抵抗勢力について考えること
延岡ろう学校 馬場 弘教
小泉さんが改革に抵抗する人々のことを抵抗勢力と言った。私はこの言葉をすごく新鮮な響きで聞いた。この言葉を通して世間を見ると今までとは違った新鮮な見え方がするものである。抵抗勢力はどこの世界にも存在するものであり、この職場にも例外なく存在することに気づく。変革しようとするとき、何かを変えようとするときには、その流れを阻止しようとする勢力が出てくるものである。安住としたものを求め、変化を嫌う傾向から生じることもあろう。政治の世界では主導権争い・権力抗争に絡むものが多い。私利私欲との関係性も多く見られる。多くは私心が働くときに見られる。つまり自分の地位や存在価値、立場、利益を守ろうとするときに見られる。それはまた、多くはやきもち・嫉妬の一つの現れであることも多い。邪悪なもの(良い方向、正しい方向へ行くのを嫌う)は、正しいもの・正義に対して嫉妬する。そういう人はツルンデイヤガラセ、妨害をする。政治家は国民を忘れたときに、教師は生徒の存在を忘れたときに見られる。使命を忘れて全体の利益より、自分の利益を優先するときに見られる。何らかの取組みをするとき、抵抗勢力の台頭を許さない方策を考えなくてはならない。それは難しいが、その対策を考えるのが大事なことである。学校の「教育課題」の取組みにおいては、生徒を中心に据えた議論と誰もが持っているプロ精神で改革のための「和」・「輪」を作らねばならない。最もオーソドックスな方法こそ最も大事である。小手先の作戦や根回しや一部でやる取組みでは、小事はできても大事はできない。抵抗勢力がそのうち協力勢力へと変わってきてもらうには、オーソドックスな方法でいくことが大事であると思う。私はオーソドックスな手法が好きだ。不器用な私は正攻法で行くしかない。
ところでろう学校では、ろう教育の改革に関する考え方が対立要因になることがある。教育改革を要請する各種答申が出されても、それを推進する文部科学省や教育委員会の行政側は口先ばかりで本気でない事に気づく。改革を推進するためには、現状分析を行い、その問題点を明らかにし、その上で解決策を考えなくてはならないが、この最も重要な過程を現場で経ることなく、改革の方向性のみが、お上から流されてくる。現場は改革の深意を理解できずして表面的な取組みのみがなされ、掛け声だけでちっとも本質的な前進・解決を見ない。
問題点を抉り出す作業においては、それまでの取組みを反省し、時にはそれまでの取組みが否定される場面が必ず出てくることになる。ある面で責任問題などに発展する側面を有している。これは現に行政を担当している人たちは好まない。自己保身でもあるが、自分を引き上げてくれた先輩の誤りを指摘し責任問題に波及するのは避けたいものだろう。
転じてろう学校の観ると、抜本的に改革しなければならない大きな課題がありながらも、ごく表面的な議論しか行えてない現状のあることに気づく。
専門性が十分あると思われるろう免許保持者や、現場たたきあげの管理職は、変わることを好まない。そういう人達にとって現場が改革されると、それまで頑張ってきたことが否定されるだけでなく、場合によっては自分の頑張ってきたことが否定されたり、過ちであったと認めざるを得なくなる場面も出てくることになり改革に対して消極的になっていくのでないかと考える。目の前の苦悩する子どもやその家族の立場より、自分の立場をより優先していく傾向が出て来る。
こういう人達はけっして本質論議になるのを好まない。問題点や課題には決して触れないようにして避ける。この人達はベテランであるだけに、また権力・地位を持っているだけに改革への消極的態度はむしろ、改革を妨害し阻止する働きをする。これは身近な抵抗勢力の一つの例である。多くの職員は改革の必要性を感じても口を閉ざしてしまうことになり、職場は重い雰囲気になっていく。
現場生え抜きの校長が隠然たる力を持って仕切っている全日聾研、九聴研はこの傾向が強い。聾教育の改革・改善のための会というより親睦会という感じがする。発表の大部分は、現状肯定が(大先生たちのおかげで今日がある・・)が大前提となっている。
全日聾研、九聴研において各分科会で何本かの研究発表がなされるが、現状を何とか努力して変えようとする気持ちは感じられても、問題の根本には決して触れない。抜本改革を嫌がる管理職の元での実践・発表には、管理職の意向を無視することが出来ないので自ずと限界がある。管理職がどう考えているのか、その言動に敏感になっている現場の実態がある。
私は本校にある過去の全日聾研、九聴研の研究集録のほとんどを読んでみたが、いろいろ工夫していても現場の事情は決して好転はしてないことに気づく。むしろ悪化してきているのでないかとも思われる。一方、「ろう教育の明日を考える集会」の集録には、改革の情熱・息吹満載の感動の実践が集録されている。
ところでインターネット情報に接したり、ろう教育の明日を考える集会や龍の子の実践に興味を持ったりする人に対して管理職は、警戒感を持っているのでないかとかの疑心暗鬼な気持ちになることがある。定年前の老教師の私でさえ管理職のご意向におびえている。大方の職員もそのように思っているのでないかと考える。この文全体は、おびえながらも勇気を持って書いてみた。抵抗勢力の問題を書いているこの文は、特定の個人の問題ではなく、一般的な人間の傾向として読んでもらいたい。常に子ども中心に物事を考えていけるようにお互いに自戒自省して行きたいものである。 2003,12月