ふるさとの歴史を知る
 
第一探検地からの報告
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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石部町
 
隊員が訪れたのは、東寺地区にある長寿寺というお寺。この長寿寺は、西寺地区の常楽寺とともに奈良時代に良弁僧正によって開かれた石部町の名刹です。まずは、隊長の報告から。「石部のまちは、奈良時代以前から大和地方と交流があり、万葉集にも“いそべ(石辺)”と呼ばれていたそうですし、六反墳、柿ケ沢古墳など数多くの古墳もあります。また、阿星山を中心に仏教が盛んで、当時はお寺も沢山あったそうですが、現在では長寿寺と常楽寺が残っているだけです。
長寿寺
見学した長寿寺の本堂は国宝で、鎌倉時代に建てられたものです。お椀を伏せたようなこんもりとした屋根は非常に美しく、棟より少し下がったところに照起り屋根と呼ばれるめずらしい勾配をもった建物です。中には子安地蔵菩薩が本尊として祀られています。そばには重要文化財の弁天堂がありました。
 
西寺の常楽寺には行けなかったけれど、長寿寺とは対照的で屋根がそり上がり、勇壮な感じがするそうで、お寺の横には国宝の三重塔があり、室町時代のものだそうです。」石部は、山(阿星山、飯道山、金勝山)の方から栄え、野洲川に向かって逆三角形の地形になっています。昔は、南北、東西の交通の要になっていたのです。聖武天皇によって紫香楽宮が造られた時に、石部町の金山という所から銅を信楽に運搬するための交通もあったといいます。隊員は、天平時代に仏教文化が栄え、古墳も数多くあることを知り、「大変誇りに思います。」と言っていました。そして、隊員が何より驚いたことが二つあり、一つは、長寿寺や常楽寺を建立した聖武天皇のお祭りがなんと探検を行った八月十一日に長寿寺であったことです。二つめは、長寿寺にあった三重塔は織田信長によって安土城址の近くにある?見寺に移され、常楽寺の山門は豊臣秀吉が伏見城を築いた時、城門の一つとして移建し、のちに家康によって伏見城が解体された時、園城寺へ大門として寄進されたということです。また、長寿寺のミニチュアが文化庁に展示されています。
 
添見寺の三重塔
園城寺(三井寺)の仁王門

石部町には、歴史を辿るものがまだまだ沢山あります。身近にあってあまり気が付かないものもあるのです。JR石部駅前の石碑には、白まゆみ石辺の山の常盤なる命なれやも恋つつをらむ
と万葉集に詠まれた歌の一部が記されていますが、古くからこの地が栄えてきたことを物語るものの一つです。また、東海道五十三次の第五十一番目の宿場町だった石部は、参勤交代の諸大名をはじめ旅人が行き交い、本陣や旅籠が軒を連ねて大いに賑わい、商業も盛んでした。雨山文化運動公園の一角に、石部宿の面影を再現した宿場の里、街道資料や網代駕籠などを展示した東海道歴史資料館があります。住時を偲ぶものが少なくなった今日、これらは石部町の誇りとなっています。
 
網代駕籠
JR石部駅前の歌碑
本陣の模型
  
 
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