私と管理職試験(教頭採用試験受験記)
2000,1,10 馬場弘教
私は若いとき教頭試験を受けたことがある。受験回数は7回(44〜50歳)だったと思う。
管理職試験の内容は本県の場合は口頭試験と論文試験であった。口答試験は教育法規に関する事および願書記載事項についてのことなどについての面接だった。論文試験では教育実践についての考え等をテストするものが課される。
受験3回目からはこの試験に対していくら教育法規を勉強しても、また立派な教育論文が書けても採用になるとは限らないのではとの思いが強くなっていった。採用される人は試験結果に関係なく日頃の教育実践や校長の推薦などでおおよそ決まっているのでないかと思うようになった。校長の私への評価がガムシャラに頑張っている他の同僚の受験者より優れている自信はなかったので、正攻法では合格する自信はなかった。
受験者の顔ぶれの中に問題職員が結構いるのに気づいた。現場の管理職はその受験者が管理職に向くかどうかというよりも、学校経営上の1つの政策的意図で受験を薦めることもあるのでないかと思った。
それで私の場合も同じように政策的意図で薦められ、ただ単に利用されているのでないかとの疑心暗鬼な気持ちがもたげてきた。教頭試験は管理職から受験を勧められて普通受けるものだが、その受験の誘いに乗ることは、その人に忠誠心を誓うことになる。3回目からは辞退しようかとも考えたが、現場の校長には言い出せなかった。
また試験そのものについても、教育法規を丸暗記させてそれを正確に言わせるそんな馬鹿げた試験に対して、大真面目に受け答えすることが、なんだか忠誠心の試験にも思え耐えられなかった。そんな試験を受けている自分の姿を想像し、なんだか自分がアホラシク思えた。
それで私は最初の2回だけ真面目に丸暗記して臨んだが、3回目からはこの丸暗記をテストする試験に対して反発する気持ちが出てきた。
「学校管理運営規則の中の教育長報告事項を述べよ。」これなども結構よく出題されている。これらの質問に対して私は1つだけ答えて、その他いろいろありますと答えるのであった。そうすると面接官は全部言ってくださいと再質問してくる。わたしはそれなりに暗記もしていたので答えられなくもなかったが答えることはしなかった。
またあるとき「4月当初に教職員課から学校に送付した文章は何か」と質問された。私は「よほどの重要な文書でない限り一般のヒラ職員は見る機会はありません」と答えた。翌日校長に試験内容を報告したら「答えられない質問をされたら、それはどういうものかと聞き返せばよいのだ」と叱られた。「それにしても相変わらずくだらないことを聞くもんだ」とも慰めてもくれた。
いま冷静に考えてみれば、意地悪な質問や返答の難しい質問をして受験者の反応を観察していたのかもしれない。こういう質問で柔軟性や対応力を観察していたのかもしれない。
そのように思うとき、当時の私の未熟さが恥ずかしくなる。いまなら違う答え方ができるかもしれない。でも面接試験はこの年になっても緊張する。
教頭に採用されたときの抱負を願書に書くように求められるが、これに対して私は学校において解決すべき教育課題を全職員で議論し取り組み課題の設定を行い、一丸となってその解決を目指すと書いた。
この抱負に関連して面接試験において、「あなたの学校の教育課題は何ですか」と質問された。
この質問に私は当時の勤務校での最大な教育課題であるところの基礎基本の定着を目指す学習指導方法の工夫改善の推進の必要性を述べた。面接官は失望したかのような顔をして次の設問に移った。教育委員会が各学校に求めている教育課題研究について、つまり年度当初に取り組み計画を報告している「教育課題研究」のことを質問されていたのでなかったかと、答えたあとに気づき面接中気になったが、面接官の質問はどんどん次に進んでいった。
教育論文では「・・・・・についてこれまであなたが取り組んで来たことを述べ、教頭の立場で今後どう取り組みを進めていくかを述べなさい。」こんなテーマの論文テーマが当時よく課されていた。ある年に、「あなたの学校の教育課題をあげ、これについてどう取り組んできたかを述べ今後教頭としてどう取り組んでいくかを述べなさい。」が出題されたことがある。
私は論文のテーマである教育課題について「 」がついた、いわゆる各学校において教育委員会に報告して取り組みをし、年度末にその成果を報告する平成元年度から取り組まれているところの教育課題研究を意味するのか、それともそれに限らず通常の教育課題なのかを確認したくて「出題の教育課題には「 」が付いてないのですが、ないという事でよろしいのでしょうか、」と質問したのだった。
問題が板書されたとき私は多くの受験者のいる中で手を挙げて質問したのだったが、私の質問に対して、試験官は「問題はこの通りです」と繰り返すのみであった。「 」がつくかどうかはすごく重要な意味を持っているのに、試験管には私の質問の意味が分からなかったのだろうか。
教育論文も数回受験すればおおよそ傾向が分かる。それで教育論文についても事前にそれを準備することができる。教育論文を事前に書き上げそれを丸暗記して、当日原稿用紙にすらすらと書いていく人が多くいた。
事前にそれくらいの準備をしていなければ短時間に一定量の文字数で論旨をまとめるのは難しい。出題内容が多少ずれても事前に準備した論文を少し変更してそれに合わせることは可能である。どんなものが出題されても、その方向へ持っていく事は出来るので、多くの人は事前に書いて準備しているようだ。
最初の2回だけは一生懸命受験勉強をして臨んだ。51歳で受験を断念するまでの数回はそれまでとは違う考えを持って、ある種の賭けをして臨んだ。それは教育委員会を批判するものだった。
尋常の手段では無理と思った私は、出題に対して教育委員会を批判するそんな論文を書いてきた。教育委員会を批判しては管理職に採用されるはずもなかったが、わたしはその方法で採用(合格)を狙った。受験者の中に委員会を批判する人がいても良いだろうし、その中から管理職になる人がいても悪いことはないはずだ。
私の論文は現場を本気で変えようとしない教育委員会の姿勢を批判するものだったが、今思えば採用に値するほど立派な論文でかったような気がする。当時の私にはあせりがあったのかもしれない。当時は受験は平均50歳ぐらいから開始し、55歳ぐらいで教頭採用になるのが一番多かったと思う。
私の場合は受験開始年齢が少し早すぎたのも問題だった。数回不採用になると、前述したようにいろいろな雑念が生じてくる。受験の薦めを1回は断り、その翌年から開始したが44歳では少し早すぎた。
推薦をいただいた当時の校長より教育法規等を個人教授していただいた。その私塾はもちろん無料で食事までいただいた。当時の校長に感謝するとともに合格することができなくて申し訳ない気持ちになる。
私が断念したあと後輩が続々教頭に採用になっていった。頑張っていた人が採用になっていくのは喜ばしく応援したくなる。でもなかには全職員公認の問題職員がいるし、また私が進めてきた取り組みに対しての抵抗勢力のリーダー(あるいはその手先)だった人もいる。複雑な感情を持つことがある。
管理職試験を目指して、それまでは関心を持ってなかった分野もいろいろ幅広く勉強した。その後の教育活動に有益だったと感じる。無駄だった感じは全く持ってない。