ものづくり教育について(T)工業教育を取り巻く情勢

                   日向工業高校  馬場 弘教

久しぶりに工業高校に復帰して、いろいろ様変わりしていることにとまどいを感じることが多々あった。私は工業高校が新増設されたときの最終の採用者である。あと1年で退職を迎える。世代交代の一つの節目の最終局面を迎えつつある。理工科全盛時代の最後尾に位置する私から、これからの工業教育を担っていく世代にメーセージとして論文調にまとめた。

 

1、これまでの日本におけるものづくり

「 技術立国日本」という言葉が「ものづくり日本」にかげりが見え始めた1980

年台後半頃から使われるようになった。日本は資源が少なく原材料を輸入してそれを加工し「輸出してはじめて成り立つ国である。だから日本では製造業が国の基幹産業であり、これを伸ばしていかなくては国の将来はない。こういう主旨で使われてきたのだろうと思う。

これに似た「ものづくり大国日本」という言葉はかなり意味合いが違うと思う。日本

の経済がバブル期に近づくにつれ、諸外国から時としておだて上げられ、自信過剰となり、ものづくり(技術)大国とまで言い出した(自称した)のであった。おそらく前者は通産省(経産省)辺りから盛んに使われ、後者はマスコミ辺りが使ってきたのでないかと思う。前者は日本の将来のいく末を案じ国の方向性を示し、後者は「大衆受け」から出た言葉だろう。

日本はかって西洋の学問・技術を貪欲に吸収して、ついには先進国(大国)を相手に

戦争を何度か仕掛ける国までになった。ずいぶん以前(昭和の初期あたり)にはかなりのレベルに達していた分野(機械造船繊維工業等々)があったようだ。

でも日本の技術にはオリジナル(独創的・創造的)なものがほとんど見当たらない。

日本が得意とするもののほとんどはアメリカや西洋諸国が生みだしたものに、改良や付加価値をつけたものだった。そのため、日本の技術は猿まねだとか、ただ乗りあるいは横取りだとも一方では非難もされてきた。これらの非難言葉はわが国の技術の特徴を表している。

日本の技術は大量に安く作ることに特徴がある。このようにして作られた品物を安く、

洪水のごとく大量に先進諸国に売りまくってきた。それにより相手国の産業に大きなダ

メージを与える貿易摩擦の問題も過去には数度起こした。

 

2,すすむものづくり産業の構造変化と今後の日本におけるものづくり

最近教育現場を中心に「ものづくり教育」の重要さが言われている。この言葉は、「技

術立国日本」の危機が、バブル経済崩壊後に顕著になって、その再生・復活を図ろうと教育に期待を寄せて使用されるようになったようだ。1980年頃から海外への部品発注が増え、さらに最近では生産拠点を海外に移す現象が進み、日本の製造産業の空洞化が進んできた。空洞化現象の進行で、日本のものづくりの強みであった水平型ネットワーク(中小企業間における横の連携)、垂直型ネットワーク(大企業における系列)にも、変化が進行している。高付加価値製品製造への移行、技能・技術のハイテク化、製造業から創造業へ、どう作るかから、何を作るか・・・・・・への移行が徐々に進行してきている。 

日本もバブルが崩壊して本格的に各面で構造改革が進み始めている。産業構造の面で

も第一次産業から第二次産業そして第三次産業へとシフトしていくのは、かっての先進国が同じ道を歩いてきたように、我が国においてもその変化が進んでいる。

その変化は中身的には、労働集約型産業から知識集約型産業へ、ハード(ものづくり)産業からソフト(サービス)産業へというシフトともいえる。今の日本は新しいバランスへ移行する過渡期にあるようだ。いろいろな調整作用が働きやがてほどよいところに落ち着いてくるのでないかと思う。                         ところでアジアで日本に次ぐものづくり先進国の、韓国・台湾も日本の後追いで似た現象が起きてきている。より労働力の安い国に生産拠点が移り、産業の空洞化問題が起きてきつつある。台湾においてはものづくりの中核のIT産業までも海外移転する流れが目立ちはじめて、今かなりの危機感を持っているようだ。

さらにもう一つ、いままでの流れとは違う新たな問題(流れ)があるということも注目しなければならない。それは経済のグローバル化、国際分業化の流れである。これについては先進国にモデルがない。今後どんな形で進行するのか予測は難しいが、劇的に変化をするに違いない。部品の海外調達は人件費のよりやすい国へ移行するのはずいぶん以前からあったが、今は生産拠点や研究開発部門まで、国境を越え、より適地を求めて移動している。 

以下に独立行政法人経済産業研究所の中村吉明氏の産業空洞化に関する論文(産業の

空洞化問題とは何か?)の中から本稿に関係する興味深い部分を抄録掲載する。

「中国を始め海外へは生産拠点中心に移転されている。確かに、従来と比較して単純な低付加価値化製品の生産ではなく、デジタルカメラ、DVDプレーヤーを含む高付加価値化製品も生産するようになったが、量産品中心には変わりなく、そこで使用されている最先端の技術は日本からの部品輸入及び技術供与で成り立っている場合も多い。 

一方、生産拠点のみならず、研究開発拠点が海外に進出する例もあるが、それは当該地域の市場を目指し、当該地域の特性に合う製品開発を行うため、当該地域の優秀な研究者を活用した研究開発拠点であり、我が国の研究開発拠点を代替するものではなく補完するものである。 

また、我が国の企業は比較優位を失って、ほとんどの量産を海外に委ねた製品であっても、少なくとも1つの生産拠点をマザー・ファクトリーとして国内に残すように努力している。これは、国内の生産拠点が閉鎖されることにより、生産ノウハウが失われ、将来、市場や技術の条件が変わって生産が再開されるようになっても対応できるように、いわゆる経路依存性の問題を回避するために、企業が自発的に行っている行動である。 

更に、企業はさらなる高付加価値化製品を作ることで比較優位の回復に努めている。これらのことを総合すると、技術に関する私的便益と社会的便益の乖離の問題はそれほど大きな問題でないように考える。」

このように述べている。関係者の賢明でかつ懸命な努力が続く限り、日本のものづくりは決して衰退はしないと楽観的に見ているようだ。

この抜粋した部分は、空洞化の進むこれからの日本の産業、とりわけ製造産業のありかた、ものづくり教育のあり方を考えるのに多くの示唆を与えてくれるようだ。

ともあれ文明や産業をグローバルに見ると、産業の構造変化は必然の流れの中にあることになる。関係者が努力して流れを食い止めようとしてもそれは不可能に近い。日本の科学技術が衰退してしまわないように関係者が最大限の努力を続けることは大事なことだと思う。そうすることによって、よい品を安く大量に売りまくる役割は終わったとしても、ものづくりの分野において、ハイテク・高付加価値製品の創出で世界の中で確固たる地位・役割を今後も与えられるであろう。

 

3,すすむ理工離れ

1960年前半頃までは工業高校には優秀なものが入学してきていた。その後技術も高学歴が求められ工業高校には次第に優秀な生徒が集まらなくなってきた。大学の理工学部はもてはやされ優秀(?いわゆる勉強ができる??)なものが、入学していた。しかし1970年前後から大学でも次第に理工系離れが進んでいった。工学教育をする大学や工業高校には予算が少額しか付かず施設設備の老朽化がすすみ工学教育には魅力も薄れていき弱体化していった。

理工系出身者はもてはやされた割には、企業などでの待遇はむしろ冷遇されてきた。苦労の割には報われないという印象が強い。生産現場より管理や営業部門が厚遇され日の目を見た。こういうことも理工系離れに拍車をかけた大きな要因なのかもしれない。科学技術というと難しく常に生涯にわたり勉強を強いられ、努力を怠ればたちまち一線から遅れてしまう。こういった暗い・厳しいイメージは昨今の日本の若者には歓迎されない。

今の若い世代は科学技術が高度に発展した時代に生まれ、その成果を享受して育った。そういう人たちは、それを利用し活用することには関心があり長けている。でもそれらを生みだすことには関心が向かない。その結果新しいものを作り出す科学技術そのものに興味を示さなくなってくるようだ。生産より消費に関心が向く傾向が見られるのも先進国病の症状の一つだ。ものづくりや生産に従事する人がやがて減少(理工離れ)し、文明自体が衰退していく。

このように、文明には発生、成熟、衰退のサイクルが見られる。このように見ると、理工離れ(ものづくり離れ)は当然な流れだと思わざるを得ない。

 

4、工業高校でのものづくり教育のあり方

 前項までにのべたように産業の空洞化、ものづくりの衰退化、理工離れは今後ますます進行していくことは避けられないし、それに抗する努力をする必要も全くない。これらの時代の推移を見極めたうえで、これからのもの作り日本を支える人材の育成を考えることこそが肝要でないかと思う。これらの諸情勢を分析・思索するなかで、今後のものづくり教育の方向性も見えてくるのでないかと思う。これらをふまえて以下に私見を述べたい。

まずは工業高校の今後のあり方の提言である「スペシャリストへの道」についてであ

るが、その、読み取り方・解釈・理解の仕方は人により幅があるようだ。私も軽く一読した程度であるので間違っているかもしれないと思っているが、意見を述べたい。この答申は地盤沈下の続くものづくり教育の大きな担い手である職業高校の活性化案として出された。

学校教育を完成教育と見なす考えは従来からもなかったが、提言では学校を卒業した後の長い職業教育(訓練や経験)を経て、将来のスペシャリストになるために高校の3年間でそのための基礎・基本をしっかり身につけさせなくてはならない。生涯学習の観点を持った職業教育のありかた・役割を考えるべきである。というのが、私の読んだ読み方でありそれが要点であった。

私とは反対に、これを読んだ人の中には卒業してすぐ現場で役に立つ即戦力が期待さ

れているという人がいる。基礎・基本より実践重視・技能の重視を言う人がいる。そのように言う人は工業高校におけるものづくり教育を、国家資格の「技能士」を念頭においていると考えているようだ。それであれば旋盤科、溶接科、電気工事科、大工科・・・などと称してそれを専門に教育したらどうだろうか。

技能も幅広い基礎教育があって初めて花開くものでないかと思う。やはり学校教育で

は時代の変化に対応できる幅広いものの見方・考え方ができるように、基礎・基本をしっかりした身につけさせる教育を目指すべきでないかと思う。 

以前の工業教育の基本的な考え方の方が答申でいう「スペシャリストへの道」の考え

により近いと思う。

本校に赴任後しばしば聞いた、即戦力の人材養成すなわち技能者養成等の時代逆行(私はそう思う)の考えはどの辺りから出てきたのだろうか。国レベルの指導か、もしくは全国工業高等学校長協会レベルでの指導か。

ものづくりの分野では、実践力というか実践的な態度が私はすごく大事だと思うが、「即戦力」の言葉を使うのには大いなる疑問を感ずる。実践力・技能重視といっても、昔と変わった特別なことをやっているわけではないし、その力が以前の生徒よりついてきているという兆候も見当たらない。

現実の生徒の質を考えたときスペシャリスト的技術者(あるいはそういう技能者)の育成は困難をともなうので、基礎・基本をしっかり身につけさせ将来の伸びを期待するよりも、手っ取り早い実践力・技能重視をいうのでないかとも思ったりもする。そう考えるとこの考えは理解できないわけではない。

ものづくり教育の根幹に関わるこの路線問題(基礎・基本重視か技能重視か)についての共通理解が現場段階でぜひとも欲しい。これからの工業高校のあり方を全職員で議論し共通理解の得られたもので取り組みをしなければならないと思う。

過去のものづくり教育には問題がないわけではないが、現在いわれているところのも

のづくり教育ではむしろ時代に逆行しているのでないかと思うことがある。基礎・基本をしっかりと身につけさせ、日進月歩で変化発展していく科学技術に対応でき、生涯にわたり学習を継続するなかで、より高度な技術を習得でき、ついにはスペシャリストに到達できるそんな人材の育成を目指すべきだと思う。

技術・工学(エンジニアリング)の理解してない(できない)ただ単なるものづくり

技能者では、時代の変化には対応できないし、スペシャリストへの道は遠い。   

一方大学レベルでの、ものづくり人材の育成策としての「ものづくり大学」についても同様の意見を持つ。実践力を重視する教育は、大いに賛成もするが、学問としての工学(エンジニアリング)を軽視しては、時代の変化に対応できない人材の養成でしかない。早晩いきつくのは目に見えている。   

 

5、工業教育の困難性           

 授業に集中できなく、教材を工夫しても興味関心をほとんど示さない生徒が目立つ。

基礎学力不足で授業の内容が理解できてないのがもっとも大きな原因であると私は思

う。それが意欲・集中力の低下につながっているのでないか。                     漢字の読み書きはある程度できるが、文章の内容を読み取ることや、自分の考えを文

章に表すことがすごく苦手である。理科的な内容や数学的なものに関してはその力のな

さは衝撃的ですらある。基礎学力に関しては以前より明らかに低下している。多くの先

生たちはこの点で授業の困難さを痛感しているのではなかろうか。

基礎学力以上に、学ぶことに対しての意欲・関心も低下してきていると思う。 基礎

基本をしっかり身につけさせたいと思っても、そういう指導には困難を伴う。授業を成立させるため、内容の不十分な(指導内容のない=空洞化した)授業を余儀なくされているようだ。

 中学校まではある程度の基礎的なものを身につけて入学してきているにもかかわらず、入学後に伸びが見られない。学年がすすむにつれ、むしろ中学校卒業時のレベルより低下しているのでないかと思うことすらある。工業高校へ入学後、とたんに勉強しなくなる生徒は多い。私はこれを「工業病」だと思っていた。普通科の生徒が大学に入学したとたんに多くの者は勉強しなくなるが、工業高校生もそれと同じ現象だと思えないこともない。

資格取得・検定合格に向けての指導は昔と比べたら多くなった。どれかを減らすべきでないかという考えを持っているわけではないが、教科指導との関連づけをどう図っていくか。どの時期に何を受験させるか。どういう指導体制を組むか。など学科職員間で十分共通理解を図って、合格率を上げる取り組みをしなければならない。現在は重点指導の資格試験が明確にされてないようだし、取り組みも組織的なものではない。

 資格取得の指導では、授業もそうだが内容の理解より、手っ取り早い暗記中心の指導になりがちである。受験のための勉強は暗記するものだと誤解している生徒があまりにも多い。資格試験や検定試験の指導の弊害が授業にも強く出ているのを感じる。あくまでも日常の教育内容が充実する動機付けとなるべきだと思うし、そのような指導でなくてはならないと思う。現状は本末転倒しているのでないかと思う。

 

6,私の授業

私の授業は以下のことに留意して行っている。

・基礎的基本的内容をしっかり身につけ、どんなときでも、どんな場面でも応用の

できる本当の力を付けることをメインにこれまで取り組(実践)んできた。つまり、生きていくベースになるような力(いまでいうところの生きる力)を培うことを強く意識しそれを目指してきた。

・そのためには基礎的基本的内容を明確にし、教科の枠をも超えた普遍性(哲学性)

をも探求しなければならない・・。この作業には深い教材研究と思索が必要である。これは教師としての専門性・力量が求められる厳しい作業である。私は教材研究に多くの時間を費やしてきた。

・教科書中心に指導するが、それ以外にも教科との関連の強い(逸脱しない内容で)

興味関心の持てる教材の準備をする。教科書は基本的には全部にわたって指導する。概念(アウトラインの把握)指導にとどめる分野も時間数の関係で生じる。特殊な専門的な普遍性の低い教材は軽く扱う。

・幅広い視野、工学的見方・考え方のできるように配慮する。

 以上のような考えで指導してきたが、私の力量不足で、生徒には分かりづらい授業になっているのでないかと、いつも反省をしている。そういえば、私は「公式を使うな、常識を使え」とか「勉強は憶えることではない。憶えなくて良い方法を身につけることだ」「憶えることをする前に考えよ」・・・こんなことを過去には口癖のように言ってきた。この考えは生徒には理解できないようだ。最近はもう言わないことにしている。

わかりやすい授業、そして生徒が主体的に活動できるそういう授業(これが本当に楽

しい授業)を目指していかなくてはならないと思う。それゆえ教材研究の悩みは深く尽きない。もうすぐ定年だ。早くこの悩みから解放されたい。

 

7,ものづくり教育の授業に関連して思うこと

「授業参観」「研究授業」等における、講評や研究協議では、授業のテクニック面(方

法論=技術論)に傾斜しすぎて、「何を」「どう指導するかという観点が少し軽く扱われているのでないかと不満を持つことがある。「何を」という指導内容がまずあって、それにふさわしい「どう指導するか」が次に問われなくてはならない。

いま、工業高校の専門教科の授業ではこの内容面についての議論が最重要課題でない

かと思う。教科指導の空洞化(内容がない)が起きているような気がする。

資格取得をすすめるのは大変結構だが基礎学力の不十分な状態で、単なる丸暗記に流れているのでないかと強く危惧している。授業の中で資格取得の指導時間が昔よりずいぶん増えている。授業を大事にし、教科内容の指導を徹底し、1時間1時間をどう充実させるかということも課題の一つだと思う。

 機械科の実習においては、基礎・基本を学ばせる施設設備の老朽化や故障が目立つ。他科の事情はどうなのだろうか。新しい分野も取り入れなければならないが、それらを含んで今の生徒に身につけさせるべき基礎的基本的な指導内容は何なのかという組織的な議論が必要なようだ。                                                     最近工業高校で盛んに使われ始めた「ものづくり」という言葉は各人での受け止めかた・解釈に違いがあるようだ。工業の分野は、ものを作るという観点が大前提であるべきだと言うことだと思う。でも、ものが作れるような教育、あるいは即戦力としての人材養成を意味しているのではけっしてないと思う。私は13年ぐらい前から、全てのカリキュラムを、「ものづくり=実習」を核に再構成すべきだとの考えを持っていた。この考えは私のオリジナルなものでなく、当時の工業教育改革の一つであったし、その先進性に注目していた。全ての指導内容(専門教科においてはとくに)において、もの作りという視点を持たなければならないとの主張でもある。基礎的基本的内容をしっかり身につけさせ、将来においてものづくりのできる中堅の技術者を育てることでないかと思う。つまり技術者としてのあるいはスペシャリストとしての卵(・・・・への道)を育てるのでなければならない。

 

8,その他ものづくり教育に関連して(雑感・メモ書き=思いつくまま)

 以下は私が日頃考えていたこと、気づいたことなどをメモ書き(ネタ)していたものである。文章化するには少々疲れたので、ネタのみを順不同に書き並べてみた。

1, ものづくりは、作りたいという気持ちが先ずなければ始まらない。そのためには作

る楽しさ、おもしろさを体験させることは大事なことだ。いろんなイベント催されている。大いに結構なことだと思う。でも担当の先生の負担が大きすぎているのが心配だ。

 

2,機械工業はシステム産業だ。部品を作りそれをシステム化して製品とする。ものづくりの先進国に後進開発国が追いつくにはかなりの年数がいる。IT産業は組み立て産業だ。工業後進国でも短期間で先進国に追いつける。

 

3,パソコンができるのは大事なことだが、それができたからといって、ものづくりや工業を理解したことにはならない。若い者ほど上達が早い。年配者はパソコンが苦手だからと言って卑屈になってはいけない。

 

4,保護者の願いはどうだろうか。読み書き計算をはじめ、高校教育の基礎・基本をしっかり身につけ、社会の変化に対応しながらたくましく生きて欲しい。そんな力をつけて欲しいと思っているはずだ。

 

5,ロボコンはアイデアを競うところがおもしろい。イベントとしては興味深いものがある。動機付けとしての意義は大きいと評価はするが。おもちゃ作りお遊びの範疇だと思う。動機付けの意義は十分認めるがそれ以上のものを期待してはいけない。                  

6,ものづくりコンテストというものが 全国レベルで実施されている。イベントとしては有意義だ。でもやっていることは、ものづくりというものではない。基礎基本の技や・知識をどれだけ吸収しているかを競うものなら賛成もできるが、現行の考え方・やり方には少し抵抗を感じる。                          

 

7、それに、ロボコンというのも同様に賛成しかねる。ハイテクでもなんでもない。ただ単なるおもちゃ作りでないか。あれで工業のものづくりを本質的に活性化でるはずもないし・・・でもアイデアのぶつかり合いはものづくり教育の観点からしても、有意義なことだと思う。一部の生徒のために多くのエネルギーを費やし全体の活性化には程遠い現在の状況に疑問を感じる。

 

8,ものづくりに関わる技能労働者の待遇をどうあげていくかというのは重要な政治 レベルの問題だ。ものづくりの分野に関わる人材の育成も政治レベルの課題だ。わが国はこれからもものづくりを基本にすべきでないかと思う。             

 

9,TV番組のプロジェクトXはおもしろい。感動する。しばしば登場する工業高校卒業生の活躍がうれしい。これが私の描くものづくり分野の中堅の技術者のイメージだ。                                  

10,現在の工業高校では中堅の技術者の育成は困難だ。指導要領からこの言葉が消えたのは、現在の工業高校生のレベルダウンが背景にあるからだろうか。でもスペシャリストに育ってほしいと願わざるを得ない。そのためにも基礎・基本をしっかり身につけさせたい。

 

11,ものづくり技術・技能の陳腐化速度は速い。一人の人間の社会への関わりを考 えるとき、生涯学習する中で生涯を通して、時代に対応しながら生きていける力が大事でないか。スペシャリストへの道が幸せの道だ。基礎基本を大事にすることが教育の基本だ。                                    

 

12,現実の進路先は実に多様だ。学科教育に一番関係の深いのは建築科であり、それに電気科が続く。化学工学科や機械科は多様だ。卒業後年数がたつにつれ、ますます進路先は多様化している。時代の変化や個人の適性や諸事情で多様化している。     日向市内や県内に限らず、ものづくりの職場は少ない。そんななかでも卒業学科の枠に関係なく卒業生がいろんな分野で活躍している現状を見るときすごくうれしい。  

 

3,工業の教諭の教材研究に費やす時間・負担は相当なものだ。座学3科目〜5科目にプラス実習2科目〜3科目、それも毎年ローテーションで変わることが多い。 私は今年5科目プラス実習2科目を担当している。副教材や問題集等もないので、教材の準備等が大変だ。普通教科の先生がうらやましい。                 1

 

14、一戸建ての住宅など建築士が関与しなくても建てられる。幅広く常に勉強を怠らない大工さんもいれば、向上心のない建築士さんもいるであろうから一概には言えないが、建築士が関わった家は、間取り、通風、採光、費用の配分バランス、耐震性、資材の選定、耐久性、デザイン・・・・・等々建物全般にその専門性が感じられるが、建築士が関与してない家造りはどこかに問題が起こりがちだ。            

 

5,家づくりは多くの専門職人が関わって可能となる。でもそれら専門職人は、もの(家)づくりをしたと言えるのだろうか。この場合は元請負人(工務店)あるい は棟梁、または図面を書いた人だろうか。全体を総括した人がもの(この場合は家)づくりをしたといえるのかもしれない。ともあれ多くの人が関わってはじめて可能となったのが事実である。全体を総括する人がいるからものができるとも言える。スペシャリスト、ゼネラリストがいてものづくりができる。棟梁や建築士はスペシャリストであり、ゼネラリストでもある。全体の見える人である。

 

16,我々工業高校関係者は「スペシャリストへの道」を読んで、どういう教育像を持てばよいのだろうか。幅の狭い、そして今だけに通用する専門家(職人)をイメージしてはいけないと思う。今すぐには通用しなくても、基礎・基本をしっかり身につけ、時代の変化に対応しながら生涯学習する中で伸びていける人をイメージしたい。こういう人は、幅広いものの見方考え方が吸収できる人であり、スペシャリストであり、ゼネラリストへと成長していける。こういう人材の育成をイメージしたい。

 

17, 100円ショップに行くことがあるが、「どうしてこれが100円で売ることができるのだろうか」と思う。こういう品物づくりでは日本に勝ち目はない。など考えさせられることが多い。私は心配性で、これからの日本の生きる道はどうあるべきか。工業高校におけるものづくり教育はどうあるべきかなどを考える。でも楽観的に見ないと明るい未来は開けない

 

18,理科嫌い数学嫌いで本物のものづくりができるのだろうか。   

 

 資料 指導要領における工業科の目標がどのように変遷したか。

昭和26年 

 高等学校における工業教育は,将来,日本の工業の建設発展の基幹である中堅技術工員となるべきものに必要な,技能・知識・態度を養成するもので,次の諸目標の達成をめざすものである。

()工業のそれぞれの分野において,工業の基礎的な技能,すなわち,計画設計および製図の技能材料の加工および組立の技能,工業製品の製造の技能,一般に使われる工具および機械の使用調整修理試験の能力を習得する。

()工業枝術の科学的根拠を理解し,これを科学的に高めるために必要な知識を習得 する。

()工場事業場の運営に必要な各種の知識技能を習得する。

()工業の経済的構造とその社会的意義を理解し,工業労務者の立場を自覚する。

()計画的・合目的的・実験的な活動を行い,創造力を伸ばし,工業技術の改善進歩に寄与する。

()集合的,共同的に,責任ある行動をする態度を養う。

()各自の個性・能力・適性を知り,職業選択の資をうる。

昭和35年

 1工業の各分野における中堅の技術者に必要な知識と技術を習得させる。

 2工業技術の科学的根拠を理解させ,その改善進歩を図ろうとする能力を養う。

 3工業技術の性格や工業の経済的構造およびその社会的意義を理解させ,共同して 責任ある行動をする態度と勤労に対する正しい信念をつちかい,工業人としての自覚を養う。   

昭和45年

1工業の各分野における中堅の技術者に必要な知識と技術を習得させる。

2工業技術の科学的根拠を理解させ,その改善進歩を図る能力と態度を養う。

3工業の社会的・経済的意義を理解させ,共同して責任ある行動をする態度と勤労   に対する正しい信念とをつちかい,工業の発展を図る態度を養う。

昭和53年

 工業の各分野の基礎的・基本的な知識と技術を習得させ,現代社会における工業の意義や役割を理解させるとともに,工業技術の諸問題を合理的に解決し,工業の発展を図る能力と態度を育てる.

平成元年

 工業の各分野に関する基礎的・基本的な知識と技術を習得させ、現代社会における工業の意義や役割を理解させるとともに、工業技術の諸問題を主体的、合理的に解決し、工業の発展を図る能力と実践的な態度を育てる

平成10年(現行)

 工業の各分野に関する基礎的・基本的な知識と技術を習得させ,現代社会における工業の意義や役割を理解させるとともに,環境に配慮しつつ,工業技術の諸問題を主体的,合理的に解決し,社会の発展を図る創造的な能力と実践的な態度を育てる。 

                                2004年11月

 

馬場弘教のホームページに戻る