ふるさとの歴史を知る
 
第一探検地からの報告
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ふるさと名人
 
甲賀地域に伝わる文化、芸能 、工芸そして伝統産業の部門で卓越した技術を持った人、また、趣味を契機に類いまれな技術を修得した人の中から、 甲賀の特性を感じる方を“ふるさと名人”と命名させていただきました。エピソードを交えな がら名人ぶりをご紹介しましょう。  
八田焼名人 武藤繁生さん (75歳・水口町八田)
 
八田焼は、明暦元年(一六五 五)に宮治伊兵衛によって始められ、その後陶土不足等により 中断していたものを明和年間( 一七六四〜一七七二)、八田の初代代官宮治吉兵衛や武藤左兵衛らによって再興されたと伝えられている。
私は、十六歳の頃から父親から手ほどきを受けろくろを回し続けてきた。この八田焼は、きめが細かくてよく焼きしまり、水もれや移り香がしないところや、鉄分の含有量が少ないため白く焼き上がるといった特徴を持っている。昭和の初期には、十数軒の窯元があり盛んに紫煙が昇っていたが、今ではただ一軒。十三代湖東重平の陶工名を受け継ぎ長男と共に伝統を守り続けている。七十歳を超えた現在も、八田焼に対する情熱は衰えずこれからも創作活動を続けていきたい。同時に、八田焼を伝えることに努め、八田の里が再び焼きものの里として賑わうことを夢見ている。
   
正藍染名人 植西恒夫さん (56歳・甲西町下田)
 
下田の藍染の歴史は、明和年間(江戸時代中期)、 この地の紺屋政平が、京都で染色の技術を学び、以来この地において広く普及したといわれている。しかし、時代の波とともに、現在では、一軒が残るだけとなっている。私は家業を四代目として継ぎ、以後これ一節に四十年が経ってしまった。木綿をあざやかな色あいを持った藍色に染め上げるには、染料の品質が何よりも大切である 。
そのためにも、藍葉を自家栽培し収穫後の天日乾燥や発酵といったことに手間をかけている。また、木綿を染める時には染料を再発酵させるが、長年の経験と勘が要求され、これによって仕上がりが変わってくるものだ。このようにして仕上がった藍染の良さとは、洗うたびに独特のなじみ深い色に変化していくことにあると思う。自分の期待できる色が出た時の喜びは何物にも代えがたい。藍染は、昔の生活用品から現在では民芸品としての需要へと変化してきた。昔ながらの藍を求める人々にわずかでも満足してもらえるよう頑張って続けていきたい。  
 
蟹が坂飴つくり名人 高岡孝さん (44歳・土山町南土山)
 
江戸時代、東海道筋の名物で あったが、今では、田村神社 の厄除祭(二月十七日〜十九 日)の頃しか見られない。五百 年程前から蟹が坂近辺で作り 始められたと聞いている。
 
私は、田村神社の真向かいに家があるから、引き継ぐこと になった。作り方は、水飴を炊いてゆっくりと固めていくので あるがこの炊き加減が最も難しい。火力が強すぎると焦げたり着色してしまうため、炭火やわら灰を用い、すべてが手 づくりになるので数多くは作れない。昔の蟹が板飴は、歯に付くことで有名であったが、今は麦芽飴を使い若い人や子供達にもおいしく食べてもらえるように工夫している。出来上がった飴は、昔ながらの竹皮で包み、もちわらで縛って素朴な風あいを出している。これからも、蟹が板飴の伝統の味を守り続けていきたいと思う。  
 
鹿深みそ木箱つくり名人 大林茂さん (65歳・甲賀町高野)
 
甲賀町神地区では、農家の 主婦の手によって合成保存 料等を一切使用しない鹿深 みそが作られている。この味噌は間伐材を使った焼き杉の木箱に詰められ、甲賀町の名物として販売されている。昭和六十一年に林業後継者対策の一つとして、林業交流センターが設立され私は甲賀愛林クラブの木工責任者になった。
その後、甲賀町の特産品である鹿深みその箱を、間伐材を利用し作って欲しいとの要請があって“鹿深みそ木箱つくり”を始めたわけである。材料は杉の間伐材を使い、焼き杉としての特長を出すのであるが、技術は自己流で工夫し開発している。このような木箱作りも、退職後の仕事として、趣味としてもやりがいのある作業であるし 、同時に町の特産品作りに貢献できることが何よりもうれしい。これからも、木工教室の機械等の設備を整え、鹿深みその木箱だけでなく色々な木工製品を作っていきたい。
 
宇川ずし木箱つくり名人  岡村賢一さん(67歳・水口町宇川)
 
四月二十五日は水口町の宇川まつり。昔からこの日には、宇川ずしを作って祝う。宇川の各家々には寿司を作るための 木箱が残っており、中には二百年以上前のものと思われる古い木箱もある。五年程前、 近所の人に新しい木箱を作って欲しいと頼まれて、昔の作品を見本にしながら作り始めたのが最初である。古い木箱は釘を使わず木を組み合わせてあり、
側面に彫り物を施した立派なものである。木箱の中にご飯と具を入れて落とし蓋のようにして上から重しをするので、木枠と蓋の寸法を合わせるのが難しい。宇川の人々にとってはお袋の味とも言うべき伝統の味が、木箱と共にいつまでも伝承されていくことを願っている。  
 
多羅尾万才伝承者 中井栄子さん(46歳・信楽町多羅尾) 久松千鶴子さん(52歳・信楽町多羅尾) 川村とみゑさん(47歳・信楽町多羅尾)
 
大正の初期、愛知県知多半 島から伊勢者といわれた三 河万才師たちの一組が、多 羅尾にたどり着き、家々を演じて回り、当時たいそう喜ばれ長く滞在するようになった。若者たちは、この三河万才に古くから地元に伝わるダレ唄や、数え唄を織り交ぜながら、正月や里の慶事に盛んに演じて回った。

これが「多羅尾万才」の始まりである。この多羅尾万才は、 全員が三味線・胡弓・鼓を用いてなぞかけをしたり、三曲劇 ・剣舞・喜劇などを一度に四時間ほど演じたりするもので、 現在の「漫才」とは趣が異なるものである。特に、唄いなが ら舞等を演じるというのが特長で、これを習得し身につける 事は大変苦労である。しかし、長い間村人から村へと伝承されてきた貴重な伝承芸能であるから、これからも、地域の 一文化として大切に残していきたいと思う。
 

水口まつり曳山ミニチュアつくり名人  谷口勘七さん(73歳・水口町神明)
 
水口まつりに曳山が巡行したのは、享保二十年(一七三五)といわれており、現在残されているのは十六基で、県下でも一番多い。華やかな奉納巡行は、旧東海道の宿場町として 栄えた往時を偲ばせてくれる。自宅の近所に山蔵(曳山の倉庫)があり、子供の頃から親しんできた。そして曳山をミニチュアにして何とか残していきたいと思い作り始めたのである。
現在残っている曳山十六基のうち十二基を完成させること ができた。台輪と山の高さのバランスをとることが難しいが 、子供の頃から親しんできた祭りだけに曳山の型は全て頭 に入っており、細い欄干や外から見えない内部の格子天井 も実物そっくりに作っている。材料は、近所の人から分けて もらった木切れや着物の帯地等を利用している。私の自慢 の作は、自分の町(東町)の曳山で、出来上がった時の喜びは、とても言葉では語れない。これから十六基全ての曳山を完成させることが目標であり楽しみでもある。
 
水口ばやし名人  鵜飼真五さん(77歳・水口町元町)
 
水口ばやしは、神前の曲( 額、大蛇)と行進の曲(馬鹿 囃、大曲、八妙)に分けられ るが、大太鼓や小太鼓、鉦 、笛などの奏楽は、静かに、 ときには勇壮に、緩急変じて参拝者を引き付ける。私は、小学校一年生の頃から太鼓をたたき始めた。娯楽の少ない当時、子供にとって水口ばやしはとても楽しい遊びであり、五年生の頃になると曳山の上で笛も吹いていた。
そして、昭和七年十二月、三雲・亀山間の国鉄バス(亀三線)の開通記念に三雲から亀山に至る沿道をトラックの荷台で水口ばやしをお囃して走ったことは、いまでも懐かしい思い出である。戦時中には、祭り囃子全面禁止の時もあったが、戦後復興し、現在に至るまで続けられている。今では 、種々の公式行事に参加出演し、その回数は千数百回にもなっている。これからも、水口町の子々孫々の耳に水口ばやしの音が響き続けることを強く願っている。
      
シャクナゲ栽培名人  嶋岡孝夫さん(76歳・甲賀町油日)
 
シャクナゲは滋賀県の花。万葉の初期から終わりに至るまでに出てくる植物の中で、鈴鹿の山に係わりのある藤、シャクナゲの栽培に力を入れようと思ったのが始まりである。 シャクナゲを山から採取しないで増やす方法はないかと考え実生栽培を研究、十五年程かかってようやくほぼ枯れな いところ迄に至ったが、さらに枯れない方法として接ぎ木の手法を考えた。これは、西洋シャクナゲの一種である
 
「アン ナローズウイットニー」を台木として成功、完成したものである。この接ぎ木による手法を普及させることにより、自生シャクナゲの保護に努めていきたい。また私は、シャクナゲ栽培の枯れない方法として実生栽培を開発し、それまでの関係者の常識をくつがえしたことは、一番の喜びであり、誇りである。甲賀町に「鹿深の道」が作られているが、これを整備して万葉植物を植え、それに歌を添えていきたい。そして鈴鹿にも万葉で歌われた植物があることを皆さんに知ってもらいたい。
    
切り絵名人 黒川重一さん (67歳・土山町北土山)
  
私は絵が好きで、特に仏像絵 画や仏像に興味を持っていたところ「切り絵」というものを知り、その斬新さにひかれて独学で勉強を始めたのである。切り絵 の奥深さ、芸術性に開眼し没頭するようになったわけである。これまで、千手観音、如意輪観音 等の仏像や風景画等二百点以上の作品を手がけているが、やはり絵のセンスが最も必要とされる。
特に難しいのは、切り口のシャープさと重ね粘りの技術で、和紙はしっとりと柔らかく、洋紙は強い線・色彩などに特徴 があり、それぞれ紙の持ち味を使い分け、織細な心遣いを することが原画の持つ味を表現する鍵となってくる。私の切 り絵の噂を聞きつけて集まった弟子達と共に、展示会が開 けることが望外の喜びである。これからは、祭や茶摘み等 の地域の風物を切り絵で表現していきたいと思う。
   
仏像彫刻名人  中村良融さん(80歳・甲賀町田堵野)

あるマッサージさんから、肩を揉む時揉みながら身体を触っていると、その人の顔と心がわかる、という話を聞いた。物の真実を知るには 触るということかなと思い、仏像を触ることにより仏の心が見えるのではないかと考え、十五年程前から仏像彫刻に取り組んだ。京都の仏師のところに一年半程修行に行き、彫り方を教えてもらった。
地蔵仏から彫り始めたが、特に如来像の顔の表情、諭りの心を顔に表すのは一番苦労するところである。一度彫りか けたら食事も摂らずに没頭してしまう。逆に気持ちが入らない時は全然彫らないし彫れないものである。仏像の材料には、桧、楠木、白壇があるが、中でも白壇は最高である。だ が昨今では入手が困難になっている。苦心して完成させた 仏像を仏様のない家にあげて喜ばれることは大変気持が良いものだ。
   
民芸細工名人  小谷勘次郎さん(80歳・甲南町野田)
 
 
今はあまり見られないが、昔はわら葺きの民家が数多くあった。その一つに、私の生まれ故郷である三重県に「一軒屋」というところがあり、徳川家康にゆかりのある「お休所」という建物があった。子供の頃、そこでよく遊んだことがあって、こういうものがあったことを再現して子や孫に教え、残していきたいと思ったのが、私の民芸細工のきっかけである。
元々大工であったため、旅行先などで興味のあるわら葺きの民家や建物を見ると、それを覚えて帰り廃材などを使ってミニチュアづくりを始めた。小さいものであるため、最初の頃は特に屋根の製作に何日もかかり大変苦労した。完成品をあげて喜ばれたり、自分の製作したものが子や孫の代まで残ることに喜びを感じうれしく思っている。
   
木工芸名人  西田宗太郎さん(71歳・甲西町岩根)
 
盆栽や木工細工といった手仕 事が好きでいろいろなことをし てきた私である。結婚した長男 になかなか子供が出来ないの で真心込めて観音さんを彫ったところ、待望の子供が出来た 。喜びと感謝の気持ちで一杯になり、本格的に仏像彫刻にのめり込んでしまった。
仏像彫刻は好きで始めたことなので、自分で研究・工夫し て今まで彫ってきた。技術を磨くために何度も大工さんの所 へ見学に行ったりして覚えながら自分のものにした。空いた 時間が出来ると、一気に観音像や七福神を彫ってしまうし、 また作品には「宗心」と彫り込み、いつまでも心に残るように願ってきた。これまでに四十体ぐらいは人に分けてあげている。木工細工の苦労は大変なものであるが、出来上がった時の喜び方がずっと大きい。
 
ワラ細工名人  船田隆司さん(48歳・甲賀町田堵野)
 
お正月に欠かせないものと言えば緑起物、その中の宝船を作り始めて二十五年になる。私は若い時から人並み以上に信仰心が強く、神 棚や仏壇に祀るものは自分で作りたいと思い続けて いた。そしてある時、親戚 で宝船を見つけて以来、見よう見まねでワラ細工として作ってきた。
この宝船は毎年十二月になると、その製作の準備に取りかかることにしている。素材となる稲ワラは、秋口に早目に刈 り取って冷暗所で保存しておく。船の精悍さをより一層出す ためワラの青味と光沢が何より大事だからである。デザインを色々と練ってから、心を込め、手を塩で清めた後に縄を縫い、藤で縛っていく。特に縄を縫ったり藤で縛るところは苦労する。そして今では家族中が出来上がりを心持ちにしており、船田家にとって宝船作りはなくてはならない行事となっている。
     
藤ふごつくり名人  船見久吉さん(66歳・甲南町野川)
 
私は戦争から戻り農業に従事 していたが、農業に必要なふ ごを売っている所がなく困ったため、自分で作り始めた。これ が藤ふごづくりのきっかけで ある。藤ふご、弁当入れ、蓑 、俵 、むしろ等は実用的な ものであるが、特にふごは この実用性が重視され底 がカッチリしたものでなければならない。
そのようなふごを作るには相当な技術と慣れが必要である 。その上、近頃は山の掃除はしなくなったので、藤が地面を 這なくなりふご作りに適したものが取れなくなってきている。最近ではふごの実用性が薄れてきているが、山仕事の時な ど持ち運びに便利で、今でも重宝されていると思う。ふごを 近所の人や老人クラブの人に送って喜んでもらっているが、近い将来このふごもそう必要とされなくなる日が来るのではないかと思う。
 
わら細工、竹細工名人 小林朝右エ門さん(79歳・甲南町竜法師)
  
子供の頃、祖父がわらでいろ んな物を作っているのを見ながら、わら細工の技術を学んだ。また、竹林を有していたことから、竹の加工や細工等も始めたのである。これまで筵、藤ふご、土ふご、しめ縄等を作ってきたが、特にしめ縄は小さいものから自分にしか出来ない神社に飾るような大きなものまで幅広く作っている。
竹では「ひしぎ」(水はけがよいので料理店などの調理場の 水のよくかかる所の腰に使うもの)を作っていたが、これに はひ竹という竹を使う。この竹は、六十年に一度花が咲き 枯れてしまうというめずらしいもので、なかなか手に入らず 困ったこともあった。竹で筆筒や竹かごを幾種類も作ってきたが竹細工は本当に難しい。しかし、い草で作った弁当ふ ごなど人に贈物として作って喜ばれることを張り合いに、これからも続けていきたい。
 
 
 
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