。技量、テクニックである。その程度を腕前とか言う。その技能がある人を腕利き、テクニシャン、匠、技巧家であるという。

 その技は簡単には修得できなく、その個人の才能や努力によって身につけたものであり、頭で理解し習得するというよりも、体で体得したものをいうようだ。技を盗むとか、技を伝承するとか、あるいはまた、弟子入りして学ぶとか、技を修得するなどの使い方もある。 このようにして修得したものは他人には言葉などでは伝えにくい。その内容は、個人固有の性格が強い。また 一芸 、個人技、特技、秘技、職人なども類義関連語として浮かぶ。技能はときとして流派としてある程度の人数の人が同一内容のものを共有することもあるが、特許等にはなじまないし、その対象にはならない。製法特許は技術だ。

 

技術は 

 辞書で調べると、「科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に役立てるわざ。」「人間の生活に役立たせるために、その時代の最新の知識に基づいて知恵を働かせ様ざまなくふうをして物を作ったり 加工したり 操作したり する手段。」「科学を実際に応用する手段。」「最も短い時間(少ない手間や分量)で的確に事を処理する方法」。

 言葉の用例として「―上の問題がある。―を身につける。生産―・加工―・科学―・―水準・―革新・―畑(バタケ)表現―・編集―」などがある。また科学技術、生産技術の革新、技術的には不可能だ、などの用法もある。技術開発、技術移転などの用法もある。

 技術は科学的・学問的根拠・裏付けのあるものをいう。普遍性があり伝搬性をもつ。応用され改良・発展し広まっていく性格を持つ。時には特許等の対象となり、法律で保護されることもある。

 ところで刀匠の手による日本刀製作は、匠の技でもあるが、科学や技術の分野からも興味深いものがある。このように技能も技術も分けて考えられないケースもあるが、もともと違うものであり、対比して考えなくてはならない。両方併せて考えるときに、ものづくりの全体像がイメージできる。内容的に違う言葉を混同して用いてはいけない。

  最近いわれているものづくり教育で教育現場は何か変わってきたか

 ものづくり教育の大事さが近年言われているが、現場で生徒の状況に何か変化してきた点でも出てきたのだろうか。ごく一部のロボコンなどを目標に部活動している生徒に、ものづくりの力の向上した部分が見られるが、全体的にはものづくりの力は落ちていると思う。部活動におけるものづくりでは、生徒の自主的な活動が、以前よりは困難になってきていると思う。その部活動の活動状況を見ると、先生主導の活動になっている点があり問題を感じる。生徒の活動ではなく、部顧問間の指導力コンテストになっている傾向が見られる。

 大学や高専のロボコンの様子のTV放送は恒例化しているが、ややマンネリになっている。最近の競技は手動型と自立型の両面からの戦いになってきていて結構おもしろい。

 自立型ロボットはメカトロの技術を要するので、工業高校の全学科が参加する競技会には不向きかもしれないが、そろそろ宮崎県も手動ロボから脱皮して自立型ロボへ移行すべき時期に来ているのではと思う。

 

ものづくり教育現場のものづくり教育離れ                私はものづくり教育においては、ものづくりの分野における基礎・基本をしっかり学ば

せることが大事だと思う。技術の基礎・基本を重視する教育、つまり技術教育が大事だ。

そのためには技能も大事であり、技能教育も必要になってくる。

 私はものづくり教育は、技術教育だと考えているので、いま行われている教育は、基礎・基本の教育が不十分であるので、ものづくり教育からはますます遠ざかっているように感じる。以前は、機械実習においては、試験・計測、材料試験、自動制御、原動機、電気、流体などの実習が重視されていた。

 最近は基礎・基本を十分に指導できる先生も退職していなくなったし、また、施設設備の老朽化が進み使えなくなってきている。これらが、工学の基礎を学ばせる実習が近年実施されなくなっている大きな原因でないか。科学的・学問的な根拠を学ばせ、ものづくりの基本的な考え方を指導する場がなくなってきた。そして最近の工業高校の生徒の基礎学力不足・低下の問題もあり、私の考える工学的な手法、考え方を身につけるところのものづくり教育はますます困難になってきている。

  

私の考える技能的側面からのものづくり教育                 アイデアを形にするには、ものづくりに要する技能の最低限のものは身につけていなくてはならない。最低限の技能がないと課題研究等でうまく作品化できない。私が技術教育が大事だといっても、作品作りに必要な技能を身につけさせることを軽視しているわけではない。

 具体的に機械科の生徒にとって必要な最低限の技能は、ボール盤による穴あけ加工、フライス盤による平面加工、旋盤による段付き丸棒加工、材料の切断加工、溶接加工、タップやダイスによるねじ切りなどを考える。上手でなくても、精度は高くなくても、ある程度きちんと加工のできる基礎の技能を身につけさせることが大事だと考える。全員に一定レベルの技能を身につけさせるには、校内技能検定などの実施もおもしろいと考える。以前に県内の学校でやっている(いた)のを聞いたことがある。

  3年間で何か一つの作品を作るという大単元方式の導入もおもしろいと思う。かなり以前から工業教育の改善方法として提案され、一部の学校で実施され成果を上げているようだと思っていた。すべてのカリキュラム(実習と座学)を、ものづくりを核として再編成するという考えである。この改革案には大いに賛同できる。

 

座学教育のあり方がものづくり(教育本校教育の全般)に取って最も大きな

問題だ

 基礎的・基本的な内容をしっかり身につけさせるには、内容の精選が十分なされた教材で、その内容に最もふさわしい授業方法で、生徒にわかりやすく指導することが大事だと考える。別稿にこれらについていろいろ書いているが、ここではこれまでに述べてない新しい視点で述べたい。

 生徒は平常授業や定期テストでは頑張りがあまり見られないが、資格試験や検定試験ではある程度の頑張りをする。生徒にとっては、平常授業より資格試験の方が大事だと思っているのだろうか。過去問を一生懸命憶えたり(丸暗記するケースが多いが)し、合格すれば喜んでいる場面を見る。

 普通科生は大学入試を目標に受験勉強をするが、多くは入学したとたんに勉強しなくなる。でも中には就職や将来のことを考えて勉強する学生もいる。最近では、国家試験の合格を目指して勉強している者が結構いるようだ。大学に籍を置きながら、資格取得のために専門学校や予備校に籍を置く学生がいると聞く。いわゆるダブルスクール現象だ。

 工業高校生は中学までは受験勉強をしたが、高校に入学したとたんに将来の目標を見失い勉強しなくなる者が目立ってくる。勉強は嫌いだが何か将来に役立ちそうだったら勉強するところがあるようだ。就職や・・・・・のために資格や検定合格を目指して授業では見られない頑張りを見ることがある。このように座学等の平常授業に対しても、彼らが意味や目標を見い出すことができたら、頑張りを見せてくれるのでないかと思う。このような資格試験での取り組み姿勢をヒントに解決策の一つにならないだろうかと以下のことを考えてみた。詳細は別稿(V)

 科目履修の前に全科目で到達目標(マスターすべきもの、身につけておくべきもの)の課題(問題)を示し、それを評価や単位修得の目安として提示する。生徒にとっては定期テストの問題が提示されているのと同然で、資格試験における過去問みたいなものでもある。マスターすべき目標が明確に示されているので、それが目標となり頑張るのでないかと考えた。

 ともかく平常授業の充実策が何よりも重要だ。ここに議論を集中し解決策を見つけ出さなくてはならない。全職員はもちろん、生徒本人、保護者も含んだ形での共通理解(納得)の得られたもので、全関係者による一致した取り組みでないと前進・解決は難しいと考える。 

 最後にもう一度

 工業科教員の世代間の問題(軋轢)についての考えを述べてきたが、ものづくり世代といえる時代に育った年配者は、物理・科学・数学は比較的得意で、工学的なものの見方・考え方のできる人が多い。でも、若い世代の人のようにはパソコンができない人が多い。しっかりした基礎(これこそまさに不易)を持ちながらも、なんだか時代遅れした自分を感じ卑屈にも似たコンプレックス的感情があるようだ。

 一方の若い世代は、不易の部分でのコンプレックス感情が結構強くあるのでないかと思う。しかしその裏返しとしてか、パソコンができるということだけで、工業・工学が分かっているかのごとき錯覚的思いこみがあるようだ。パソコンというツールによって一方は卑屈になり、他方はその逆の優越感情を持ったりする。パソコンはそういうものだと最近思うようになった。

 

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